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109・10.5番

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――しかし、自分がこのままでは、もっと上を狙うことはできない

 前から実感していることでもある。
 今のところ、大吾はワールドサッカーにおけるグッドプレーヤーであるが、ベストプレーヤーとは言えない。
『テクニックだけの自分のような選手は、現代フットボールに適応できない』とはジネディーヌ・ジダンの言葉だ。決してジダンはテクニックオンリーの選手ではなかったし、恵まれたフィジカルからくるパワーがあり、物理的なスピードは無くとも、その思考スピードが桁外れであった。


『ダイゴ・ムコウジマという存在は、現代サッカーにおける反逆』

 そう、イタリアのスポーツ誌、ガセネッタ・デッロ・スポルトは特集したことがある。

『1980年代の10番が、現代に生まれ変わったらこうなるであろう存在』

 と、書かれたその内容は、大吾自身、なかなかに考えさせられる。
 1980年代の10番は、司令塔10番エースストライカー9番をかけ合わせた『9.5番』であることが多い。
 ディエゴ・マラドーナ、ミシェル・プラティニ、ジーコが勢揃いした80年代のセリエAとワールドカップが最高の時代だったと語り継ぐ者は多い。
 大吾の場合は、司令塔10番左サイドアタッカー11番を兼ね備えた『10.5番』と言われている。
 ロイヤル・マドリー時代のジネディーヌ・ジダン、ASバルセロナ時代のロナウジーニョ。彼らはみな、左サイドからゲームを作り、そして輝きを発していた。

 迷っていることでもある。
 抜群のテクニックと標準的なスタミナ。それに何かもうひとつ武器があれば、もう一段階上に行けるはずなのだ。
 ジダンとロナウジーニョ。彼らは歴代屈指のテクニックに加え、それぞれパワーとスピードを兼ね備えていた。
 向島大吾も、年齢を重ねるにつれ、成長していかなくてはならない。
 無限の努力、そこには苦しさや辛さはない。自分がさらに巧く、サッカーを好きになれるのであれば、それには喜びが必ず付き纏うからだ。


『実は、俺の走り方は、元陸上部の友達や体育大学の教授に指導してもらっている』

 そう言ったのは岡山時代のチームメート、八谷原やたがいはじめだ。
 自分の走り方も指導してもらえれば、よりスピードが増すのではないか? そう自分が考えるのは自然なことであろう。


「おお、久しいな。大吾」

 ビデオ電話に出たのは、髭が増し、やや渋さを加えたその八谷。
 スピードは落ちたが、大吾・真吾・利根がいなくなった岡山を、それでも器楽堂ロドリゴとともに、J1の上位に押し上げている。

 大吾は事情を説明する。
・チャンピオンズリーグに優勝できなければ、自分は売却されること
・それにはもうひとつ武器をもちたいこと
・それは、トップスピードを上げたいということ


「よし、わかった! 自分を担当してくれる先生に伝えておくぜ!」

 と八谷は言う。
 相も変わらず、元気が人間の形を作っているかのような人だ、と大吾は思う。
 貸しを作った、などと思わないのが、八谷の人間性の高さなのだろう、とも。



※※※※※



 累積警告が溜まり、出場停止が決まると、大吾はチームに許可を得て日本へと帰国する。
 そこで、八谷に伴われて、体育大学の教授のもとへと向かう。
 身体にいろいろなものを付けられて、ランニングフォームをチェックされ、それで出てきたのがこの言葉だった。

「結論から言うと、君のトップスピードはもう大幅には上がらない」
 
 わかっていたことでもある。
 スピードというのは天性のものだ。もちろん鍛えられる部分もある。だが、いくら努力しようとも、大吾が100mを9秒台で走るというのは考えることはできない。

「だが、トップスピードを誤魔化すことはできる」

 うん? と大吾は首をひねった。

「大吾くん。プロ野球で一番のスピードボールを投げていた投手って誰だかわかるかい?」

「そりゃ、大谷翔平選手の165キロでしょ」

「それもある。だが、見る人によっては、元オリックスの星野伸之投手の120キロが一番速いストレートだという人も多い。100キロのフォークと、80キロのスローカーブ。その組み合わせ次第で、体感速度なんていくらでも変えられるんだ」

 要するに緩急の使い方だ、と教授は言っている。
 大吾の多用するフェイントも、虚を実となすというところから来ている。
 もしシザース・フェイントが、ボールを跨ぐ回数が三回と決まっていれば、それはもうフェイントではない。一回のときもあれば、四回のときもあるし、ふりをして・・・・・そのまま行くときもある。
 ある一定のバイオリズムから離れることによって、その虚実は大きく人を戸惑わせる。 

「ピッチ走法と、ストライド走法。この違いは分かるかい?」

「歩幅を小さく取って、脚の回転数を上げるのがピッチ走法。その逆がストライド走法でしたっけ?」

「そう。君は細かい足技を多用するため、ピッチ走法が主だ。リオネル・メッシ選手なんかもそうだね。逆にクリスティアーノ・ロナウド選手は、どちらかというとストライド走法だ。彼はサッカー選手として、理想的な走り方をしているとも言われている。そこで君が取り組むのは、この両方の走り方をふたつとも取得することだ。いや、このふたつだけだけでなく、この中間のベストな走り方も身に付けて、最低でも三種類の走り方をマスターするんだ」

 教授は、自分で走るふりをしながら、説明をする。

「こういうことだよ、大吾。おまえのサッカーは両足による二種類の騙し合い。そこに走り方による三種類の騙し合いをまたかけて、六種類にする。とりあえず、おまえは走法を覚えることによって、三倍になるわけだ。まるでシャア・アズナブルだな」

 八谷がそう言うが、『たとえが今の子にはわかんないよ』と教授が苦情を呈する。
 だが、大吾にとってみれば『三倍』というのは魅力的だ。
 自分のスピードのギアを何段階かに分けることによって、『向島大吾』というフットボーラーはまた進化しようとしている。

「君の一瞬の加速力は一級品だ。そこに走り方とフェイントをどう組み合わせるか、だ。メッシもマラドーナも加速力はものすごいが、トップスピードは世界屈指というわけじゃあない。じゃあ、向島大吾も、やり方次第では……」

「世界一を狙える、と」

 思えば、リオネル・メッシが世界に羽ばたいたときも、『6速目のギア』を持っていると評判になったではないか!
 サッカー選手にとって、100メートル走のスコアはほぼ無意味だ。それはピッチの端と端を走るという事であって、そんな事例はまず試合中は訪れないからだ。
 30メートル走。メッシ等に限れば、10メートル走が一番重要なのだろう。
 100メートル走の世界チャンピオン、ウサイン・ボルト。彼がサッカーに転向したとき、どのチームも手を出さなかった。『たった3億円で俺を雇える』とボルトは言ったが、手を挙げたのは、オーストラリアのチームだけ。提示された年俸は彼が100メートル走で稼いだ金額からすればわずかでしかない1200万円。

 足が速いのは武器になるが、それだけではプロ・フットボーラーにはなれない。
 八谷原も悩み抜いたことだろう。そしてそれを後輩に惜しげもなく伝えてくれる。
 尊敬すべき先輩であることは間違いない。

「なわとびをしなさい。足を速くするには、『足の回転の速さ』と『歩幅の広さ』、そして『かかとを如何に地面につけないか』が第一になってくる。なわとびをすると、かかとを地面につけずに、歩幅の変化を自分の中で実感できるようになる」



※※※※※



「どうだ、俺も次節は出場停止だし、岡山のゲームを見て行かんか?」

 そう言われて、地元まで足を延ばし、久しぶりの岡山スタジアムを堪能することにした。
 
 大吾がスタンドに来たことを察知した観客がそれを囲み、懐かしいチャントが流れる。

『オォー、オオオォー、我らが突貫小僧~! ダイゴー、ダイゴー、ダイーゴー!ムコウジッマ!!!』

 自分が愛されていたことを実感せざるを得ない。
 いや、現在進行形で『今も』愛されている、のだ。
 Jリーグのサポーターは選手が活躍すれば、その選手がステップアップを求めて海外へと出て行くのを認めざるを得ない。
 大吾の場合、移籍金を残して行ったのが、余計に後腐れを失くしている。

 岡山というチームは、ある意味まだ人情が残っているプロクラブである。
 それは自分が日本人であるおかげでもあるだろう。
 日本人であるせいで、海外ではドライに扱われている部分もある。

 たとえば、ある日本のプロリーグで外国人選手が不振に陥ったら、1年で解雇されるであろう。
 欧州の名門サッカーチームというのは、自国の選手含めて、全員が1年1年で首を切られる試練の場だ。選手の育成や、老後は他のチームに任せておけばいい。その選手の寿命のピークの部分だけを買い取ったシビアな球団である。



 試合を観ていると、岡山の左サイドが躍動している。
 アンカーで出場している、日本代表・器楽堂ロドリゴも、その選手のオーバーラップを攻撃の第一選択肢にしているようでもあり、彼がボールを持つと、左サイドへのロングパスが通ることこの上ない。

「まあ、あれが今のサポーターのイチオシ。同期がオリンピック・ゴールドメダリストで既にワールドカップ経験者。期するものがあるんだろう」

 Jリーグが開幕して程ないのに、ルーキーに対して謳われる専用チャント。
 それに応じて繰り出されるダイナミックなオーバーラップと、相手の右サイドを抑え込むディフェンス。あれはまるで……

「坂本健太朗。筑波大学を経て、ボランチから左サイドバックへと転向した『岡山のマルディーニ』。おまえもうかうかしていられないな」
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