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上間勉についての一考察
5.受験勉強
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At Nishihara Town, Okinawa; April, 1991.
The narrator of this story is Kei Shimabukuro.
俺たちは同じ高校へと進学し、理系でかつ芸術科目が同じ書道だったため、三年間クラスが一緒だった。だから、よく放課後居残って、一緒に勉強していた。
ただ、水曜日だけ、上間は用事があると言って先に帰っていた。何の用事かは言わなかったし、俺も無理に聞こうとは思わなかった。
「上間、ちょっと微積のここ、教えてもらえる?」
俺は、微分積分の問題集を開いて渡しながら、上間に尋ねた。彼は数学や物理が得意で、高校三年の四月の段階で、すでに独学で教科書を一通り終えていた。化け物だ。
「……ははーん、これ、引っ掛け問題だな。島ちゃん、この方法では解けんよ。これはね」
上間はすばやくノートに鉛筆を走らせる。
「こっちの式を使って、こう解くんだ。あとは、わかる?」
「へー、そうなるわけね」
さすが上間。俺が一時間悩んでわからん問題を、すぐに解いてみせるなんて。きっと、塾通っている奴でも、こんなにすらすらとは解かないぜ?
ちなみに俺は、公文式の英語をちょこっとと、旺文社の大学受験ラジオ講座を聴いていた。学校側が、希望者に放送テープを無料で貸し出していた。
「あ、俺も島ちゃんに聞きたかった」
上間は、鞄から地理の本を取り出した。
「ヨーロッパの国って、意味わからん。なんでこう複雑なわけ? 毎日ラジオ聞くたびに、ソ連がどうこう言ってるし」
この年はちょうど、ソ連崩壊とヨーロッパの政治再編が始まった頃だ。
「そういえば上間って、新聞取ってなかったっけ?」
「そんな金ねーよ。新聞配達のバイトしてたときは、配達所が一部くれたんだけどねー」
上間は地理の教科書から目を離し、遠くを見た。
「テレビも売っちまったし」
「え、テ、テレビもないのか?」
「あれ、電気食うからな。うち、電気代は三ケタをキープしてるの」
ま、まじで? いくら貧乏とはいえ、こいつ、なんちゅー生活をしているんだ!
「……おまえ、テレビの貧乏選手権に出れるぜ」
「やなこった。それより、地理のここ教えてよ」
「ああ、これな」
俺は自分の鞄から世界史の本を取り出しだ。社会は大得意、何でもござれだ。俺は上間に中世史のページを開いて指し示した。
「ほら、ここ読んでみ。トルコはもともと、セルジュク朝って国家を作ってたわけよ。で、エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を迫害してたわけ。それで、十一世紀から約二百年間、十字軍の遠征ってのがあって、ヨーロッパとはたびたび戦争してたの。だから、トルコはヨーロッパ諸国とは仲があまりよくない。でも、トルコはヨーロッパの文化に憧れをもっている。だから、NATOには加盟している」
「へーえ」
上間の様子を見て、俺は思わず膝を叩いた。
「わかった。なんで上間が地理に弱いのか」
「え?」
「お前、物事の背景ってのを考えてないだろ? ビンゴ?」
「……そうなのかな」
上間は首を傾げている。俺は彼の机に椅子を寄せた。
「いいか上間、地理ってのは、今までの歴史の積み重ねってのがあって、その結果として存在してる現在形なわけよ。わかる?」
「なるほど」
「だから、歴史を勉強すれば、自然と現在もわかってくる」
「ふーん」
納得しているのかしてないのか、よくわからない表情だ。
「あのさ上間、お前、医者になるんだろ?」
俺はまくし立てた。
「俺、よくわからんけど、病気ってのは、なんかこう、体に悪い生活習慣みたいなものがずーっとあって、その結果、なるものなんじゃないの? 物事の上っ面ばかり見ないで、思考回路ちょっと変えたほうがいいと思うぜ」
俺の言葉に、上間はしょげてしまった。
「島ちゃん、俺、医者に向いてないのかなー」
いや、あの、落ち込ませるつもりじゃなかったんだけど。
「そうは言ってないよ。上間はオールマイティーなんだし、医学科には受かると思うよ。ただ、そういう物事の背景を考える力っての? それがあれば、もっとずっとよくなるってことよ」
しかし、上間は落ち込んだままだ。
「そんな余裕ないよー。英検二級はとらんといけんし、サザン・ホスピタルの奨学金の申請に内申書が必要だから、学校も休めんし、かといって、電気代もったいないから、夜は電気あんまり使えんし」
上間は大きく息を吐き、目を潤ませた。サザン・ホスピタルへ提出する内申書は、特Aランクのみ有効らしい。ずる休みはもってのほか、たとえ気に入らない授業でも、万一を考えると内職すらできないのだ。
「塾や予備校行ける奴らがうらやましい」
こいつの弱音を、俺ははじめて聞いた。上間、お前、そんなに追い込まれていたのか? 気の毒に!
「所詮世の中、金だよなー。もう俺、こんな生活イヤだ」
「ま、まあまあ、そんな落ち込まない!」
俺は必死になって上間を慰めるべく、明るい口調でこう切り出した。
「ほら、琉大の医学科に入れば、バイトには困らんよ。家庭教師は引っ張りだこだし、塾の講師も給料かなり高いらしいぜ? あと、医者の卵って言えば女の子も寄ってくるし。コンパし放題ってもんよ」
すると、上間はガバッと顔を上げ、俺に詰め寄った。
「島ちゃん、それ、ホント? ホントなの?」
「え、ああ、まあ、……そうね」
驚いた。なんと、さきほどまでの暗さはどこへやら、上間は子供のようにはしゃぎだしたのだ!
「よーし、俺、勉強がんばるぞー、未来は明るい!」
彼は急にニコニコしながら片付けをはじめた。
「俺、帰る。じゃ、島ちゃーん、一緒に琉海大行こうねー。バイバーイ!」
「お、おい、上間?」
「金、金、女の子、いいなー、最高だなー! わーい、わーい!」
唖然とする俺を置いて、彼は浮かれながら鼻歌交じりで去っていった。
俺は頭を抱えてしまった。う、上間が壊れた……。うそだろ?
The narrator of this story is Kei Shimabukuro.
俺たちは同じ高校へと進学し、理系でかつ芸術科目が同じ書道だったため、三年間クラスが一緒だった。だから、よく放課後居残って、一緒に勉強していた。
ただ、水曜日だけ、上間は用事があると言って先に帰っていた。何の用事かは言わなかったし、俺も無理に聞こうとは思わなかった。
「上間、ちょっと微積のここ、教えてもらえる?」
俺は、微分積分の問題集を開いて渡しながら、上間に尋ねた。彼は数学や物理が得意で、高校三年の四月の段階で、すでに独学で教科書を一通り終えていた。化け物だ。
「……ははーん、これ、引っ掛け問題だな。島ちゃん、この方法では解けんよ。これはね」
上間はすばやくノートに鉛筆を走らせる。
「こっちの式を使って、こう解くんだ。あとは、わかる?」
「へー、そうなるわけね」
さすが上間。俺が一時間悩んでわからん問題を、すぐに解いてみせるなんて。きっと、塾通っている奴でも、こんなにすらすらとは解かないぜ?
ちなみに俺は、公文式の英語をちょこっとと、旺文社の大学受験ラジオ講座を聴いていた。学校側が、希望者に放送テープを無料で貸し出していた。
「あ、俺も島ちゃんに聞きたかった」
上間は、鞄から地理の本を取り出した。
「ヨーロッパの国って、意味わからん。なんでこう複雑なわけ? 毎日ラジオ聞くたびに、ソ連がどうこう言ってるし」
この年はちょうど、ソ連崩壊とヨーロッパの政治再編が始まった頃だ。
「そういえば上間って、新聞取ってなかったっけ?」
「そんな金ねーよ。新聞配達のバイトしてたときは、配達所が一部くれたんだけどねー」
上間は地理の教科書から目を離し、遠くを見た。
「テレビも売っちまったし」
「え、テ、テレビもないのか?」
「あれ、電気食うからな。うち、電気代は三ケタをキープしてるの」
ま、まじで? いくら貧乏とはいえ、こいつ、なんちゅー生活をしているんだ!
「……おまえ、テレビの貧乏選手権に出れるぜ」
「やなこった。それより、地理のここ教えてよ」
「ああ、これな」
俺は自分の鞄から世界史の本を取り出しだ。社会は大得意、何でもござれだ。俺は上間に中世史のページを開いて指し示した。
「ほら、ここ読んでみ。トルコはもともと、セルジュク朝って国家を作ってたわけよ。で、エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を迫害してたわけ。それで、十一世紀から約二百年間、十字軍の遠征ってのがあって、ヨーロッパとはたびたび戦争してたの。だから、トルコはヨーロッパ諸国とは仲があまりよくない。でも、トルコはヨーロッパの文化に憧れをもっている。だから、NATOには加盟している」
「へーえ」
上間の様子を見て、俺は思わず膝を叩いた。
「わかった。なんで上間が地理に弱いのか」
「え?」
「お前、物事の背景ってのを考えてないだろ? ビンゴ?」
「……そうなのかな」
上間は首を傾げている。俺は彼の机に椅子を寄せた。
「いいか上間、地理ってのは、今までの歴史の積み重ねってのがあって、その結果として存在してる現在形なわけよ。わかる?」
「なるほど」
「だから、歴史を勉強すれば、自然と現在もわかってくる」
「ふーん」
納得しているのかしてないのか、よくわからない表情だ。
「あのさ上間、お前、医者になるんだろ?」
俺はまくし立てた。
「俺、よくわからんけど、病気ってのは、なんかこう、体に悪い生活習慣みたいなものがずーっとあって、その結果、なるものなんじゃないの? 物事の上っ面ばかり見ないで、思考回路ちょっと変えたほうがいいと思うぜ」
俺の言葉に、上間はしょげてしまった。
「島ちゃん、俺、医者に向いてないのかなー」
いや、あの、落ち込ませるつもりじゃなかったんだけど。
「そうは言ってないよ。上間はオールマイティーなんだし、医学科には受かると思うよ。ただ、そういう物事の背景を考える力っての? それがあれば、もっとずっとよくなるってことよ」
しかし、上間は落ち込んだままだ。
「そんな余裕ないよー。英検二級はとらんといけんし、サザン・ホスピタルの奨学金の申請に内申書が必要だから、学校も休めんし、かといって、電気代もったいないから、夜は電気あんまり使えんし」
上間は大きく息を吐き、目を潤ませた。サザン・ホスピタルへ提出する内申書は、特Aランクのみ有効らしい。ずる休みはもってのほか、たとえ気に入らない授業でも、万一を考えると内職すらできないのだ。
「塾や予備校行ける奴らがうらやましい」
こいつの弱音を、俺ははじめて聞いた。上間、お前、そんなに追い込まれていたのか? 気の毒に!
「所詮世の中、金だよなー。もう俺、こんな生活イヤだ」
「ま、まあまあ、そんな落ち込まない!」
俺は必死になって上間を慰めるべく、明るい口調でこう切り出した。
「ほら、琉大の医学科に入れば、バイトには困らんよ。家庭教師は引っ張りだこだし、塾の講師も給料かなり高いらしいぜ? あと、医者の卵って言えば女の子も寄ってくるし。コンパし放題ってもんよ」
すると、上間はガバッと顔を上げ、俺に詰め寄った。
「島ちゃん、それ、ホント? ホントなの?」
「え、ああ、まあ、……そうね」
驚いた。なんと、さきほどまでの暗さはどこへやら、上間は子供のようにはしゃぎだしたのだ!
「よーし、俺、勉強がんばるぞー、未来は明るい!」
彼は急にニコニコしながら片付けをはじめた。
「俺、帰る。じゃ、島ちゃーん、一緒に琉海大行こうねー。バイバーイ!」
「お、おい、上間?」
「金、金、女の子、いいなー、最高だなー! わーい、わーい!」
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