サザン・ホスピタル byうるかみるく

くるみあるく

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Part4 Starting Over

Chapter_02.行逢りば兄弟(いちゃりばちょーでー)(4)飛行機での出来事

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At UCLA, Los Angeles, California; February 14, 2001.
In airplane above Pacific Ocean heading toward Japan; February 14, 2001.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

そして僕は、近くのホテルで最後の夜を明かした。
飛行機が早い便なので、僕はアパートの部屋から持ち出した本を読んでいた。故・井村和清さんの『飛鳥あすかへ、そしてまだ見ぬ子へ』という本だ。ベストセラーで後に映画にもなったから、ご存知の読者の方も多いだろう。
井村さんは富山のご出身だが、沖縄の中部病院でインターンとして勤務し、その後沖縄の女性と結婚した。最初のお嬢さんが一歳の誕生日を迎えた頃、自分の右足にできたガンに気づく。ほどなく右足を切断。それでも内科医として頑張っていたものの、ついに二番目の子供の顔を見ることもなく、若くしてこの世を去った。
井村さんは闘病生活を続けながら、日本の医療のあり方やホスピスのあり方について押し付けがましい意見をするのではなく、医者として患者として両方の立場から読者に穏やかに提言するという手法で、また家庭をもつ夫として、幼い子供を持つ父親という視点からこの本を書いた。ベストセラーになった理由は、井村さんの人となりを感じさせる温かさ溢れるその文章にあるだろう。
僕が新垣あらかき商店のおばさんを救って医者になりたいと考えたとき、真っ先に学校の図書館で借りたのがこの本だった。当時、中学二年生だった僕は書かれた内容に衝撃を受け、一度ならず三度くらい借りてむさぼり読んだものだ。琉海大に入学した最初の夏、偶然、古本屋で見つけて即買いした。それから後も何度となく目を通したはずだが、ここ数年はめくったこともなかった。
僕は、井村さんの言葉を改めて一つ一つ指でなぞりながら、僕の心に深くたたきつけた。着いたあの日と同じように、どこからかヘリコプターがやってきて、大音響でホテル中の壁を揺らした。

ヘリから漏れる明かりを見ながら、僕は決意した。
神様は僕に、サンシンを弾く手を、メスを握る手を残してくれた
沖縄に帰って、サザンが、もしも僕に居場所を与えてくれるなら。
僕が患者さんに与えてみよう。井村さんが望んだ医療を。外科医としてのテクニックだけではなく、心を通わせる、真の医療を。
でも、患者さんに全力で向き合えなくなったら、外科医としてのテクニックを施すことができなくなったら、その時はさっさと外科医から方向転換しよう。
その時まで、全力で、できるだけのことはやってみよう、と。

二〇〇一年のバレンタイン・デーに、僕はロサンゼルスを離れた。
その日は朝から雨がぱらついていた。ホテルからタクシーを走らせ、UCLAを見納めに行った僕は、最後に多恵子と眺めたあのデイゴの木を尋ねた。デイゴは、ひとつだけ、ちゃんと真っ赤な花を咲かせていた。僕は再びタクシーに乗り込み、ロサンゼルス国際空港へ向かった。

関西空港行きのANAの飛行機が離陸して、三、四時間立った頃だろうか。
昼食を食べ終えシートに座ってうつらうつらしていた僕は、子供の泣き声で目が覚めた。僕の後ろ側、どうやらトイレの近くからその声はする。キャビン・アテンダントの方が二名、泣き声の方へ向かったが、すぐに機内アナウンスが流れた。
「機内にお医者さんはいらっしゃいますか?」
僕は、手を上げた。実際のところ眠くて仕方がなかったのだが、こうも泣かれては寝付けるはずがなかった。

キャビン・アテンダントの方は最初、僕を患者さんの方まで連れて行こうとしたが、僕が立ち上がれないと見て取ると、今度は患者さんである子供を抱きかかえて連れてきた。四つくらいの男の子だ。一目見て、何が起こったか、すぐわかった。泣きわめく彼の右腕が、だらりと垂れ下がったまま動かなかったからだ。僕は子供の母親に尋ねた。
「どうしました?」
僕が日本語を話すことに安心したらしい。母親が縋りつくように早口でしゃべった。
「トイレに連れてって用を足したら、転びそうになって、腕を引いたんです。そしたら」
間違いない。これは肘内障ちゅうないしょう。簡単に言えば、引っ張ったはずみで腕が抜けてしまったのだ。
「すぐ治りますよ。おいで」
機内は空いていた。僕は男の子を隣の席へ座らせた。向き合って右手で右腕を取り、肘の部分を左手親指でしっかり押さえる。
「せーの!」
僕は右腕を左方向へひねった。すると、子供はぴたりと泣き止んだ。整復成功。抱きかかえて母親の方を向かせると、もうお母さんに右手を伸ばしている。現金なものだねー。
「すごーい、魔法みたい!」
キャビン・アテンダントさんたちが喚声をあげた。美人から褒められて、悪い気はしない。
「これからは、あまり腕を強く引っ張らないようにしてくださいね」
「ありがとうございました!」
お母さんの腕の中で、すっかり治った患者さんが、僕に右手を振ってバイバイした。

幸先のいいスタートだな。
座席に戻る親子を見て、僕は自分にそっとつぶやいた。子供は父親とおぼしき男性の腕にだかれて、きゃっきゃとはしゃいでいる。その側には、安堵した母親の顔があった。
ふと、多恵子の面影が浮かんだ。いつも僕を明るくしてくれる、あの笑顔をたたえて。

もし、多恵子が、変わらぬ気持ちで僕を待っていてくれるなら、いつか、あの親子みたいに、飛行機で旅行とか、できるのかな?

不安と期待とが入り混じり、僕は落ち着かなくなった。うまい具合に、先ほどのキャビン・アテンダントさんが、僕にコーヒーとキャンディを差し入れてくれた。僕はお礼を言ってキャンディを舐めながら、コーヒーを啜った。心がなごみ、しばらく後、僕は深い眠りに落ちた。

そう、この時、僕は全く気づいていなかった。知らず知らずのうちに僕が悲劇の引き金を引いていて多恵子から笑顔を奪ってしまってたなんて、予想だにしなかったのだ。
次章へTo be continued.

注記 肘内障の治療は医療行為です。素人の方が行うと肘の神経に影響を及ぼすことがあります。このような症状があらわれた場合は、速やかにしかるべき医療機関を受診してください。
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