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御曹司は昼行灯(ひるあんどん)
8.裕太、上間(うえま)勉(つとむ)を招待する(1)
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At Naha City, Okinawa; November 25, 1999.
The narrator of this story is Yuta Terukina.
十一月二十五日の午後、先輩はやってきた。医院の駐車場に軽自動車を停め、サンシンを片手に車から降りた。
僕は石造りの門から案内を始めた。旧舘は赤瓦屋根の建物だ。エントランスには大きな花瓶にあつらえた生け花があり、絵画が十点近く飾ってある。いずれも、祖父や父の知り合いの著名な画家たちが描いた作品だ。
「まるでホテルみたいだな」
先輩は驚いた表情を崩そうとしなかった。僕らはエントランスを通り抜けた。後ろに真新しい三階建ての建物がある。
「後ろの方は新館なんです。二年前に落成しました」
僕は先頭に立って建物の説明を始めると、先輩はにっこり笑ってこう言った。
「これだけのものを維持管理するのは、大変だろ?」
「税金はちゃんと払ってますよ」
僕が不機嫌そうに答えと、先輩は吹き出した。
しばらく歩くと中庭だ。僕は庭の端っこの小さな建物へ案内した。
「こっちがカウンセリング室になります。どうぞ」
僕はドアを開けた。咲き乱れたデンファレの鉢がいくつも置かれている。
「まるで温室だな」
「仕組みは似てますね。ビニールハウスみたいにガラスで囲って、防音加工を施しています。普段は患者さんのカウンセリングに使ってます。植物に囲まれると、患者さんが落ち着かれるらしくって」
僕は先にソファへ腰掛け、先輩に勧めた。
「どうぞ、おかけください」
「では遠慮なく」
続いて先輩が腰掛け、つぶやいた。
「いいソファだな。ここの設備、サザンのセラピストたちに見せたいよ」
「サザン・ホスピタルには、サザン・ガーデンがあるでしょ? ピクニックもできそうなくらい広いじゃないですか」
「あそこ、あまり生かしきってないよな? 小児科とかに開放すればいいのに」
先輩の言葉に、僕ははっとした。サザン・ガーデンに教会があることを思い出したのだ。
「結婚式に使えるって聞きましたよ。いいですよね」
「どうした?」
僕の様子がおかしいことに気づいたのだろう。先輩は声のトーンを落とし、僕の顔を直視した。温かいが鋭い視線が僕の心を射抜いた。
「照喜名、本当は俺をセッションに呼んだんじゃないよな?」
そうです。そうなんです。だから防音室にお呼びしたんです。
心の底から僕は叫んでいた。思い切って言わなくては。僕は口を開いた。
「上間先生、口堅いですよね?」
やっと出た僕の声は震えていた。先輩はそっぽを向いた。
「話す友達がいないだけかもね」
わかってる。これはこの人独特のアプローチなのだ。無関心を装いながら、耳はちゃんと僕に傾けてくれている。僕は声を絞り出した。
「見合いの話が来たんですよ」
「見合い?」
驚いたような声がした。
「お前、いくつだから?」
「二十五です。上間先生より一つ下」
「ま、見合いする年齢としては問題ないんだろうけど、乗り気ではなさそうだね?」
先輩は再び僕を直視した。たまらず僕はデンファレの花に目をやった。
「見合い結婚で、幸せになれると思いますか?」
「人によりけりでしょう。でも、好きな人がいるなら、するべきではないね」
やっぱり。
「……そうですよね」
僕はつぶやいた。胸が苦しかった。
「いるの?」
先輩が単刀直入に尋ねる。
「気になる人なら」
「誰? 俺が知ってる人?」
僕は、目を閉じた。ここまできたんだ。思い切って、言おう。
「……粟国さん」
「ああ! 粟国里香さん! なるほど! まだ彼氏はいないはずだよ?」
「本当に?」
先輩は笑顔だ。ほっとした。彼女がフリーという確証が得られ、少しだけ体の力が抜けた。
「粟国さんは多恵子と親しいからね。彼女、アロマセラピーとかリフレクソロジーに興味持ってる」
「そうか、そうなんだ。へえ」
初耳の情報だ。同じ整形外科スタッフ同士だと、いろいろ交流があるのだろう。
「粟国さんのお気に入りのブランドはカルティエだ。服はミッシェル・クランかな」
「詳しいですね」
「元ホストのサガだと言ってくれ。岡目八目。人のことは見えるから、良くわかるって。それが自分のこととなると」
僕はニコニコした。
「知ってますよ。上間先生の意中の人。サザンで知らない人は、まずいませんね」
「い?」
そんなに驚かないで下さいよ。だって多恵子さんと話しているとき、先輩の両耳は未だに真っ赤っ赤なんですよ。しかも噂によると、多恵子さんに話しかける男性なら、患者さんはおろかMR(製薬会社のセールスマン)に至るまでしっかり睨んでいるそうじゃないですか。それじゃ手を出したくっても誰も手を出せないでしょう。
「上間先生は、反対勢力がない分、うらやましいです」
「金も身よりもないぞー。普通の女なら、逃げ出すぞ」
「宗家の長男の結婚も、厳しいですよ」
「結婚はできるだろ、愛情面の問題でしょ?」
「宗家って言うだけで、逃げ出す女性、いっぱいいますよ。いろいろ面倒ですからね。でなきゃ、財産目当てに近づいてくるか、どちらかですね」
ざっと話して、ため息をついた。そう、僕はまだうじうじと運命を呪っていたのだ。
The narrator of this story is Yuta Terukina.
十一月二十五日の午後、先輩はやってきた。医院の駐車場に軽自動車を停め、サンシンを片手に車から降りた。
僕は石造りの門から案内を始めた。旧舘は赤瓦屋根の建物だ。エントランスには大きな花瓶にあつらえた生け花があり、絵画が十点近く飾ってある。いずれも、祖父や父の知り合いの著名な画家たちが描いた作品だ。
「まるでホテルみたいだな」
先輩は驚いた表情を崩そうとしなかった。僕らはエントランスを通り抜けた。後ろに真新しい三階建ての建物がある。
「後ろの方は新館なんです。二年前に落成しました」
僕は先頭に立って建物の説明を始めると、先輩はにっこり笑ってこう言った。
「これだけのものを維持管理するのは、大変だろ?」
「税金はちゃんと払ってますよ」
僕が不機嫌そうに答えと、先輩は吹き出した。
しばらく歩くと中庭だ。僕は庭の端っこの小さな建物へ案内した。
「こっちがカウンセリング室になります。どうぞ」
僕はドアを開けた。咲き乱れたデンファレの鉢がいくつも置かれている。
「まるで温室だな」
「仕組みは似てますね。ビニールハウスみたいにガラスで囲って、防音加工を施しています。普段は患者さんのカウンセリングに使ってます。植物に囲まれると、患者さんが落ち着かれるらしくって」
僕は先にソファへ腰掛け、先輩に勧めた。
「どうぞ、おかけください」
「では遠慮なく」
続いて先輩が腰掛け、つぶやいた。
「いいソファだな。ここの設備、サザンのセラピストたちに見せたいよ」
「サザン・ホスピタルには、サザン・ガーデンがあるでしょ? ピクニックもできそうなくらい広いじゃないですか」
「あそこ、あまり生かしきってないよな? 小児科とかに開放すればいいのに」
先輩の言葉に、僕ははっとした。サザン・ガーデンに教会があることを思い出したのだ。
「結婚式に使えるって聞きましたよ。いいですよね」
「どうした?」
僕の様子がおかしいことに気づいたのだろう。先輩は声のトーンを落とし、僕の顔を直視した。温かいが鋭い視線が僕の心を射抜いた。
「照喜名、本当は俺をセッションに呼んだんじゃないよな?」
そうです。そうなんです。だから防音室にお呼びしたんです。
心の底から僕は叫んでいた。思い切って言わなくては。僕は口を開いた。
「上間先生、口堅いですよね?」
やっと出た僕の声は震えていた。先輩はそっぽを向いた。
「話す友達がいないだけかもね」
わかってる。これはこの人独特のアプローチなのだ。無関心を装いながら、耳はちゃんと僕に傾けてくれている。僕は声を絞り出した。
「見合いの話が来たんですよ」
「見合い?」
驚いたような声がした。
「お前、いくつだから?」
「二十五です。上間先生より一つ下」
「ま、見合いする年齢としては問題ないんだろうけど、乗り気ではなさそうだね?」
先輩は再び僕を直視した。たまらず僕はデンファレの花に目をやった。
「見合い結婚で、幸せになれると思いますか?」
「人によりけりでしょう。でも、好きな人がいるなら、するべきではないね」
やっぱり。
「……そうですよね」
僕はつぶやいた。胸が苦しかった。
「いるの?」
先輩が単刀直入に尋ねる。
「気になる人なら」
「誰? 俺が知ってる人?」
僕は、目を閉じた。ここまできたんだ。思い切って、言おう。
「……粟国さん」
「ああ! 粟国里香さん! なるほど! まだ彼氏はいないはずだよ?」
「本当に?」
先輩は笑顔だ。ほっとした。彼女がフリーという確証が得られ、少しだけ体の力が抜けた。
「粟国さんは多恵子と親しいからね。彼女、アロマセラピーとかリフレクソロジーに興味持ってる」
「そうか、そうなんだ。へえ」
初耳の情報だ。同じ整形外科スタッフ同士だと、いろいろ交流があるのだろう。
「粟国さんのお気に入りのブランドはカルティエだ。服はミッシェル・クランかな」
「詳しいですね」
「元ホストのサガだと言ってくれ。岡目八目。人のことは見えるから、良くわかるって。それが自分のこととなると」
僕はニコニコした。
「知ってますよ。上間先生の意中の人。サザンで知らない人は、まずいませんね」
「い?」
そんなに驚かないで下さいよ。だって多恵子さんと話しているとき、先輩の両耳は未だに真っ赤っ赤なんですよ。しかも噂によると、多恵子さんに話しかける男性なら、患者さんはおろかMR(製薬会社のセールスマン)に至るまでしっかり睨んでいるそうじゃないですか。それじゃ手を出したくっても誰も手を出せないでしょう。
「上間先生は、反対勢力がない分、うらやましいです」
「金も身よりもないぞー。普通の女なら、逃げ出すぞ」
「宗家の長男の結婚も、厳しいですよ」
「結婚はできるだろ、愛情面の問題でしょ?」
「宗家って言うだけで、逃げ出す女性、いっぱいいますよ。いろいろ面倒ですからね。でなきゃ、財産目当てに近づいてくるか、どちらかですね」
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