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2.夏休み初日の光景
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☆
あれは、七年前の五月。UCLAの一年生だったあたしは、医学部へ進学するため猛勉強していた。
アメリカでは、まず大学で学部生として四年間在籍してはじめて医学部への進学が認められる。医学生として四年間過ごした後医師免許を取得し、その上さらに三年間の研修医期間を経て、ようやく一人前なのだ。
とにかく医学部へ進学しなくては話にならない。あたしは必死で各教科のレポートを片付け、FINAL EXAM に取り組んだ。できるかぎり全ての教科でAを取る必要があった。
その日は社会学の FINALを受けた帰り道だった。今期最後のEXAMだ。近所の友人宅で行われる夏休み突入持ち寄りパーティーへ向かおうと、足早に階段を駆け下りていた。
急いでいたせいか、手すりにハンドバックが引っ掛かり、その拍子に左腕に抱えていたプリントの束を階段の踊り場いっぱいにぶちまけてしまった。
チッと舌打ちをしながら、あたしはかがみこんだ。と、側から黒い腕がニョキッと現れ、プリントを一枚一枚、丁寧に拾い上げた。
“Hi.”
(やあ)
と挨拶され、あたしも
“Hi”
(どうも)
と返した。
“So many papers! You're so diligent, aren't you? ”
(すごい量だね。君はとても賢いんだろ?)
プリントの束を手に男は立ち上がる。つられて、あたしも立ち上がりプリントを受け取りながら顔の角度を上げた。二メートル近くあるだろうか。その体つきとは対照的な、人懐っこそうな笑顔。語りかける口元には白い歯が光っている。
“Bye!”
(じゃあね!)
という言葉を残し、口笛を吹きながらモップを片手に男は軽い足取りで、さっさと階段を駆け下りていった。
数時間後。Hip Hopを大音量に鳴らして騒ぐ仲間たちを横目に、あたしは暗くなりかけた窓の外をぼんやり眺めていた。すると、隣に誰かやってきて、座った。一緒にpotluck partyに招かれたルームメイトのトモエだ。
「どしたん理那? これ早よ食べやー。売り切れるで」
お手製のたこ焼きが入った容器を片手に、あたしをつつく。
「ぼんやりしちゃって。ははーん、さては、いい男でも見つけたかぁ?」
酔いが回ってきたのだろう。目の焦点が定まらなくなったその顔を見つめるのがつらくて、あたしはたこ焼きに爪楊枝を立てると口へ運びながら再び庭の辺りを見やった。鳩が二、三羽、クークー鳴きながら、石段を昇ったり降りたりしている。
「トモエって恋話ばっかりだよね?」
「そりゃそーよ! せっかくアメリカまで来たんやから。今朝までテスト、テストやったけど、ようやく夏休みやねん。わが世の春も少しは謳歌せなんだらなー」
あたしはずっと鳩たちを眺めていたが、決意して立ち上がった。
「……ちょっと用事思いだした。先になるわ」
「何で? 理那、もう帰るん? うちはもう少し踊ってくわ」
トモエの問いかけに答えず、あたしは玄関を後にした。一人になりたかった。喧騒を離れて、落ち着きを取り戻したかった。
緑の芝生を抜け、自分のアパートを目指す。点々と点きはじめた街頭が舗装された道路を照らす。
外科医になるのを決意したあの日の父との会話が、頭によみがえる。
「どうして、お父さんは足が悪いの?」
物心ついたときから父は松葉杖だった。どうして医者なのに、父は自分の足を治せないのだろうか。
松葉杖でなければ、そして顔に大きな赤いあざさえなければ、モデルになれそうなくらいカッコいいのに。沖縄の人にしては一七五センチもあり金髪で色白の父は、どう逆立ちしたって日本人には見えない。あたしたちの曽祖父、つまり父の祖父は白人アメリカ兵だったという噂だ。
「理那が大きくなったら、お医者さんになるから。きっと治してあげるよ。お父さん」
「やさやー。あんしぇー、理那先生んかい手術ぉー頼でぃんーじゅがやー?」
父はそういって、いつもあたしの頭を撫でてくれた。
外科医で、英語も日本語もペラペラで、サンシンをこよなく愛する優しい父があたしは大好きだった。もちろん、今でも。あたしの顔立ちは、どちらかというと父に似ているそうだが、もっともっと同じになりたかった。髪の色も、瞳の色も、なにもかも。そう、左頬のでっかい赤あざだって、
「理那は上等。お母さんやみんなと同ぬ如、髪ん目眉ん黒々とぅそーしどぅ一番やさ」
サンシンを爪弾きながら、父が笑いかける。どうして父がそういうのか、あたしにはわからなかった。金色の髪と白い肌が原因で、父が「いじめ」というより「迫害」にちかい差別を受けていたことを知ったのは、あたしが中学生になってからのことだ。
周囲からアメリカーと罵倒されながらも猛勉強を重ねて日本とアメリカの医師免許を取り、今から二十五年前、なんとかUCLAの付属病院に交換研修生としてもぐりこんだ。ほぼ毎日、救急外来に立った。夢をかなえた父は、ハードだが充実した毎日を送っていたという。
クリスマスイブの朝。夜勤明けの父が車で青信号の交差点を徐行しようとしたその時、麻薬中毒の少年が運転する車が正面から突っ込んできた。父の車は大破し、ブレーキを踏んだ右足に車体が食い込んだ。そして、父の右足首は二度と動かなくなった。
「お父さんみたいな外科医になりたい」
高校生だったあたしが再び父にそう打ち明けたとき、父は真っ先に渡米を薦めてくれた。外科医を目指すなら即戦力を重視するアメリカで、それも、UCLAで学んだほうがいい。日本で就職するのはその後でも決して遅くはない、って。
だけど、通算で十年以上も一人娘が外国暮らしを余儀なくされると知った純沖縄人の母は、あたしがアメリカで医者を目指すことにずっと反対し続けた。
「沖縄にも医学部のある大学はあるし、お兄ちゃんみたいに理学療法士の専門学校へ通ったっていいじゃない?」
沖縄の実家を出るときも、母は怒ってあたしを見送ろうとすらしなかった。
留学を許可してくれたお父さんのためにも、お母さんをうなずかせるくらい、立派な外科医にならなくっちゃ。パーティーなんかで浮かれている暇があったら、もっともっと勉強しないと。
芝生の道を抜けながら、いつしかあたしは小走りになってアパートを目指していた。(3.へつづく)
あれは、七年前の五月。UCLAの一年生だったあたしは、医学部へ進学するため猛勉強していた。
アメリカでは、まず大学で学部生として四年間在籍してはじめて医学部への進学が認められる。医学生として四年間過ごした後医師免許を取得し、その上さらに三年間の研修医期間を経て、ようやく一人前なのだ。
とにかく医学部へ進学しなくては話にならない。あたしは必死で各教科のレポートを片付け、FINAL EXAM に取り組んだ。できるかぎり全ての教科でAを取る必要があった。
その日は社会学の FINALを受けた帰り道だった。今期最後のEXAMだ。近所の友人宅で行われる夏休み突入持ち寄りパーティーへ向かおうと、足早に階段を駆け下りていた。
急いでいたせいか、手すりにハンドバックが引っ掛かり、その拍子に左腕に抱えていたプリントの束を階段の踊り場いっぱいにぶちまけてしまった。
チッと舌打ちをしながら、あたしはかがみこんだ。と、側から黒い腕がニョキッと現れ、プリントを一枚一枚、丁寧に拾い上げた。
“Hi.”
(やあ)
と挨拶され、あたしも
“Hi”
(どうも)
と返した。
“So many papers! You're so diligent, aren't you? ”
(すごい量だね。君はとても賢いんだろ?)
プリントの束を手に男は立ち上がる。つられて、あたしも立ち上がりプリントを受け取りながら顔の角度を上げた。二メートル近くあるだろうか。その体つきとは対照的な、人懐っこそうな笑顔。語りかける口元には白い歯が光っている。
“Bye!”
(じゃあね!)
という言葉を残し、口笛を吹きながらモップを片手に男は軽い足取りで、さっさと階段を駆け下りていった。
数時間後。Hip Hopを大音量に鳴らして騒ぐ仲間たちを横目に、あたしは暗くなりかけた窓の外をぼんやり眺めていた。すると、隣に誰かやってきて、座った。一緒にpotluck partyに招かれたルームメイトのトモエだ。
「どしたん理那? これ早よ食べやー。売り切れるで」
お手製のたこ焼きが入った容器を片手に、あたしをつつく。
「ぼんやりしちゃって。ははーん、さては、いい男でも見つけたかぁ?」
酔いが回ってきたのだろう。目の焦点が定まらなくなったその顔を見つめるのがつらくて、あたしはたこ焼きに爪楊枝を立てると口へ運びながら再び庭の辺りを見やった。鳩が二、三羽、クークー鳴きながら、石段を昇ったり降りたりしている。
「トモエって恋話ばっかりだよね?」
「そりゃそーよ! せっかくアメリカまで来たんやから。今朝までテスト、テストやったけど、ようやく夏休みやねん。わが世の春も少しは謳歌せなんだらなー」
あたしはずっと鳩たちを眺めていたが、決意して立ち上がった。
「……ちょっと用事思いだした。先になるわ」
「何で? 理那、もう帰るん? うちはもう少し踊ってくわ」
トモエの問いかけに答えず、あたしは玄関を後にした。一人になりたかった。喧騒を離れて、落ち着きを取り戻したかった。
緑の芝生を抜け、自分のアパートを目指す。点々と点きはじめた街頭が舗装された道路を照らす。
外科医になるのを決意したあの日の父との会話が、頭によみがえる。
「どうして、お父さんは足が悪いの?」
物心ついたときから父は松葉杖だった。どうして医者なのに、父は自分の足を治せないのだろうか。
松葉杖でなければ、そして顔に大きな赤いあざさえなければ、モデルになれそうなくらいカッコいいのに。沖縄の人にしては一七五センチもあり金髪で色白の父は、どう逆立ちしたって日本人には見えない。あたしたちの曽祖父、つまり父の祖父は白人アメリカ兵だったという噂だ。
「理那が大きくなったら、お医者さんになるから。きっと治してあげるよ。お父さん」
「やさやー。あんしぇー、理那先生んかい手術ぉー頼でぃんーじゅがやー?」
父はそういって、いつもあたしの頭を撫でてくれた。
外科医で、英語も日本語もペラペラで、サンシンをこよなく愛する優しい父があたしは大好きだった。もちろん、今でも。あたしの顔立ちは、どちらかというと父に似ているそうだが、もっともっと同じになりたかった。髪の色も、瞳の色も、なにもかも。そう、左頬のでっかい赤あざだって、
「理那は上等。お母さんやみんなと同ぬ如、髪ん目眉ん黒々とぅそーしどぅ一番やさ」
サンシンを爪弾きながら、父が笑いかける。どうして父がそういうのか、あたしにはわからなかった。金色の髪と白い肌が原因で、父が「いじめ」というより「迫害」にちかい差別を受けていたことを知ったのは、あたしが中学生になってからのことだ。
周囲からアメリカーと罵倒されながらも猛勉強を重ねて日本とアメリカの医師免許を取り、今から二十五年前、なんとかUCLAの付属病院に交換研修生としてもぐりこんだ。ほぼ毎日、救急外来に立った。夢をかなえた父は、ハードだが充実した毎日を送っていたという。
クリスマスイブの朝。夜勤明けの父が車で青信号の交差点を徐行しようとしたその時、麻薬中毒の少年が運転する車が正面から突っ込んできた。父の車は大破し、ブレーキを踏んだ右足に車体が食い込んだ。そして、父の右足首は二度と動かなくなった。
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だけど、通算で十年以上も一人娘が外国暮らしを余儀なくされると知った純沖縄人の母は、あたしがアメリカで医者を目指すことにずっと反対し続けた。
「沖縄にも医学部のある大学はあるし、お兄ちゃんみたいに理学療法士の専門学校へ通ったっていいじゃない?」
沖縄の実家を出るときも、母は怒ってあたしを見送ろうとすらしなかった。
留学を許可してくれたお父さんのためにも、お母さんをうなずかせるくらい、立派な外科医にならなくっちゃ。パーティーなんかで浮かれている暇があったら、もっともっと勉強しないと。
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