マルディグラの朝

くるみあるく

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3.おともだち

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それから毎日、ダウンタウンにある中央図書館へ通った。
この地で患者さんとのコミュニケーションを円滑に図るには、アメリカの歴史と文化に精通する必要がある。あたしは外国人留学生向けに書かれた入門書を、むさぼるように読み漁った。
たまにだけど、医学部にある図書館へも足を運んだ。メディカル誌や医学事典を手にとってぱらぱらめくり、医学部に進学した未来の自分へ思いを馳せた。

ある夕刻。医学部の図書館を出ると、

“Hi!”
(やあ)

と呼びかけられた。正面にある掲示板の側から長い人影が伸びている。見上げると、モップを抱いた大柄の黒人が微笑みながら立っていた。いつぞやプリントを拾ってくれたあの男性だ。
ああ、と言葉にならない返事をしながら男性の顔を眺めているうちに、だんだん首が痛くなってきた。筋を伸ばしすぎたのだ。首を撫でながら顔をしかめると、男はくすくす笑いながら、あたしをお茶に誘った。

学内のコーヒーショップで、あたしたちは向かい合って座った。あたしは東風平こちんだ 理那りな、男性はダニエル=オズボーンと名乗った。

“I'm from Baton Rouge.”
(バトンルージュから来たんだ)

と聞いて、あたしはびっくりした。バトンルージュ市はルイジアナ州の首都。ここロサンゼルスから車を飛ばしても丸二日は掛かるところだ。ありがたくないことに日本では、当時高校生だった留学生がハロウィンの日に誤って銃で打たれた街としてその名が知れわっている。
ダニエルは半年ほど前から、毎週土日は近くのバーでトランペットを吹いているらしい。
ニューオーリンズの街がハリケーンでめちゃくちゃにされたから、トランペットを吹ける場所がめっきり減ってね。知り合いを頼ってロサンゼルスへ来たのさ。しばらく吹いてなかったから、稽古する時間をきちんと取りたくてね。時間の融通が利くパートタイムの仕事を選ぼうと思ってさ。ここで掃除夫を募集していると聞いて、飛びついたのさ。もっといい給料のところを見つけたら、そっちに移るけど。
そういった後で、ダニエルはあたしを見て、言った。君は医学生かい? それにしてはずいぶん若く見えるね?
ひどいなあ。あたしは頬を膨らませた。背が低いというのは損な事ばかりだ。そうでなくとも、ここアメリカでは日本人は概して若く見られてしまうのに。

“No, but I'll be a surgeon.”
(ちがうわよ、でも私、外科医になるの)

胸を張ってそう言うと、ダニエルはプッと吹き出し、続けた。
コチンダって、インパクトのある響きだね。君は中国人? こう見えても僕は小さい頃、LAのチャイナタウンに住んでいたことがあるんだ。北京語も少しなら話せるよ?
あたしは必死で否定した。違うよ、沖縄だよ。日本の南にある島だよ。東風平こちんだのコチは日本の古語でeast windって意味。ンダは漢字で「平」って書くけど、planeじゃなくてslopeだよ。昔の日本では、坂のことを「よもつひらさか」と言ってたの。その「ひら」が沖縄で音韻変化を起こして「ンダ」になったわけ。だから「東風平」は、れっきとした日本語なんだよ!

あたしが説明している先から、ダニエルはおなかを押さえて笑い転げている。ねえ、そんなに、おかしい?

それからというもの、あたしたちはCafe Friendsになった。ただの喫茶友達だ。仕方がない。二十一歳未満だったあたしは、お酒もタバコも禁止されている。
そうでなくとも、セックスアピールなど絶無といってよい、一五五センチしかない東洋人のおちびちゃん tiny tot と本気で付き合う気など、ダニエルにはさらさらなかっただろう。だって、彼はあたしより八つも年上なのだ。それに、ダニエルの年齢と背丈は、あたしが描く理想のストライクゾーンからかなり外れていた。想像してみてよ。首が痛くなる相手と見つめあいたいって、思うわけないじゃん?
そんな感じだから、いつも安いTシャツにジーンズ姿で会っていた。たまに、ダニエルが仕事を終えた後に演奏するトランペットを大学の芝生で寝転がりながら聴いたり、休日に二人で美術館や映画へ行ったりした。どちらかといえば二人とも甘ったるい恋愛映画が嫌いで、シリアスなヒューマンドラマだとか、SFものを良く観に行ったものだ。あたしはポップコーンを一人でぽりぽり平らげ、その隣でダニエルはドクターペッパーを黙ってがぶ飲みするのが常だったっけ。

一度、イタリア系らしき白人の彼氏を連れたトモエと、映画館でばったり遭遇したことがある。トモエはあたしたちを見て驚いた風だったが、こちらに声を掛けることなく、そそくさと別のシートへ腰掛けた。映画が終わった後、あたりをきょろきょろ見回してみたけど、トモエたちの姿はすでになかった。
「ただいま。あれ、トモエ、居たんだ?」
部屋へ戻ると、先にシャワーを使ったのだろう。トモエはドライヤーで髪を乾かしていた。
「うん、映画見ただけやし。理那りな、おまえ、ご飯は済んだんか?」
答える代わりに、あたしはテイクアウトしたフライドチキンとポテトの包みを示した。
「こんなんばっか食ったら太るでー」
トモエは長い髪の毛をざっとまとめると、言葉とは裏腹に包みを開け、フライドポテトを摘んで口に運んでいる。あたしはさっさとバスルームへと向かった。汗を流したかったのだ。
「あのな、理那。ちょっと言いにくいんやけど」
「何?」
服を脱いでいたあたしが大声で聞き返すと、ポテトを片手にトモエが近くまでやってきた。
「あの黒人、どうする気や?」
「どうするって? 別に? ただの友達だもん」
全裸になってシャワーの蛇口をひねる。冷たい水しぶきが、ほてった体にピチャピチャ跳ねる。トモエはシャワーの音に対抗するように、なおもあたしに大声を浴びせかけた。
「おまえな。いくら、空手なろてるからって、あんなでかい野郎に襲われたら抵抗できへんで?」
「ダニエルは大丈夫よ。女よりトランペットだから」
負けずに大声でそう言い返すと、あたしはソープを泡立てて体に滑らせた。トモエは更に何か言いたそうだったが、あきらめたのだろう。首を振ると、バスルームのガラス戸を閉めて退散した。(4.へつづく)
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