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御曹司は昼行灯(ひるあんどん)
5.裕太、多恵子と里香のうわさを耳にする
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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; from August to October, 1999.
The narrator of this story is Yuta Terukina.
八月から外科研修が始まった。一般外科での研修が主だが、ちょこちょこと脳外科や整形外科での研修も入ってきた。
そして整形外科での研修中、僕は上間先輩を見かけた。金髪に加え、左頬の赤あざですぐにわかったが、専門医新人研修が始まったばかりで忙しそうに動き回っていたため、声を掛けるのははばかられた。
でも、どうしても気になる。
八月も後半、僕は例のごとく上間先輩の姿を眼で追った。彼は数名のナースと打ち合わせをしている様子だった。
僕は硬直した。ナースの中に、粟国さんの姿を見つけたからだ。
ここに、いたんだ!
胸が高鳴った。僕はまだ彼女の声を知らなかった。側を通り抜けるフリをして、耳をダンボにした。
「患者のムラカミさんの状態ですけど……」
予想を裏切る、凛とした涼やかな声。いや、むしろその容姿にぴったりと言うべきか。
指示を出す上間先輩をちらりと見た。驚いた。彼の耳が見事に真っ赤に染まっていたからだ。
ひょっとして、上間先輩も、粟国さんを?
キュンと胸が締め付けられた。この人がライバルだったら、とてもかなわない。
ところが、それは僕の思い違いだったようだ。一緒に歩いていた研修医仲間がこう耳打ちしたのだ。
「見ろよ、上間先生。また東風平さん見て、赤くなってる!」
こちんださん? 誰? それ?
僕はもう一度、先輩の方を見た。彼の目線は、粟国さんの隣にいる栗色の髪をポニーテールにまとめた背の低い童顔の女性に向けられていた。
この人が、東風平さん? かわいいといえば、まあ、かわいいけど。あまりに幼い印象で、大人の女性としてのセックスアピールは絶無に近い。
どうして、先輩がこんな女性にぞっこんなのだろう? 胸をなでおろしつつも、僕は首を傾げざるを得なかった。
上間先輩と東風平多恵子さんのことは、医局で知らないものはなかった。
多恵子さんは上間先生の幼馴染で、かなり変わった人だ。質問をしても普通とは違う反応が返ってくる、おもしろい天然素材だと患者さんからも評判だった。もちろん、ナースとしては非常に優秀だ。サザン初の日本人直接介助ナースだったと聞いて、僕は思わず耳を疑った。が、彼女の手際のよさは確かにピカイチだった。しかも、黒人の婦長に英語で自分の意見を述べ堂々と渡り合ったというから恐れ入る。上間先輩がその気になるのも頷けた。
でも、多恵子さんは彼のサンシンの師匠の一人娘で、うかつには手が出せないらしい。そりゃ、そうでしょう。伝統芸能の世界で師匠の娘なんかに手を出したら、破門ですよ。そして、鈍感な多恵子さんは、上間先輩の気持ちに全く気づいている様子がなかった。
医局のみんなが多恵子さんの話で盛り上がっているときに、粟国里香さんのこともちょこっと耳にした。
浦添に住んでいて、なんと毎日バイクでこの中城まで通勤しているらしい。想像していた以上に活発な女性なのだ。左利きで、注射器を左手で扱っていることも知った。そして粟国さんは多恵子さんの看護学校時代の同級生であり、親友だった。
粟国さんの評判はそれなりに上々だった。美人だし、誰かがアプローチしていても良さそうなものだが、そんな噂も聞かなかった。
なぜなのかそのときは疑問だったけど、今なら判る気がする。彼女は竹を割ったようにさっぱりしてて、男性に甘えようという雰囲気を全く持ち合わせてなかった。いや、今も持ってない。バイクにまたがり颯爽と駆け抜ける者の持つ凛とした空気は、時として男性を遠ざけることもあるのだろう。
でも、僕はますます彼女に魅せられた。僕自身、他人をうかうかと信用してはいないと思い込んで心を固く閉ざしていたから、むしろ彼女のようなさっぱりとした気性の持ち主を欲していたのだと思う。それに、出会ったときのあの微笑みが忘れられなかった。彼女の心が隠し持つ春風のような温かさを、僕は感じ取っていたのだ。
十月。僕は両親から突然、見合い話を持ちかけられた。相手は沖縄を代表する企業の令嬢で、僕より二つ年下らしい。写真を見る限り、優しそうな女性だとは思った。だけど全然気乗りがしなかった。脳裏には粟国さんの姿がちらついて離れない。
宗家の長男は、好きな人とも一緒になれないのだろうか? そう思うと悲しみで胸が張り裂けそうだった。
The narrator of this story is Yuta Terukina.
八月から外科研修が始まった。一般外科での研修が主だが、ちょこちょこと脳外科や整形外科での研修も入ってきた。
そして整形外科での研修中、僕は上間先輩を見かけた。金髪に加え、左頬の赤あざですぐにわかったが、専門医新人研修が始まったばかりで忙しそうに動き回っていたため、声を掛けるのははばかられた。
でも、どうしても気になる。
八月も後半、僕は例のごとく上間先輩の姿を眼で追った。彼は数名のナースと打ち合わせをしている様子だった。
僕は硬直した。ナースの中に、粟国さんの姿を見つけたからだ。
ここに、いたんだ!
胸が高鳴った。僕はまだ彼女の声を知らなかった。側を通り抜けるフリをして、耳をダンボにした。
「患者のムラカミさんの状態ですけど……」
予想を裏切る、凛とした涼やかな声。いや、むしろその容姿にぴったりと言うべきか。
指示を出す上間先輩をちらりと見た。驚いた。彼の耳が見事に真っ赤に染まっていたからだ。
ひょっとして、上間先輩も、粟国さんを?
キュンと胸が締め付けられた。この人がライバルだったら、とてもかなわない。
ところが、それは僕の思い違いだったようだ。一緒に歩いていた研修医仲間がこう耳打ちしたのだ。
「見ろよ、上間先生。また東風平さん見て、赤くなってる!」
こちんださん? 誰? それ?
僕はもう一度、先輩の方を見た。彼の目線は、粟国さんの隣にいる栗色の髪をポニーテールにまとめた背の低い童顔の女性に向けられていた。
この人が、東風平さん? かわいいといえば、まあ、かわいいけど。あまりに幼い印象で、大人の女性としてのセックスアピールは絶無に近い。
どうして、先輩がこんな女性にぞっこんなのだろう? 胸をなでおろしつつも、僕は首を傾げざるを得なかった。
上間先輩と東風平多恵子さんのことは、医局で知らないものはなかった。
多恵子さんは上間先生の幼馴染で、かなり変わった人だ。質問をしても普通とは違う反応が返ってくる、おもしろい天然素材だと患者さんからも評判だった。もちろん、ナースとしては非常に優秀だ。サザン初の日本人直接介助ナースだったと聞いて、僕は思わず耳を疑った。が、彼女の手際のよさは確かにピカイチだった。しかも、黒人の婦長に英語で自分の意見を述べ堂々と渡り合ったというから恐れ入る。上間先輩がその気になるのも頷けた。
でも、多恵子さんは彼のサンシンの師匠の一人娘で、うかつには手が出せないらしい。そりゃ、そうでしょう。伝統芸能の世界で師匠の娘なんかに手を出したら、破門ですよ。そして、鈍感な多恵子さんは、上間先輩の気持ちに全く気づいている様子がなかった。
医局のみんなが多恵子さんの話で盛り上がっているときに、粟国里香さんのこともちょこっと耳にした。
浦添に住んでいて、なんと毎日バイクでこの中城まで通勤しているらしい。想像していた以上に活発な女性なのだ。左利きで、注射器を左手で扱っていることも知った。そして粟国さんは多恵子さんの看護学校時代の同級生であり、親友だった。
粟国さんの評判はそれなりに上々だった。美人だし、誰かがアプローチしていても良さそうなものだが、そんな噂も聞かなかった。
なぜなのかそのときは疑問だったけど、今なら判る気がする。彼女は竹を割ったようにさっぱりしてて、男性に甘えようという雰囲気を全く持ち合わせてなかった。いや、今も持ってない。バイクにまたがり颯爽と駆け抜ける者の持つ凛とした空気は、時として男性を遠ざけることもあるのだろう。
でも、僕はますます彼女に魅せられた。僕自身、他人をうかうかと信用してはいないと思い込んで心を固く閉ざしていたから、むしろ彼女のようなさっぱりとした気性の持ち主を欲していたのだと思う。それに、出会ったときのあの微笑みが忘れられなかった。彼女の心が隠し持つ春風のような温かさを、僕は感じ取っていたのだ。
十月。僕は両親から突然、見合い話を持ちかけられた。相手は沖縄を代表する企業の令嬢で、僕より二つ年下らしい。写真を見る限り、優しそうな女性だとは思った。だけど全然気乗りがしなかった。脳裏には粟国さんの姿がちらついて離れない。
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