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35.あなたを追って

あきお君とあけみさん~お別れのとき

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韓国人の恋人・トモ(本名:キム・ジング)と大阪で暮らすと言い張って母親・さつきに事実上勘当されたサーコ(本名:比嘉麻子)は、姉貴分な中国人会社員・リャオ(本名:金城明生)=あきお君=“あけみさん”のいる牧志の事務所にしばらく居候することになりました。サーコのモノローグです。
--

牧志の事務所へ戻るとあたしはすぐ飛行機の予約を取った。大阪行き、来週火曜日昼過ぎの便。
「あと1週間、泊めてください。部屋の掃除とかやります。お願いします!」
リャオさんはひたすら苦笑していた。彼は、彼女は、たぶんママを敵には回したくなかったんだと思う。

月曜日から毎日あたしは事務所の掃除にいそしんだ。あきおさんが西町へ行く日を狙ってベッドカバー類も全部洗濯し、干した。各部屋の窓をピカピカに磨き上げ、風呂場と台所の換気扇も分解してゴシゴシこすった。
「来年の今頃はこのビル撤去なのに、よくやるよ」
半ば呆れ気味のリャオさんをよそに、あたしは掃除を続けた。床にはワックスも塗った。
「うわっ、あんた、ここ滑りすぎるわ」
あらま、すみません。やりすぎましたか。

6月23日は日曜で慰霊の日だった。
あたしはあけみさんと最後のショッピングをした。慰霊の日だから、あたしはリャオさんからもらったペリドットのイヤリングを身につけた。それから、リャオさんがあたしのために仕立て直してくれたモスグリーンのワンピースを着た。彼は、彼女は、本当に器用な人だ。ささっと裾上げしてタック取ってあたしのサイズに合わせちゃうんだから。
ジングへのバースデープレゼントを一緒に選ぶ。
「社会人なんだからネクタイ必要でしょ」
「あたしジングのスーツ姿って見たことないからピンと来ないです」
濃いめのグレーのネクタイ、気に入ってくれると良いけど。

外は雨模様だった。ショッピングを終えて事務所へ戻ると、リャオさんはあたしの借用書を取り出した。
「これ、サーコへの餞別ね」
そういって、いきなり借用書を折り曲げてビリッと破った。突然すぎて言葉が出なかった。彼は、彼女は、破った用紙を重ねて再びビリッと破った。何度かそれを繰り返して、言った。
「サーコ、あんたはもう自由だよ。トモと幸せになって」

あたしの頬を涙が伝う。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
そう叫んであけみさんにすがりついた。大声をあげて泣いた。彼は、彼女は、あたしの肩を優しく抱いた。
「ひとつ、確かめたいことがあるんだけど」
あけみさんは抱きしめたまま、あたしに語りかけた。
「あんた、あけみとあきおが同一人物って、分かってるんだよね?」
あたしはうなずく。しゃくりあげたままハンカチで涙を拭う。あけみさんはあたしの顔をのぞき込む。
「じゃあ、なんで、こんなに態度が違うの? 確かに私も外向けには“あけみ”と“あきお”を使い分けてるけどさ、サーコの態度は明らかに、あけみとあきおとでは全然違うよね?」
「それは、やっぱり、ちょっと、怖いんです」
「私が、怖い?」
あたしはあけみさんを見つめて言った。
「あたしにとって、あけみさんは女性で、あきおさんは男性で。だから全然違うんです」
すると、あけみさんはちょっと考えて、言いました。
「確かにあけみは女だったよ。ごめん、過去形だ」

……え?
あたしは目をしばたたかせた。あけみさんは話を継ぐ。
「正確には、自分を女だと思ってた。思いたかった。性転換手術を考えたことは1度や2度じゃない。トモのことも好きだったし、いや、今でも好きよ。自分の気持ちに嘘はついてないつもり。だけど」
あけみさんはあたしを正面から見つめ、首をすくめながら言葉を発した。
「やっぱり私、男みたいだよ?」
「……そうなんですか?」
「うん、多分。自分でもはっきりとはよくわかんない。ただ、最近は男の方が多い」
そして、ご自分のワンピースを撫でながらひとりごとのように言った。
「ワンピース着るの、好きなんだけどなー。どうしよう?」
どうしようって、あたしに聞かれても。うーんと、そうねー。
「ワンピース着たいんだったら、あけみさん続けていいと思います」
「そう思ってくれる?」
「だって、よくお似合いだし。どっから見ても、あけみさんは女性です」
あたしは尋ねることにした。
「いつから男性になっちゃったんですか?」
「最初は真っ直ぐ、女だった、はず」
あけみさんは、目の前で手を合わせ、両手の間を少し開けた。そして両手の平は平行にしたまま、右や左へ寄せる仕草をする。
「副社長の仕事するようになったのと、サーコに会っておしゃべりしたり一緒に料理とかしてるうちに、だんだん、こう、揺らいできてさ」
そして両手を下げて、あたしを正面から見て、口を開いた。
「外見はあけみでも、今じゃほとんど、あきおだ」

あたしの涙は完全に止まった。あけみさん、いや、あきおさんは続ける。
「サーコ、どうする? 私とはもう話したくない? ここから出てホテル探す? お金ないなら払おうか?」
あたしは首を振った。
「今日明日までなので、ここにいます。でも」
「もう同じベッドでおしゃべりはできない、そうだよね?」
「……ごめんなさい」
あたしの返事を聞いて、あきおさんは天を仰いだ。
「やっぱり、話すんじゃなかった」

あきおさんは台所へ向かって歩き出し、途中で止まった。こちらへ背を向けたまま、言った。
「一緒にスイート泊まってくれてありがとう。とても楽しかったよ」
冷蔵庫の野菜室を開けて大根と人参を取り出し、まな板に載せる。包丁を出すためシンクの扉を開けようとし、その手を止めた。肩が震えてる。
「リャオさん」
あたしは彼女に、彼に、駆け寄った。迷ったけど、背中からリャオさんに手を回して抱きしめた。
「よくわからないけど、でも、あたし、リャオさんとは友達でいたいんです」
彼は、彼女は、ずっと泣いている。涙声で途切れ途切れに言葉を発している。
「サーコ、それは、トモが許さないよ。トモは、あきおを敵だと思ってる」
「そんな! だって、ジングはあたしが事務所に泊まっていいって許可出してるじゃないですか」
「あのねサーコ」
リャオさんはこっちへ向き直った。まつ毛が涙で濡れている。
「トモは、変わったよ。彼は、韓国から一人前の男になって帰ってきた」
彼は、彼女はキッチンペーパーを手に取って涙を押さえ、鼻をかんだ。そして言葉を継いだ。
「トモは、大阪であんたと暮らしてきちんと落ち着くまで、私に会いに来るなと言った」
「嘘!」
あたしは両手で口を押さえた。リャオさんはこっちを真っ直ぐ見てる。
「嘘じゃない。現実だよ。だから、あんたが大阪行ったら、もう会えない。そう思った方がいい」
「そんな! どうして? あたしたち、そんなんじゃないのに」
「サーコ」
不意にリャオさんはあたしの両肩をつかんだ。そして、固く抱き寄せた。
「サーコ、よく聞いて。私はあんたには手を出さない。いや、できない。それはトモには伝えたんだ」
ええ? あたしの頭の中に疑問符が広がる。
「リャオさん、それ、どう言う意味なの?」
「黙って聞いて。私は普通じゃない。だけど誰も傷つけたくない。サーコは私を差別しなかった。そして、あけみの時も、あきおの時も、状況を見て接してくれた。だから、大事にしたかった」
リャオさんは一気に喋り、息を整えまた語り出した。
「トモは専門知識があるから、私の心の秘密を伝えれば、わかってくれると思ってた。軍隊行ってる間、トモはサーコに手を出すなと言ったし、私も守ったつもり。だから、このままずっと同じようにサーコとやっていけると思ったの。でも、甘かったよ。トモはやっぱり普通の男なんだ。もう私を許してくれないんだ」
あたしは首をブンブン振って叫んだ。
「あたしたち、友達だよ? リャオさんはあたしの大切な、大切な友達だよ?」
「サーコは大事だよ、離れたくないよ!」

あたしたちは泣いた。抱き合いながら大声で泣いた。男とか女とかの枠組みで決めつける世間の目が嫌で、リャオさんを許さないと言ったジングの言葉が悲しくて、二人でしゃくり上げた。

夕ご飯はご飯とけんちん汁だった。二人は食前の祈りを唱え、黙って食卓を囲んだ。一緒に食器を洗って、変わりばんこにシャワーを使い、互いに握手してベッドとソファに分かれて眠った。

6月24日 慰霊の日の翌日だけど、振替休日にはならない月曜日。
朝からあけみさんはテレワークをこなしていた。あたしは那覇市役所へ転居届などの手続きがあって、ついでにおつかいを二、三頼まれたのだ。今晩は冷やしそうめんのつもりだったから、きゅうりとトマトと昆布だしを。

おつかいから戻る。合鍵を使って事務所の玄関ドアを開けた。
「リャオさん、買ってきたよ-」
中から返事はない。おかしいな、仕事中? パソコンの部屋を覗いてみたが誰も居ない。トイレも空っぽ。残りの部屋も見てみた。ベランダの窓も開けた。いない。え? なんで?
ふと見るとリビングのテーブルにメモが置いてある。いつもながらの達筆で。

――サーコへ
  急に西町から呼び出しを受けました。経理の処理がだいぶ滞っているそうです。
  もう今晩は戻れないと思います。
  明日、空港へ送ってあげたかったけど、正直、厳しい状態です。
  冷蔵庫におかずとごはんはあるから適当に食べて。
  事務室の机の引き出しにお金があります。明朝は無理せずタクシーを呼んで空港へ行ってください。
  合鍵は玄関ポストから中へ返却をお願いします。
  どうか気をつけて大阪へ行ってきて。道中の無事と二人の幸せをお祈りします。
  本当に本当にごめんなさい。  L――

あたしは愕然となった。リャオさん、行っちゃったんだ、西町へ。ちゃんとお別れもいわないまま。
話には聞いていた、ベテランの事務員が退職されたと。ご両親の介護でどうしても辞めざるを得ないという状況で、リャオさんは退職金等の手立てをすべくかけずり回っていた。
それでも今朝、彼は、彼女はちゃんと朝ご飯の支度をしてくれていたのだ。

そうか、これでお別れなんだ。
いっぱい、いっぱい、お世話になったのに。結局、きちんとお礼できなかった
昨夜ずっと考えて、今晩はリャオさんと同じベッドに寝てもいいと思っていた。それなのに。

涙が込み上げてきた。しばらく一人で泣いた。ある程度涙を流して落ち着くと、誕生日のプレゼントもまだ手渡してないだということに気がついた。リャオさんの誕生日は8月18日。ずっと先になってしまうので用意していたのだけど。
あたしは一人で夕食を取り、テーブルを拭くとプレゼントと手紙を置いた。

翌朝、きちんと戸締まりをして玄関の鍵を掛け、ポストにキーを入れて那覇空港へ向かった。
早めに来たつもりだったが空港は混んでいた。大きなスーツケースを預けチェックインを終えた頃には飛行機出発1時間前を切っていた。沖縄のお菓子をなにかジングに買ってあげたかったが仕方ない、搭乗口付近でなにか見繕うことにしよう。
空港2階の保安検査場へ向かう。すでに列ができている。時期的なものなのか子供連れが多い。こりゃ待たされそうだ。あたしは小型トランクを自分の手元へ寄せた。その時。
「サーコ!」
向こうから走ってくる人影がある。まさか。
ライトブルーなアルマーニのスーツに身震いした。リャオさんだ、しかも、“あきお君”だ。
「ま、ま、間に合った……」
駐車場から走り通してきたのだろう。あたしの前で立ち止まり、息を弾ませてへなへなと崩れた。ポケットからハンカチを取り出し、しきりに汗を拭いている。まさか、炎天下のなかをスーツを着て走ってくるとは思わなかった。
「これ、西町で作ってきた。揚げ春巻。機内で食べて」
リャオさんがあたしに袋を差し出す。中には揚げ春巻が2個。彼は分かっているのだ。4年前、最初に出会った時、あたしが最初に食べたリャオさんの料理。あの時の揚げ春巻に、あたしはどれだけ救われたことか。
「ありがとう」
受け取ろうとして気がついた。リャオさんは泣いていた。しかも普通の泣き方じゃなくて、周りの子供達がびっくりするくらい彼は大声でしゃくりあげていた。しゃくりあげながら、彼なりに必死で語ろうとしていた。
「ごめん、笑顔で見送ってあげたいのに。本当にごめん」

今思えば、“あけみさん”は良く泣いた。“あきお君”が泣くのを見るのは初めてだが、妙に納得する。
そうなんだ、やはり二人とも、リャオさんなんだ。

「来てくれてありがとう。行ってくるね」
あたしは揚げ春巻を受け取って右手を出した。リャオさんは握り返した。しゃくりあげすぎて言葉にならない状態だけど、彼はようやく言った。
「トモによろしく。絶対、幸せになって。でも、ダメだったら、戻ってきて。待ってる」
あたしは頷いた。互いに右手を挙げて小さく手を振って、あたし達は離れた。
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