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012・コーヒーブレンド
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サッカー雑誌、ウィークリー・フットボール社の雨宮凛は、岡山駅のキオスクでペットボトルのアイスコーヒーを買った。
「前に来たときはホットだったな」
移ろいゆく季節を、無機質なペットボトルの温度で感じる。
風情があるのか、まったくないのか。たぶん後者だろう、と凛は思いつつ、それを右手に持つ。
駅を出ると、暑い日差しが、彼女を覆い尽くす。
こんな良い天気の日に外を歩かないなんてもったいない、と彼女の豊潤な理性が心に訴えかけてくる。
これは風情なんだろうな、と彼女は心の奥底から感じた。
コンクリートジャングルで産まれる熱風と、この片田舎とでは暑さに違いがあるのを感じる。
土の香りとでも言うのだろうか。
彼女の地元も似たようなものであった。雨が降りそうになると、その匂いを感じることがある。東京出身者はそれがわからないという者も多い。
いつからだろう。田舎者と馬鹿にされないために、雨の匂いを感覚から意識的に消すようになったのは。
そして、明確に今意識しているのは岡山の38番。
『仕事以外で興味を持つ稀有な選手』
それが168cmの17歳だった。
173cmの自分よりも背が低い。だが、スーパーサブとして途中出場してからは、気付けば一挙手一投足を追っている。
移動式砲台
彼がネットで付けられたあだ名であった。
試合の残り30分頃に登場し、ボックス・トゥ・ボックスのミッドフィルダーとしてフィールドを駆け巡る。ひとたびボールを持てば、そこから両足で高精度のキラー・ロングパスを前線に放り込む。ピッチのあらゆるところからイングランドの貴公子、デイビッド・ベッカムのロングボールが飛んでくるのだ。フリーで持たせると、わざわざプレースキックをそこから蹴らせるようなものだ。
世界的に見てもまれなプレースタイル。まるで日本の戦国時代の騎馬鉄砲隊を連想させる。
(だから、追いがいもある)
一分も経たずに汗をかくコーヒーが、季節の移ろいを再び彼女に実感させる。
彼がデビューして二ヶ月がたった。
Jリーグを中心としてみる国内専は『向島大吾を代表に呼ぶべきだ』という。
海外サッカーを中心としてみる海外専は『あのフィジカルじゃ、ボールを受ける前に潰される』という。
代表を中心としてみる代表専は『一度試してほしいけど、今の監督じゃ扱いきれないだろう』という。
どれもが正しいと凛は思う。
だいたい今の日本代表は、海外に出ないと監督が食指を伸ばさない。日本代表を強化するためにJリーグは作られたはずだったが、今では海外の草刈り場だ。
Jリーグで経験を積んで海外に行って、代表に持ち帰る。良い循環であるとも言える。残念なのは、海外で大きな経験を積んだ選手がJリーグに経験を持ち帰ることを拒否しているかのようなことだ。
『現役生活を海外で終えたい』
気持ちはわかるつもりだ。だが移籍金ゼロの、ほぼフリー移籍で海外に出て行った選手が、その経験値すら持ち帰らないのは不義理のような気もする。
不意に、雨の匂いを感じた。
今、それを感じるということは、生を充分感じているということかな? などとロマンチックに思っていると、今度は雲が彼女の上空を包み込み、突然のスコールに見舞われそうになっていた。
慌てて、路上に向かって手を挙げる。
凛はタクシーを捕まえた。
自動で開かれるドアに、女性としては長身なその身体を屈めて椅子に身をゆだねる。移動時間も思考の場だ。インタビューで何を聴くか、まとめたメモを見やり考えを纏める。
「コーヒー、飲んでいいですか」
運転手に尋ねる。
いいですよ。と返答をもらった彼女はキャップを開けた。口に滲む、ほどよい苦さが思考をより走らせる。
車のワイパーが動き出した。本格的に雨が降って来たのだ。
それがまたあの38番を思い出させる。
38番は、パワーがない割に、ピッチの状況が悪い時ほど活躍しているように思えるからだ。
(日本のF1ドライバーで、昔そういう人いたな……)
頭の中で、そのドライバーの名前を思い出したとき、車は目的地にたどり着いた。
岡山のクラブハウス。
雨宮凛による、二回目の向島大吾独占インタビューが始まろうとしていた。
※※※※※
――今日も表情、硬いですね。
「そうですね……」
――移動砲台、そう言われてるけど、どう思いますか?
「的確、だと思います」
――今日は読者からの『訊きたいこと』を持って来たんだけど、大丈夫ですか?
「大丈夫です」
――じゃあ早速。『試合前にやるルーティーンを教えてください』
「爆音でロックを聴く、かな。テンションを上げて、試合に入り込めるようにする」
――『尊敬する選手は?』
「ラファエウ・サリーナス」
――『代表に呼ばれたい?』
「呼ばれたら、行きたい」
――『海外で好きなチームは?』
「ロイヤル・マドリー」
――『プライベートで仲が良いのは?』
「八谷さん。奥さんに、料理を振舞ってもらったことがあります』
――ここまで。ここからは私から。あなたは未来の日本を背負う人だと私は思うようになって来ました。その期待に応えられるでしょうか?
「今を、懸命に、生き抜く。国を背負うとか、そういうのは別にして。そうやっていったら、期待に応えられるかどうかわからないけど、自分の納得できる人生を送れるんじゃないか、そう思います」
――他人の期待より、自分ですか?
「努力して昨日の自分に打ち勝てれば自ずと、他人の期待にも応えていけるんじゃないでしょうか」
――以前、言っていたバロンドールは?
「サッカーやってる人ならみんな憧れる。でも、届かない。毎日、一段ずつ増えていく階段があるとする。毎日登っていく。登山に終わりがあるように、頂点はそこ。戸惑ってはいません」
――現実が見えてきたということでしょうか?
「日本のサッカーって漫画を越えてる。フィクションの世界を現実が越えてる。その現実ってのがよくわからない」
――9試合で281分。5得点・4アシスト。悪くないです。
「フルで使ってもらえるスタミナがないから……」
――ユース時代はフル出場していたんでしょう?
「アマチュアとプロとじゃ消耗度が違う。たとえ時間稼ぎのアディショナルタイムに出てくる選手だってかなり消耗しているはず」
――これからのプロ生活に期待することは?
「タイトルが欲しい。チームも個人も」
※※※※※
インタビューが終わると、彼女はレコーダーのスイッチを切ってから、大吾に握手を求める。そして悪戯っぽい表情を浮かべながら、まるでファンのように自分の手帳を取り出した。
「初期のサインって貴重だから」
自分のサインペンを彼に渡し、少しばかり頭を下げる。そして出来たものに、顔を曇らせた。
「サインというか……署名ね……」
まあ漢字のサインも需要があるかもね、と言いつつポケットにそれを忍ばせる。
「雨宮さんは、なんでサッカー記者になったんですか?」
「私トリノの大学出身でね。イタリアの友人が熱狂的なサッカーファンだったから、連れられて、ね」
「へえ」
興味深そうに大吾は彼女を眺めた。
「ま、人生の分かれ目ってそんなもんよ」
インタビューでの口調とは異なり、ややフランクで年上らしくお姉さんぶって笑う彼女に、大吾は釣られて笑みを返す。
愛想笑いのつもりだったが、もしかしたら本心から出た笑みだったかもしれない。自分でもよくわからない。
とりあえず、彼女は悪い人ではなさそうだ。
確信に近い断言を、心の内で行う。
――今度会うときがあれば、イタリアのことでも聴こうかな
自分のインタビューは、次も彼女が必ずするだろう。
なぜだか、これもよくわからないが確信に近いものがあった。
長い付き合いになるかもしれない。もしかすると現役を引退するまで。
それは魂が役割を終えて、人生が終わるとき。
あと、20年だけの付き合い。
――サッカーを心から愛している人なら、まあ、大丈夫だろう
さっきの笑いは、やっぱり心から出たものかもしれない。
根拠もなく男はそう思い、次回のインタビューはコーヒーでも飲んでリラックスしながらが良いな、などと考えたのだった。
「前に来たときはホットだったな」
移ろいゆく季節を、無機質なペットボトルの温度で感じる。
風情があるのか、まったくないのか。たぶん後者だろう、と凛は思いつつ、それを右手に持つ。
駅を出ると、暑い日差しが、彼女を覆い尽くす。
こんな良い天気の日に外を歩かないなんてもったいない、と彼女の豊潤な理性が心に訴えかけてくる。
これは風情なんだろうな、と彼女は心の奥底から感じた。
コンクリートジャングルで産まれる熱風と、この片田舎とでは暑さに違いがあるのを感じる。
土の香りとでも言うのだろうか。
彼女の地元も似たようなものであった。雨が降りそうになると、その匂いを感じることがある。東京出身者はそれがわからないという者も多い。
いつからだろう。田舎者と馬鹿にされないために、雨の匂いを感覚から意識的に消すようになったのは。
そして、明確に今意識しているのは岡山の38番。
『仕事以外で興味を持つ稀有な選手』
それが168cmの17歳だった。
173cmの自分よりも背が低い。だが、スーパーサブとして途中出場してからは、気付けば一挙手一投足を追っている。
移動式砲台
彼がネットで付けられたあだ名であった。
試合の残り30分頃に登場し、ボックス・トゥ・ボックスのミッドフィルダーとしてフィールドを駆け巡る。ひとたびボールを持てば、そこから両足で高精度のキラー・ロングパスを前線に放り込む。ピッチのあらゆるところからイングランドの貴公子、デイビッド・ベッカムのロングボールが飛んでくるのだ。フリーで持たせると、わざわざプレースキックをそこから蹴らせるようなものだ。
世界的に見てもまれなプレースタイル。まるで日本の戦国時代の騎馬鉄砲隊を連想させる。
(だから、追いがいもある)
一分も経たずに汗をかくコーヒーが、季節の移ろいを再び彼女に実感させる。
彼がデビューして二ヶ月がたった。
Jリーグを中心としてみる国内専は『向島大吾を代表に呼ぶべきだ』という。
海外サッカーを中心としてみる海外専は『あのフィジカルじゃ、ボールを受ける前に潰される』という。
代表を中心としてみる代表専は『一度試してほしいけど、今の監督じゃ扱いきれないだろう』という。
どれもが正しいと凛は思う。
だいたい今の日本代表は、海外に出ないと監督が食指を伸ばさない。日本代表を強化するためにJリーグは作られたはずだったが、今では海外の草刈り場だ。
Jリーグで経験を積んで海外に行って、代表に持ち帰る。良い循環であるとも言える。残念なのは、海外で大きな経験を積んだ選手がJリーグに経験を持ち帰ることを拒否しているかのようなことだ。
『現役生活を海外で終えたい』
気持ちはわかるつもりだ。だが移籍金ゼロの、ほぼフリー移籍で海外に出て行った選手が、その経験値すら持ち帰らないのは不義理のような気もする。
不意に、雨の匂いを感じた。
今、それを感じるということは、生を充分感じているということかな? などとロマンチックに思っていると、今度は雲が彼女の上空を包み込み、突然のスコールに見舞われそうになっていた。
慌てて、路上に向かって手を挙げる。
凛はタクシーを捕まえた。
自動で開かれるドアに、女性としては長身なその身体を屈めて椅子に身をゆだねる。移動時間も思考の場だ。インタビューで何を聴くか、まとめたメモを見やり考えを纏める。
「コーヒー、飲んでいいですか」
運転手に尋ねる。
いいですよ。と返答をもらった彼女はキャップを開けた。口に滲む、ほどよい苦さが思考をより走らせる。
車のワイパーが動き出した。本格的に雨が降って来たのだ。
それがまたあの38番を思い出させる。
38番は、パワーがない割に、ピッチの状況が悪い時ほど活躍しているように思えるからだ。
(日本のF1ドライバーで、昔そういう人いたな……)
頭の中で、そのドライバーの名前を思い出したとき、車は目的地にたどり着いた。
岡山のクラブハウス。
雨宮凛による、二回目の向島大吾独占インタビューが始まろうとしていた。
※※※※※
――今日も表情、硬いですね。
「そうですね……」
――移動砲台、そう言われてるけど、どう思いますか?
「的確、だと思います」
――今日は読者からの『訊きたいこと』を持って来たんだけど、大丈夫ですか?
「大丈夫です」
――じゃあ早速。『試合前にやるルーティーンを教えてください』
「爆音でロックを聴く、かな。テンションを上げて、試合に入り込めるようにする」
――『尊敬する選手は?』
「ラファエウ・サリーナス」
――『代表に呼ばれたい?』
「呼ばれたら、行きたい」
――『海外で好きなチームは?』
「ロイヤル・マドリー」
――『プライベートで仲が良いのは?』
「八谷さん。奥さんに、料理を振舞ってもらったことがあります』
――ここまで。ここからは私から。あなたは未来の日本を背負う人だと私は思うようになって来ました。その期待に応えられるでしょうか?
「今を、懸命に、生き抜く。国を背負うとか、そういうのは別にして。そうやっていったら、期待に応えられるかどうかわからないけど、自分の納得できる人生を送れるんじゃないか、そう思います」
――他人の期待より、自分ですか?
「努力して昨日の自分に打ち勝てれば自ずと、他人の期待にも応えていけるんじゃないでしょうか」
――以前、言っていたバロンドールは?
「サッカーやってる人ならみんな憧れる。でも、届かない。毎日、一段ずつ増えていく階段があるとする。毎日登っていく。登山に終わりがあるように、頂点はそこ。戸惑ってはいません」
――現実が見えてきたということでしょうか?
「日本のサッカーって漫画を越えてる。フィクションの世界を現実が越えてる。その現実ってのがよくわからない」
――9試合で281分。5得点・4アシスト。悪くないです。
「フルで使ってもらえるスタミナがないから……」
――ユース時代はフル出場していたんでしょう?
「アマチュアとプロとじゃ消耗度が違う。たとえ時間稼ぎのアディショナルタイムに出てくる選手だってかなり消耗しているはず」
――これからのプロ生活に期待することは?
「タイトルが欲しい。チームも個人も」
※※※※※
インタビューが終わると、彼女はレコーダーのスイッチを切ってから、大吾に握手を求める。そして悪戯っぽい表情を浮かべながら、まるでファンのように自分の手帳を取り出した。
「初期のサインって貴重だから」
自分のサインペンを彼に渡し、少しばかり頭を下げる。そして出来たものに、顔を曇らせた。
「サインというか……署名ね……」
まあ漢字のサインも需要があるかもね、と言いつつポケットにそれを忍ばせる。
「雨宮さんは、なんでサッカー記者になったんですか?」
「私トリノの大学出身でね。イタリアの友人が熱狂的なサッカーファンだったから、連れられて、ね」
「へえ」
興味深そうに大吾は彼女を眺めた。
「ま、人生の分かれ目ってそんなもんよ」
インタビューでの口調とは異なり、ややフランクで年上らしくお姉さんぶって笑う彼女に、大吾は釣られて笑みを返す。
愛想笑いのつもりだったが、もしかしたら本心から出た笑みだったかもしれない。自分でもよくわからない。
とりあえず、彼女は悪い人ではなさそうだ。
確信に近い断言を、心の内で行う。
――今度会うときがあれば、イタリアのことでも聴こうかな
自分のインタビューは、次も彼女が必ずするだろう。
なぜだか、これもよくわからないが確信に近いものがあった。
長い付き合いになるかもしれない。もしかすると現役を引退するまで。
それは魂が役割を終えて、人生が終わるとき。
あと、20年だけの付き合い。
――サッカーを心から愛している人なら、まあ、大丈夫だろう
さっきの笑いは、やっぱり心から出たものかもしれない。
根拠もなく男はそう思い、次回のインタビューはコーヒーでも飲んでリラックスしながらが良いな、などと考えたのだった。
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