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一章
クロウの忠義 1
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王都へ帰り戦勝の報告を早々に済ませると、ラウルは即、ありったけの人材を投入してケリーの行方を追った。そして、王都のはずれにある自分の館に閉じこもり、ひたすらその報告を待った。
医師は人々の暮らしを支える貴重な人材だ。薬草の知識はもちろん、傷の手当や病の見立てと、多くの知識と経験が物を言う。そこで、優秀なくすしは身分に関係なく、ごく幼い頃から師匠についてその知識と技術を叩き込まれる。そしてまた、その実績も評価の対象となり、厳しくランク付けされた。重大な医療事故を招けば、そのくすしだけではなく師匠にも累が及んだ。だから、弟子を取る師匠も慎重だった。実績が評価されるのだから、騙る者もいない。
よって、くすしに関しては、どの国でもその仕事の動向が細かく見守られ、くすし個人の情報が多いということになる。そんな背景もあって、ラウルはケリーの身元を探すのにそれほど苦労はするまいと高を括っていたのだ。
ところが、ケリーの行方は杳として知れなかった。
「なぜだ!」
ラウルが吠えた。
「わかりません。各国ともに調べられるだけ調べ尽くしたのですが……」
クロウが困ったように応えた。
どこを探してもケリーという名前のくすしがいなかった。「ケリー」は男性名でも使われるので、ひょっとしてと男性も探したが、引っかかってきたくすしは年齢も性別も探し人とは程遠かった。
ケリーと出会ったタリサ村にも度々出かけたが、村人はみんな、腕前から言ってケリーが王都のくすしと思い込んでいた。そもそもどこのくすしであろうと村人にはどうでもいいことだ。
3年前から年に一度、春先にタリサ村周辺でしか採れない薬草を摘みに来るのだという。やってくれば怪我人や病人は診てもらったし、それ以外は隣の里のくすしで事足りた。ケリーは毎年、何日か滞在して、それが終わるとのんびり帰っていく。そんな習慣だったそうだ。
だが、不思議なことに、タリサ村以外で彼女の噂を聞かなかった。この地域に現れるのは、薬草だけが目当ての他国のくすしだという可能性もある。
こんな時、民の髪や目の色が総じて同じだということも災いした。多少の個人差はあってもどの国へ行ってもみな同じなのだから。
「くすしは実績が全てなのに、なぜ偽名を使った?」
「……わかりません」
「身分を騙った……? いや、でもあの村で見たケリーの腕は本物だった」
「そうですな」
ゴダール王家のくすしですら、外科治療までこなすものはなかなかいない。大抵は内科医が主流だったのである。
「クロウ」
「はい」
「俺はバカだ……」
「殿下……」
ラウルは自分の迂闊さを呪った。
そしてクロウにしてみれば、幼い頃から様々なことを諦め手放すしかなかったこの王子の、たまの我儘ならできる限り聞きいれてやりたいと思う。だが今回は今までとまるで違う。王子のなりふり構わぬこの様子にクロウは大きく戸惑っていた。
「殿下、なぜあのような娘に執着なさるのか?」
「なぜ? そんなの気に入っているからに決まっているだろう」
「美しい娘なら他にいくらでもおりましょうに」
「ケリーは他の女とは違う」
「どこが?」
クロウのしつこい追及にラウルがイライラと眉をひそめた。
「どこってそれは……」
「そもそも、かのくすしを強引にここへ連れてきてどうなさるおつもりなのか?」
「妻にする」
「なんと? どこの馬の骨ともしれないくすしの娘を? 果たして王の許可がおりますかの?」
これにはクロウも驚いた。王族の結婚には王の許可がいる。今までどんな縁談話も一蹴して来た王子がこれはかなりなものだ。17の頃の、誰もが似合いだと言った伯爵家の令嬢を王に取り上げられて以来の真剣な恋かもしれない。
「だからこそ、王も興味を示さんだろう。一般色だからな」
ラウルのかつての恋人は王族に連なる黒い髪と瞳の持ち主だった。
「ふむ、だからこそ逆に王には逆らえぬかもしれません」
「あれはそんな娘ではない」
「なぜそう言い切れますか?」
「なぜでもだ」
「では……」
「あああ、しつこいぞ、じい! とにかく俺は、ケリーに会いたいのだ!!」
ラウルがとうとう癇癪を起こした。
「わはは、その一心とは驚きですな。この捜索に時間と金をいくら注ぎ込まれたのか。なかなかの恋慕だ」
クロウが朗らかに笑う。
「人が悪いぞじい! からかうな!」
膨れっ面のラウルを横目にひとしきり笑うと、少し気を引き締めてクロウが言った。
「しかし殿下、そろそろ気を引き締めねばなりませんぞ。殿下に関する悪い噂があちこちで囁かれておるそうな」
「ふん、そんなもの、今に始まったことではないだろう」
「しかし、今回は噂を広めている者の質が悪い」
「誰だ?」
「アベリ殿です」
「アベリだと? あんな奴……」
「怒りに任せて彼の側近を手打ちした挙句、あやつの耳をそぎ落とされましたな」
「やつが悪い」
「何を今さらそんな青臭いことを……」
誰が正しいのかではない。ラウルの行いが巡り巡って誰にどう利用されるのかが問題なのである。
アベリはもともと素行が悪い。女性絡みのもめ事はこれまでも何度も犯している。そのため、騎士団の中で冷遇されているラウル部隊への左遷だったのだ。さすがにもうかばう人もいないので、耳を落とされてもおとなしくしているが、執念深いやつのことだ。逆恨みした挙句、なにをしでかすかわからない。奴が遠縁だろうと王族筋だということもクロウの懸念を掻き立てるのだ。
「殿下、油断召されるな」
「わかっているさ」
美しい横顔をうんざりだと盛大にしかめながら、ラウルがため息をついた。
この王子は人一倍美しく、賢く、剣技にも優れ下の者を思う篤い心も持っている。高貴な身分に生まれ、その非凡さゆえに不幸だ。
なぜこの美しい王子があのような―――…。
いや、これ以上は言うまい。王子は今、愛する女に夢中だ。
これこそかくありき若者の姿ではないか。
それなら我は、美しい主君の望みを叶えるべく東奔西走してみせよう。我の忠義はこの方ただお一人のためにあるのだから。
医師は人々の暮らしを支える貴重な人材だ。薬草の知識はもちろん、傷の手当や病の見立てと、多くの知識と経験が物を言う。そこで、優秀なくすしは身分に関係なく、ごく幼い頃から師匠についてその知識と技術を叩き込まれる。そしてまた、その実績も評価の対象となり、厳しくランク付けされた。重大な医療事故を招けば、そのくすしだけではなく師匠にも累が及んだ。だから、弟子を取る師匠も慎重だった。実績が評価されるのだから、騙る者もいない。
よって、くすしに関しては、どの国でもその仕事の動向が細かく見守られ、くすし個人の情報が多いということになる。そんな背景もあって、ラウルはケリーの身元を探すのにそれほど苦労はするまいと高を括っていたのだ。
ところが、ケリーの行方は杳として知れなかった。
「なぜだ!」
ラウルが吠えた。
「わかりません。各国ともに調べられるだけ調べ尽くしたのですが……」
クロウが困ったように応えた。
どこを探してもケリーという名前のくすしがいなかった。「ケリー」は男性名でも使われるので、ひょっとしてと男性も探したが、引っかかってきたくすしは年齢も性別も探し人とは程遠かった。
ケリーと出会ったタリサ村にも度々出かけたが、村人はみんな、腕前から言ってケリーが王都のくすしと思い込んでいた。そもそもどこのくすしであろうと村人にはどうでもいいことだ。
3年前から年に一度、春先にタリサ村周辺でしか採れない薬草を摘みに来るのだという。やってくれば怪我人や病人は診てもらったし、それ以外は隣の里のくすしで事足りた。ケリーは毎年、何日か滞在して、それが終わるとのんびり帰っていく。そんな習慣だったそうだ。
だが、不思議なことに、タリサ村以外で彼女の噂を聞かなかった。この地域に現れるのは、薬草だけが目当ての他国のくすしだという可能性もある。
こんな時、民の髪や目の色が総じて同じだということも災いした。多少の個人差はあってもどの国へ行ってもみな同じなのだから。
「くすしは実績が全てなのに、なぜ偽名を使った?」
「……わかりません」
「身分を騙った……? いや、でもあの村で見たケリーの腕は本物だった」
「そうですな」
ゴダール王家のくすしですら、外科治療までこなすものはなかなかいない。大抵は内科医が主流だったのである。
「クロウ」
「はい」
「俺はバカだ……」
「殿下……」
ラウルは自分の迂闊さを呪った。
そしてクロウにしてみれば、幼い頃から様々なことを諦め手放すしかなかったこの王子の、たまの我儘ならできる限り聞きいれてやりたいと思う。だが今回は今までとまるで違う。王子のなりふり構わぬこの様子にクロウは大きく戸惑っていた。
「殿下、なぜあのような娘に執着なさるのか?」
「なぜ? そんなの気に入っているからに決まっているだろう」
「美しい娘なら他にいくらでもおりましょうに」
「ケリーは他の女とは違う」
「どこが?」
クロウのしつこい追及にラウルがイライラと眉をひそめた。
「どこってそれは……」
「そもそも、かのくすしを強引にここへ連れてきてどうなさるおつもりなのか?」
「妻にする」
「なんと? どこの馬の骨ともしれないくすしの娘を? 果たして王の許可がおりますかの?」
これにはクロウも驚いた。王族の結婚には王の許可がいる。今までどんな縁談話も一蹴して来た王子がこれはかなりなものだ。17の頃の、誰もが似合いだと言った伯爵家の令嬢を王に取り上げられて以来の真剣な恋かもしれない。
「だからこそ、王も興味を示さんだろう。一般色だからな」
ラウルのかつての恋人は王族に連なる黒い髪と瞳の持ち主だった。
「ふむ、だからこそ逆に王には逆らえぬかもしれません」
「あれはそんな娘ではない」
「なぜそう言い切れますか?」
「なぜでもだ」
「では……」
「あああ、しつこいぞ、じい! とにかく俺は、ケリーに会いたいのだ!!」
ラウルがとうとう癇癪を起こした。
「わはは、その一心とは驚きですな。この捜索に時間と金をいくら注ぎ込まれたのか。なかなかの恋慕だ」
クロウが朗らかに笑う。
「人が悪いぞじい! からかうな!」
膨れっ面のラウルを横目にひとしきり笑うと、少し気を引き締めてクロウが言った。
「しかし殿下、そろそろ気を引き締めねばなりませんぞ。殿下に関する悪い噂があちこちで囁かれておるそうな」
「ふん、そんなもの、今に始まったことではないだろう」
「しかし、今回は噂を広めている者の質が悪い」
「誰だ?」
「アベリ殿です」
「アベリだと? あんな奴……」
「怒りに任せて彼の側近を手打ちした挙句、あやつの耳をそぎ落とされましたな」
「やつが悪い」
「何を今さらそんな青臭いことを……」
誰が正しいのかではない。ラウルの行いが巡り巡って誰にどう利用されるのかが問題なのである。
アベリはもともと素行が悪い。女性絡みのもめ事はこれまでも何度も犯している。そのため、騎士団の中で冷遇されているラウル部隊への左遷だったのだ。さすがにもうかばう人もいないので、耳を落とされてもおとなしくしているが、執念深いやつのことだ。逆恨みした挙句、なにをしでかすかわからない。奴が遠縁だろうと王族筋だということもクロウの懸念を掻き立てるのだ。
「殿下、油断召されるな」
「わかっているさ」
美しい横顔をうんざりだと盛大にしかめながら、ラウルがため息をついた。
この王子は人一倍美しく、賢く、剣技にも優れ下の者を思う篤い心も持っている。高貴な身分に生まれ、その非凡さゆえに不幸だ。
なぜこの美しい王子があのような―――…。
いや、これ以上は言うまい。王子は今、愛する女に夢中だ。
これこそかくありき若者の姿ではないか。
それなら我は、美しい主君の望みを叶えるべく東奔西走してみせよう。我の忠義はこの方ただお一人のためにあるのだから。
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