前途多難な白黒龍王婚【R 18】

天花粉

文字の大きさ
上 下
40 / 51
三章

王の部屋

しおりを挟む
 焼き締めた鋼鉄がふんだんに使われた堅牢な漆黒のゴダール城は、中に入ってみると案外ガランと何もなかった。ゴダールらしく扉や柱の厳ついレリーフだけが存在感を放っているが、装飾品が何もない。以前は廊下や広間のあちこちに、様々なものが飾られていた痕跡はあるが、飾り台や広い壁はぽっかりと空いたままだ。

「お城なのに、ずいぶんひと気がないんですね」

 コレットがトーマの思っていたことをズケズケと口にした。

「それに、なんか飾りも少ないっていうか、想像してたのと全然違うっていうか……、お城ってなんかもっとこう煌びやかなもんかと……あ、こっちは普段使われてない離れですか?」

 王がコレットのその言葉に短く笑った。

「いや、本殿だ。俺が王位に就いてから、城の中にある金目のものはあらかた売り払った」
「ええ! この国はそんなに貧窮してるんですか!?」

 コレットが目を丸くした。
 トーマもこれには驚いた。

「あはは、いや、豊かな鉄鉱石やその他の金属の鉱脈や宝石も採れるから、この国は基本的には豊かだな」
「じゃあなぜ……?」
「ここに飾られていたものが気に食わなかったからさ」

 トーマの疑問に、短く答えるラウル王の横顔には苦い笑いが浮かんでいた。

「ひと気がないのはごく信頼のおけるものだけにして、余剰人員を整理したからで、飾り物は嫌いなものを売っぱらって、それきり積極的に買い替えをしなかったからだ」
「へえ、じゃあ、王宮に絵や美術品を卸していた芸術家は干上がっているでしょうねえ」

 コレットの何気ないその一言に、王が意表を突かれたように彼女を見た。コレット自身は何も考えずに口にしたようで、まだキョロキョロと辺りを物珍しそうに見回している。

「……確かにそうだな。では、これからは少し何か買い足すことにしよう」

 トーマはコレットの鋭い市場感覚にも驚いたが、それに即座についてゆく王のその柔軟性と素直さにも驚いた。

「陛下!」

 その声のした方を見ると、老いた女官が王のもとに走り寄ってきた。

「フォレス、今帰ったぞ」
「陛下! 今帰ったではありません! またそのような平民の服で供もつけずにどこ……その方々は?」

 フォレスと呼ばれた老女官は、トーマとコレットの姿を見て不思議そうな顔をした。

「ああ、こっちの若者の方はうちの新しい宮廷くすしで、こっちの娘は……あー……」
「コレットと申します。私は……」
「僕の助手です。看護師をしてもらっています」

 娼館で身を売ろうとしていたとは言いにくかろうと、トーマはとっさに嘘をついて庇ってしまった。コレットが戸惑いながらも話を合わせてくれた。

「は、はい、そうです」
「今夜は二人ともこの城に泊まってゆくがいい。あの連中は案外しつこい」

 最後の言葉はフォレスに聞こえないよう王がこっそりトーマとコレットに囁いた。どうやら聞かれたくないらしい。おそらく、小言を聞きたくないのだろう。

「あの連中って、闇国の人たちですよね?」

 王に合わせて囁くコレットの言葉に、王が驚いたように目を見開いた。

「なぜわかった?」
「あの中に、肩に鷲の刺青が入っている人がいました……」

 そう言って、コレットは自分の左の上腕の辺りを指した。
 闇国のならず者の中には、鷲が蛇を掴んで羽ばたいている意匠を施した刺青が入っていることが多い。神龍を蛇になぞらえ、それを狩る鷹が彼らのシンボルというわけだ。

「でもダメなんです。 私は子ども達が待ってるから帰らなきゃ。今頃お腹空かせてるわ」
「なんだ、子持ちか?」
「あぁ、いえ、私の子ではなく亡くなった姉の子です。ロクデナシの義兄が借金残して女と家出したので私が引き取ったんです」

 コレットが慌てて事情を説明した。

「その若さで苦労人か……。それなら無理して引き留めることもできんな。フォレス、誰かに言いつけて送ってやってくれ。住まいはどこだ?」
「あ、グリーン通り17番地のボロアパート……あのう、とても言いにくいんですが、何か食べ物を少し分けていただけると……」
「すぐにお子さんたちの分もお包みしますね」

 フォレスがそう言って、すぐにコレットと一緒に出て行った。

「おまえは今から宿を探す予定だったんだろう? なら、好きなだけここに滞在するがいい」

 王がトーマに向かって言った。

「は、はい、では、お言葉に甘えて……」

 トーマは城を案内するという王の後について、城の中よりさらに味気ない部屋に通された。目立つのは、すり切れた毛布の乗った天蓋付きの大きな寝台ばかりだ。

「ここは……?」
「俺の部屋だ」
「え……」

 戦場で一度会っただけのただのくすしの自分を、こんなにも奥深くまで案内していいものかと、さすがのトーマも他人事ながら心配になると、王が短く言った。

「すまん、トーマ、診てくれ」

 王が着ていたフード付きの粗末なコートを脱いだ。左脇腰から腿にかけて、服が大きく血に濡れていた。王が疲れたようにベッドの端に腰掛けた。

「ふう……」
「なっ……!?」

 絶句して慌ててシャツをめくると、適当な布でかろうじて止血してある。そこを慎重にめくると、左の腰を背中から鋭い刃物で刺されたような傷がついていた。出血は今もジクジクと続いている。おそらく、先ほどの盗賊の仕業だろう。

「自分では届かんし、どうにもならん」
「あ、あなたは、なぜ……」
「騒ぐな。誰にも知られたくない。それに、俺は傷の治りが早い」

 それでも痛みはあったはずだ。なのにこの傷を見せられるまで、そんなことは微塵も感じさせなかった。

「……でもここでは道具が何も」

 背負っていた荷物は、刺客に襲われた時、娼館の裏口に置き去りにしたままだった。貴重品は身につけているが、今頃は誰かに盗まれているかもしれない。

「簡単な道具と薬なら、そこのワードローブの中に入っている。適当に持ってきてくれ」

 急いで壁際のワードローブの引き出しを開けた。
 なぜか古びた女性物の粗末な寝巻きの横に、傷を手当てするための道具が一式入っていた。意外に充実している。ということは、王はこれまでもこの道具を使う機会が頻繁にあったということだ。おそらく密かに。
 胸を突かれる思いで道具を手に取ると、トーマはベッドに腰掛けている王の側に急いだ。
 シャツを脱がせてざっと傷を改めると、幸いにも出血の割には浅い。だが、縫わなければならなかった。とりあえず、縫合のための道具を消毒しなければ。
 それにしても、この王は古傷だらけじゃないかと思った。

「湯は沸かせますか?」
「ああ、暖炉の熾火がまだ残っているはずだ。それを火鉢に移せば……」
「鍋を借りてきます」
「フォレスには……」
「わかっています。誰にも何も言いません。お茶を飲みたいとかなんとか、うまく切り抜けます」
「すまん……」

 トーマが水の入った鍋や茶器を持って戻り、上着の胸ポケットから丈夫そうな皮の巻物を取り出すと、その中からさらにロウ引きの紙で包まれた医療道具が出てきた。メスやピンセット、縫合針や鉗子などだ。

「おお、すごいな」

 王が素直に感心している。

「医術に使う刃物は特殊な形が多いし、失くすと再び手に入れるのが大変なので、これだけは肌身離さず持っています」
「それも師匠の教えか?」
「そうですね。独り立ちした祝いに一式贈っていただきました」
「近頃のくすしはみんなシンの大学で修行するが、おまえは昔ながらの徒弟制なのだな」
「そうですね。……ちょっと痛みますよ? 麻酔薬がないので仕方ありません」
「ああ、芥子の果汁で作ったというやつだろう? 今じゃすっかり一般化したが、麻酔薬は使い方を間違える……なっ…と」

 トーマが処置を始めると、王がグッと痛みをこらえて言葉を詰まらせた。

「そうです。中毒性があるんです。よくご存知ですね」
「昔、教えて…もら…った」
「……誰に?」
「……昔、おまえのような腕のいいくすしの手伝いをしたことがあるんだ。……ぐっ…俺は痛がって暴れる患者を抑えていただけっ…だが、しっかり抑えていろと叱られた。ひどい傷口に目を背けると、ちゃんと見ておけと睨まれた。元はおまえたち為政者が仕掛けた戦の結果だと」
「あはは、王にですか? それはすごい度胸のくすしですね」
「その頃はまだ王じゃなかったがな。おまえの治療のやり方が、彼女によく似ている」
「彼女……? 女性ですか」
「そう。それに、おまえは彼女に顔つきも何となく似てるんだ」
「だからまだ出会って日も浅い僕を信頼してくださると?」
「十分だろう?」

 おどけたようにそう言う王の軽口に、トーマも思わず苦笑した。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

隠され姫のキスは魔道士たちを惑わせる

じゅん
恋愛
イケメン魔導士たちに唇を狙われる――⁉ 山岳地帯の集落でひっそりと暮らす、17歳の少女・アレクサンドラは、実はお姫さま。 ある日、魔法王国の魔道士がやってきて、アレクサンドラの体液には「魔道士の魔力を増幅させる力」があると告げる。 しかも、その力は、国のエネルギーの源である“マナの樹”も元気にするという。 魔道士たちに頼まれて、国を救うためにアレクサンドラは旅立つ。 その途中で“体液”を欲する魔導士たちに唇を狙われたり、恋をしたりと、ハラハラドキドキ。 アレクサンドラは恋を実らせて、国を救うことができるのか。

処理中です...