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Dr. Uemaの悲惨な一日
1.悲惨な一日 午前の部
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At the Southern Hospital in Nakagusuku Village, Okinawa; August 5,1999.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
誰にでも、悲惨な一日ってのは、ある。
二年ぶりに沖縄本島を強い台風が直撃し、ようやく平穏さを取り戻し始めた夏の朝。
怒涛の台風勤務を終え、一晩休暇を取って帰寮していた僕は、鏡に向かい、ヒゲを剃っていた。僕、実はヒゲが濃いんです。サザンのロッカーにも小型電気シェーバーを常備して、朝晩二回剃ってます。なんてったって清潔感が売りの職種ですし。
で、剃ってたら、突然、シェーバーが止まった。やばい!
ヒゲが巻き込まれている! あががが!
なんとかシェーバーを外したら……刃が割れてるじゃないか。
こんな朝のクソ忙しい時に割れるなー!
とりあえず出勤。ロッカーに直行して髭剃りの続き。ついで、カンファレンス(会議。治療や診断についての話し合い)に出席。
カンファレンスが終わり、外来診療がスタートした。サザンでは、研修医にも外来診療を担当させることがあるのだ。もちろん、指導医の有馬美樹先生が、側に付き添ってくれている。
最初の患者さんは、白人の女子高生。名前はキャサリン、十六歳。カナダからの交換留学生らしい。沖縄の夏を少し楽しんで帰省するつもりが、今回の台風のせいで滞在がまだ長引いているのだ。
もう、すっごくカワイイ! 朝からこんな思いをしていいのかなーってくらい、僕は幸せだった。一分後に起こる不幸も知らずに。
“Sit down here, please !”
(ここに腰掛けて下さい)
まず、彼女を座らせた。座りにくそうだ。ずっと右膝をさすっている。
いやー、しかし、どこから見てもフランス人形みたいだな。手も足も細長くて、透き通るように白い肌。巻き毛の金髪に長い睫毛、水色の瞳。しばし診察を忘れ、僕は見とれていたが、美樹先生の咳払いで我に帰った。女医さんはチェックが厳しいのだ。
僕はおもむろに、彼女に尋ねた。
“So, what brings you here today, Katharine?”
(で、どうしてここへ来たの、キャサリン?)
“Doctor, my right knee is throbbing.”
(先生、右膝がズキズキ痛みます)
うーむ、確かに、むくんでいるかな? 水が溜まっているかもしれない。
“I'd like to examine your knee, O.K.?”
(ちょっと診てみようか?)
僕は自分のストールを彼女に引き寄せた。
“Please let me know if it hurts, Katharine.”
(痛かったら教えてね、キャサリン)
彼女が頷くのを確認して、僕は少し身を起こすと、触診のため彼女のスカートを少しだけめくった。
そして、膝を触った瞬間、反射的に彼女の足がピョコンと上がったのだ。
「……」
見事に股間をキックされ、僕はその場にうずくまった。頭から英語も日本語も消えた。
「上間先生?」
“Sorry ! Are you alright ?”
……大丈夫あらんしが……。泣ちん、良たさいーびーが、や?
その後はなんとか順調に診察をこなして、昼休みとなった。
財布が少々寂しかったのでお金を下ろしに銀行のATMへ行った……ら、あれ? 点検中?
「上間先生」
整形外科病棟ナースの津田千秋さんが僕に合図している。
「ATM、故障したの?」
「それがですねー、どこのおじぃか知りませんけど」
千秋さんは声をひそめて僕に耳打ちした。
「お札の投入口に入れ歯を落としちゃったんですって」
入れ歯、ですか。それは、壊れるでしょう。ATMでは金歯は換金できないもんね。
あの、ずっと前から疑問なんですけど、どうして病院のATMは二十四時間稼動じゃないんですか? 僕たち医療スタッフ、すっごく困ってます。急患さんが増えれば、連続二十四時間勤務なんて、当たり前の職場ですからね。なんとかなりません?
仕方がないのでお金を下ろすのをあきらめ、食堂へ行った。
こんなツイてない日は、なにかうまいものを食べるに限る。僕は珍しくソーキそばを注文した。ちょっと高いが、精をつけて午後から挽回しようと思ったのだ。
しかし僕は、肝心なことを忘れていた。いろいろあって、聴診器を首に引っ掛けたままだった。
そばを食べようとして顔を下ろした瞬間、チャポンという妙な音がした。見ると、聴診器のベル(患部に当てて音を集める部分)が、ソーキそばの汁の中で泳いでいた。
急いでトイレに行って石鹸で洗ったけど、ソーキってラードじゃないですか。なかなか汚れが落ちないんだよねー。
ああ、どうしよう、午後の回診。
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
誰にでも、悲惨な一日ってのは、ある。
二年ぶりに沖縄本島を強い台風が直撃し、ようやく平穏さを取り戻し始めた夏の朝。
怒涛の台風勤務を終え、一晩休暇を取って帰寮していた僕は、鏡に向かい、ヒゲを剃っていた。僕、実はヒゲが濃いんです。サザンのロッカーにも小型電気シェーバーを常備して、朝晩二回剃ってます。なんてったって清潔感が売りの職種ですし。
で、剃ってたら、突然、シェーバーが止まった。やばい!
ヒゲが巻き込まれている! あががが!
なんとかシェーバーを外したら……刃が割れてるじゃないか。
こんな朝のクソ忙しい時に割れるなー!
とりあえず出勤。ロッカーに直行して髭剃りの続き。ついで、カンファレンス(会議。治療や診断についての話し合い)に出席。
カンファレンスが終わり、外来診療がスタートした。サザンでは、研修医にも外来診療を担当させることがあるのだ。もちろん、指導医の有馬美樹先生が、側に付き添ってくれている。
最初の患者さんは、白人の女子高生。名前はキャサリン、十六歳。カナダからの交換留学生らしい。沖縄の夏を少し楽しんで帰省するつもりが、今回の台風のせいで滞在がまだ長引いているのだ。
もう、すっごくカワイイ! 朝からこんな思いをしていいのかなーってくらい、僕は幸せだった。一分後に起こる不幸も知らずに。
“Sit down here, please !”
(ここに腰掛けて下さい)
まず、彼女を座らせた。座りにくそうだ。ずっと右膝をさすっている。
いやー、しかし、どこから見てもフランス人形みたいだな。手も足も細長くて、透き通るように白い肌。巻き毛の金髪に長い睫毛、水色の瞳。しばし診察を忘れ、僕は見とれていたが、美樹先生の咳払いで我に帰った。女医さんはチェックが厳しいのだ。
僕はおもむろに、彼女に尋ねた。
“So, what brings you here today, Katharine?”
(で、どうしてここへ来たの、キャサリン?)
“Doctor, my right knee is throbbing.”
(先生、右膝がズキズキ痛みます)
うーむ、確かに、むくんでいるかな? 水が溜まっているかもしれない。
“I'd like to examine your knee, O.K.?”
(ちょっと診てみようか?)
僕は自分のストールを彼女に引き寄せた。
“Please let me know if it hurts, Katharine.”
(痛かったら教えてね、キャサリン)
彼女が頷くのを確認して、僕は少し身を起こすと、触診のため彼女のスカートを少しだけめくった。
そして、膝を触った瞬間、反射的に彼女の足がピョコンと上がったのだ。
「……」
見事に股間をキックされ、僕はその場にうずくまった。頭から英語も日本語も消えた。
「上間先生?」
“Sorry ! Are you alright ?”
……大丈夫あらんしが……。泣ちん、良たさいーびーが、や?
その後はなんとか順調に診察をこなして、昼休みとなった。
財布が少々寂しかったのでお金を下ろしに銀行のATMへ行った……ら、あれ? 点検中?
「上間先生」
整形外科病棟ナースの津田千秋さんが僕に合図している。
「ATM、故障したの?」
「それがですねー、どこのおじぃか知りませんけど」
千秋さんは声をひそめて僕に耳打ちした。
「お札の投入口に入れ歯を落としちゃったんですって」
入れ歯、ですか。それは、壊れるでしょう。ATMでは金歯は換金できないもんね。
あの、ずっと前から疑問なんですけど、どうして病院のATMは二十四時間稼動じゃないんですか? 僕たち医療スタッフ、すっごく困ってます。急患さんが増えれば、連続二十四時間勤務なんて、当たり前の職場ですからね。なんとかなりません?
仕方がないのでお金を下ろすのをあきらめ、食堂へ行った。
こんなツイてない日は、なにかうまいものを食べるに限る。僕は珍しくソーキそばを注文した。ちょっと高いが、精をつけて午後から挽回しようと思ったのだ。
しかし僕は、肝心なことを忘れていた。いろいろあって、聴診器を首に引っ掛けたままだった。
そばを食べようとして顔を下ろした瞬間、チャポンという妙な音がした。見ると、聴診器のベル(患部に当てて音を集める部分)が、ソーキそばの汁の中で泳いでいた。
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ああ、どうしよう、午後の回診。
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