サザン・ホスピタル 短編集

くるみあるく

文字の大きさ
上 下
77 / 102
カレー戦争の真実

1.多恵子、暗闇でとぅるばる(ぼーっとする)

しおりを挟む
At Ginowan City, Okinawa; May 7, 2003.
At Nishihara Town, Okinawa; December 7,1983.
The narrator of this story is Taeko Kochinda.

その週はゴールデンウィーク明けで、なんだかイライラしていた。
運転すると赤信号ばかりに引っ掛かり、サザン・ホスピタルの手術室でも慣れているはずのオペの準備手順が滞ったりした。お昼ごはんを食べようとしたら財布にお金がなく、ATMで並ばされた挙句、一万円札しかないという文字が画面に表示された。しかたなく一万円下ろしたけど、食堂に戻ったら目的の日替わりランチがちょうど売り切れになっていた。
そのあとも、作成した書類の間違いを指摘されたり、愛用の腕時計(なぜかブライトリンクです)を置き忘れて探し回ったり(結局、カルテケースの上で見つかったからいいけど)、本当に散々だった。

仕事を終えて家に帰ってから気がついた。洗濯物が溜まっていて、自分のシャツをアイロン掛けしてなかったのだ。アイロン掛けの仕事はずっと勉に甘えていたが、彼はここのところ状態の不安定な患者さんに付き添って病棟泊まりだ。だから、アイロン掛けをする人がいない状態が続いている。あたしは全ての窓を全開にして、ショルダーバックをアパートのリビングにあるソファへ放り投げた。ここのところ、家事をするのも億劫で何もやる気が起こらない。お腹もすいたけど作る気もしない。かといって買い物に出かける気力もない。どうしよう。

日が暮れてきた。部屋が薄暗くなってきたが、電気を点ける気にもならず、あたしは台所の椅子に腰掛けて頬杖をついて、とぅるばって(ぼんやりして)いた。

玄関のドアに鍵を差し込む音、ついで、ドアを開ける音がした。勉だ。四日ぶりに帰ってきたんだ。
「ただいまー、あれ?」
右足を引きずりながらリビングの電気をつけた彼が、あたしを見つけてびっくりしている。
「多恵子? ぬーんち、唐飛らーとーびーらー(ごきぶり)ぬぐとぅ暗闇くらしんかいをぅが?」

とーびーらー、ねぇ。今のあたしの心境、似てるかも。ぼんやりそう考えていたら、勉が側にやってきてあたしの顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 夕飯は?」
「……作ってない」
ちかりてぃどぅをぅるい? どっか、食べに行く?」
あたしは首を振った。なんだか、動く気になれない。
「俺、運転するよ? 多恵子が好きなところ、行こう。な?」

その言葉に、ある食べ物が浮かんだ。でも、それは無理だ。あたしはもう一度首を振った。
「いいよ。無理だから」
「何で? とにかく、出掛けようよ。ドライブは久しぶりだし、どこにでも連れてってやるよ? な?」
自分も激務で疲れているだろうに、あたしのことをこんなに思いやってくれるなんて。温かい言葉に涙が出た。でもね勉、無理だってば。あたしは口を開いた。
「だってさ、あたしが食べたいの、カレーだよ?」
「……カレー?」
ほらね、硬直している。彼はカレーが大嫌いなのだ。あたしの脳裏にあの日の光景が蘇った。

小学校四年生の時だっただろうか。それは十二月のある寒い日だった。あたしは給食当番で、みんなに給食を配っていた。
「おわんにカレー入れたから、取ってね」
勉に呼びかけたら、彼はぶすっとした顔でこう答えた。
「……俺、いらん」
「どうして?」
「とにかく、いらない。食べないから」
金髪頭の彼は、まだ小柄で弱虫でクラスのいじめられっ子だった。毎日アメリカーと呼ばれて不良仲間にたかられていた。何でもきちんと食べれば大きくもなるし、今よりずっと強くなれるはず。だから食事を薦めるのが給食当番の責務だと思った。
「嫌いなの? そんなこと言わないで、ちょっとは、食べたら?」
できるだけ優しく言ったつもりなのに、彼はピシャリと突っぱねたのだ。
「いらねぇんだよ!」
カッとなった。あとはもう、売り言葉に買い言葉だ。
「好き嫌いは良くないよ、食べなよ!」
「い、ら、な、い!」
「何で食べないの?」
「食べたくないからさ!」
「好き嫌いしちゃ、だめ!」
そう言って、あたしは思わず勉のライスの上にカレーをぶっかけてしまったのだ。周りに沈黙が走った。
「俺、絶対食わねえからな!」
勉は大声でそう叫ぶと、牛乳とパンを抱えて教室から出て行った。その日以来、勉はしばらくあたしと口を利いてくれなかった。彼と仲直りしたのは、年も明けて三学期に入ってからのことだ。

涙をぬぐうあたしに、勉がぼそっと言った。
「いいよ、行こう、カレーみーが。でぃ、行か!」
……え?
戸惑うあたしの側で、勉は車のキーを取り出してジャラジャラ言わせている。
「心配するな。俺、たぶん、食えるよ。そんな気がする」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ももたろう~the Peach Boy

くるみあるく
児童書・童話
「サザン・ホスピタル短編集」の登場人物8名による昔話・桃太郎の戯曲(?)です。沖縄方言と英語のナレーションで進行します。

サザン・ホスピタル byうるかみるく

くるみあるく
恋愛
1980年代〜2000年あたりの現代沖縄、後半部はロサンゼルスを交えた舞台に展開する青春ドラマです。最初の作品発表は2005年(当時アルファポリスに外部URL登録していました)。現在、ノベルアップ+に連載している内容をこちらへ再収録します。 糸満市生まれの上間(うえま・つとむ)はアメリカ白人系クォーター。西原町へ引っ越した後も、金髪で色白な容姿を理由に同級生らからイジメの対象になってます。 ある日、勉はいじめっ子たちから万引きするよう脅迫され、近所の商店からチョコレートを盗み出そうとして店主にとがめられ、警察へ突き出されそうになります。窮地を救ったのは同級生である東風平多恵子(こちんだ・たえこ)の父親、長助でした。長助はチョコレート代金を払って勉を連れ出すと、近くの公園でサンシンを演奏しはじめます。サンシンの音色に心を動かされた勉は以後、多恵子に内緒で長助からサンシンを習い始めます。 演奏の上達とともに自分に自信をつけ始めた勉はもともと頭が良かったこともあり、席次はつねにトップ。中学では級長に選ばれるまでになりましたが、多恵子にはサンシンの件をずっと内緒にしつづけます。 人命救助に当たったことをきっかけに、勉は医者になりたいと願うように。ちょうどその頃、第二アメリカ海軍病院であるサザン・ホスピタルが優秀な人材を確保するため奨学生の募集を始めた、という情報を耳にします。母親が夜逃げするという事態が起きた後も、長助夫婦らは彼をサポートしつづけるのでした。 やがて勉は国立大学医学科に合格し、サザン・ホスピタルの奨学生として奨学金をうけながら医師国家試験の合格を目指します。一方、東風平夫妻の一人娘である多恵子は看護師として働き始めました。勉が研修医としてサザン・ホスピタルに勤め始めたのをきっかけに、多恵子もまた自らのステップアップのためサザン・ホスピタルへ転職します。 多恵子のことを今までウーマクー(わんぱく、おてんば)な幼馴染としか思っていなかった勉でしたが、同僚としての彼女は想像以上に優秀な看護師でした。やがて勉は多恵子を意識するようになりますが、天然な多恵子は全然気にする様子がありません。はてしてこの二人、どうなっていくのやら……?  沖縄那覇方言/日本語/英語を使用し、爽やかさ全開トリリンガルにお届け。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

部活道

tamtam
青春
この小説は、城南西高校のソフトテニスをえがいたコメディー。 この高校のソフトテニス部部長、広海ヒロウミ 杏里アンリは、1つ下の妹、優梨と日々頑張っている。 でも、そこで、ゆうりと比べられ、少し自信を失い…………………… 杏里と優梨が家族の支えで成長していく、青春コメディーです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

僕は 彼女の彼氏のはずなんだ

すんのはじめ
青春
昔、つぶれていった父のレストランを復活させるために その娘は 僕等4人の仲好しグループは同じ小学校を出て、中学校も同じで、地域では有名な進学高校を目指していた。中でも、中道美鈴には特別な想いがあったが、中学を卒業する時、彼女の消息が突然消えてしまった。僕は、彼女のことを忘れることが出来なくて、大学3年になって、ようやく探し出せた。それからの彼女は、高校進学を犠牲にしてまでも、昔、つぶされた様な形になった父のレストランを復活させるため、その思いを秘め、色々と奮闘してゆく

処理中です...