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9.再会
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翌朝一番にダニエルへ国際電話を入れた。長時間の飛行をかなり心配してくれたらしく、ほっとした声が響く。クリスマスシーズンは大事な稼ぎ時だ。年明けまでスケジュールがいっぱいいっぱいで、全く動けない。ニューイヤーのギャラが入ったら、必ず沖縄へ飛ぶから。待っててくれ。
“I love you.”
(愛しているよ)
と互いにつぶやいて、キスの音をさせて電話を切った。
あたしは年を越しても祖父母の家にいた。つわりで起き上がるのがしんどかったこともあるが、父の怒りがなかなか収まらなかったからだ。
母は毎日、来てくれた。
「お母さんはつわりのとき、よくタンカン食べてたよ」
と箱いっぱいタンカンを買ってきて、あたしの側で皮を剥いた。確かに、悪くなかった。一日三個は食べていた気がする。
でもどちらかというと、あたしの好みはブルーシールのチョコアイスクリームだった。兄が勤めの帰りにパイントで買ってきてくれるのだ。あたしがペロリと平らげると、
「さすが、黒人の子供がおなかに入っているだけあるなー」
と、半ばあきれた声がした。あたしは舌を出しておどけた。
そして、とうとう、ダニエルが沖縄へやってきた。
アメリカの免許証しか持ってないあたしに代わって、兄が朝から年休を取って空港へ迎えに行った。幼い頃はよく喧嘩もしたし、あたしのほうが口達者で英語も得意だったのに、ダニエルとジョークを交わしながら戻ってきた兄を目の当たりにして過ぎた年月の長さを思い知った。
祖父母はにこやかにダニエルをもてなした。彼は最初、二メートルちかくある体を小さく小さくして、じっとおとなしくしていたが、祖母がジューシーメーのおにぎりを差し出すと、大きな口を開けて一気に飲み込んでしまった。周囲から失笑が漏れた。
プロローン、プロロローンと電話が鳴る。母からだ。ダニエルが着いたかどうか確認したかったらしい。そして、電話口で済まなさそうにこう告げた。
「お父さん、まだ怒っているのよ。本当は一緒につれて行って会わせたいんだけどね」
突然、兄があたしから受話器をひったくった。
「母さん、親父に替わって。話がある」
「壮宏か? 何やが? 我ねー、絶対、行逢らんくとぅよー」
受話器から懐かしい父の声がする。兄は受話器に向かって冷静に言った。
「せっかく地球の裏側からお客様が来たんだ。会ってやってよ。家族になるんだよ」
「其ぬ様な者ぉー、家族んかいさる覚えー無らん!」
「父さん、会いもしないで一体何が分かるの? 父さんは医者だろ? 医者は患者さんを選んだりする? わざわざこちらに尋ねてきても、顔色も見ないで帰すの? それが医者のやること?」
長い沈黙が走る。周りがしんとなった。が、やがて父はこう切り出した。
「分かたん。今から多恵子と一緒、向かいさ。やしが、やしがよ、覚とーきよー。合点ならん時ねー、とっとと家ぬ門からすびち出すくとぅよ!」
強い口調を残して、電話が切れた。
「……ごめん、おにいちゃん」
あたしは思わず兄に頭を下げた。
「いいよ。きょうだいなんだから」
兄は受話器を置きながら、ぶっきらぼうにそう答えを返した。
約三十分後、父と母が到着した。
久々に父の姿を見て、あたしはあっと小さな声をあげてしまった。大柄な後ろ姿は変わらなかったものの、金色だった髪は藁色に変化し、目のきわや顎のあたりには細かい皺が刻み込まれていた。左頬にある大きな赤あざも、幼い頃記憶していた鮮やかさはすでになかった。
松葉杖を器用にトントン使いながら、父はあたしの側に寄った。
「勉強んさんぐとぅ、尻切らーっし、帰てぃちょーたるばすい?」
銀縁の眼鏡の奥から発せられる、いつになく鋭い眼光に、あたしは顔を伏せた。父はあたりを見回している。
「あんっし、何処んかい居参んせーが? お客様んでぃいる人や?」
ダニエルは居間の片隅で大きな体を再び小さくしていたが、立ち上がって父の右側へおずおずやってきた。あたしは二人の間に立った。
「ダニエルっていうの。えーっと、ダニエル」
オズボーン、という姓を続けようとした。が、父がいち早く言葉を発した。
“Daniel? Are you Daniel Booth?”
(ダニエル? ダニエル=ブース?)
「いや、違うよ。ダニエル=オズボーン」
言いかけたあたしを、ダニエルが両手で制した。
“I haven't gone by that name in years. How come you know that name?”
(もう長らくその名前ではないのですが、どこからその名を?)
え? どういうこと?
全員の目が二人に注がれる中、父の顔が正面からダニエルを捉えた。左頬に広がる大きな赤あざを見て、ダニエルがあっと声を上げた。
“……Doctor!”
(……先生!)
「ダニエル? ダニエルどぅやるい?」
急に二人は抱き合い、やがて父が彼の肩を叩いてつぶやいた。
「はっさ! 汝や、うっぴなーん躰大くなてぃ……」
そして、ダニエルを見上げて言った。
“You become such a nice fellow!”
(見違えたよ!)
台所に居た母が素っ頓狂な声とともに飛び込んできて、これまたダニエルに抱きついて、叫んだ。
「ダニエル? あんたが、あのダニエルなの? いっぱい探したよ! 今までどこ行ってたの?」
あたしたちが戸惑う中、三人は抱き合って涙を流している。 (10.へつづく)
“I love you.”
(愛しているよ)
と互いにつぶやいて、キスの音をさせて電話を切った。
あたしは年を越しても祖父母の家にいた。つわりで起き上がるのがしんどかったこともあるが、父の怒りがなかなか収まらなかったからだ。
母は毎日、来てくれた。
「お母さんはつわりのとき、よくタンカン食べてたよ」
と箱いっぱいタンカンを買ってきて、あたしの側で皮を剥いた。確かに、悪くなかった。一日三個は食べていた気がする。
でもどちらかというと、あたしの好みはブルーシールのチョコアイスクリームだった。兄が勤めの帰りにパイントで買ってきてくれるのだ。あたしがペロリと平らげると、
「さすが、黒人の子供がおなかに入っているだけあるなー」
と、半ばあきれた声がした。あたしは舌を出しておどけた。
そして、とうとう、ダニエルが沖縄へやってきた。
アメリカの免許証しか持ってないあたしに代わって、兄が朝から年休を取って空港へ迎えに行った。幼い頃はよく喧嘩もしたし、あたしのほうが口達者で英語も得意だったのに、ダニエルとジョークを交わしながら戻ってきた兄を目の当たりにして過ぎた年月の長さを思い知った。
祖父母はにこやかにダニエルをもてなした。彼は最初、二メートルちかくある体を小さく小さくして、じっとおとなしくしていたが、祖母がジューシーメーのおにぎりを差し出すと、大きな口を開けて一気に飲み込んでしまった。周囲から失笑が漏れた。
プロローン、プロロローンと電話が鳴る。母からだ。ダニエルが着いたかどうか確認したかったらしい。そして、電話口で済まなさそうにこう告げた。
「お父さん、まだ怒っているのよ。本当は一緒につれて行って会わせたいんだけどね」
突然、兄があたしから受話器をひったくった。
「母さん、親父に替わって。話がある」
「壮宏か? 何やが? 我ねー、絶対、行逢らんくとぅよー」
受話器から懐かしい父の声がする。兄は受話器に向かって冷静に言った。
「せっかく地球の裏側からお客様が来たんだ。会ってやってよ。家族になるんだよ」
「其ぬ様な者ぉー、家族んかいさる覚えー無らん!」
「父さん、会いもしないで一体何が分かるの? 父さんは医者だろ? 医者は患者さんを選んだりする? わざわざこちらに尋ねてきても、顔色も見ないで帰すの? それが医者のやること?」
長い沈黙が走る。周りがしんとなった。が、やがて父はこう切り出した。
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強い口調を残して、電話が切れた。
「……ごめん、おにいちゃん」
あたしは思わず兄に頭を下げた。
「いいよ。きょうだいなんだから」
兄は受話器を置きながら、ぶっきらぼうにそう答えを返した。
約三十分後、父と母が到着した。
久々に父の姿を見て、あたしはあっと小さな声をあげてしまった。大柄な後ろ姿は変わらなかったものの、金色だった髪は藁色に変化し、目のきわや顎のあたりには細かい皺が刻み込まれていた。左頬にある大きな赤あざも、幼い頃記憶していた鮮やかさはすでになかった。
松葉杖を器用にトントン使いながら、父はあたしの側に寄った。
「勉強んさんぐとぅ、尻切らーっし、帰てぃちょーたるばすい?」
銀縁の眼鏡の奥から発せられる、いつになく鋭い眼光に、あたしは顔を伏せた。父はあたりを見回している。
「あんっし、何処んかい居参んせーが? お客様んでぃいる人や?」
ダニエルは居間の片隅で大きな体を再び小さくしていたが、立ち上がって父の右側へおずおずやってきた。あたしは二人の間に立った。
「ダニエルっていうの。えーっと、ダニエル」
オズボーン、という姓を続けようとした。が、父がいち早く言葉を発した。
“Daniel? Are you Daniel Booth?”
(ダニエル? ダニエル=ブース?)
「いや、違うよ。ダニエル=オズボーン」
言いかけたあたしを、ダニエルが両手で制した。
“I haven't gone by that name in years. How come you know that name?”
(もう長らくその名前ではないのですが、どこからその名を?)
え? どういうこと?
全員の目が二人に注がれる中、父の顔が正面からダニエルを捉えた。左頬に広がる大きな赤あざを見て、ダニエルがあっと声を上げた。
“……Doctor!”
(……先生!)
「ダニエル? ダニエルどぅやるい?」
急に二人は抱き合い、やがて父が彼の肩を叩いてつぶやいた。
「はっさ! 汝や、うっぴなーん躰大くなてぃ……」
そして、ダニエルを見上げて言った。
“You become such a nice fellow!”
(見違えたよ!)
台所に居た母が素っ頓狂な声とともに飛び込んできて、これまたダニエルに抱きついて、叫んだ。
「ダニエル? あんたが、あのダニエルなの? いっぱい探したよ! 今までどこ行ってたの?」
あたしたちが戸惑う中、三人は抱き合って涙を流している。 (10.へつづく)
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