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025・聖遺物
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――とうとうこのときが来た
ラファエウ・サリーナスとの初対戦。
いつから焦がれていたのか、もはやそれはどうでもいい。手の届かない相手かもしれなかった。それらはすべて、過去形で語られるべき存在であった。
事実として明日は、自分のアイドルと一戦交える。だから、すなおに寝ることが難しかった。夜中に起きて、寮を歩き回る。
ふと、自販機が目に入った。小銭を入れて、コーラを買う。
スポーツマンであれば飲むべきではないのであろう。しかも、カフェイン入りだ。
だが、昂る気持ちを抑えきれない。
一気に呑み込むと、げっぷが出そうになる。それを無理に抑え込まずに吐き出すと、気持ちもいくらか収まった。
それでも、夢の中に落ちるにはまだまだ時間が必要だった。
第34節。
岡山のホーム、対東京。
大吾は念入りにストレッチをする。普段の3倍の時間をかけて。高揚する気持ちを抑えきれずにはいられない。
「ラファエウ・サリーナスは手の届かない存在だと思うか?」
真吾が大吾に語り掛ける。
「つま先立ちして手を伸ばしても、ジャンプしても届かない。ラファエウは地球出身じゃない、火星人だとまで思うか?」
真吾は続ける。
「実績で言えば、まさに月とスッポンだ。だが……」
真吾は言う。
「おまえの18年の人生すべてを今日、ぶつけてみろ!」
『WCCS』というゲームがある。
『WORLD CLUB Champion Soccer』というアーケードの対戦カード型サッカーゲームだ。このゲームは、フィールドを模した盤面に、選手のカードを並べることによってそのポジションが決まる。2002年6月に稼働開始したこのゲームは、その後20年もの間、アーケードゲーム界の覇者となっている。
大吾は父・博と兄・真吾に連れられて、初めてゲームセンターというものにやって来た。
目に映るのはサッカーゲーム『WCCS』。大吾は運命に引かれたように1プレイ目で『ラファエウ・サリーナスのカード』を引いた。
オフェンス:19
ディフェンス:12
テクニック:20
パワー:10
スピード:16
スタミナ:16
身長168cm
能力値は最高で20。
テクニックはMAXで、パワーはその半分しかない。
当時は身長が止まるとは思っていなかった大吾だが、時が経つにつれ、何気なく取っておいたそのカードを見るたびに『こうなりたい』という思いが強くなっていった。
ラファエウ・サリーナスは、向島大吾にとっての『聖遺物』なのだから。
「大吾、おまえは今日はフリーロールだ。登録上はインサイドハーフだが、何をしてもかまわん。おまえが攻撃をサボってマークに付きたい相手がいたら勝手にしろ」
父・向島監督はそう言った。
チームメートも全員うなずく。
「優勝も降格もACL争いもないからな。まあ最後の1試合くらい大目に見てやるよ」
兄・真吾が言う。
「本当はお客さんの前で、こんなあからさまなことしちゃいけないんだけどな」
キャプテン・利根が言う。
「おまえの『バロンドールへの階段の第一歩』をチーム一丸で見届けてやろう、と」
大吾のサブ、八谷が言った。
「チームメート ゼンインヲ コノ シーズンデ ミトメサセタッテコトサ」
チームの司令塔、ロドリゴ・器楽堂までもが大吾に味方する。
「大吾。第6感、いや第7感でラファエウを全身で感じろ! おまえのプロ・ファースト・シーズンはこの最終節のためにあったと言っても過言じゃあない。今回は、彼の一挙手一投足をフィールドで感じるんだ。観客席から見たラファエウ、そしてピッチ上で感じたラファエウ。彼を模倣してコピーして、拡大再生産としてラファエウ2世、そしてオリジナルのダイゴ・ムコウジマ1世になるんだ!」
「はい!」
父の言葉に、大吾はこれ以上ない大音声をもって応じる。
スタジアムへと続く、選手入場口。今日はそれがやけに長く感じる。
大吾はラファエウ・サリーナスを凝視する。身長はほぼ変わらない。体重も大吾とそれほど変わらないだろう。だが頭脳にあるビジョン、足元にある技術が大吾と桁違いに違う。
元ロイヤル・マドリー兼スペイン代表の10番。手にしていないタイトルはない。
リーガ・エスパニョーラ
コパ・デル・レイ
チャンピオンズ・リーグ
ユーロ
そして、ワールドカップ
しかし、ただ彼にはバロンドールだけが欠けている。
ラファエウは写真撮影が終わると両手を上にあげてクラップした。
正直、東京のユニフォームは似合っていない。いっそ、ラファエウが来た時に、真っ白のエル・ブランコにユニフォームを一新するべきだったのだ。他人事だが、真剣にそこまで大吾は思ってしまう。
コイントス。
主審によってコインが上に跳ねられ、重力に伴い地面に落ちてくる。地面に落ちたコインを拾った主審が、東京のキャプテン・ラファエウに『どうする?』と尋ねている。どうやらいつもコイントスで勝っている利根も、ラファエウの強運に負けたらしい。
ラファエウが『Bola』と言うのが大吾に聴こえてきた。利根はピッチの変更を申し出て、主審が笛を鳴らし、前半に所属するフィールドを交代するように選手全員に指示をする。
大吾は歩きながらもラファエウに注目し続けた。
――この日のために、この1シーズンは、18年間は、あったんだ
大吾はかがんで芝をちぎり、風に流す。最初からゾーンに入るための儀式だ。
東京のキックオフでゲームは開始する。
元ロイヤル・マドリーそして元スペイン代表のFWサンティが、セルビア出身の元ドイツ代表FWドラガンにボールを渡し、そしてラファエウへとボールが廻る。
そこへ立ちはだかるのは、ミッドフィルダーのポジションを完全に放棄した向島大吾。
20XX年12月7日午後3時。
向島大吾は本当の世界を知ることになる。
※※※※※
――この一年間で得た貯金を吐き出すときが来た
もしかすると、兄の言う通り18年すべてを吐き出すときなのかもしれない。
大吾の血潮が沸騰し、滾り、全身を光速で駆け巡る。
右掌をラファエウ・サリーナスの背中に置いた。
マークするときの一種の手法だ。
手のひらの感覚によって、相手がどう動くのかを事前に察知するやり方だ。
そうされると、ラファエウは少し微笑んだかのように見えた。
余裕なのだろうか。それともフッチボーを純粋に楽しんでいるだけ?
ラファエウにボールが向かって来る。
当然、大吾はカットしに行く。
いつの間にか手の平ははたかれ、ブラジル人フットボーラー特有の柔らかさ、テクニックでラファエウはボールキープしていた。
――1on1!
勢いだつ大吾に対して、ラファエウはすぐに横パスを出した。
「ヒャク・ナナジュウ・ゴジュウ、ダヨ」
そう言って、大吾の尻をポンと叩く。
それくらい、今どき小学生でも知っている。
フィールドを三分割し、
100%パスを通さなければならない場所
70%で良い場所
50%の確率で勝負に行く場所
という意味だ。
ラファエウが、そんな基礎中の基礎を自分に投げかけてくるとは、大吾は意外だった。
基本ができているからこその言葉なのだろうか。
前半10分。
岡山の左ウイング、柳沢がボールを持った。
東京の右サイドバックと対峙し、ボールの出しどころがないところを大吾がフォローにまわる。
大吾がボールを持つ。
足の裏で、グリグリとボールキープし、柳沢がフリーになるのを待っていた。
そこを、すかさずラファエウがチェックに来た。
大吾は事前に首を振り、他のパスコースを探してもいたはずだった。だが、ラファエウの他に、ふたりも同時にプレスにやって来る。
――3人も俺にプレスに来るなんて、味方がドフリーになっているだけじゃないか!
大吾のその思惑は外れた。
3人とも、大吾がパスしようとする相手を背に向けて、パスコースを完全に切りながらチェックに来ているのだ。柳沢へのパスコースもすでに塞がれていた。
一瞬、躊躇した大吾はつま先でボールを浮かし、ひとりかわした。
しかし、ふたりめに身体を当てられ、バランスを崩したところを、ラファエウに浮き球にしたボールをそのまま空中で掻っ攫われてしまった。
それと同時に、東京の攻撃のスイッチが入る。
ラファエウのドリブルは加速を増し、パス成功率が50%で良いファイナル・サードまで進出した。
――ここで決められては、この試合を犠牲にしてくれたチームメートに申し訳が立たない!
東京の優勝は決まっている。
岡山も残留が決定している。
消化試合だ。だからこそ、この試合は大吾のものとなったはずだ。
バランスを立て直した大吾がラファエウに追いついたのは、ペナルティエリア前だった。
大吾は、体をラファエウに当ててチャージする。
しかし、ラファエウはそれを事前に予測していたかのように、大吾を腕で抑えながら、大吾と同じくらい小柄な体をチャージの勢いで、独楽のように反転させる。
そして振り向きざまに、上空から俯瞰したかのように、そこしかない場所へと、左足で元ドイツ代表・ドラガンへとピンポイント・ラスト・パスを送る。
ドラガンは左足を振り抜き強烈なシュートを放つ!
岡山のゴールキーパー・稲津は横っ飛びを繰り出し、辛うじてゴールマウスの外へとはじき出した。
――グエン・バン・ヒューがゴム鞠なら、ラファエウ・サリーナスは蒟蒻でできた柳だな……
大吾はフィールドと一体化した風である。
しかし、ラファエウはその風を受け流す柳。たたっ斬ろうにも、蒟蒻で出来ているため刃物は通用しない。
――そういえばルパン三世の十三代目・石川五ェ門の斬鉄剣も蒟蒻が切れないんだっけ
大吾は、試合開始10分でかいた額の汗を、右手の甲で拭いながらそう思った。
「目標とは、かくあるべき」
訳もなくニヤニヤが止まらない。止めようもない。
自分が相対しているのは進化した自分、将来有るべき姿の自分なのだ。自分はこうでありたいと傲慢に思わせる存在、自分がこうなりたいと賢しげに語らせる存在。
それがラファエウ・サリーナス。
大吾のふたつの瞳は、たったひとりを視界に捉える。
東京の右サイドからのコーナーキック。蹴るのはもちろん東京で一番キック精度の高いラファエウ。
マイナスに蹴られたボールは直線的な軌道を描き、元スペイン代表・サンティの頭へと一直線に向かう。東京が誇るワールドクラス・トリオのサンティがこれを見逃すはずもなく、ヘディングでネットを揺らした。
0-1!
東京が、ラファエウ-サンティの、元ロイヤル・マドリー兼スペイン代表ホットラインで1点を先制!
岡山の大観衆も、この二人ならしょうがないと、ため息とともに拍手を送る。
大吾は今、初めてプロの舞台で自分の上位互換と対戦している。
意識しなくても、思わず笑みがこぼれずにはいられない。笑みを絶えることを、辞めさせられない。自分の感情を自分でコントロールできない。
――老境を迎えつつあるこの人を越えなければ、日本から去ることはできないかも……
大吾の融点を彷徨っていた闘争心に火が付き、沸点まで燃え上がったそれは蒸発を開始し、汗とともにスタジアム中を漂い始めた。
ラファエウ・サリーナスとの初対戦。
いつから焦がれていたのか、もはやそれはどうでもいい。手の届かない相手かもしれなかった。それらはすべて、過去形で語られるべき存在であった。
事実として明日は、自分のアイドルと一戦交える。だから、すなおに寝ることが難しかった。夜中に起きて、寮を歩き回る。
ふと、自販機が目に入った。小銭を入れて、コーラを買う。
スポーツマンであれば飲むべきではないのであろう。しかも、カフェイン入りだ。
だが、昂る気持ちを抑えきれない。
一気に呑み込むと、げっぷが出そうになる。それを無理に抑え込まずに吐き出すと、気持ちもいくらか収まった。
それでも、夢の中に落ちるにはまだまだ時間が必要だった。
第34節。
岡山のホーム、対東京。
大吾は念入りにストレッチをする。普段の3倍の時間をかけて。高揚する気持ちを抑えきれずにはいられない。
「ラファエウ・サリーナスは手の届かない存在だと思うか?」
真吾が大吾に語り掛ける。
「つま先立ちして手を伸ばしても、ジャンプしても届かない。ラファエウは地球出身じゃない、火星人だとまで思うか?」
真吾は続ける。
「実績で言えば、まさに月とスッポンだ。だが……」
真吾は言う。
「おまえの18年の人生すべてを今日、ぶつけてみろ!」
『WCCS』というゲームがある。
『WORLD CLUB Champion Soccer』というアーケードの対戦カード型サッカーゲームだ。このゲームは、フィールドを模した盤面に、選手のカードを並べることによってそのポジションが決まる。2002年6月に稼働開始したこのゲームは、その後20年もの間、アーケードゲーム界の覇者となっている。
大吾は父・博と兄・真吾に連れられて、初めてゲームセンターというものにやって来た。
目に映るのはサッカーゲーム『WCCS』。大吾は運命に引かれたように1プレイ目で『ラファエウ・サリーナスのカード』を引いた。
オフェンス:19
ディフェンス:12
テクニック:20
パワー:10
スピード:16
スタミナ:16
身長168cm
能力値は最高で20。
テクニックはMAXで、パワーはその半分しかない。
当時は身長が止まるとは思っていなかった大吾だが、時が経つにつれ、何気なく取っておいたそのカードを見るたびに『こうなりたい』という思いが強くなっていった。
ラファエウ・サリーナスは、向島大吾にとっての『聖遺物』なのだから。
「大吾、おまえは今日はフリーロールだ。登録上はインサイドハーフだが、何をしてもかまわん。おまえが攻撃をサボってマークに付きたい相手がいたら勝手にしろ」
父・向島監督はそう言った。
チームメートも全員うなずく。
「優勝も降格もACL争いもないからな。まあ最後の1試合くらい大目に見てやるよ」
兄・真吾が言う。
「本当はお客さんの前で、こんなあからさまなことしちゃいけないんだけどな」
キャプテン・利根が言う。
「おまえの『バロンドールへの階段の第一歩』をチーム一丸で見届けてやろう、と」
大吾のサブ、八谷が言った。
「チームメート ゼンインヲ コノ シーズンデ ミトメサセタッテコトサ」
チームの司令塔、ロドリゴ・器楽堂までもが大吾に味方する。
「大吾。第6感、いや第7感でラファエウを全身で感じろ! おまえのプロ・ファースト・シーズンはこの最終節のためにあったと言っても過言じゃあない。今回は、彼の一挙手一投足をフィールドで感じるんだ。観客席から見たラファエウ、そしてピッチ上で感じたラファエウ。彼を模倣してコピーして、拡大再生産としてラファエウ2世、そしてオリジナルのダイゴ・ムコウジマ1世になるんだ!」
「はい!」
父の言葉に、大吾はこれ以上ない大音声をもって応じる。
スタジアムへと続く、選手入場口。今日はそれがやけに長く感じる。
大吾はラファエウ・サリーナスを凝視する。身長はほぼ変わらない。体重も大吾とそれほど変わらないだろう。だが頭脳にあるビジョン、足元にある技術が大吾と桁違いに違う。
元ロイヤル・マドリー兼スペイン代表の10番。手にしていないタイトルはない。
リーガ・エスパニョーラ
コパ・デル・レイ
チャンピオンズ・リーグ
ユーロ
そして、ワールドカップ
しかし、ただ彼にはバロンドールだけが欠けている。
ラファエウは写真撮影が終わると両手を上にあげてクラップした。
正直、東京のユニフォームは似合っていない。いっそ、ラファエウが来た時に、真っ白のエル・ブランコにユニフォームを一新するべきだったのだ。他人事だが、真剣にそこまで大吾は思ってしまう。
コイントス。
主審によってコインが上に跳ねられ、重力に伴い地面に落ちてくる。地面に落ちたコインを拾った主審が、東京のキャプテン・ラファエウに『どうする?』と尋ねている。どうやらいつもコイントスで勝っている利根も、ラファエウの強運に負けたらしい。
ラファエウが『Bola』と言うのが大吾に聴こえてきた。利根はピッチの変更を申し出て、主審が笛を鳴らし、前半に所属するフィールドを交代するように選手全員に指示をする。
大吾は歩きながらもラファエウに注目し続けた。
――この日のために、この1シーズンは、18年間は、あったんだ
大吾はかがんで芝をちぎり、風に流す。最初からゾーンに入るための儀式だ。
東京のキックオフでゲームは開始する。
元ロイヤル・マドリーそして元スペイン代表のFWサンティが、セルビア出身の元ドイツ代表FWドラガンにボールを渡し、そしてラファエウへとボールが廻る。
そこへ立ちはだかるのは、ミッドフィルダーのポジションを完全に放棄した向島大吾。
20XX年12月7日午後3時。
向島大吾は本当の世界を知ることになる。
※※※※※
――この一年間で得た貯金を吐き出すときが来た
もしかすると、兄の言う通り18年すべてを吐き出すときなのかもしれない。
大吾の血潮が沸騰し、滾り、全身を光速で駆け巡る。
右掌をラファエウ・サリーナスの背中に置いた。
マークするときの一種の手法だ。
手のひらの感覚によって、相手がどう動くのかを事前に察知するやり方だ。
そうされると、ラファエウは少し微笑んだかのように見えた。
余裕なのだろうか。それともフッチボーを純粋に楽しんでいるだけ?
ラファエウにボールが向かって来る。
当然、大吾はカットしに行く。
いつの間にか手の平ははたかれ、ブラジル人フットボーラー特有の柔らかさ、テクニックでラファエウはボールキープしていた。
――1on1!
勢いだつ大吾に対して、ラファエウはすぐに横パスを出した。
「ヒャク・ナナジュウ・ゴジュウ、ダヨ」
そう言って、大吾の尻をポンと叩く。
それくらい、今どき小学生でも知っている。
フィールドを三分割し、
100%パスを通さなければならない場所
70%で良い場所
50%の確率で勝負に行く場所
という意味だ。
ラファエウが、そんな基礎中の基礎を自分に投げかけてくるとは、大吾は意外だった。
基本ができているからこその言葉なのだろうか。
前半10分。
岡山の左ウイング、柳沢がボールを持った。
東京の右サイドバックと対峙し、ボールの出しどころがないところを大吾がフォローにまわる。
大吾がボールを持つ。
足の裏で、グリグリとボールキープし、柳沢がフリーになるのを待っていた。
そこを、すかさずラファエウがチェックに来た。
大吾は事前に首を振り、他のパスコースを探してもいたはずだった。だが、ラファエウの他に、ふたりも同時にプレスにやって来る。
――3人も俺にプレスに来るなんて、味方がドフリーになっているだけじゃないか!
大吾のその思惑は外れた。
3人とも、大吾がパスしようとする相手を背に向けて、パスコースを完全に切りながらチェックに来ているのだ。柳沢へのパスコースもすでに塞がれていた。
一瞬、躊躇した大吾はつま先でボールを浮かし、ひとりかわした。
しかし、ふたりめに身体を当てられ、バランスを崩したところを、ラファエウに浮き球にしたボールをそのまま空中で掻っ攫われてしまった。
それと同時に、東京の攻撃のスイッチが入る。
ラファエウのドリブルは加速を増し、パス成功率が50%で良いファイナル・サードまで進出した。
――ここで決められては、この試合を犠牲にしてくれたチームメートに申し訳が立たない!
東京の優勝は決まっている。
岡山も残留が決定している。
消化試合だ。だからこそ、この試合は大吾のものとなったはずだ。
バランスを立て直した大吾がラファエウに追いついたのは、ペナルティエリア前だった。
大吾は、体をラファエウに当ててチャージする。
しかし、ラファエウはそれを事前に予測していたかのように、大吾を腕で抑えながら、大吾と同じくらい小柄な体をチャージの勢いで、独楽のように反転させる。
そして振り向きざまに、上空から俯瞰したかのように、そこしかない場所へと、左足で元ドイツ代表・ドラガンへとピンポイント・ラスト・パスを送る。
ドラガンは左足を振り抜き強烈なシュートを放つ!
岡山のゴールキーパー・稲津は横っ飛びを繰り出し、辛うじてゴールマウスの外へとはじき出した。
――グエン・バン・ヒューがゴム鞠なら、ラファエウ・サリーナスは蒟蒻でできた柳だな……
大吾はフィールドと一体化した風である。
しかし、ラファエウはその風を受け流す柳。たたっ斬ろうにも、蒟蒻で出来ているため刃物は通用しない。
――そういえばルパン三世の十三代目・石川五ェ門の斬鉄剣も蒟蒻が切れないんだっけ
大吾は、試合開始10分でかいた額の汗を、右手の甲で拭いながらそう思った。
「目標とは、かくあるべき」
訳もなくニヤニヤが止まらない。止めようもない。
自分が相対しているのは進化した自分、将来有るべき姿の自分なのだ。自分はこうでありたいと傲慢に思わせる存在、自分がこうなりたいと賢しげに語らせる存在。
それがラファエウ・サリーナス。
大吾のふたつの瞳は、たったひとりを視界に捉える。
東京の右サイドからのコーナーキック。蹴るのはもちろん東京で一番キック精度の高いラファエウ。
マイナスに蹴られたボールは直線的な軌道を描き、元スペイン代表・サンティの頭へと一直線に向かう。東京が誇るワールドクラス・トリオのサンティがこれを見逃すはずもなく、ヘディングでネットを揺らした。
0-1!
東京が、ラファエウ-サンティの、元ロイヤル・マドリー兼スペイン代表ホットラインで1点を先制!
岡山の大観衆も、この二人ならしょうがないと、ため息とともに拍手を送る。
大吾は今、初めてプロの舞台で自分の上位互換と対戦している。
意識しなくても、思わず笑みがこぼれずにはいられない。笑みを絶えることを、辞めさせられない。自分の感情を自分でコントロールできない。
――老境を迎えつつあるこの人を越えなければ、日本から去ることはできないかも……
大吾の融点を彷徨っていた闘争心に火が付き、沸点まで燃え上がったそれは蒸発を開始し、汗とともにスタジアム中を漂い始めた。
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