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151・フランス五輪 8 決勝戦 vsクロアチア 1 by myself

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『ダリオのルカ・ボバンへの憧れを消し、クロアチアへ帰化させることなく、その性格を矯正する』

 それが向島大吾という彼の師匠に与えられたミッション。

 普通の監督であれば、秦ダリオを外すであろう。
 しかし虫明清人が外したのは、ここまでチームを引っ張って来た主将であるはずの瀬棚勇也。

『やつは自分の地盤と看板、そして政治力を、ダリオの存在によって確保しようとしている』

 それが大吾と勇也の共通認識であった。
 
 オーバーエイジの選手がいれば、また違うのであろう。
 だけれども、今回日本はその選択を取らなかった。
 真吾が、利根が、ロドリゴが。そして鍵井がこの場にいれば何と言うだろう。

 監督のお気に入りであるダリオを侮辱しようとした勇也。
 それは監督に逆らったということで、スターティング・メンバーを外された。
 大吾と勇也。両者には一体全体どういうことかわからない。
 わかっているのは、日本サッカー協会の政治問題に、関わってしまったということだけだ。

 虫明清人。
 彼がまともな思考の持ち主であれば、この決勝戦でキャプテンを外すなどという愚策を用いるはずがない。

 だが、虫明濁人。
 彼の思考方法は尋常の人のそれではない。すべてが、今現在の自分の感情を満たすため。
 逆を言えば、操りやすい人間であるとも言える。
 思考パターンが単純で、おだててその気にすれば木にも登る。
 サッカー協会が争いの末、彼を傀儡の監督にしたのは当然のような気もする。

 虫明の頭の中では、大吾と勇也は自分に対する造反組だ。
 一度は歯向かって来た前者を許してやった。
 それにもかかわらず、また二度目の反乱を起こそうとした後者。
 主将であっても、もう許すことはないだろう。



 試合が始まる前に、大吾は凛と電話で話した。
 出産予定日は今日のはずである。
 事前にスペインの病院に入院してあるし、母・美佐子も付いていてくれる。
 破水しても、すぐに出産に取り掛かれるであろう。

『無理はしないでね』

 そう凛は言った。

 なぜ、

『絶対に勝ってね』とか『頑張ってね』ではないのだろうと大吾は疑問に思った。

 それは自然なことでもあるかもしれない。
 なぜなら、大吾はこの試合では自分ひとりのことを考えれば良いわけではないからだ。

 なぜだか、事前にいつもの曲をひとりで籠もって聴く気になれなかった。
 テンションが普段と違う。
 流れ出る脈拍が、そのBPMを変えているかのようだ。
『来世で会おう』と謳う曲は、今の自分には酷のような気もする。
『現世』までをもが、こんなにもギリギリで生きているのに? 


 二大会連続で迎えたオリンピック決勝戦。
 パルク・デ・プランス・スタジアムは、蒼と赤と白で積み込まれた貨物列車のようだ。
 そしてなぜだか、聴こえてくる君が代は葬送曲のようにも聴こえてしまう。
 いつもだと昂揚を呼び起こす、その清涼を知らせる調べ。
 その静かな調べが、日本代表をひとりで背負うことになっているかもしれない大吾に、より緊張感を伴わせ、漂わせるのだ。


 そう、この試合のゲーム・キャプテンに任命されたのは大吾。
 それが、ルカとの握手を行ない、審判団とシェイクハンドに応じる。

「ダイゴ……あれから3年だ」

 そうルカは言った。

「惑い、迷い、戸惑い、自分を見失った。おかげさまで、バルセロナでの新たなるチームメートによって、俺は俺を取り戻したぞ!」



GK
1・柾木真司

DF
2・楢沢純     
3・高田剰  
5・上坂浩平
6・坂本健太朗

MF
7・河田陽平
8・里中スティーヴン
10・小野寺鷹

FW
9・秦ダリオ
11・瀬島恵一
14・向島大吾



『さあ、日本のオリンピック連覇がかかった試合が始まろうとしています!』
『今まで五輪で優勝した国は20ヶ国。連覇した国は、4ヶ国だけです』
『多いんですかね? それは』
『25回、開かれて4ヶ国でしょう、多いんじゃないですか? ワールドカップは、22回で優勝国は8ヶ国。連覇に至ってはイタリアとブラジル。そしてリュカ・バランを擁した前回大会のフランスの3ヶ国だけですからね』
『現実味はありますか?』
『日本がワールドカップ優勝するよりかはあると思います』


「大吾選手……ガンバレ!」

 利根佳奈が、8月9日のパルク・デ・プランス・スタジアムで両手を握り、祈っている。
 前回の五輪から3年経ち、自分の幼少期の想いが届くことはなくなったと薄々わかっている。けれども、個人的な向島大吾サポーターの一員として、その想いが途絶えることはなかった。
 父がサッカー選手であるというだけではそれほど興味を抱かなかったその競技。今では、向島大吾と父・亮平。どちらも尊敬の対象だ。
 長く現役を続けて、自分にその雄姿を見せてくれた父に感謝している。その背中を追って、自分もサッカーをプレーしている。
 目指すべきは、父には申し訳ないが、向島大吾だ。いつか彼が言っていた『ボールの声』を聴くという感覚。それが自分にも訪れれば良いと思っている。

 祈りが終わり、12番目の戦士として、手拍子とチャントとともにその女の子は応援を開始した。
 ここフランスは日本のホームではない。だが、ホームと錯覚させるが如く声を張り上げ、彼の応援歌を歌う。
 自分の、日本人の轟く声が、彼に届けば良い。ここフランスでも、ホームの雰囲気を、自分たちが作り上げるのだ。
 ほら、いつだって彼はそれを力に換えて、いつだってタイトルを勝ち取って来たではないか。



――生まれて来る子供に、勝利を捧げたい

 オリンピックが始まる前に、そう決意した。

『父さんは、おまえがいたからこそ、オリンピックでゴールドメダルを獲得できたんだ』

 そう、いつの日か語りたい。
 生まれてくるのは、息子か、娘か。
 その想像する顔に陰影が灯り、ハッキリと頭の中で映らない。

――今はこれで良い。そう思わなければ、やってられない!


 自分たちの監督が、その身勝手さから利敵行為をしているという思いはやはり拭えない。
 その監督に固められたスタッフたちまでも、何を考えているんだという不信感がある。
 だが、明日になれば。自分はゴールドメダルを掲げて、スペインで妻と子供に会えるはず。

 この決意に間違いはないはず!





 クロアチアのキックオフで試合が開始される。
 オーバーエイジとなった202cmのカラッチが、ルカにボールを預ける。

 ルカのプレースタイルは、高速のルイス・フィーゴ。
 または光速のジネディーヌ・ジダン。
 ナンバー10としては、リュカ・バランと並んで今現在、世界最高峰だろう。

 その存在が、大吾と決着を付けるためだけに、欧州選手権ユーロを捨てて五輪にすべてを賭けてきた。前回とは違い、スタミナ、休養も充分。気力はもちろん、溢れていないことなぞない。

 韓国代表のイ・ドヨン。
 彼もルカにかかれば、可愛いものだ。
 ドヨンはファウルをファウルとしてしか行えないが、ルカはごく自然にそれを行なうことができる。

――自分と戦うために、ルカはユーロを捨てたのだ!

 大吾は、自分は暗い情念を持っている、と以前は思っていた。
 だが、真吾や勇也、ジュニオール。そしてルカと対戦することで、自分の中に光のような熱を持っていたことを実感している。

 DAIGO。Die GO。Dying GO。
 そう、皮肉を持って新聞で報じられるときがある。
 大吾が調子が悪いときのお決まりの文句だ。
 
 一歩一歩、選手としての死に近づいていることは知っている。
 17歳でプロになったとき、20年でそれが訪れると述べて彼女と別れた。
 23歳になった。もう4分の1が過ぎようとしている。
 
 世界一への道は果てしなく遠い。
 
 日本にワールドカップをもたらすと公言した。
 バロンドールへの道も果てしなく遠い。
 だけれども、やらなければならない。
 日本人にとって前人未到であるならば、自分がその開拓者になるだけだ。
 

 ルカ・ボバンによる光速のシザース。
 当たり負けないボディバランス。
 そしてそこから繰り出される、トラジディ悲劇的なバイオレンス暴力

 意志とは裏腹に、大吾は弾き飛ばされた。
 大吾だけではない。ニッポンイレブンは尽くピンボールのようになり、そのあとには赤い斑点が零れていく。
 それは、審判のレベルが低いからではない。
 ルカがその技術も、反則まがいも、暴威も、すべて尋常ではないからだ。

――勇也さえ、いたら

 そうだろう。
 ルカは、バイオレンスでフィジカルを伴った大吾だ。
 勇也は、芳醇なフィジカルを持ち、大吾をそのパワーで止めることができる稀有な存在。
 そんな彼がいれば、ルカは持ち味の半分は消されるはず。

 だが、事実勇也はいない。
 日本人たちは物量で迫るが、それは蟻が象に挑むようなものだ。
 その蟻が一万匹もいれば、また違うのであろうが、生憎11匹しかこの場にはいない。

 ルカのドリブルは文字通りフィールドを蹂躙した。
 そして彼が強烈な右足シュートを放つと、キーパー柾木は左手を大きく上に差し伸べてそれを止めようと試みる。
 だが、ボールの圧力に負けたのか、その左手が後ろに押し戻されるではないか!
 勢いよくファーストプレーで、クロアチアは先制点を挙げた。

 
 オーバーエイジがいない今。
 23歳の向島大吾は、エースで、キャプテンで、最年長であった。
 真吾も、利根も、器楽堂ロドリゴも、鍵井もいない。
 すがるべき藁も、一束もない。依るべき親友も、出場していない。頼るべき首脳陣は、腐敗している。
 信じられるのは己のみ。
 だからと言って、みずから負けてやる必要性までをも感じているわけではなかった。
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