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Part3 The year of 2000
Chapter_06.エイサーの夜(1)糸満ハーレー~勉、国吉先生と会う
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At Itoman Ciry, June 5, 2000.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
久々に勉君のモノローグです。
旧暦の五月四日。それは、糸満ハーレーの開催日だ。
ハーレーの起源については、中国の屈原の故事にまつわるとか、沖縄各地に伝わる豊年祭や海神祭に関係あるとかないとか言われている。とにかく、舟漕ぎ競争というものは世界各地で広く行われているものらしい。豊穣に感謝の念を捧げる祭であることは間違いなさそうだ。
ハーレー競争が始まる一週間前、糸満港を見下ろす山巓毛という丘で、ハーレー鉦が鳴らされる。この鉦が鳴ると、梅雨が明けるといわれている。このころから次第に糸満の街は普段とは違う活気に包まれ、お祭りムードで盛り上がる。西村、中村、新島の各集落では、全ての男たちが舟の整備と舟漕ぎの練習に明け暮れ、女たちは神祭りの準備に駆け回る。そして当日は、ほとんどの職場が開店休業状態になる。市内の学校も、もちろんお休みだ。
僕はこの街に三つのころまでしかいなかったけど、ハーレーのことはよく覚えている。祭の当日は、早朝からハーレー鉦がカーンカーンと鳴り響き、ハーレー歌という神歌が集落のスピーカーから一斉に流れ出す。僕たち男の子はみな、自分の集落の舟の晴れ姿を一目見ようと我先に糸満港へと駆け出したものだ。そして、年長者たちのカッコイイ漕ぎ手姿に、未来の自己像を重ね合わせる。いつかは名誉ある一番櫂を受け持つこと。糸満の男たちの夢は今も昔も変わらない。
今年のハーレーは新暦の六月五日、月曜日に当たった。大学のときに見に来て以来もう五年以上ハーレーを見ていなかったが、アメリカに行く前にどうしてもこの目に収めておきたくて、午後、僕は半休を取った。
中城から車を飛ばし、なんとか糸満市内にたどり着く。糸満ハーレーはかなり有名な行事で、当日の交通規制は大変なものだ。僕は近くの駐車場に車を停め、タクシーを飛ばすことにした。
なんとか最終行事である上がり勝負に間に合った。2㎞以上の距離を競うこのレースが、祭りのフィナーレを飾る。会場のアナウンスとともに各集落から選りすぐりの精鋭たちが舟に乗り込むと、会場は異様な興奮状態に包まれた。
僕は、群集の後ろ側のポジションにいた。背が高いというのはこんなとき便利だ。昔住んでいた集落の人間から声を掛けられるのが嫌だったので、僕は野球帽を被り、サングラスを掛け、いつものごとくBOBSONのジーンズという出で立ちをしていた。周囲からはただの外国人観光客にしか見えなかっただろう。
勝負が始まった。各集落の舟が一斉にスタートを切った。水音とともに舵の動きを鼓舞する鉦打ちのハーレー鉦が鳴り響き、海風に乗って周囲の喚声と指笛が飛び交う。
コンタクトを入れた僕の視力は1.2に調整されているはずだ。勝負の行方を追う僕の視界に、気になる人物の姿が飛び込んできた。
160㎝近い身長のやせ気味な女性だ。サングラスに長い金髪を結い上げ、唇の左際には大きなほくろがあった。
僕は目を見開いた。間違いない。母さんだ!
僕は彼女に近づこうと、必死になって群集をかき分けた。しかし、ちょうど目の前から、職域対抗ハーレーで優勝争いを繰り広げた一団が数珠繋ぎに通っていった。
彼らが通り過ぎた時には、彼女の姿はどこかへ消え失せていた。
母さんは、生きている。
僕は自分の左頬の赤あざに手をやった。
僕がアメリカから帰って、一人前になったら、
僕が家庭を持って、自分自身に胸を張れるようになったら、
きっとまた会う日が来る。そう信じよう。
気がつくと、上がり勝負の終了を知らせる鉦の音が鳴り響いた。
「おい、上間か?」
帰る人々がごった返す中、僕に声を掛ける人の姿があった。中学時代、二年三組の担任だった国吉先生だった。
「そうか、九月からアメリカへ行くのか」
僕らは近くのファーストフード店でアイスコーヒーを飲んでいた。国吉先生は今年、糸満市内の中学校に着任したばかりだ。
「私も二十年ほど前に留学したことがあるんだ。サンフランシスコだったがね」
聞くところによると、音声学の修士論文を完成させるため一年間留学なさっていたそうだ。
「毎日ずっと文献と睨めっこでな、ストレス太りってやつになったぞー。家内が尋ねてきたとき、空港で出迎えたらびっくりされてな。なにせ十キロ太ったから」
先生はそう言って朗らかに笑った。
「今回の話はDr. Caldwellの推薦だったんです」
「そうか。CaldwellさんはUCLAのご出身だったっけ。お前、運がいいな。普通ならマッチングを志望しても、なかなか行けないところらしいぞ」
「これも先生があの日、僕をDr. Caldwellのホームパーティーへ連れて行ってくださったお陰です。ありがとうございました」
僕は頭を下げた。貧乏だった僕が医者になれたのも、国吉先生のアドバイスと温かい励ましがあってこそだ。
「バカ言え。お前の努力の賜物だろうが」
国吉先生は窓際の観葉植物を眺めた。
「それで上間、多恵子はどうするんだ?」
ゴホッ、ゴホッ、……あー、むせちゃったじゃないですか!
アイスコーヒーをストローで吸った瞬間に、そんなこと聞かないで下さいよ。
先生は慌てふためく僕を見てくすりと笑った。
「一昨日の夜、西原のあたりをドライブしてたら偶然島袋に会ってなー。お前に散々絡まれたってこぼしてたぞー」
し、島ちゃん、先生に何を話したの?
顔が真っ赤に染まるのが自分でもわかる。
「い、いや、まだ何も決まってませんから」
必死で首を振った。今更後悔しても遅いけど、こうなるとわかっていれば、誰にも話すんじゃなかった!
「ま、じっくり仲良くやるんだな。お前たちなら大丈夫だろ」
……そんな軽く結論付けないで下さいよ。俺、返事もらってないんですよ?
国吉先生と駐車場で別れて後、島ちゃんに抗議のメールを入れたら、こんな返事が返ってきた。
文句言うなよ。飲み代は俺が全額立て替えたんだぜ?
ほかに話されたくなかったら、さっさと二千円よこしなさい。
おいおい、人の噂も金次第かい?
僕は舌打ちしてエンジンを掛け、糸満の街を後にした。 ((2)へつづく)
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
久々に勉君のモノローグです。
旧暦の五月四日。それは、糸満ハーレーの開催日だ。
ハーレーの起源については、中国の屈原の故事にまつわるとか、沖縄各地に伝わる豊年祭や海神祭に関係あるとかないとか言われている。とにかく、舟漕ぎ競争というものは世界各地で広く行われているものらしい。豊穣に感謝の念を捧げる祭であることは間違いなさそうだ。
ハーレー競争が始まる一週間前、糸満港を見下ろす山巓毛という丘で、ハーレー鉦が鳴らされる。この鉦が鳴ると、梅雨が明けるといわれている。このころから次第に糸満の街は普段とは違う活気に包まれ、お祭りムードで盛り上がる。西村、中村、新島の各集落では、全ての男たちが舟の整備と舟漕ぎの練習に明け暮れ、女たちは神祭りの準備に駆け回る。そして当日は、ほとんどの職場が開店休業状態になる。市内の学校も、もちろんお休みだ。
僕はこの街に三つのころまでしかいなかったけど、ハーレーのことはよく覚えている。祭の当日は、早朝からハーレー鉦がカーンカーンと鳴り響き、ハーレー歌という神歌が集落のスピーカーから一斉に流れ出す。僕たち男の子はみな、自分の集落の舟の晴れ姿を一目見ようと我先に糸満港へと駆け出したものだ。そして、年長者たちのカッコイイ漕ぎ手姿に、未来の自己像を重ね合わせる。いつかは名誉ある一番櫂を受け持つこと。糸満の男たちの夢は今も昔も変わらない。
今年のハーレーは新暦の六月五日、月曜日に当たった。大学のときに見に来て以来もう五年以上ハーレーを見ていなかったが、アメリカに行く前にどうしてもこの目に収めておきたくて、午後、僕は半休を取った。
中城から車を飛ばし、なんとか糸満市内にたどり着く。糸満ハーレーはかなり有名な行事で、当日の交通規制は大変なものだ。僕は近くの駐車場に車を停め、タクシーを飛ばすことにした。
なんとか最終行事である上がり勝負に間に合った。2㎞以上の距離を競うこのレースが、祭りのフィナーレを飾る。会場のアナウンスとともに各集落から選りすぐりの精鋭たちが舟に乗り込むと、会場は異様な興奮状態に包まれた。
僕は、群集の後ろ側のポジションにいた。背が高いというのはこんなとき便利だ。昔住んでいた集落の人間から声を掛けられるのが嫌だったので、僕は野球帽を被り、サングラスを掛け、いつものごとくBOBSONのジーンズという出で立ちをしていた。周囲からはただの外国人観光客にしか見えなかっただろう。
勝負が始まった。各集落の舟が一斉にスタートを切った。水音とともに舵の動きを鼓舞する鉦打ちのハーレー鉦が鳴り響き、海風に乗って周囲の喚声と指笛が飛び交う。
コンタクトを入れた僕の視力は1.2に調整されているはずだ。勝負の行方を追う僕の視界に、気になる人物の姿が飛び込んできた。
160㎝近い身長のやせ気味な女性だ。サングラスに長い金髪を結い上げ、唇の左際には大きなほくろがあった。
僕は目を見開いた。間違いない。母さんだ!
僕は彼女に近づこうと、必死になって群集をかき分けた。しかし、ちょうど目の前から、職域対抗ハーレーで優勝争いを繰り広げた一団が数珠繋ぎに通っていった。
彼らが通り過ぎた時には、彼女の姿はどこかへ消え失せていた。
母さんは、生きている。
僕は自分の左頬の赤あざに手をやった。
僕がアメリカから帰って、一人前になったら、
僕が家庭を持って、自分自身に胸を張れるようになったら、
きっとまた会う日が来る。そう信じよう。
気がつくと、上がり勝負の終了を知らせる鉦の音が鳴り響いた。
「おい、上間か?」
帰る人々がごった返す中、僕に声を掛ける人の姿があった。中学時代、二年三組の担任だった国吉先生だった。
「そうか、九月からアメリカへ行くのか」
僕らは近くのファーストフード店でアイスコーヒーを飲んでいた。国吉先生は今年、糸満市内の中学校に着任したばかりだ。
「私も二十年ほど前に留学したことがあるんだ。サンフランシスコだったがね」
聞くところによると、音声学の修士論文を完成させるため一年間留学なさっていたそうだ。
「毎日ずっと文献と睨めっこでな、ストレス太りってやつになったぞー。家内が尋ねてきたとき、空港で出迎えたらびっくりされてな。なにせ十キロ太ったから」
先生はそう言って朗らかに笑った。
「今回の話はDr. Caldwellの推薦だったんです」
「そうか。CaldwellさんはUCLAのご出身だったっけ。お前、運がいいな。普通ならマッチングを志望しても、なかなか行けないところらしいぞ」
「これも先生があの日、僕をDr. Caldwellのホームパーティーへ連れて行ってくださったお陰です。ありがとうございました」
僕は頭を下げた。貧乏だった僕が医者になれたのも、国吉先生のアドバイスと温かい励ましがあってこそだ。
「バカ言え。お前の努力の賜物だろうが」
国吉先生は窓際の観葉植物を眺めた。
「それで上間、多恵子はどうするんだ?」
ゴホッ、ゴホッ、……あー、むせちゃったじゃないですか!
アイスコーヒーをストローで吸った瞬間に、そんなこと聞かないで下さいよ。
先生は慌てふためく僕を見てくすりと笑った。
「一昨日の夜、西原のあたりをドライブしてたら偶然島袋に会ってなー。お前に散々絡まれたってこぼしてたぞー」
し、島ちゃん、先生に何を話したの?
顔が真っ赤に染まるのが自分でもわかる。
「い、いや、まだ何も決まってませんから」
必死で首を振った。今更後悔しても遅いけど、こうなるとわかっていれば、誰にも話すんじゃなかった!
「ま、じっくり仲良くやるんだな。お前たちなら大丈夫だろ」
……そんな軽く結論付けないで下さいよ。俺、返事もらってないんですよ?
国吉先生と駐車場で別れて後、島ちゃんに抗議のメールを入れたら、こんな返事が返ってきた。
文句言うなよ。飲み代は俺が全額立て替えたんだぜ?
ほかに話されたくなかったら、さっさと二千円よこしなさい。
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