41 / 155
040・Brothers ORIGIN 4
しおりを挟む
真吾が意気揚々と家に帰ると、家族は喜びと悲しみが3:7の割合の表情で出迎えた。
晴れ晴れとしていた表情が、曇りかける。
厳しい父に100%の賞賛をされるとまでは思っていなかった。
『今日は良かったが、これからだぞ』と叱咤激励されるとは思っていたけれども。
しかし、『よくやった』くらいも言ってもらえないとは。
「どうしたんだよ。見に来てくれたことは知ってる。もっと喜んでよ!」
「うむ……その大吾がな……」
「真ちゃんの活躍に、逆に影響を受けすぎて……」
「また大吾のことかよ」
(いったい、俺にとってなんなんだあいつは……)
真吾は心底イラついた。
弟は自分に向けられるはずの感情を、尽く攫って行く。
「部屋にはいないみたいだけど、大吾はどこにいるんだ?」
「公園にでも行ってるんだろう」
そう思いながらも、血を分けた兄弟である。
真吾は公園へと奔り出す。
大吾は公園でひとりボールを蹴っていた。
あまり広いとは言えない、遊具も少ない、そして芝生もない。
かろうじて小規模なボール遊びだけが許されるであろう、閑静というよりは見捨てられた趣のある原初的な公園。
試行錯誤。
そこで、大吾は藁をも掴む思いで自分らしさを取り戻そうとする。
だが、ひとりではその答えに辿り着けない。
次の日も、そして次の日も、また次の日も大吾はひとりでボールを蹴り続ける。
それを真吾は目に焼き付ける。
大吾の壁当ては、真吾の閉ざしかけた心を揺り動かす。
(ああ、くそっ。なにやってんだ……)
毎日、傍から見ている真吾は、声をかけるべきか迷ってしまった。
雨の日も大吾はひとりで外へ出かける。雨に紛れて大吾は泣いている。大吾の顔は雨と両目から流す涙によってぐしゃぐしゃになっている。空振りし、転んだ大吾は顔中、そして服全体を泥まみれにして嗚咽を繰り返す。
大吾は――ちくしょう! と地面を何度も叩く。
それは公園だけではない。地面を、地球を、そして真吾の心を揺り崩すアースクエイク。
真吾の心は天岩戸の如く、少しだけ光を取り入れる。
(しょうがない、俺にとってはたったひとりしか居ない弟だ……)
それは大吾にとっても先を、再起への道筋を照らす灯であった。
次の遠征から帰って来ると、真吾は大吾のもとへ足を運んだ。
「良いご身分だ。遠征を終えたばかりのプロサッカー選手に迎えに来させるとはな」
「良いよな、兄ちゃんは……ちゃんと父さんのDNAを引き継いでいる……」
大吾は泣き崩れた顔でそう言った。まるで兄弟喧嘩で兄が一方的に勝利した後のようだ。知らないものが見れば、真吾が大吾を泣かしたように見えるであろう。
「お父さんや兄ちゃんみたいな勇ましいプロになりたいんだ……」
大吾は雛である。自ら殻を破れない弱々しい雛。
先に生まれた者の宿命として、後進を導くのは務めだ。真吾の場合、それがあまり好感度の高くない弟だっただけだ。ひとりで内側から殻を破れないのなら、外側から手助けをすれば良い。
こんがらがりすぎた関係によって無に帰していたが、すべてはもつれた糸の様に単純なことなのだ。
「フィジカルだけがすべてじゃないだろう。今度あるワールドカップをよく見てみろ、おまえより小さい選手なんざゴマンといる。おまえがまずやるべきことは、実生活でもサッカーでも視野を広げることだ」
(本気で自分は、弟にアドバイスをしているのだろうか?)
真吾は良心の呵責と相席しながら、弟相手に兄の立場を貫き通そうとする。
「おまえは『向島博2世』になりたかっただけなのか? 『向島真吾の弟』だけで終わるつもりだったのか?」
(俺こそが、『向島博2世』であるはずだ……!)
「おまえはおまえにしかなれないんだ! 『向島大吾1世』としてフットボール界を制覇してやろうという気概を何で持てないんだ!」
(俺が弟に言えた義理か……)
「いいか、大吾。俺たち兄弟は生まれた時から宝くじの当たり券を持っているんだ。『向島博の息子』というとんでもないアドバンテージをな」
真吾が真面目にそう言った。
「おまえは当たり券を持っているのに、それを使うことを躊躇っているだけだ。ほかのやつはみんなそれが欲しい。髪の毛を染めたり、煙草に手を出したり酒に奔る、それも楽しいのかもしれない。だがおまえは自分が許せても、ほかのやつはそれを許せない。俺が『向島博2世』を越えて『向島真吾1世』になったとき、おまえはさらにその考えをこじらせるだろう。そしていつか後悔する。『サッカー辞めなければ良かった』、と。身長くらいで夢を諦めるようなことをしなければよかったと言って死んでいくんだ!」
真吾は続ける。
「168㎝がなんだ! フットボール界で身長は王位に就くには関係ない。ペレ、マラドーナ、メッシ。みんな170cmあるかないか。歴代の王様が高身長な方が珍しいくらいだ」
大吾はうなずき、心の中に火が灯り始めた。
「もしかしたら身長が低い方が、フットボールの神様に愛されるのかもしれないんだぞ」
真吾は続ける。
「ボールを愛し続ければ、いつかおまえにもフィジカルだけじゃない、『第六感』が身に付くかもしれん」
真吾は左手を口にあて、言うべきか少し考える。
「フィジカルが通用しないなら、なんでもっと技術を身に付けようとしない」
「俺は充分に技術があるよ!」
「圧倒的な技術か!? わかっていても止められないほどの超絶したテクニックか?」
「そんなの日本人には無理だよっ!」
「そこがおまえの限界なんだ! 勇也が言っていたぞ。『大吾は、バロンドールを目指している』って。日本人がフィジカルでバロンドールを獲る方が無茶苦茶だ! 技術だ! テクニックだ! だれもがそれを望みながら手に入ることがないような、夢を見させるテクニック。おまえはそれを手に入れるべきだ!」
(なんで、俺はこいつに塩を送るような真似をしているんだろう……)
真吾は、確実に大吾を意識し始めた。
同じ、向島家のボールの声を聴くことができるDNAを受け継いだ者として。
あまり好感度の高くない弟。
血を分けた弟だからこそ、気になり、気をかけ、余計に煩わしい。
「『ボールの声』を聴いたことがあるか?」
「ボールの声?」
「いや、ないならないでそれは良い。変なことを言っちまった忘れてくれ……」
真吾は気付いている。
『ボールの声を聴くこと』ができる。
それこそ『向島博のDNA』なのだと。
そして大吾も持っているかと思っていたが、そうではないらしい。
大吾に対して、真吾は複雑な優越感を少し持つ。
※※※※※
『見る者に夢を見させるテクニック』で『向島大吾1世』になれ。
その言葉が、大吾の脳髄を打ち抜くいた。
そうして記憶に残る初のワールドカップをテレビで鑑賞してる際に、スペイン代表の小柄な10番に目が付く。
「父さん、この選手だれ?」
「ラファエウ・サリーナスだよ。おまえ、以前ゲームセンターで、この人のカード引いて喜んでただろ。あの選手だよ」
「ふーん。これがあのWCCSのすごい数値のカードの人なんだね」
大吾は夜遅くまで、スペイン代表の試合をすべて見るようになった。
そしてワールドカップ決勝において、超絶的としか言えないラインブレイクであろうことかセンターハーフのラファエウ・サリーナスが唯一の得点、決勝ゴールを延長戦で決めた。
そのゴールを決めた後、魂の咆哮をする姿があまりに鮮烈過ぎて、少年は虜となった……
身長は同じ168㎝。
目指すべき光を、少年は地球の裏側で発見した。
大吾は髪の毛をバリカンで剃り落し、チーム関係者に侘びを入れ、またサッカーへと戻っていく。
「大吾。日本とスペインの親善試合があるんだが、おまえら生で見たいか? 日本サッカー協会が招待してくれたんだ!」
大吾は二つ返事で承諾する。
「ラファエウ・サリーナスさんに会って、カードにサイン貰える?」
「時間が合えば、それくらいのファンサービスはしてくれるんじゃないかな?」
クローゼットに大切にしまっておいたラファエウ・サリーナスのカードを握りしめて、大吾は新幹線に乗り込み、国立競技場へと足を運ぶことにした。
「試合が終わった後に少しだけ、ラファエウが会ってくれるそうだ。なにを話すか決めておけよ!」
父、博はそう言って旧知の関係者のもとへと歩みを進める。
試合が始まる。
「サッカーなんてつまんねーよ。家でゲームしている方が良いよ!」
大吾の近くの子供がそう言う。
その子の妹だろう。携帯ゲーム機でゲームをしている。
「ちょっと! そのゲーム機貸せよ! 退屈しのぎに俺がプレーするから!」
「やーよ! ちょっとお兄ちゃんやめてよ!」
妹は、兄がゲーム機を奪おうとするのに必死に抵抗する。
「おい、ふたりとも! 少し試合を見てみろ!」
その子たちの父親がフィールドを指さして兄妹の背中を叩く。
「な、なんだ。あれ!?」
兄妹の関心は完全に試合に。
ラファエウ・サリーナスという存在に呑みこまれた。
ハーフタイムには兄妹はトイレに行くこともせず、今眼前に繰り広げられた『興行』について語り合っていた。
――サッカーには喧嘩している子供ですら一瞬で仲直りさせ、引き込み、幸せにする力があるんだ!
「大。どうだ、生のラファエウ・サリーナスは?」
父が訊いてきた。
「すごい、のひとことしか出ないよ……」
「あの、ラファエウ・サリーナスでさえバロンドールは無理だった」
博は微笑みに苦みを加えた表情をする。
「おまえは以前から『バロンドールを獲る』と言っていたが、少なくともラファエウを越えなければならない。それが出来るかな?」
後半も一方的な蹂躙だった。
5-1。
日本が1点を返したのは、スペインが5点取った後。いわばお情けの1点だった。
そしてそのスペイン代表をオーガナイズする、ラファエウ・サリーナス。
『生でラファエウ・サリーナスが見られるなんてな』
『日本代表一回もボール取れてないんじゃないの?』
『パス成功率も100%なんじゃね?』
周りの観客は口々にそう言う。
――これが俺のラファエウ・サリーナス!
大吾は自分と同じ身長の彼が活躍するのを、自分が褒められているように錯覚する。
試合が終わり、大吾はインタビューを終えたラファエウを待つ。
手にはもちろんカードと、ラファエウがサインに困らないようにサインペンも自分で準備してある。
「ラファエウ、この少年がキミに訊きたいことがあるそうだ」
通訳がそうラファエウに告げ、彼は大吾に言葉をかける。
「大きな少年だ。わたしと身長が変わらないじゃないか」
ラファエウはブラジルからスペインの帰化選手である。
母国語のポルトガル語でそう言った。
「あ、あの。僕、ラファエウさんと同じ身長ですけど、もう成長が止まってしまって……でもプロサッカー選手に成りたいんです! フィジカルで勝てないならどうしたら良いですか?」
通訳がそうラファエウに告げる。
ラファエウはうなずき、
「テクニックを磨くことだ」
彼はそう言った。
世界屈指の選手が既視感のある言葉を言い、大吾が少しだけ失望し顔を下に向けそうになると、ラファエウは大吾の心臓を右手でノックした。
「どれだけフッチボーを愛しているか。ただの技術じゃない。見る者に夢を見させるようなハートに裏打ちされた感情を揺さぶるテクニックをどれだけ持っているか、だ!」
変わらない身長の相手に、頭を撫でられた。
身長だけではない。
その痩躯。体重もそう大吾と変わらないであろう。
パワーも、スピードも超一流とは言えない。
彼はただ、その技術によってワールドカップで優勝したのだ!
少し、奇妙な違和感と嬉しさが込み上げてくる。
そして、その言葉を受け取ると同時に、大吾はカードにサインをもらうことを忘却した。
――一緒だ……兄貴とラファエウ・サリーナスは少なくともメンタル面では同格なんだ! 偉大な兄。その弟として自分は生まれた。身近に素晴らしいお手本がいる! 自分だってその同じ遺伝子を受け継いでいるはず。負けるものか!
「なんだ、おまえ。カードにサイン貰ってないじゃないか」
父が手を顔にかざして呆れたように言った。
「うん、でもサインよりもっと良いものを貰ったよ」
大吾は言った。
「どんなことがあってもサッカーを愛し続ける、心だよ!」
晴れ晴れとしていた表情が、曇りかける。
厳しい父に100%の賞賛をされるとまでは思っていなかった。
『今日は良かったが、これからだぞ』と叱咤激励されるとは思っていたけれども。
しかし、『よくやった』くらいも言ってもらえないとは。
「どうしたんだよ。見に来てくれたことは知ってる。もっと喜んでよ!」
「うむ……その大吾がな……」
「真ちゃんの活躍に、逆に影響を受けすぎて……」
「また大吾のことかよ」
(いったい、俺にとってなんなんだあいつは……)
真吾は心底イラついた。
弟は自分に向けられるはずの感情を、尽く攫って行く。
「部屋にはいないみたいだけど、大吾はどこにいるんだ?」
「公園にでも行ってるんだろう」
そう思いながらも、血を分けた兄弟である。
真吾は公園へと奔り出す。
大吾は公園でひとりボールを蹴っていた。
あまり広いとは言えない、遊具も少ない、そして芝生もない。
かろうじて小規模なボール遊びだけが許されるであろう、閑静というよりは見捨てられた趣のある原初的な公園。
試行錯誤。
そこで、大吾は藁をも掴む思いで自分らしさを取り戻そうとする。
だが、ひとりではその答えに辿り着けない。
次の日も、そして次の日も、また次の日も大吾はひとりでボールを蹴り続ける。
それを真吾は目に焼き付ける。
大吾の壁当ては、真吾の閉ざしかけた心を揺り動かす。
(ああ、くそっ。なにやってんだ……)
毎日、傍から見ている真吾は、声をかけるべきか迷ってしまった。
雨の日も大吾はひとりで外へ出かける。雨に紛れて大吾は泣いている。大吾の顔は雨と両目から流す涙によってぐしゃぐしゃになっている。空振りし、転んだ大吾は顔中、そして服全体を泥まみれにして嗚咽を繰り返す。
大吾は――ちくしょう! と地面を何度も叩く。
それは公園だけではない。地面を、地球を、そして真吾の心を揺り崩すアースクエイク。
真吾の心は天岩戸の如く、少しだけ光を取り入れる。
(しょうがない、俺にとってはたったひとりしか居ない弟だ……)
それは大吾にとっても先を、再起への道筋を照らす灯であった。
次の遠征から帰って来ると、真吾は大吾のもとへ足を運んだ。
「良いご身分だ。遠征を終えたばかりのプロサッカー選手に迎えに来させるとはな」
「良いよな、兄ちゃんは……ちゃんと父さんのDNAを引き継いでいる……」
大吾は泣き崩れた顔でそう言った。まるで兄弟喧嘩で兄が一方的に勝利した後のようだ。知らないものが見れば、真吾が大吾を泣かしたように見えるであろう。
「お父さんや兄ちゃんみたいな勇ましいプロになりたいんだ……」
大吾は雛である。自ら殻を破れない弱々しい雛。
先に生まれた者の宿命として、後進を導くのは務めだ。真吾の場合、それがあまり好感度の高くない弟だっただけだ。ひとりで内側から殻を破れないのなら、外側から手助けをすれば良い。
こんがらがりすぎた関係によって無に帰していたが、すべてはもつれた糸の様に単純なことなのだ。
「フィジカルだけがすべてじゃないだろう。今度あるワールドカップをよく見てみろ、おまえより小さい選手なんざゴマンといる。おまえがまずやるべきことは、実生活でもサッカーでも視野を広げることだ」
(本気で自分は、弟にアドバイスをしているのだろうか?)
真吾は良心の呵責と相席しながら、弟相手に兄の立場を貫き通そうとする。
「おまえは『向島博2世』になりたかっただけなのか? 『向島真吾の弟』だけで終わるつもりだったのか?」
(俺こそが、『向島博2世』であるはずだ……!)
「おまえはおまえにしかなれないんだ! 『向島大吾1世』としてフットボール界を制覇してやろうという気概を何で持てないんだ!」
(俺が弟に言えた義理か……)
「いいか、大吾。俺たち兄弟は生まれた時から宝くじの当たり券を持っているんだ。『向島博の息子』というとんでもないアドバンテージをな」
真吾が真面目にそう言った。
「おまえは当たり券を持っているのに、それを使うことを躊躇っているだけだ。ほかのやつはみんなそれが欲しい。髪の毛を染めたり、煙草に手を出したり酒に奔る、それも楽しいのかもしれない。だがおまえは自分が許せても、ほかのやつはそれを許せない。俺が『向島博2世』を越えて『向島真吾1世』になったとき、おまえはさらにその考えをこじらせるだろう。そしていつか後悔する。『サッカー辞めなければ良かった』、と。身長くらいで夢を諦めるようなことをしなければよかったと言って死んでいくんだ!」
真吾は続ける。
「168㎝がなんだ! フットボール界で身長は王位に就くには関係ない。ペレ、マラドーナ、メッシ。みんな170cmあるかないか。歴代の王様が高身長な方が珍しいくらいだ」
大吾はうなずき、心の中に火が灯り始めた。
「もしかしたら身長が低い方が、フットボールの神様に愛されるのかもしれないんだぞ」
真吾は続ける。
「ボールを愛し続ければ、いつかおまえにもフィジカルだけじゃない、『第六感』が身に付くかもしれん」
真吾は左手を口にあて、言うべきか少し考える。
「フィジカルが通用しないなら、なんでもっと技術を身に付けようとしない」
「俺は充分に技術があるよ!」
「圧倒的な技術か!? わかっていても止められないほどの超絶したテクニックか?」
「そんなの日本人には無理だよっ!」
「そこがおまえの限界なんだ! 勇也が言っていたぞ。『大吾は、バロンドールを目指している』って。日本人がフィジカルでバロンドールを獲る方が無茶苦茶だ! 技術だ! テクニックだ! だれもがそれを望みながら手に入ることがないような、夢を見させるテクニック。おまえはそれを手に入れるべきだ!」
(なんで、俺はこいつに塩を送るような真似をしているんだろう……)
真吾は、確実に大吾を意識し始めた。
同じ、向島家のボールの声を聴くことができるDNAを受け継いだ者として。
あまり好感度の高くない弟。
血を分けた弟だからこそ、気になり、気をかけ、余計に煩わしい。
「『ボールの声』を聴いたことがあるか?」
「ボールの声?」
「いや、ないならないでそれは良い。変なことを言っちまった忘れてくれ……」
真吾は気付いている。
『ボールの声を聴くこと』ができる。
それこそ『向島博のDNA』なのだと。
そして大吾も持っているかと思っていたが、そうではないらしい。
大吾に対して、真吾は複雑な優越感を少し持つ。
※※※※※
『見る者に夢を見させるテクニック』で『向島大吾1世』になれ。
その言葉が、大吾の脳髄を打ち抜くいた。
そうして記憶に残る初のワールドカップをテレビで鑑賞してる際に、スペイン代表の小柄な10番に目が付く。
「父さん、この選手だれ?」
「ラファエウ・サリーナスだよ。おまえ、以前ゲームセンターで、この人のカード引いて喜んでただろ。あの選手だよ」
「ふーん。これがあのWCCSのすごい数値のカードの人なんだね」
大吾は夜遅くまで、スペイン代表の試合をすべて見るようになった。
そしてワールドカップ決勝において、超絶的としか言えないラインブレイクであろうことかセンターハーフのラファエウ・サリーナスが唯一の得点、決勝ゴールを延長戦で決めた。
そのゴールを決めた後、魂の咆哮をする姿があまりに鮮烈過ぎて、少年は虜となった……
身長は同じ168㎝。
目指すべき光を、少年は地球の裏側で発見した。
大吾は髪の毛をバリカンで剃り落し、チーム関係者に侘びを入れ、またサッカーへと戻っていく。
「大吾。日本とスペインの親善試合があるんだが、おまえら生で見たいか? 日本サッカー協会が招待してくれたんだ!」
大吾は二つ返事で承諾する。
「ラファエウ・サリーナスさんに会って、カードにサイン貰える?」
「時間が合えば、それくらいのファンサービスはしてくれるんじゃないかな?」
クローゼットに大切にしまっておいたラファエウ・サリーナスのカードを握りしめて、大吾は新幹線に乗り込み、国立競技場へと足を運ぶことにした。
「試合が終わった後に少しだけ、ラファエウが会ってくれるそうだ。なにを話すか決めておけよ!」
父、博はそう言って旧知の関係者のもとへと歩みを進める。
試合が始まる。
「サッカーなんてつまんねーよ。家でゲームしている方が良いよ!」
大吾の近くの子供がそう言う。
その子の妹だろう。携帯ゲーム機でゲームをしている。
「ちょっと! そのゲーム機貸せよ! 退屈しのぎに俺がプレーするから!」
「やーよ! ちょっとお兄ちゃんやめてよ!」
妹は、兄がゲーム機を奪おうとするのに必死に抵抗する。
「おい、ふたりとも! 少し試合を見てみろ!」
その子たちの父親がフィールドを指さして兄妹の背中を叩く。
「な、なんだ。あれ!?」
兄妹の関心は完全に試合に。
ラファエウ・サリーナスという存在に呑みこまれた。
ハーフタイムには兄妹はトイレに行くこともせず、今眼前に繰り広げられた『興行』について語り合っていた。
――サッカーには喧嘩している子供ですら一瞬で仲直りさせ、引き込み、幸せにする力があるんだ!
「大。どうだ、生のラファエウ・サリーナスは?」
父が訊いてきた。
「すごい、のひとことしか出ないよ……」
「あの、ラファエウ・サリーナスでさえバロンドールは無理だった」
博は微笑みに苦みを加えた表情をする。
「おまえは以前から『バロンドールを獲る』と言っていたが、少なくともラファエウを越えなければならない。それが出来るかな?」
後半も一方的な蹂躙だった。
5-1。
日本が1点を返したのは、スペインが5点取った後。いわばお情けの1点だった。
そしてそのスペイン代表をオーガナイズする、ラファエウ・サリーナス。
『生でラファエウ・サリーナスが見られるなんてな』
『日本代表一回もボール取れてないんじゃないの?』
『パス成功率も100%なんじゃね?』
周りの観客は口々にそう言う。
――これが俺のラファエウ・サリーナス!
大吾は自分と同じ身長の彼が活躍するのを、自分が褒められているように錯覚する。
試合が終わり、大吾はインタビューを終えたラファエウを待つ。
手にはもちろんカードと、ラファエウがサインに困らないようにサインペンも自分で準備してある。
「ラファエウ、この少年がキミに訊きたいことがあるそうだ」
通訳がそうラファエウに告げ、彼は大吾に言葉をかける。
「大きな少年だ。わたしと身長が変わらないじゃないか」
ラファエウはブラジルからスペインの帰化選手である。
母国語のポルトガル語でそう言った。
「あ、あの。僕、ラファエウさんと同じ身長ですけど、もう成長が止まってしまって……でもプロサッカー選手に成りたいんです! フィジカルで勝てないならどうしたら良いですか?」
通訳がそうラファエウに告げる。
ラファエウはうなずき、
「テクニックを磨くことだ」
彼はそう言った。
世界屈指の選手が既視感のある言葉を言い、大吾が少しだけ失望し顔を下に向けそうになると、ラファエウは大吾の心臓を右手でノックした。
「どれだけフッチボーを愛しているか。ただの技術じゃない。見る者に夢を見させるようなハートに裏打ちされた感情を揺さぶるテクニックをどれだけ持っているか、だ!」
変わらない身長の相手に、頭を撫でられた。
身長だけではない。
その痩躯。体重もそう大吾と変わらないであろう。
パワーも、スピードも超一流とは言えない。
彼はただ、その技術によってワールドカップで優勝したのだ!
少し、奇妙な違和感と嬉しさが込み上げてくる。
そして、その言葉を受け取ると同時に、大吾はカードにサインをもらうことを忘却した。
――一緒だ……兄貴とラファエウ・サリーナスは少なくともメンタル面では同格なんだ! 偉大な兄。その弟として自分は生まれた。身近に素晴らしいお手本がいる! 自分だってその同じ遺伝子を受け継いでいるはず。負けるものか!
「なんだ、おまえ。カードにサイン貰ってないじゃないか」
父が手を顔にかざして呆れたように言った。
「うん、でもサインよりもっと良いものを貰ったよ」
大吾は言った。
「どんなことがあってもサッカーを愛し続ける、心だよ!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
16
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる