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Part1 My Boyhood
Chapter_06.絶縁(2)もう一人の男の子
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At Nishihara Town, Okinawa; December,1989
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
気がつくと、僕は眼鏡を掛けて家を飛び出し、自転車を走らせていた。
頼りになる人は、一人しかいなかった。
東風平家の前に来たものの、どうしてよいかわからず、僕はただ門の前で座り込んでいた。やがて、遠くから師匠の運転する個人タクシーが近づいてくるのが見えた。
「勉? 如何さが? 勉?」
師匠が驚いて車から降りてきたが、僕はただ体を震わせ、すすり泣くばかりだった。
「此処んかい居いねー、体冷じゅらすんどー。家んかい入れー、ん?」
師匠の優しい声に促されても、僕は泣きながら首を振った。
「多恵子がいる……」
同級生の女の子に、こんなべそをかく姿なんか見られたくなかった。
「……判たん」
師匠はタクシーの助手席側のドアを開けた。
「我車んかい、乗れー。久々に、ドライブ小しちんーだやー」
僕らはずっと黙ったままだった。師匠は、東海岸方向に向かって車を走らせているようだった。やがて、車は大きな坂道を登った。目の前に中城湾の夜景が大きく広がった。
「師匠、ここは」
「勉、後、見ちまー」
言われるままに後ろを振り返ると、白くて立派なビルがライトアップされていた。光り輝くその姿は、映画に出てくる巨大なホテルを思わせた。その壮大さに、僕は息を呑んだ。
「サザン・ホスピタルやさ」
「これが……サザン・ホスピタル」
それは、いままでパンフレットでしか知らなかったサザン・ホスピタルだった。玄関には黒塗りのリムジンがいくつも寄せられている。とても病院には見えない。
当時のサザン・ホスピタルは、在沖米海軍から独立したばかりの、いわゆる高級医療施設だった。政府要人をはじめ、主にリゾートに訪れた上流階級の外国人客を相手に、ホテル並みのサービスで医療行為を行っていた。
「勉、汝、此処ぬ医者んかい、なゆんでぃやー。多恵子から聞ちゃさ」
師匠が静かに切り出した。中二の時のあの派手な言い争いのせいで、僕が医者になりたがっていることは、多恵子も知っていた。
「汝やれー、いい医者んかい、なゆるはじ。気張りよーやー」
師匠の励ましの言葉に、僕は首を振った。
「師匠、我ねー、医者んかい、なれーゆーさん」
「……何んち、よ?」
僕は泣き震えながら、師匠に全部話した。母親が居なくなったこと、通帳には三十五万しかなかったこと、糸満から叔父がやってきて財産分与の話で揉め、上間の家の敷居は二度とまたぐなと言われたこと。涙が次から次へと溢れてきて止まらなかった。
「勉、にふぇーどー。良ー言ち呉たんやー」
師匠は、話し終えた僕の肩を優しく叩いた。
「汝や、いっぺーにか義理立ちっし、我達んかいや何ん言らんくとぅ、何考ーてぃ居がやーんでぃ思とーたん。勉、心配すな。銭やれー、有んどー」
「師匠?」
驚いて僕は叫んだ。
「うれー、ないびらんしが!」
必死で断った。アパートの家賃に加え、高校の授業料と大学受験、一万や二万で済む問題ではないのだ。僕のことで東風平家に迷惑を掛けるわけにはいかなかった。
が、師匠は僕の顔を眺めながら、思いがけない話をはじめた。
「勉、実ぇー、我達んかいや、多恵子ぬ前なかい、男の子ぬ居たんよー」
「……男の子?」
「なー、二十年になゆがやー。どぅく体弱さる童やたさ。満産祝儀迎る前なかい、彼方んかい走いたん」
満産祝儀は、満産祝いとも言う。日本のお七夜のことだ。沖縄でもご馳走をこしらえ、子供のお披露目や命名など親戚一同を招いて大きなお祝いをする慣わしがある。でも、東風平家に生まれた最初の男の子は、お七夜を迎えることが出来なかったのだ。
「うぬ童ん、汝如っし、顔ぬ此処なかい、赤あざ小ぬ有たんよー」
師匠は僕の左頬を指差した。亡くなった男の子にも、赤あざがあったのだと言う。僕は師匠の話に驚き、ただ黙っていた。
「我が多恵子の小学校ぬ授業参観んかい行じゃるばすに、初みてぃ汝姿見じゃしが、あはー、アメリカーぬ童にん、赤あざ小ぬ居てーさやー、んでぃ、我ね思いたん」
「……あんどぅやいびーてぃー」
そうか。だから、師匠も、東風平のおばさんも、こんなに良くしてくれていたのか。
「やくとぅ、あぬ新垣商店居てぃ、汝、行逢たる時、チョコレート小やれー、呉てぃん済むさやーんでぃ思みたる事てー」
僕は、師匠や東風平のおばさんの親切がありがたくて、話を聞きながらずっと泣いていた。
僕の心の中には、ある歌が流れていた。きっと師匠の心にも同じ歌が流れていたと思う。それは、「子持節」という琉球古典音楽だ。
誰ゆ恨めとて (誰を恨めといって)
鳴きゆが浜千鳥 (鳴くのか、浜の千鳥よ)
逢わぬつれなさや (逢えない辛さは)
我身も共に (私も一緒なのだ)
「二揚げ」(サンシンの第二弦を一音階上げる調弦法)で演奏されるこの曲は、子供を無常にも奪われた親の気持ちを悲しく切々と歌い上げる。中城湾を照らす寂しい冬の月の光が、僕らにも降り注いでいた。
やがて、師匠がつぶやいた。
「勉、汝とぅ、あぬ童とぅ、重なてぃ見ーゆしぇー、汝んかいや迷惑どぅやがやー?」
そんな! 迷惑だなんて! 僕だって、僕だって同じ気持ちなのに!
僕は泣きながら首を振った。叫ぶように言葉がほとばしり出た。
「師匠、我にんかいや、男親ぬ居いびらんくとぅ」
後は言葉にならなかった。嗚咽がこみ上げ、僕は激しく泣いた。師匠は僕を抱きしめると、優しく背中を叩いてくれた。
「判とーん、判とーんどー。勉、銭ぬ心配すなよーな。うれー、我達がしー欲さどぅ、すくとぅ、何ん心配すなよー」
師匠の言葉が心にしみた。僕はただ泣きながら頷いた。誰かに抱きついて号泣するなんて、生まれて初めてだった。皮肉にも、母親が姿を消した夜、僕は初めて心を許せる家族ともいうべき存在を見つけたのだ。
あくる日の稽古の席で、師匠と僕はお金の話をした。とにかく、アパートの家賃と高校の授業料だけは師匠に立て替えてもらい、光熱費その他は僕自身でなんとかすることになった。師匠は、もっと出してもいいとおっしゃったけど、それは丁重にお断りした。早く医学部に合格してサザン・ホスピタルから奨学金を貰い、自立した生活を送れるようにすることがなによりの恩返しと考えた僕は、今まで以上に受験勉強に励むようになった。
……が、このように事態が大きく進展していたにもかかわらず、あの鈍感な多恵子は、まだなーんにも気がついてなかったのだった。彼女が僕らの関係に気がついたのは、ずっとずっと後の話だ。
というわけで、次章へTo be continued.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
気がつくと、僕は眼鏡を掛けて家を飛び出し、自転車を走らせていた。
頼りになる人は、一人しかいなかった。
東風平家の前に来たものの、どうしてよいかわからず、僕はただ門の前で座り込んでいた。やがて、遠くから師匠の運転する個人タクシーが近づいてくるのが見えた。
「勉? 如何さが? 勉?」
師匠が驚いて車から降りてきたが、僕はただ体を震わせ、すすり泣くばかりだった。
「此処んかい居いねー、体冷じゅらすんどー。家んかい入れー、ん?」
師匠の優しい声に促されても、僕は泣きながら首を振った。
「多恵子がいる……」
同級生の女の子に、こんなべそをかく姿なんか見られたくなかった。
「……判たん」
師匠はタクシーの助手席側のドアを開けた。
「我車んかい、乗れー。久々に、ドライブ小しちんーだやー」
僕らはずっと黙ったままだった。師匠は、東海岸方向に向かって車を走らせているようだった。やがて、車は大きな坂道を登った。目の前に中城湾の夜景が大きく広がった。
「師匠、ここは」
「勉、後、見ちまー」
言われるままに後ろを振り返ると、白くて立派なビルがライトアップされていた。光り輝くその姿は、映画に出てくる巨大なホテルを思わせた。その壮大さに、僕は息を呑んだ。
「サザン・ホスピタルやさ」
「これが……サザン・ホスピタル」
それは、いままでパンフレットでしか知らなかったサザン・ホスピタルだった。玄関には黒塗りのリムジンがいくつも寄せられている。とても病院には見えない。
当時のサザン・ホスピタルは、在沖米海軍から独立したばかりの、いわゆる高級医療施設だった。政府要人をはじめ、主にリゾートに訪れた上流階級の外国人客を相手に、ホテル並みのサービスで医療行為を行っていた。
「勉、汝、此処ぬ医者んかい、なゆんでぃやー。多恵子から聞ちゃさ」
師匠が静かに切り出した。中二の時のあの派手な言い争いのせいで、僕が医者になりたがっていることは、多恵子も知っていた。
「汝やれー、いい医者んかい、なゆるはじ。気張りよーやー」
師匠の励ましの言葉に、僕は首を振った。
「師匠、我ねー、医者んかい、なれーゆーさん」
「……何んち、よ?」
僕は泣き震えながら、師匠に全部話した。母親が居なくなったこと、通帳には三十五万しかなかったこと、糸満から叔父がやってきて財産分与の話で揉め、上間の家の敷居は二度とまたぐなと言われたこと。涙が次から次へと溢れてきて止まらなかった。
「勉、にふぇーどー。良ー言ち呉たんやー」
師匠は、話し終えた僕の肩を優しく叩いた。
「汝や、いっぺーにか義理立ちっし、我達んかいや何ん言らんくとぅ、何考ーてぃ居がやーんでぃ思とーたん。勉、心配すな。銭やれー、有んどー」
「師匠?」
驚いて僕は叫んだ。
「うれー、ないびらんしが!」
必死で断った。アパートの家賃に加え、高校の授業料と大学受験、一万や二万で済む問題ではないのだ。僕のことで東風平家に迷惑を掛けるわけにはいかなかった。
が、師匠は僕の顔を眺めながら、思いがけない話をはじめた。
「勉、実ぇー、我達んかいや、多恵子ぬ前なかい、男の子ぬ居たんよー」
「……男の子?」
「なー、二十年になゆがやー。どぅく体弱さる童やたさ。満産祝儀迎る前なかい、彼方んかい走いたん」
満産祝儀は、満産祝いとも言う。日本のお七夜のことだ。沖縄でもご馳走をこしらえ、子供のお披露目や命名など親戚一同を招いて大きなお祝いをする慣わしがある。でも、東風平家に生まれた最初の男の子は、お七夜を迎えることが出来なかったのだ。
「うぬ童ん、汝如っし、顔ぬ此処なかい、赤あざ小ぬ有たんよー」
師匠は僕の左頬を指差した。亡くなった男の子にも、赤あざがあったのだと言う。僕は師匠の話に驚き、ただ黙っていた。
「我が多恵子の小学校ぬ授業参観んかい行じゃるばすに、初みてぃ汝姿見じゃしが、あはー、アメリカーぬ童にん、赤あざ小ぬ居てーさやー、んでぃ、我ね思いたん」
「……あんどぅやいびーてぃー」
そうか。だから、師匠も、東風平のおばさんも、こんなに良くしてくれていたのか。
「やくとぅ、あぬ新垣商店居てぃ、汝、行逢たる時、チョコレート小やれー、呉てぃん済むさやーんでぃ思みたる事てー」
僕は、師匠や東風平のおばさんの親切がありがたくて、話を聞きながらずっと泣いていた。
僕の心の中には、ある歌が流れていた。きっと師匠の心にも同じ歌が流れていたと思う。それは、「子持節」という琉球古典音楽だ。
誰ゆ恨めとて (誰を恨めといって)
鳴きゆが浜千鳥 (鳴くのか、浜の千鳥よ)
逢わぬつれなさや (逢えない辛さは)
我身も共に (私も一緒なのだ)
「二揚げ」(サンシンの第二弦を一音階上げる調弦法)で演奏されるこの曲は、子供を無常にも奪われた親の気持ちを悲しく切々と歌い上げる。中城湾を照らす寂しい冬の月の光が、僕らにも降り注いでいた。
やがて、師匠がつぶやいた。
「勉、汝とぅ、あぬ童とぅ、重なてぃ見ーゆしぇー、汝んかいや迷惑どぅやがやー?」
そんな! 迷惑だなんて! 僕だって、僕だって同じ気持ちなのに!
僕は泣きながら首を振った。叫ぶように言葉がほとばしり出た。
「師匠、我にんかいや、男親ぬ居いびらんくとぅ」
後は言葉にならなかった。嗚咽がこみ上げ、僕は激しく泣いた。師匠は僕を抱きしめると、優しく背中を叩いてくれた。
「判とーん、判とーんどー。勉、銭ぬ心配すなよーな。うれー、我達がしー欲さどぅ、すくとぅ、何ん心配すなよー」
師匠の言葉が心にしみた。僕はただ泣きながら頷いた。誰かに抱きついて号泣するなんて、生まれて初めてだった。皮肉にも、母親が姿を消した夜、僕は初めて心を許せる家族ともいうべき存在を見つけたのだ。
あくる日の稽古の席で、師匠と僕はお金の話をした。とにかく、アパートの家賃と高校の授業料だけは師匠に立て替えてもらい、光熱費その他は僕自身でなんとかすることになった。師匠は、もっと出してもいいとおっしゃったけど、それは丁重にお断りした。早く医学部に合格してサザン・ホスピタルから奨学金を貰い、自立した生活を送れるようにすることがなによりの恩返しと考えた僕は、今まで以上に受験勉強に励むようになった。
……が、このように事態が大きく進展していたにもかかわらず、あの鈍感な多恵子は、まだなーんにも気がついてなかったのだった。彼女が僕らの関係に気がついたのは、ずっとずっと後の話だ。
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