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平和の礎(いしじ)

1.照喜名(てるきな)裕太と粟国(あぐに)里香、摩文仁(まぶに)を訪れる

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At Itoman City, Okinawa; September, 2002.
The narrator of this story is Rika Aguni.

白いBMWに飛び乗り、国道331号線をずっと南下する。目指すのは糸満・摩文仁まぶにの丘。 
結婚する前に、スコットランドへ向かう前に、どうしても来たかった。
この目で確かめて、祈りたかった。

平和祈念公園に着き、駐車場から海に向かって歩きだす。
どこからともなく白い帽子を被ったおばさんがあらわれて、花と線香を買ってくれと囁く。 
あたしたちは互いにうなずいて、三つ買い求めた。

手入れされた緑の芝生の感触を確かめるように歩いていくと、やがて黒い石碑の群れにたどりつく。
『平和のいしじ
沖縄戦でなくなったすべての人々の名前が、ここには刻み込まれているのだ。そして熾烈な戦闘に巻き込まれて死んだ、遺骨も遺品すらもない人々にとっては、この石碑に刻まれている名前だけが唯一、かつて生存していた証となる悲しい墓名碑なのだ。

まず、照喜名てるきなの親族の名前を探した。
裕太には本来、七名のおじさんとおばさんがいたはずだが、まだ幼かったおじさんと戦争中に生まれた名もないおばさんは、避難先の洞窟がまの中で相次いで亡くなった。
ついで、裕太のお母さんのお父さん、つまり、おじいさん。守備兵として地上戦を戦っていたという。人づてに聞いた話では、現在の南風原はえばる交差点付近で銃撃されて命を落としたらしい。

それから、あたしの父方の大おじさん。対馬丸という輸送船に乗って日本本土に集団疎開する途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃をうけて海の底へ沈められてしまった。最近ようやく沈没場所が特定されたけれど、引き上げるのには莫大な費用がかかるという理由で、遺骨はまだ深い海の底に眠ったままだ。
あたしの母方の親族は山原やんばる(沖縄本島北部地域の総称)・今帰仁なきじんの山奥へ逃げたものの、幸いすぐに米兵の捕虜となり収容所送りになったから、終戦から現在にいたるまでみな元気でいる。でも、母たちの隣近所に住んでいた人たちが何名か、マラリアにかかって亡くなったと聞いている。

あたしたちは、石碑を順繰りにまわって、刻まれている名前の前にひざまずいた。
お花と線香を供え、手を合わせ静かに祈り、心の中でつぶやく。

裕太のおじいさん。そして、親族のみなさん。
あたしたちは明日、結婚します。今日はその報告に参りました。
どうか、スコットランドに渡って後も、あたしたち二人をお守りください。
イギリスにも、ここ沖縄の地にも、二度と戦争の悲劇が訪れませんように。

そして、あたしたちは中央広場に出た。
目の前の断崖のはるか下には、うち寄せる白波と深い藍色の海が広がる。海から吹き上げる強い南風に、あたしの髪が乱れた。
「里香さん」
左隣の裕太があたしの手を強く握り締める。その瞳は真っ直ぐ、こちらを覗き込んでいた。
「僕と一緒になって、本当に後悔しない? 今なら、まだ間に合うよ」
あたしは静かに顔を起こし、口を開いた。
「大丈夫。ずっと、一生、あなたの側にいます」

去年の七月、イングランドでアロマテラピーの講習中、あたしはうっかりエッセンシャルオイルの入った小瓶を床に落としてしまった。
小瓶は音を立てて割れて、あたりにゼラニウムの香りが広がった。
その瞬間、頭の中で裕太との最初の出会いの記憶が蘇った。

照喜名てるきな医院の中にある、温室を兼ねたカウンセリング室。情緒不安定に効果があるとされる、ほのかなゼラニウムの香りが漂う中で、裕太はずっと顔を赤らめていたっけ。
あのときからずっと、裕太はあたしの側にいた。
バイクの後ろで震えながらしがみつく姿には正直笑っちゃったけど、年下にもかかわらず、あたしよりもずっとしっかりした考えを持っている。いつもニコニコしていて、紳士的で、変わらぬ安らぎを与えてくれる。

宗家むーとぅやーに嫁ぐのが嫌で、自由を失うのが怖くて、あたしは彼の前から逃げ出した。短期留学という名目でイングランドへやってきた。
でも、本当はずっと、彼のことを追い求めていたんだ。
彼があたしを必要とするより、ずっとずっと、あたしには裕太が必要なんだ。

気がつくと、あたしは泣いていた。溢れ出る涙が止まらなかった。アロマテラピーの講師にはホームシックだと言い残し、あたしは手早く荷物をまとめ、イングランドに住む彼の弟宅を目指したのだった。
あきらさんはちょうど、恋人のジュディさんとくつろいでいるところだった。突然訪ねてきたあたしにびっくりしていたけど、快く沖縄の裕太に電話を繋いでくれ、しかも帰国する航空チケットの手配までしてくれた。

だから、あたしは、もう迷わない。

「里香さん」
裕太はずっとあたしの顔から目をそらすことなく、風で乱れたあたしの髪をなでながら続ける。
宗家むーとぅやーに嫁ぐあなたには、気苦労も心労もお掛けすると思います。でも、余計な気遣いは一切させませんから」
はっきりした声にうなずき、あたしも答えた。
「大丈夫だよ。ずっと、側にいるから」

たとえ世界の果てで何が起こっても、あなたと一緒なら、何も怖くない。
未知の困難が二人を襲っても、一緒に立ち向かえる。
二人一緒なら、二人以上の力を出せる。きっと、乗り越えてみせる。

あたしたちは互いの手を握り、強く吹き寄せる風にあらがうように立ったまま、摩文仁の深い藍色の海を眺めていた。
降り注ぐ暖かい太陽の恵みを体全体で感じながら。

(平和のいしじ  :FIN)
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