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035・コンバート
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結局のところ、フライトでは暇をすることがなかった。瀬棚勇也と、昔話と離れていたときの話題に尽きることがなかったからだ。
大吾と勇也は互いの離れ離れになった間の出来事を語り続け、それは移動時間だけでは足りるはずもない。
過去の話だけではなかった。未来のこれからの話。明るさに包まれているであろう、これから先のキャリアの話。辿っていくはずの山頂への道程。
イタリア、ローマのフィウミチーノ空港ではアロハシャツ姿のデメトリオ、そしてペルージャのスタッフ4名が待ち構えていた。
列車に乗ることはなかった。ふたりの待遇に応じた車が用意されていたからだ。ローマから北へ170キロ、ラテンの太陽を浴びた丘陵地帯を見ながら、ふたりは別世界へ飛び込んできたのだといまさらながら実感する。
ウンブリア・グリフォンがプリントされたクラブハウスに着くと、大吾と勇也はメディカルチェックを受けた。健康と身体の測定である。そこには瞬発力・持久力・体の回復力などを示す数値が出る。
勇也がチーム最高級の数値をはじき出すとともに、大吾がチーム最悪どころかセリエA最低クラスの数値をたたき出していた。
「うーム」
同席していたペトラーキ監督はさすがに顔色を変えた。そしてふたりに面会を申し出た。
「ユウヤ、君のフィジカルは素晴らしイ」
通訳が訳すと勇也は、
「グラッツェ!」
と、若さ任せに勢いよく答えた。
「実をいうと私は君をディフェンソーレではなく、チェントロカンピスタとして使うつもりダ」
「えっ? 俺がミッドフィルダーですか?」
「インコントリスタとレジスタを兼ねた存在になってもらいたイ。ピルロとガットゥーゾを足して2で割ったような存在ダ」
「でも俺にはそこまでのパス能力はありませんよ?」
ペトラーキ監督は、右手の人差し指を横にチッチッチと振り、
「18歳が自分の可能性を、自分で閉ざしちゃいかン。ピルロのような空間把握能力がなくても、ある程度のパス精度を高めれば君はカルチャトーレとしてもう1段階も2段階も高いところへ登れル。まあ私を信じたまエ」
と言って勇也の口を封じた。
次は大吾の番である
「ダイゴ、君のフィジカルは最低ダ」
結論からペトラーキ監督は言った。
「私は突破力のあるミッドフィルダーを希望したのだが、君は突破できてもセリエAの強靭なディフェンダーの前ではすぐ追いつかれ、ネガティブ・トランジションのキッカケになるだけダ」
大吾も顔色を変える。申し訳なさと共に、これで自分の移籍が破談になるのではと一瞬危惧したからだ。メディカルチェックに引っかかって、破談になることは珍しくない。
「だが、私は君の技術を知っていル。君はその圧倒的な技術と貧弱なフィジカルをもってして、最前線のポストプレーヤーとなるべきダ!」
大吾の表情が曇った。わけがわからない。貧弱なフィジカルのおかげでセンターフォワードを諦め、ポジションを下げて、そして移動式砲台となりイタリアにまで呼ばれたのではなかったのか。
「ファルソ・ヌエベ……」
ペトラーキ監督はウインクをして言った。
「君は最前線でワンタッチでボールをはたく、9.5番。メディア・プンタとトレ・クアルティスタの中間の選手としてイタリアで生き延びるべきダ! 0トップ。これが、君と私と、ペルージャが残留に向けて進んでいく道筋ダ!」
※※※※※
『ファルソ・ヌエベ』
前線を自由に動き回り、攻撃のフリーマンとしてタクトを振るう。
その歴史は意外と古い。
1950年代前半のヨーロッパで隆盛を誇ったハンガリー代表『マジック・マジャール』のヒデクチ・ナーンドルを祖とし、9.5番を含めて良いのであればペレ、ジーコ、ディエゴ・マラドーナ、ミシェル・プラティニもそうであろう。
だが、彼らの基本的なポジションはトップ下であった。
試合中のフィールドを所狭しと動き回り、ゲームに関与し続けるという意味での偽9番という意味ではアルフレッド・ディ・スティファノが祖であり、ヨハン・クライフがそれを引き継いだ。
ヨハン・クライフは『私は新しいディ・スティファノにはなれるが新しいペレにはなれない。彼は理論を越えている』と言ったが、クライフも充分理論を越えた存在であった。
そしてリオネル・メッシ。
彼は現代に9.5番をファルソ・ヌエベという新用語を引っ提げて初のバロンドールを獲得した。センターフォワードが中盤まで下がり、ゲームの組み立てに関与し、そして尋常ではないゴールを決める。ニュータイプ・ペレと言っても過言ではないだろう。
ここで大吾の直接の祖と言える存在は、ローマでキャリアを全うしたフランチェスコ・トッティである。
彼は2006-2007シーズン、0トップとしてチームを牽引した。それは彼の特異なプレースタイルに依るものが大きい。
彼は前線でポストプレイをする。しかし来たボールを彼は、接触プレイの前に、ダイレクトプレーではたく。最前線で交通整理のように『ボールのハブ』となるのだ。
結果としてローマはチーム全体が点を取るスペクタクルなチームへと変貌し、トッティ自身は得点王を獲得した。
中田英寿は1999年に『ペルージャのトッティ』と呼ばれた。ペトラーキ監督は大吾に2006年当時の『ペルージャのトッティ』となることを求めているのだ。
移動式砲台はその鎮座する場所を10メートルほど前に変えることとなる。
――しかし、今更ながら自分にセンターフォワードがこの体躯で務まるだろうか
疑問に思った大吾はペトラーキ監督に尋ねた。監督室でペトラーキは資料に目を通しながら、アイスティーでティータイムを楽しんでいる最中であった。
「俺は日本のユースですらフォワード失格の烙印を押されました。それがイタリアに来てセンターフォワードをやれなんて……」
「168㎝でプリマ・プンタとして世界を獲っタ。その選手を知っているかイ」
ペトラーキ監督の応えは単純であった。
「デ・ソウザ・ファリア。通称『ロマーリオ』、ダ」
「でもロマーリオも、今のフィジカルに特化したサッカーでは自分のスタイルは通用しない、とかつて言ってます」
ペトラーキはまたも右手の人差し指をチッチッチと横に振る。
「君は『進化したロマーリオ』になるんダ。最前線のハブとして、ウイングや飛び出して追い抜くミッドフィルダー、サイドバックにパスを送ル。時にはセンターバックが攻撃参加してパスを求めるやもしれなイ。君は接触プレイを避けながらパスを出し続ける。そしテ……」
「そして……?」
「機を見て、敵のディフェンスラインをかいくぐりアシストだけではなくて、ゴールをも稼いでもらいたイ」
贅沢過ぎる要求! 少し給料に対して責任が多すぎるのではないだろうか?
「過分な責任をひっかぶらせてもらっているのはわかりますが、19歳に対して要求が大きすぎるのでは?」
通訳は『本当に訳してもいいのか?』と大吾に目くばせしたが大吾はうなずき、訳すよう促した。
「チームは君とともにあル。君の選手としての最終目標に達するまでに、スモールクラブを残留に導くくらいはやってくれないとナ。バロンドール受賞者、ダイゴ・ムコウジマはヨーロッパのキャリアの手始めとして、弱小軍団・ペルージャを当時から輝きを放つ存在としてセリエA残留に導いた、とネ」
言うは易く行うは難し、だ。
「ブレシアが、ロベルト・バッジョがいた間は、セリエAにいたのは何でだと思ウ?」
唐突にペトラーキは大吾に尋ねた。
「そりゃ、バッジョの類まれなる得点感覚とアシストでしょう?」
ペトラーキは笑みとともに鼻を鳴らした。
「バッジョが、君がこれからやるように『最前線のハブ』だったから、だヨ。おかげでバッジョがいるときといないときのブレシアはまるで別チーム、サ。彼はゴール・アシストに直結しなくても、チームの潤滑油だった、という訳サ」
真夏の暑さにより汗をかいたアイスティーのグラスを、ペトラーキは大きな手で掴み口元へと運んだ。
「ロマーリオ、バッジョ、トッティ。彼ら3人を越えるのにはダイゴ・ムコウジマは選手として小粒であり過ぎたかナ?」
ペトラーキはまるで嘲るかのように笑い、大吾を挑発した。
「君はプロデビュー時にラファエウ・サリーナスに自分を重ねたといウ。そんな君が、バロンドールを目指す君がここで躊躇して日本に逃げ帰るかイ? ヨーロッパのキビシイフットボールに適応できずに半年で日本に逃げ帰る選手も多いから、私は別に止めやしないヨ……」
――まあ買った時と同様の値段で買い戻してもらうがネ! とペトラーキは付け加えた。
「やりますよ」
大吾は断言した。
「この世界でトップを狙うって決めたんだ。幸運にも監督がポジションを確保してくれると言っている。ここでやらなきゃプロフェッショナル・フットボーラーとして、なにより男として向島大吾の名が廃る」
内なる種火に薪が追加される。
燃え滾る火が重なり合い、それは炎と化す。
全身から漂う熱気。
季節が夏であるというだけでは証明できない。
それは新たなる挑戦、いやただの回顧主義かもしれない。
「やりますよ……最終目標のためなら……」
こうして大吾は『7年前に諦めたはずのポジション』に再コンバートを受け入れた。
大吾と勇也は互いの離れ離れになった間の出来事を語り続け、それは移動時間だけでは足りるはずもない。
過去の話だけではなかった。未来のこれからの話。明るさに包まれているであろう、これから先のキャリアの話。辿っていくはずの山頂への道程。
イタリア、ローマのフィウミチーノ空港ではアロハシャツ姿のデメトリオ、そしてペルージャのスタッフ4名が待ち構えていた。
列車に乗ることはなかった。ふたりの待遇に応じた車が用意されていたからだ。ローマから北へ170キロ、ラテンの太陽を浴びた丘陵地帯を見ながら、ふたりは別世界へ飛び込んできたのだといまさらながら実感する。
ウンブリア・グリフォンがプリントされたクラブハウスに着くと、大吾と勇也はメディカルチェックを受けた。健康と身体の測定である。そこには瞬発力・持久力・体の回復力などを示す数値が出る。
勇也がチーム最高級の数値をはじき出すとともに、大吾がチーム最悪どころかセリエA最低クラスの数値をたたき出していた。
「うーム」
同席していたペトラーキ監督はさすがに顔色を変えた。そしてふたりに面会を申し出た。
「ユウヤ、君のフィジカルは素晴らしイ」
通訳が訳すと勇也は、
「グラッツェ!」
と、若さ任せに勢いよく答えた。
「実をいうと私は君をディフェンソーレではなく、チェントロカンピスタとして使うつもりダ」
「えっ? 俺がミッドフィルダーですか?」
「インコントリスタとレジスタを兼ねた存在になってもらいたイ。ピルロとガットゥーゾを足して2で割ったような存在ダ」
「でも俺にはそこまでのパス能力はありませんよ?」
ペトラーキ監督は、右手の人差し指を横にチッチッチと振り、
「18歳が自分の可能性を、自分で閉ざしちゃいかン。ピルロのような空間把握能力がなくても、ある程度のパス精度を高めれば君はカルチャトーレとしてもう1段階も2段階も高いところへ登れル。まあ私を信じたまエ」
と言って勇也の口を封じた。
次は大吾の番である
「ダイゴ、君のフィジカルは最低ダ」
結論からペトラーキ監督は言った。
「私は突破力のあるミッドフィルダーを希望したのだが、君は突破できてもセリエAの強靭なディフェンダーの前ではすぐ追いつかれ、ネガティブ・トランジションのキッカケになるだけダ」
大吾も顔色を変える。申し訳なさと共に、これで自分の移籍が破談になるのではと一瞬危惧したからだ。メディカルチェックに引っかかって、破談になることは珍しくない。
「だが、私は君の技術を知っていル。君はその圧倒的な技術と貧弱なフィジカルをもってして、最前線のポストプレーヤーとなるべきダ!」
大吾の表情が曇った。わけがわからない。貧弱なフィジカルのおかげでセンターフォワードを諦め、ポジションを下げて、そして移動式砲台となりイタリアにまで呼ばれたのではなかったのか。
「ファルソ・ヌエベ……」
ペトラーキ監督はウインクをして言った。
「君は最前線でワンタッチでボールをはたく、9.5番。メディア・プンタとトレ・クアルティスタの中間の選手としてイタリアで生き延びるべきダ! 0トップ。これが、君と私と、ペルージャが残留に向けて進んでいく道筋ダ!」
※※※※※
『ファルソ・ヌエベ』
前線を自由に動き回り、攻撃のフリーマンとしてタクトを振るう。
その歴史は意外と古い。
1950年代前半のヨーロッパで隆盛を誇ったハンガリー代表『マジック・マジャール』のヒデクチ・ナーンドルを祖とし、9.5番を含めて良いのであればペレ、ジーコ、ディエゴ・マラドーナ、ミシェル・プラティニもそうであろう。
だが、彼らの基本的なポジションはトップ下であった。
試合中のフィールドを所狭しと動き回り、ゲームに関与し続けるという意味での偽9番という意味ではアルフレッド・ディ・スティファノが祖であり、ヨハン・クライフがそれを引き継いだ。
ヨハン・クライフは『私は新しいディ・スティファノにはなれるが新しいペレにはなれない。彼は理論を越えている』と言ったが、クライフも充分理論を越えた存在であった。
そしてリオネル・メッシ。
彼は現代に9.5番をファルソ・ヌエベという新用語を引っ提げて初のバロンドールを獲得した。センターフォワードが中盤まで下がり、ゲームの組み立てに関与し、そして尋常ではないゴールを決める。ニュータイプ・ペレと言っても過言ではないだろう。
ここで大吾の直接の祖と言える存在は、ローマでキャリアを全うしたフランチェスコ・トッティである。
彼は2006-2007シーズン、0トップとしてチームを牽引した。それは彼の特異なプレースタイルに依るものが大きい。
彼は前線でポストプレイをする。しかし来たボールを彼は、接触プレイの前に、ダイレクトプレーではたく。最前線で交通整理のように『ボールのハブ』となるのだ。
結果としてローマはチーム全体が点を取るスペクタクルなチームへと変貌し、トッティ自身は得点王を獲得した。
中田英寿は1999年に『ペルージャのトッティ』と呼ばれた。ペトラーキ監督は大吾に2006年当時の『ペルージャのトッティ』となることを求めているのだ。
移動式砲台はその鎮座する場所を10メートルほど前に変えることとなる。
――しかし、今更ながら自分にセンターフォワードがこの体躯で務まるだろうか
疑問に思った大吾はペトラーキ監督に尋ねた。監督室でペトラーキは資料に目を通しながら、アイスティーでティータイムを楽しんでいる最中であった。
「俺は日本のユースですらフォワード失格の烙印を押されました。それがイタリアに来てセンターフォワードをやれなんて……」
「168㎝でプリマ・プンタとして世界を獲っタ。その選手を知っているかイ」
ペトラーキ監督の応えは単純であった。
「デ・ソウザ・ファリア。通称『ロマーリオ』、ダ」
「でもロマーリオも、今のフィジカルに特化したサッカーでは自分のスタイルは通用しない、とかつて言ってます」
ペトラーキはまたも右手の人差し指をチッチッチと横に振る。
「君は『進化したロマーリオ』になるんダ。最前線のハブとして、ウイングや飛び出して追い抜くミッドフィルダー、サイドバックにパスを送ル。時にはセンターバックが攻撃参加してパスを求めるやもしれなイ。君は接触プレイを避けながらパスを出し続ける。そしテ……」
「そして……?」
「機を見て、敵のディフェンスラインをかいくぐりアシストだけではなくて、ゴールをも稼いでもらいたイ」
贅沢過ぎる要求! 少し給料に対して責任が多すぎるのではないだろうか?
「過分な責任をひっかぶらせてもらっているのはわかりますが、19歳に対して要求が大きすぎるのでは?」
通訳は『本当に訳してもいいのか?』と大吾に目くばせしたが大吾はうなずき、訳すよう促した。
「チームは君とともにあル。君の選手としての最終目標に達するまでに、スモールクラブを残留に導くくらいはやってくれないとナ。バロンドール受賞者、ダイゴ・ムコウジマはヨーロッパのキャリアの手始めとして、弱小軍団・ペルージャを当時から輝きを放つ存在としてセリエA残留に導いた、とネ」
言うは易く行うは難し、だ。
「ブレシアが、ロベルト・バッジョがいた間は、セリエAにいたのは何でだと思ウ?」
唐突にペトラーキは大吾に尋ねた。
「そりゃ、バッジョの類まれなる得点感覚とアシストでしょう?」
ペトラーキは笑みとともに鼻を鳴らした。
「バッジョが、君がこれからやるように『最前線のハブ』だったから、だヨ。おかげでバッジョがいるときといないときのブレシアはまるで別チーム、サ。彼はゴール・アシストに直結しなくても、チームの潤滑油だった、という訳サ」
真夏の暑さにより汗をかいたアイスティーのグラスを、ペトラーキは大きな手で掴み口元へと運んだ。
「ロマーリオ、バッジョ、トッティ。彼ら3人を越えるのにはダイゴ・ムコウジマは選手として小粒であり過ぎたかナ?」
ペトラーキはまるで嘲るかのように笑い、大吾を挑発した。
「君はプロデビュー時にラファエウ・サリーナスに自分を重ねたといウ。そんな君が、バロンドールを目指す君がここで躊躇して日本に逃げ帰るかイ? ヨーロッパのキビシイフットボールに適応できずに半年で日本に逃げ帰る選手も多いから、私は別に止めやしないヨ……」
――まあ買った時と同様の値段で買い戻してもらうがネ! とペトラーキは付け加えた。
「やりますよ」
大吾は断言した。
「この世界でトップを狙うって決めたんだ。幸運にも監督がポジションを確保してくれると言っている。ここでやらなきゃプロフェッショナル・フットボーラーとして、なにより男として向島大吾の名が廃る」
内なる種火に薪が追加される。
燃え滾る火が重なり合い、それは炎と化す。
全身から漂う熱気。
季節が夏であるというだけでは証明できない。
それは新たなる挑戦、いやただの回顧主義かもしれない。
「やりますよ……最終目標のためなら……」
こうして大吾は『7年前に諦めたはずのポジション』に再コンバートを受け入れた。
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