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Dr. Uemaの悲惨な一日
2.悲惨な一日 午後の部
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At the Southern Hospital in Nakagusuku Village, Okinawa; August 5,1999.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
落ち込んだまま整形外科病棟に向かう。
「あい、勉、元気ないね?」
勤務中の多恵子から声を掛けられた。
「聴診器、ソーキそばの中に落としてさ」
一部始終を話しながら、自分が情けなくなった。
多恵子はしっかり者だ。きっとまた、バカにされる。
俺、最近、バカにされてばっかりだ。
好きな人の前で最近、全然、いいところがないな。落ち込むよ。
ところが。
「ラードだったら、お湯で落ちるんじゃないの? ちょっとおいで」
と言うが早いか、彼女は僕を給湯室へ連れて行った。手早く洗面器にぬるま湯を作り、自らの手で温度を確かめ
「あ、これくらいだったら大丈夫だ。貸してごらん」
と言って、僕の聴診器を洗い始めた。
いや、たいしたもんだ。すっきりラードが落ちて、前よりきれいになってる。
「ありがとう、助かったよ」
「よかったね、きれいになって」
多恵子はにっこりした。いい笑顔だ。僕は久々に彼女の笑顔を見た気がした。
今日、とってもいい日かもしれない!
現金なもので、僕は小躍りしたいくらいうれしくなった。
その上、彼女は僕にこう切り出しのだ。
「勉さ、今晩、何時に終わるね?」
「今日は早いと思うよ。七時過ぎには上がれるよ」
「じゃ、ちょっと、付き合ってよ?」
え、それって、ひょっとして?
……いや、いや、過剰に期待するのはよそう。二人っきりかどうか、まだわからない。
でも、でも、うれしいな! 多恵子から声掛けてくれるなんて!
僕は二つ返事で同意すると、先ほどとは打って変わって、鼻歌でGenesisの“Invisible Touch”を歌いながら回診に向かった。サンシンも弾きますが、僕、八十年代の洋楽も結構好きなんです。
患者のみなさん、特に異常は見られない。順調な回復ぶりだ。よし、調子出てきたぞ。午前の分を取り返すぞ!
僕は回診の最後に、515号室へ寄った。
田本ユミさん、七十歳の女性患者さん。人懐っこく、小柄でよく動き回り、おしゃべりが大好きという典型的な沖縄の女性だ。整形外科病棟の名主みたいな存在で、周囲はみな敬意と親しみをこめて「ユミおばぁ」と呼んでいた。
「あい、上間先生!」
ユミおばぁは、あちこち歯の抜けた口を開いて笑った。わがままし放題な患者さんだったが、彼女は僕のサンシンのファンでもあった。僕はできるだけ、彼女のわがままを見て見ぬフリをしてご機嫌をとりながら、根気良くリハビリへ引っ張り出していた。
「今日 や、如何やいびーがやーさい?」
「いっぺー、いい按配でーびる!」
ユミおばぁは僕の診察を受けながらご機嫌だったが、急に無理やり僕の手を引っ張り、しわしわの胸をつかませた。
「田本さん?」
僕がたしなめようとすると、一言、言ってのけたのだ。
「上間先生、看護婦の東風平さんと、最近、どうねぇ?」
身も蓋もない攻撃に僕はたじたじになり、なんとか言い訳をつけて、ほうぼうの体でそこから逃げだした。背後では、ユミおばぁが爆笑する声が力強く響いていた。
なんてこった! スタッフだけでなく、ユミおばぁにまで僕の胸の内がバレているとは!
沖縄のおばぁは、大事 (とても)手ごわい。
ああ、きっと僕は、これからずっと、回診のたびにユミおばぁの餌食にされる。そして、多恵子にあることないこと言いふらすはずだ。
そうこうしているうちに、多恵子がユミおばぁの部屋へ入っていくのが見えた。
僕は気が気じゃなかった。絶体絶命とはまさにこのこと。さあ、どうする?
全然別の作業をしながらも、515号室に耳を澄ませ、脂汗がたらたら出た。程なく多恵子の笑い声が聞こえた。大声で平然と言い放っていた。
「あー、あれは対象外さー」
……あのね多恵子、君はいつもその無邪気な発言で、このナイーブな僕の心を、茅打バンタ (国頭村にある高い断崖)みたいなところから簡単ぐゎーにポーンと突き落とすわけね?
噂をされようが、何を言われようが、彼女は天真爛漫に振舞い続ける。
この調子だとほぼ一〇〇パーセント、勝算はないようにすら思えるんですけど。
でも、困ったことに……本当に困ったことに、どうしても、この人でなくちゃダメなんだ、僕は。
とにかく、成長するしかないよな。彼女が振り向いてくれる男になるしか。
今夜は向こうが誘ってくれているんだ。よし、仕事がんばろう。
僕は気持ちを切り替え、残りの仕事を猛スピードで片付けた。
きっかり七時に上がると、駐車場にある多恵子のオプティへと向かった。
多恵子が僕を見つけて手を振っている。他に誰もいない。
てことは、二人っきり、ですか? マジで? ちょっと、喜んでもいい?
「ごめんね、無理言って。助手席、乗ってよ」
「あ、ああ」
幼馴染の僕らにとって、二人っきりで車に乗るのはしごく当たり前のことだ。意識しているのは僕一人だけ。
なんだかなー、もう少し、どうにかしないとな。
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
落ち込んだまま整形外科病棟に向かう。
「あい、勉、元気ないね?」
勤務中の多恵子から声を掛けられた。
「聴診器、ソーキそばの中に落としてさ」
一部始終を話しながら、自分が情けなくなった。
多恵子はしっかり者だ。きっとまた、バカにされる。
俺、最近、バカにされてばっかりだ。
好きな人の前で最近、全然、いいところがないな。落ち込むよ。
ところが。
「ラードだったら、お湯で落ちるんじゃないの? ちょっとおいで」
と言うが早いか、彼女は僕を給湯室へ連れて行った。手早く洗面器にぬるま湯を作り、自らの手で温度を確かめ
「あ、これくらいだったら大丈夫だ。貸してごらん」
と言って、僕の聴診器を洗い始めた。
いや、たいしたもんだ。すっきりラードが落ちて、前よりきれいになってる。
「ありがとう、助かったよ」
「よかったね、きれいになって」
多恵子はにっこりした。いい笑顔だ。僕は久々に彼女の笑顔を見た気がした。
今日、とってもいい日かもしれない!
現金なもので、僕は小躍りしたいくらいうれしくなった。
その上、彼女は僕にこう切り出しのだ。
「勉さ、今晩、何時に終わるね?」
「今日は早いと思うよ。七時過ぎには上がれるよ」
「じゃ、ちょっと、付き合ってよ?」
え、それって、ひょっとして?
……いや、いや、過剰に期待するのはよそう。二人っきりかどうか、まだわからない。
でも、でも、うれしいな! 多恵子から声掛けてくれるなんて!
僕は二つ返事で同意すると、先ほどとは打って変わって、鼻歌でGenesisの“Invisible Touch”を歌いながら回診に向かった。サンシンも弾きますが、僕、八十年代の洋楽も結構好きなんです。
患者のみなさん、特に異常は見られない。順調な回復ぶりだ。よし、調子出てきたぞ。午前の分を取り返すぞ!
僕は回診の最後に、515号室へ寄った。
田本ユミさん、七十歳の女性患者さん。人懐っこく、小柄でよく動き回り、おしゃべりが大好きという典型的な沖縄の女性だ。整形外科病棟の名主みたいな存在で、周囲はみな敬意と親しみをこめて「ユミおばぁ」と呼んでいた。
「あい、上間先生!」
ユミおばぁは、あちこち歯の抜けた口を開いて笑った。わがままし放題な患者さんだったが、彼女は僕のサンシンのファンでもあった。僕はできるだけ、彼女のわがままを見て見ぬフリをしてご機嫌をとりながら、根気良くリハビリへ引っ張り出していた。
「今日 や、如何やいびーがやーさい?」
「いっぺー、いい按配でーびる!」
ユミおばぁは僕の診察を受けながらご機嫌だったが、急に無理やり僕の手を引っ張り、しわしわの胸をつかませた。
「田本さん?」
僕がたしなめようとすると、一言、言ってのけたのだ。
「上間先生、看護婦の東風平さんと、最近、どうねぇ?」
身も蓋もない攻撃に僕はたじたじになり、なんとか言い訳をつけて、ほうぼうの体でそこから逃げだした。背後では、ユミおばぁが爆笑する声が力強く響いていた。
なんてこった! スタッフだけでなく、ユミおばぁにまで僕の胸の内がバレているとは!
沖縄のおばぁは、大事 (とても)手ごわい。
ああ、きっと僕は、これからずっと、回診のたびにユミおばぁの餌食にされる。そして、多恵子にあることないこと言いふらすはずだ。
そうこうしているうちに、多恵子がユミおばぁの部屋へ入っていくのが見えた。
僕は気が気じゃなかった。絶体絶命とはまさにこのこと。さあ、どうする?
全然別の作業をしながらも、515号室に耳を澄ませ、脂汗がたらたら出た。程なく多恵子の笑い声が聞こえた。大声で平然と言い放っていた。
「あー、あれは対象外さー」
……あのね多恵子、君はいつもその無邪気な発言で、このナイーブな僕の心を、茅打バンタ (国頭村にある高い断崖)みたいなところから簡単ぐゎーにポーンと突き落とすわけね?
噂をされようが、何を言われようが、彼女は天真爛漫に振舞い続ける。
この調子だとほぼ一〇〇パーセント、勝算はないようにすら思えるんですけど。
でも、困ったことに……本当に困ったことに、どうしても、この人でなくちゃダメなんだ、僕は。
とにかく、成長するしかないよな。彼女が振り向いてくれる男になるしか。
今夜は向こうが誘ってくれているんだ。よし、仕事がんばろう。
僕は気持ちを切り替え、残りの仕事を猛スピードで片付けた。
きっかり七時に上がると、駐車場にある多恵子のオプティへと向かった。
多恵子が僕を見つけて手を振っている。他に誰もいない。
てことは、二人っきり、ですか? マジで? ちょっと、喜んでもいい?
「ごめんね、無理言って。助手席、乗ってよ」
「あ、ああ」
幼馴染の僕らにとって、二人っきりで車に乗るのはしごく当たり前のことだ。意識しているのは僕一人だけ。
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