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091・1st World Cup 1 予選リーグ第1戦 vsチェコ
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中東ワールドカップのグループリーグ第1戦、日本vsチェコ戦が始まろうとしている。
日本代表イレブン
GK
1・成田誠也
DF右から
2・巽圭一
4・利根亮平
22・瀬棚勇也
5・城嶋将太
MF
3ボランチ
6・鍵井大輔
7・山南浩
8・器楽堂ロドリゴ
オフェンシブ
10・葛城哲人
14・向島大吾
FW
9・向島真吾
ディフェンシブ・ハーフには、帰化が間に合った器楽堂ロドリゴの存在が大きい。3センターハーフの一角を占める彼は、ブラジル仕込みの技術を持つ、スタメン唯一のJリーグ勢だった。
それ以外はすべて海外組。1998年フランス大会では、海外組はひとりもいなかった。今ではしようと思えば、スタメンを全員、海外クラブ所属で揃えることができる。日本がアジア随一の戦力を誇っていると言われる所以だ。
オフェンシブハーフの葛城と大吾は、ある程度の自由を与えられている。言い換えるのであれば、個人の力で試合を打開することを求められている。
対するチェコ。
キャプテンで代表ではトップ下、グラン・トリノでは左サイドを務めるパヴェル・コザークがやはりエースである。
彼は『永久機関』『無限電池』と言われるスタミナを武器としたミッドフィルダーだった。
他にも、2メートルを超えるセンターフォワード、グリゲラ。優秀なシュートストッパーである大型ゴールキーパー、イラネクなどがいる厄介なチームだ。
大吾はピッチの上で君が代を聴くと涙が出そうになる。それはあのオリンピックのときに感じた残滓でもある。
ベンチへ目をやると、山口荒生は明らかに目に涙を浮かべている。自分のことは棚に上げて、思わず大吾は笑ってしまった。
――よし、リラックスできてる!
満員のスタンドでは発見できなかったが、式を控えた妻もこの試合をどこかで見ているはずだ。
良いところを見せなければならない。君の旦那になる男は、こんなに格好良いんだぞ、と。
キックオフのカウントダウンが始まる。
10、9、8、7……
大吾は、腰に両手を構え、精神集中を始めた。
(5、4……)
「2。1……」
ピーーーーーーーーーーー!!!
主審が笛を鳴らした。
キックオフのボールを、真吾がバックパスで大吾に下げた。
日本の7回目のワールドカップは、向島兄弟のパス交換で始まったのだ。
大吾は、それを葛城に渡す。
葛城は滑らすようにダイレクトでバックパスを繰り出した。
まずは全員にボールを回す。そして緊張をほぐす。
最後にゴールキーパーの成田が受け取り、それを最後尾の司令塔である利根にまた預けた。
利根は、それを岡山の盟友であった器楽堂に渡した。
日本代表の最後のピースであると言われた器楽堂ロドリゴ。
日系ブラジル人。いやもう120%日本人の彼は、激しい気性を持っている。
戦力を尽く失っている岡山がまだJ1の舞台に残っているのは、闘将と評される彼の獅子奮迅の働きが大きい。昨年は岡山はリーグの中位であったのに、MVPには彼が選ばれたくらいだ。
「自分を見つけてくれた岡山に、日本に恩返ししたいと思う」
そう言った彼の、ネイティブにも聴こえる日本語は多くの人の心を打った。サポーターも、彼をチームのバンディエラであると認めている。
アンカーでありながら、オフェンシブな仕事もこなし、いざというときはファウルも厭わない。声を張り上げて士気を上げようとするし、陽気なブラジル人らしいおちゃめな部分も多少ある。代表に選出されても、その多少の部分を発揮し、すぐにチームに馴染んだ。
『日本のデコ・ソウザ』
そういう評価がなされている。
「かつては嫌なヤローだったがな」
器楽堂は左サイドの大吾へとボールを巡らそうとする。
「今では尊敬している。心から……」
嫌っていたルーキーが、世界を舞台にして躍動している。
それは器楽堂の胸に、多大な期待と、少しの焦燥をもたらしていた。
「おまえが、どこまで行くか、観てみたい」
器楽堂のキックしたボールは、大吾の足元に滑り込んだ。
迎え撃つのはパヴェル・コザーク。
コザークは大吾の厄介な点を誰よりも知っている。なぜならコザークも両利きだからだ。
コザークはさすがにセットプレーで両利きとまでは行かない。一応の利き足であるはずの右足でさえ、大吾ほどの精度はないであろう。
大吾が手強いのは、両足から繰り広げられるフェイントと、プレースキックだけではない。
単純にドリブルで切る方向を絞れないため、ディフェンスがしづらいのだ。
そして、パス。両方の足で蹴るため、パスコースの角度が他の選手よりも90℃以上広い。
さらに鷹の眼を備えている。
(いつ、いかなるときも、フリーにしてはいけない選手だ)
そうコザークは大吾を認識している。
大吾が今季行っている8ゴール・8アシスト。それをアシストしたのは自分であるし、アシストしてもらったのも自分。
(バロンドール候補に挙がるのもよくわかる)
もしアジア人でなければ、もっと高い評価を得ているだろう。彼はその国籍で過小評価されている。
大吾は左足でボールをまたいだ。
一時期失ったキレは、また元に戻っている。今度は右足。
コザークの重心がブレるのを感じた。
そこを大吾は見逃さなかった。ボールをまたごうとする左足のアウトサイドを引っかけて、コザークの股を抜いたのだ。
そして今度は、返す刀の右足アウトサイドでクロスをあげる。
(これが、厄介なんだ)
大吾が敵に回ったときの危険さをコザークは再認識した。
普通、両方の足で蹴れる選手はアウトサイドを使おうとはしない。アウトサイドは著しくキック精度が落ちるからだ。それを大吾はためらわない。
「自分には天賦の才はない」
そう大吾が卑屈に言っていた。
チャンピオンズリーグでア・コルーニャに負けたあとのことだ。
(その天賦の才を努力で身に付けただと!?)
まだ21歳。末恐ろしい。
自分がその若さのときも努力は死ぬほどしたつもりだ。
だが、大吾ほどの努力を自分に課しただろうか?
背筋を使って、真吾がボールを頭で叩きつけた。
それを間一髪、ゴールキーパー・イラネクが左手で弾き出した。
コーナーキックへと向かう大吾。
ちゃんとモリーナ監督から、プレースキッカーに任命されている。
左右のコーナーキックどちらも。キック精度を首脳陣にも、チームメートにも認められているのだ。
真吾が手を挙げて、ボールを誘った。兄にはコザークが付いている。
後ろから、勇也が奔り込んで来ようとしている。彼には2メートルのグリゲラが身体を当てている。
――ならば狙うべきは……
大吾は左足を一閃した。
文字通り閃光と化したボールは、光を発しながらその頭をとらえた。
日本代表の主将・鍵井大輔のヘディングが、ゴールネットに包み込まれる。
これ以上ない、士気の揚げ方!
代表の大黒柱が、その名の通り、大舞台でやってのけたのだ。
鍵井はコーナーフラッグへと駆け寄って、腕を振り上げる。
俺を見ろ! 日本という国を見ろ! とその両腕は語っているかのようだ。
チームメートが抱き着いても、その身体は揺るぎもしない。
まさに日本の主柱。
鍵井は怪我で前シーズンの半分を棒に振った。
今シーズンも所属クラブでは出たり出なかったりを繰り返している。コンディションが安定していないのだ。
それでも、自身最後となると言われているこのワールドカップに賭ける気持ちは大きい。
『鍵井がいるといないとでは、日本代表は別のチームになる』
そう言われている。
事実そうだろう。今回のアジア予選で日本が多少苦労した試合は、すべて鍵井がいない試合であった。
そのメンタリティは日本有数。
その名の通り、日本の一番のカギ。
中盤の底からオフェンスはもちろん、ディフェンスをも操る、まごうことなきキーマンであった。
チェコのキックオフで試合が再開した。
コザークがボールを持つと、中盤からペネトレイトを開始する。
オフェンスで狙うべきところもわかっている。
その狙っている相手。瀬棚勇也の弱点をコザークは知っている。
技術が足らない。
圧倒的なフィジカルを持ってはいるが、それで抑えきれないテクニカルな相手に弱い。
そして、チェコには勇也にフィジカルで勝るフォワードもいる。
グリゲラ。
202cmを誇る、超圧倒的なセンターフォワード。
(だから、ここで狙うべきは……)
得意の左サイドで日本の右サイドバック、巽を翻弄すると、コザークはセンタリングを中央に向かってあげた。
202cmと197cm。
バスケットボールのリバウンド争いをよりフィジカルにした空中戦が繰り広げられる。
勇也が最高到達点に達したとき、それよりやや高い影が彼を覆った。
ヤン・グリゲラ。
超ワールドクラスのフィジカルを持つ、ストライカー。
彼が頭を振ると、ボールは弧を描きながら、日本のゴールに吸い込まれた。
(悪く思うなよ)
瀬棚勇也のもうひとつの弱点。
自分がフィジカルではナンバーワンだと公言している、その弱さ。
その公言は虚勢である、とコザークはチームで1年過ごして確信している。
メンタルがブレているのだ。優勢なときは強くなるが、劣勢になるととても弱くなる。
(試合中に考えていることが多すぎるんだろう。だが、今は勝負だからな)
グラン・トリノではファン・ヒンケルやパオロ・フランコがいて、彼をカバーしている。
だが、日本代表にそこまでの能力を持った選手はいるのだろうか?
器楽堂がボールを持った。
元ブラジル人らしい、激しいボディシェイプ。
最前線には、動き回るセンターフォワード・向島兄が待っている。
ひとりかわして、彼にスルーパスを通す。
真吾は、チェコゴールを背にしてボールを受け、大吾へとボールを落とした。
大吾はそれをダイレクト・フライスルーパスに変電して蹴り返す。
真吾はヨーイ・ドン! を開始する。
兄弟はその意志を同調させたのだ。
セリエA得点王の真吾は、来季は移籍するだろうと言われている。
ローマをヨーロッパリーグ優勝に導き、チームも今が売りどきだと思っている。真吾自身もチャンピオンズリーグ獲得を目指したい。
オリンピックは獲った。ヨーロッパリーグも獲った。では、ワールドカップはどうであろう。
ゴールキーパー・イラネクが、仕事場を飛び出して向かってくる。
イラネクは大型ゴールキーパーであり、そのシュートセーブは評価が高い。だが、飛び出しは……
だから、その隙を縫って、真吾は上空にボールを蹴りだした。
空中を鳥のように舞って、それはゴールへと推進していった。
日本がまたリードしたのだ。
「俺は今はチェコのキャプテンだからな……」
そうイタリア語でコザークが大吾に呟いた。
(本当に悪く思わないでくれよ……)
後半になると、チェコは猛攻を開始した。
ボールを奪われても、フルコートプレスと言っても過言ではないハイプレスを仕掛けてくる。
日本が中盤でボールを奪われると、コザークがまた疾風怒濤のペネトレイトを繰り広げた。
熱したナイフでバターを切るかのように、その突貫は日本のディフェンス陣をズタズタに切り裂く。
器楽堂がチェックに行くが、一瞬早く、コザークがスルーパスを放つ。
グリゲラ対瀬棚勇也の激しいボディコンタクト!
勇也がフィジカルで世界一を目指すのであれば、このヤン・グリゲラという男にどうしても勝たなくてはならない。
勇也はショルダーチャージを繰り出した。
だが、グリゲラはびくともしない。
逆にその勢いを利用して、加速さえする。
(これが世界一の身体の使い方!)
学ぶべきことは多い。
だが、それは勝ち点3を諦めることと同義だ。
抜け出したグリゲラは、カバーに来た利根を無視したかのようにシュートを繰り出した。
ボールはゴールキーパー成田の横をすり抜けようとしている。
(相棒が、ファン・ヒンケルだったら……パオロ・フランコであったら)
「俺のミスを取り返してくれたに違いない……」
諦めた勇也は、ボールを追うのを止めようとした。
だが、ネットに吸い込まれる前に、スライディングでラインギリギリで掻き出す者がいる。
鍵井大輔。
代表キャップ100を越える、日本代表のキャプテン。
利根がそのボールを前方に向かって蹴りだしたとき、主審が3回笛をかき鳴らす。
(なんて頼りになる人なんだ……)
鍵井に向かって勇也はそう思った。
オランダ代表のルーク・ファン・ヒンケル。ウルグアイ代表のパオロ・フランコ。そのグラン・トリノの重鎮に比べても、遜色のない人が日本にもいるではないか!
鍵井は足を痛めたのか、立ち上がろうとしない。
救護班が担架を持って来ると、それに乗るのを拒否して、何とか立ち上がり、中東まで駆け付けた日本サポーターの元へ勝利の報告へ行こうとする。
スタンドでは5メートルはしようかという日の丸の旗が振られ、止みどころを失ったかのように鍵井コールが繰り返されている。
「すごい人だな」
大吾が勇也の元へ来て言った。
「勇也。おまえは代表のキャプテンになるって以前言っていた。その気持ちに変わりはないか?」
勇也は向けている目線を大吾から鍵井へと変える。
その口は無言。
『プレーでも、キャプテンシーでも、俺がこの人を越えることがあるのか?』
そう、その目は語っているように大吾には思えた。
日本代表イレブン
GK
1・成田誠也
DF右から
2・巽圭一
4・利根亮平
22・瀬棚勇也
5・城嶋将太
MF
3ボランチ
6・鍵井大輔
7・山南浩
8・器楽堂ロドリゴ
オフェンシブ
10・葛城哲人
14・向島大吾
FW
9・向島真吾
ディフェンシブ・ハーフには、帰化が間に合った器楽堂ロドリゴの存在が大きい。3センターハーフの一角を占める彼は、ブラジル仕込みの技術を持つ、スタメン唯一のJリーグ勢だった。
それ以外はすべて海外組。1998年フランス大会では、海外組はひとりもいなかった。今ではしようと思えば、スタメンを全員、海外クラブ所属で揃えることができる。日本がアジア随一の戦力を誇っていると言われる所以だ。
オフェンシブハーフの葛城と大吾は、ある程度の自由を与えられている。言い換えるのであれば、個人の力で試合を打開することを求められている。
対するチェコ。
キャプテンで代表ではトップ下、グラン・トリノでは左サイドを務めるパヴェル・コザークがやはりエースである。
彼は『永久機関』『無限電池』と言われるスタミナを武器としたミッドフィルダーだった。
他にも、2メートルを超えるセンターフォワード、グリゲラ。優秀なシュートストッパーである大型ゴールキーパー、イラネクなどがいる厄介なチームだ。
大吾はピッチの上で君が代を聴くと涙が出そうになる。それはあのオリンピックのときに感じた残滓でもある。
ベンチへ目をやると、山口荒生は明らかに目に涙を浮かべている。自分のことは棚に上げて、思わず大吾は笑ってしまった。
――よし、リラックスできてる!
満員のスタンドでは発見できなかったが、式を控えた妻もこの試合をどこかで見ているはずだ。
良いところを見せなければならない。君の旦那になる男は、こんなに格好良いんだぞ、と。
キックオフのカウントダウンが始まる。
10、9、8、7……
大吾は、腰に両手を構え、精神集中を始めた。
(5、4……)
「2。1……」
ピーーーーーーーーーーー!!!
主審が笛を鳴らした。
キックオフのボールを、真吾がバックパスで大吾に下げた。
日本の7回目のワールドカップは、向島兄弟のパス交換で始まったのだ。
大吾は、それを葛城に渡す。
葛城は滑らすようにダイレクトでバックパスを繰り出した。
まずは全員にボールを回す。そして緊張をほぐす。
最後にゴールキーパーの成田が受け取り、それを最後尾の司令塔である利根にまた預けた。
利根は、それを岡山の盟友であった器楽堂に渡した。
日本代表の最後のピースであると言われた器楽堂ロドリゴ。
日系ブラジル人。いやもう120%日本人の彼は、激しい気性を持っている。
戦力を尽く失っている岡山がまだJ1の舞台に残っているのは、闘将と評される彼の獅子奮迅の働きが大きい。昨年は岡山はリーグの中位であったのに、MVPには彼が選ばれたくらいだ。
「自分を見つけてくれた岡山に、日本に恩返ししたいと思う」
そう言った彼の、ネイティブにも聴こえる日本語は多くの人の心を打った。サポーターも、彼をチームのバンディエラであると認めている。
アンカーでありながら、オフェンシブな仕事もこなし、いざというときはファウルも厭わない。声を張り上げて士気を上げようとするし、陽気なブラジル人らしいおちゃめな部分も多少ある。代表に選出されても、その多少の部分を発揮し、すぐにチームに馴染んだ。
『日本のデコ・ソウザ』
そういう評価がなされている。
「かつては嫌なヤローだったがな」
器楽堂は左サイドの大吾へとボールを巡らそうとする。
「今では尊敬している。心から……」
嫌っていたルーキーが、世界を舞台にして躍動している。
それは器楽堂の胸に、多大な期待と、少しの焦燥をもたらしていた。
「おまえが、どこまで行くか、観てみたい」
器楽堂のキックしたボールは、大吾の足元に滑り込んだ。
迎え撃つのはパヴェル・コザーク。
コザークは大吾の厄介な点を誰よりも知っている。なぜならコザークも両利きだからだ。
コザークはさすがにセットプレーで両利きとまでは行かない。一応の利き足であるはずの右足でさえ、大吾ほどの精度はないであろう。
大吾が手強いのは、両足から繰り広げられるフェイントと、プレースキックだけではない。
単純にドリブルで切る方向を絞れないため、ディフェンスがしづらいのだ。
そして、パス。両方の足で蹴るため、パスコースの角度が他の選手よりも90℃以上広い。
さらに鷹の眼を備えている。
(いつ、いかなるときも、フリーにしてはいけない選手だ)
そうコザークは大吾を認識している。
大吾が今季行っている8ゴール・8アシスト。それをアシストしたのは自分であるし、アシストしてもらったのも自分。
(バロンドール候補に挙がるのもよくわかる)
もしアジア人でなければ、もっと高い評価を得ているだろう。彼はその国籍で過小評価されている。
大吾は左足でボールをまたいだ。
一時期失ったキレは、また元に戻っている。今度は右足。
コザークの重心がブレるのを感じた。
そこを大吾は見逃さなかった。ボールをまたごうとする左足のアウトサイドを引っかけて、コザークの股を抜いたのだ。
そして今度は、返す刀の右足アウトサイドでクロスをあげる。
(これが、厄介なんだ)
大吾が敵に回ったときの危険さをコザークは再認識した。
普通、両方の足で蹴れる選手はアウトサイドを使おうとはしない。アウトサイドは著しくキック精度が落ちるからだ。それを大吾はためらわない。
「自分には天賦の才はない」
そう大吾が卑屈に言っていた。
チャンピオンズリーグでア・コルーニャに負けたあとのことだ。
(その天賦の才を努力で身に付けただと!?)
まだ21歳。末恐ろしい。
自分がその若さのときも努力は死ぬほどしたつもりだ。
だが、大吾ほどの努力を自分に課しただろうか?
背筋を使って、真吾がボールを頭で叩きつけた。
それを間一髪、ゴールキーパー・イラネクが左手で弾き出した。
コーナーキックへと向かう大吾。
ちゃんとモリーナ監督から、プレースキッカーに任命されている。
左右のコーナーキックどちらも。キック精度を首脳陣にも、チームメートにも認められているのだ。
真吾が手を挙げて、ボールを誘った。兄にはコザークが付いている。
後ろから、勇也が奔り込んで来ようとしている。彼には2メートルのグリゲラが身体を当てている。
――ならば狙うべきは……
大吾は左足を一閃した。
文字通り閃光と化したボールは、光を発しながらその頭をとらえた。
日本代表の主将・鍵井大輔のヘディングが、ゴールネットに包み込まれる。
これ以上ない、士気の揚げ方!
代表の大黒柱が、その名の通り、大舞台でやってのけたのだ。
鍵井はコーナーフラッグへと駆け寄って、腕を振り上げる。
俺を見ろ! 日本という国を見ろ! とその両腕は語っているかのようだ。
チームメートが抱き着いても、その身体は揺るぎもしない。
まさに日本の主柱。
鍵井は怪我で前シーズンの半分を棒に振った。
今シーズンも所属クラブでは出たり出なかったりを繰り返している。コンディションが安定していないのだ。
それでも、自身最後となると言われているこのワールドカップに賭ける気持ちは大きい。
『鍵井がいるといないとでは、日本代表は別のチームになる』
そう言われている。
事実そうだろう。今回のアジア予選で日本が多少苦労した試合は、すべて鍵井がいない試合であった。
そのメンタリティは日本有数。
その名の通り、日本の一番のカギ。
中盤の底からオフェンスはもちろん、ディフェンスをも操る、まごうことなきキーマンであった。
チェコのキックオフで試合が再開した。
コザークがボールを持つと、中盤からペネトレイトを開始する。
オフェンスで狙うべきところもわかっている。
その狙っている相手。瀬棚勇也の弱点をコザークは知っている。
技術が足らない。
圧倒的なフィジカルを持ってはいるが、それで抑えきれないテクニカルな相手に弱い。
そして、チェコには勇也にフィジカルで勝るフォワードもいる。
グリゲラ。
202cmを誇る、超圧倒的なセンターフォワード。
(だから、ここで狙うべきは……)
得意の左サイドで日本の右サイドバック、巽を翻弄すると、コザークはセンタリングを中央に向かってあげた。
202cmと197cm。
バスケットボールのリバウンド争いをよりフィジカルにした空中戦が繰り広げられる。
勇也が最高到達点に達したとき、それよりやや高い影が彼を覆った。
ヤン・グリゲラ。
超ワールドクラスのフィジカルを持つ、ストライカー。
彼が頭を振ると、ボールは弧を描きながら、日本のゴールに吸い込まれた。
(悪く思うなよ)
瀬棚勇也のもうひとつの弱点。
自分がフィジカルではナンバーワンだと公言している、その弱さ。
その公言は虚勢である、とコザークはチームで1年過ごして確信している。
メンタルがブレているのだ。優勢なときは強くなるが、劣勢になるととても弱くなる。
(試合中に考えていることが多すぎるんだろう。だが、今は勝負だからな)
グラン・トリノではファン・ヒンケルやパオロ・フランコがいて、彼をカバーしている。
だが、日本代表にそこまでの能力を持った選手はいるのだろうか?
器楽堂がボールを持った。
元ブラジル人らしい、激しいボディシェイプ。
最前線には、動き回るセンターフォワード・向島兄が待っている。
ひとりかわして、彼にスルーパスを通す。
真吾は、チェコゴールを背にしてボールを受け、大吾へとボールを落とした。
大吾はそれをダイレクト・フライスルーパスに変電して蹴り返す。
真吾はヨーイ・ドン! を開始する。
兄弟はその意志を同調させたのだ。
セリエA得点王の真吾は、来季は移籍するだろうと言われている。
ローマをヨーロッパリーグ優勝に導き、チームも今が売りどきだと思っている。真吾自身もチャンピオンズリーグ獲得を目指したい。
オリンピックは獲った。ヨーロッパリーグも獲った。では、ワールドカップはどうであろう。
ゴールキーパー・イラネクが、仕事場を飛び出して向かってくる。
イラネクは大型ゴールキーパーであり、そのシュートセーブは評価が高い。だが、飛び出しは……
だから、その隙を縫って、真吾は上空にボールを蹴りだした。
空中を鳥のように舞って、それはゴールへと推進していった。
日本がまたリードしたのだ。
「俺は今はチェコのキャプテンだからな……」
そうイタリア語でコザークが大吾に呟いた。
(本当に悪く思わないでくれよ……)
後半になると、チェコは猛攻を開始した。
ボールを奪われても、フルコートプレスと言っても過言ではないハイプレスを仕掛けてくる。
日本が中盤でボールを奪われると、コザークがまた疾風怒濤のペネトレイトを繰り広げた。
熱したナイフでバターを切るかのように、その突貫は日本のディフェンス陣をズタズタに切り裂く。
器楽堂がチェックに行くが、一瞬早く、コザークがスルーパスを放つ。
グリゲラ対瀬棚勇也の激しいボディコンタクト!
勇也がフィジカルで世界一を目指すのであれば、このヤン・グリゲラという男にどうしても勝たなくてはならない。
勇也はショルダーチャージを繰り出した。
だが、グリゲラはびくともしない。
逆にその勢いを利用して、加速さえする。
(これが世界一の身体の使い方!)
学ぶべきことは多い。
だが、それは勝ち点3を諦めることと同義だ。
抜け出したグリゲラは、カバーに来た利根を無視したかのようにシュートを繰り出した。
ボールはゴールキーパー成田の横をすり抜けようとしている。
(相棒が、ファン・ヒンケルだったら……パオロ・フランコであったら)
「俺のミスを取り返してくれたに違いない……」
諦めた勇也は、ボールを追うのを止めようとした。
だが、ネットに吸い込まれる前に、スライディングでラインギリギリで掻き出す者がいる。
鍵井大輔。
代表キャップ100を越える、日本代表のキャプテン。
利根がそのボールを前方に向かって蹴りだしたとき、主審が3回笛をかき鳴らす。
(なんて頼りになる人なんだ……)
鍵井に向かって勇也はそう思った。
オランダ代表のルーク・ファン・ヒンケル。ウルグアイ代表のパオロ・フランコ。そのグラン・トリノの重鎮に比べても、遜色のない人が日本にもいるではないか!
鍵井は足を痛めたのか、立ち上がろうとしない。
救護班が担架を持って来ると、それに乗るのを拒否して、何とか立ち上がり、中東まで駆け付けた日本サポーターの元へ勝利の報告へ行こうとする。
スタンドでは5メートルはしようかという日の丸の旗が振られ、止みどころを失ったかのように鍵井コールが繰り返されている。
「すごい人だな」
大吾が勇也の元へ来て言った。
「勇也。おまえは代表のキャプテンになるって以前言っていた。その気持ちに変わりはないか?」
勇也は向けている目線を大吾から鍵井へと変える。
その口は無言。
『プレーでも、キャプテンシーでも、俺がこの人を越えることがあるのか?』
そう、その目は語っているように大吾には思えた。
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