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一章

王の陰謀 1

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「ラウル様、どうかお食事を……」

 王宮の西の塔に幽閉された、ラウルの身の回りの世話をする侍女が、食事の盆を差し出しながら悲痛な声で訴えた。後宮で最期まで母の世話をした初老の侍女である。名前はフォレスと言った。
 みる影もなく痩せ衰え、無精髭を生やしたラウルはフォレスを生気のない目で見返した。

「いらぬ。下げてくれ……」
「ですが……」

 ラウルが投獄されてすでに1週間が経つ。
 その間、わずかな水以外口にしないラウルだったが、こういう時に神龍の加護が邪魔をする。普通の人間ならとうに倒れている状況なのになかなか死ねない。無駄な足掻きだと知りつつ、自分を生かすことに興味が持てなかった。
 粗末な料理が乗った盆を前に、フォレスはどうすればいいのかと動けずにいる。

「……おまえは、ずっと母上に?」
「はい、乳母ですから、シェリル姫様がお生まれになった日から」
「……それは長いな。晩年の母に仕えるのは、さぞや大変だったであろう」
「いいえ。いいえ、決してそのようなことはございません。幼い頃からたいそう利発で美しいお方でした。あの方が笑うと、周囲の誰もが微笑まずにはおれませんでした。誰もがあの方のそばにおりたがり、あの方を目で追い、あの方と目があうと、ドキドキと高揚したものです。わたくしは、あの方の乳母でいることが誇らしかった」

 過ぎ去りし美しい日を懐かしむように、フォレスの目が遠くを見ている。

「お心を病まれてからも、時々発作を起こされる以外は、平素はごく穏やかに庭を眺めておいででした」
「そうか……」
「はい。あなた様は姫様によく似ておられます。わたくし、5歳までですが、あなた様のお世話もさせていただきました。覚えておいでではないでしょうか」
「すまぬ、全く覚えておらん。それに、私は母上に嫌われていたゆえ……」

 ラウルはそう言って、寂しそうに目を伏せた。
 シェリルはどういうわけか、実の子であるラウルを愛さなかった。
 産まれてからほとんど抱き上げることもせず、育児のほとんどを乳母とクロウに任せきりにしたのである。
 そしてある日とうとう、父を殺したそのナイフで今度は我が子を狙った。
 当時ラウルはわずか5歳。母が去って以降も父のトーマス・トゥルース伯爵家で育てられた。
 ラウルが2歳の時に事故死した伯爵はすでにこの世にはいなかったが、豊かな家督は弟のマイクが継いでいたし、大勢の召使いやクロウもいたので、広い館で何不自由なく暮らしていた。
 フォレスが、心を病んで後宮に閉じ込められた母について行ったなら、ラウルに記憶がないのも無理はない。

「そういえば、母上の最期の様子を聞きそびれていた。俺は母上が幽閉されて以来、会うのを硬く禁じられていたゆえ、詳しく話してくれんか」
「……あなた様が、お食事をお召しになってくだされば」
「……わかった」

 仕方なく、ラウルは何日かぶりに食べ物を口にした。

「あの日は──…」

 フォレスが静かに話し始めた。

 午後遅く、シェリルの元に王が訪ねてきた。
 王にもラウルと同じように異母兄弟が大勢いたが、王は前王の正妃の嫡男であり、間違いなく王位継承権の第一位にいた。
 そして、シェリルは同じ母を持つ年の離れた実妹だ。幼い頃から可愛がっていた妹だからこそ、父王を殺しても深く心を病んでも、家族としての愛情を捨て切れなかったのだろう。
 多忙な父王は遠い存在だ。現王にとって、信頼できる身内である母や妹の方がよほど近い存在だったのかもしれない。
 小心で狡猾で冷酷な男ではあったが、この一点においてラウルは王を憎めなかった。母はああなってからもずっと、王のもとで手厚く介護されていたのだから。
 そんな王であったから、時々思い出したように母のところに通っていたという。

 いつものように王が人払いして、妹と二人きりで昔話などしていたところ、なにがきっかけだったのか、シェリルはいきなりわけのわからないことを喚きながら、暖炉の火かき棒を手にとって王に襲いかかった。

 ──お、お、お父様が戻ってきた!! 私を殺しに来る!!

 シェリルはそう叫びながら、自分が殺した父と兄を見間違えて襲いかかったのだそうだ。

「前王か……」

 母はその狂った頭の中で、父に復讐される幻を見ていたのだろうか。

「私が駆けつけた時には、姫様はすでに胸から血を流して絶命しておられました」
「……そうか。長々とご苦労であった。私は何もお力になれなかったが、そなたのような忠義者がいて、母はさぞ心強かったろうと思う」
「ラウル様……」

 殺されたクロウの忠義に比べるべくもないが、フォレスにとってラウルは、長年使えた女主人の息子で、わずか5歳までの短い間だったが、乳を与えオムツを替え、実の母に代わって世話をした。
 その子が今、両親ともに亡くし、実の父より親しんだ臣下を亡くし、追い討ちをかけるように実の叔父に陥れられ生きる気力を失っている。

 ───なんと不幸なことなのか。

 王はラウルを妬んだ。
 誰も口には出さないがそれが大方の見方だ。
 王位継承権第一位の息子の自分を差し置き、ラウルが前王のお気に入りであったことも大きいが、兵や民たちの間でラウルの人気は絶大だった。
 戦場では王を含むどの王族も、近衛隊にがっちり周囲を守らせ、安全な後方でただただ時間を潰すだけの腰抜けばかりだ。
 そんな中、過酷な戦地にばかり送られているのに、真っ先に先陣を切るのはラウルただ一人だった。ラウルの騎士団で鍛えられた軍人は優秀な者ばかりだった。
 勇猛果敢な将軍たちもラウルには一目置いた。
 そしてラウルは、活躍した兵には惜しみなく報償を取らせた。戦禍を食らった村落では、できる限りの復興工事をした。
 そうしたラウルの人気は末端から火がついたのである。それだけにその人気は根強く圧倒的だ。
 そしてその絶大な人気は、王の立場を危うくする。だから陥れられた。
 ありもしない罪をでっち上げ、この処刑の正当性を公の場で明らかにするためだけに、今、ラウルは生かされている。
 だが、ラウルはそんなことはもはやどうでも良かった。ただただ、この身が呪わしい。
 さめざめと泣くばかりの乳母を慰めていると、突然宰相が訪ねてきた。

「ラウル殿下、釈放です。出られませ」
「……は?」

 貧相なキツネ目の宰相が直接やってきたのにも驚いたが、この展開にも驚いた。

「釈放だと? どういうことだ?」
「あなた様に縁談が持ち上がっております」
「───なんだと?」

 あまりのことに、言っている意味がわからない。聞き違えたのだろうか。

「シンの女王との縁談話がにわかに持ち上がりました。よって、今日王宮にやってくるシンの使者にお会いいただきます」
「貴様、本気で言っているのか?」
「………」

 黙ってラウルを見つめ返す狐目の宰相にも、実はこの状況がよく呑み込めないでいた。
 わずかに揺れた瞳の動きでそれを察したラウルは、牢の中から動かなかった。

「くだらん。王に謀反を起こし、処刑されたと言って断ればよかろう」
「そうは参りません」
「なぜだ?」
「王のご命令だからです!」
「……シンと言ったか? どんな旨味がある?」
「…………」

 シンといえば、白龍を戴く北海の島国だ。
 扇型につながるゴダールをはじめ大陸続きの四国と違って、大陸の端にポツンと位置する忘れられた島国だ。
 複雑な潮流が囲む上に、海岸沿いは断崖絶壁に囲まれ、島全体がすり鉢状になっている。ろくな資源を持たないために、医学が発達したと聞いているが、他の国とほとんど国交を持たず、神秘のヴェールに包まれた謎多き小国だ。
 良くも悪くも頻繁に交流のある四国と違って、王国の内情もほとんど伝わってこなかった。
 優れたくすしの大学ができたと聞いたことがあるが、徒弟制が主流のくすしで大学に通う者はあまり聞いたことがない。
 このことはケリー捜索の際にラウルも初めて知ったことで、その際にシンのくすしもくまなく調べたが、そもそもシンには、ケリーというくすしがいなかった。 
 世間ではシンの王家はとっくに滅び、今は民だけが島の中で静かに暮らしているだけという噂が、まことしやかにささやかれていたほどだ。
 実際、ラウルはシン王家の特徴のある銀髪とグレーの目を持つ王族を一度も見たことがなかった。
 他国との外交も数多くこなしていたラウルですら、かろうじて王家が滅びてなどいないということを知るのみである。
 
 確か女王で、とんでもない老婆だったと思ったが記憶違いか——?

 シンがなぜ、自分のような王家の余り物との縁談を望んだのかはわからないが、滅びかけの小国の王家がゴダールという大国と結びつくことで、起死回生の王国の発展を狙っているのかもしれない。だとすれば、間違いなく自分など選択ミスだ。それに、ラウルはもう王家のそんな政略に関わるのはまっぴらだった。

「出て行け」

 にべもないラウルに、宰相が従者に向かって顎を振った。
 すると従者は、いきなりフォレスを両側から掴んで剣を突きつけた。

「ラウル様!」
「……っ!?」
「あなた様が従わない場合は、この侍女がひどい目に遭いますな」
「……俺には関係のない母の乳母だ」
「そうですか、では、我らに従うまであなたの目の前で、あなたに関係のない・・・・・侍女を斬り殺していきましょう」
「なんだと!」
「やれ」

 宰相の冷酷な命令が飛んだ。
 従者がフォレスに向かって剣を振りかぶった。

「やめろ!!」
「では、言う通りに?」
「……わかった。フォレスから手を離せ」

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