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8.生徒指導室という拷問部屋
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「再度問おう。君が校門を登っていたのはなぜだ」
「……そ、そこに校門があるから?」
ゆっくりと腕を組んで顎に手を遣ると、風紀委員長は小さく唸った。きっちりと七三に分けられた艶やかな黒髪は、ともすれば野暮ったく映るものだが整った涼やかな顔立ちのおかげで洗練された美しさを感じる。その人形めいた美貌で、先ほどから表情筋死んでるのかなってくらい眉ひとつ動かさず俺に尋問を繰り返す。俺の精一杯のボケにも動じない。全く動じない。俺のライフは既にマイナスだ。
「君には確かに黙秘権が存在する。しかし今それを行使するのはお勧めしない。第一にこうして始業前の貴重な時間が無駄に費やされていくだけであるし、第二に処罰対象となっても今回の件ではせいぜい反省文くらいの軽微なものだ。そして第三に、黙秘することで私の君への心象が悪くなり余罪を追及したくなるからだ」
一瞬にして目の前に迫った能面みたいな顔に、低い声で囁かれる。
「叩いて埃の一つも出ない生徒など存在しないものだよ。そして私はどんな小さな塵であろうと必ず見つけ出すと断言できる」
そう篁風紀委員長は言った。背筋が凍りついた。もし今多少でも尿意を感じていたら絶対にちびったことだろう。それくらいの怖さだった。
三年生の篁毅一郎風紀委員長と言えば、鬼の掟と呼ばれる風紀の行動規範を作り出したその人であり、違反者に対しては一切の手心を加えず容赦しない、冷酷な堅物として有名だ。顔を見たのは初めてだったけど、まさに噂通りの、圧倒的……恐怖っ……! なぜ俺はよりにもよって篁委員長に見つかってしまったのだろう。決して広くはない生徒指導室で長机ひとつを挟んで向かい合わせに座り続ける俺の心臓はもうそろそろ止まってもおかしくない。
俺だって言えるものなら言ってしまいたい。校門登って副会長に会って悪口言って惚れさせて、神様からのチート解消したかったって。でも言ったらどうなる、完全におかしい奴だ。処罰の前に病院行きだ。
「私にも君にも今の状況は決して良いものではないと思うが?」
壁に掛かっている時計の秒針の音がやけに大きく響く。どうしよう、どうすればいい。適当な理由をつけて切り抜けることもできるだろうが、残念ながら俺は昔から死ぬほど嘘が下手なのだ。白々しい嘘をついてさらにドツボにはまる未来が容易に想像できる。
篁委員長は相変わらず微動だにせずまっすぐ俺を見つめてくる。一時停止機能でも付いてるんですか、瞬き少なすぎませんか、こわい。何か、何か言わないと。
「実は……」
名案が浮かんだわけではない。ただ沈黙に耐えかねて、篁先輩の視線が怖すぎて、とりあえず口を開いただけだった。
しかし、口を開いたことで緊張していた腹筋が緩んだせいなのか、瞬間腹の虫がぐぅと鳴った。普段でもなかなか聞かないほどの盛大な音量だった。今朝は朝一番で急いで校門へ向かったから朝飯を食べ損ねて腹が減っているのは事実だ。だが、俺の腹よ、なぜ今なのだ。どう考えてもタイミングがおかしい。空気を読め!
羞恥に顔を赤くして篁委員長の顔を見れば、俺の腹の音に笑うでもなく眉をひそめるでもなく、ただ
「ふむ」
と一言呟いて席を立った。別の机に置いてあった篁先輩の鞄をおもむろに開き、中から拳大の塊を取り出すと俺に差し出した。受け取ってみれば、それは大きなおにぎりだった。
「さしずめ朝食を食べて来なかったのだろう。食べるといい」
「これは?」
「握り飯だ」
うん、それは一目瞭然ですね。俺が聞きたいのはこのおにぎりはどうしたのかとか、どうして俺にくれるのかということなんですけど。
「なんでおにぎりを」
「なぜ握り飯かと言えば、第一に米はパンよりも脂質が少なく、第二に添加物もない。そして第三に咀嚼回数がパンより圧倒的に多く満腹感を得やすいからだ」
食い気味で説明されたけど、違う、そうじゃない。俺の話を聞いてくれ。なんだこの人面倒臭いな。
訂正して問いただすのも億劫になり、さあ食べろと言わんばかりの視線にも負けて一口齧った。
相当いい米を使っているのだろう、適度なモチモチ感と甘みがあり、ほんのりとまぶされた塩気が食欲をそそる。炊き加減や握り具合もちょうどよく、噛めば弾力のある米粒がほろりと口中で崩れる。二口目には海苔と具の焼き鮭に到達した。塩が控えめの鮭は脂が乗っていて魚の旨味がご飯と抜群に合い、海苔の磯の香りがまろやかに包み込む。一言で表すならそう、くっそうめぇ……!
気づけば大きなおにぎりをぺろりとたいらげてしまった。篁先輩はそんな俺の様子を微笑みを浮かべて眺めていた。大事なことなのでもう一度言う。微笑みを! 浮かべて! いた! あまりに驚いて二度見、三度見してしまったほどの信じられない光景だった。
能面のような顔からはさぞ上品な笑顔が作り出されるのだろうと思いきや、意外にもくしゃりとあどけない顔で笑う。飾らない笑みは年齢よりも幼く見えた。
「いい食べっぷりだ。私の間食用のものだったのだが、小さな体でよく食べる」
「いえ、俺の身長は平均ですから。篁先輩が大きすぎるだけです」
篁先輩の親しみやすい笑顔のせいで気が緩んでいたのだろう。俺の減らず口がまた余計なことを口走った。しまった、と冷や汗をかいた俺だが、予想に反して篁先輩は声を上げて笑った。
「愉快愉快。そうだな。しかし今は体を作る大事な時期でもある。特に朝食はしっかり摂らねばならないぞ」
そう言ってまたおかしそうに口角を引き上げる表情は穏やかだ。もしかして篁先輩は普段の無表情のせいで誤解されているけど、本当はとても優しい人なんじゃないだろうか。思い返してみれば、迫力は凄まじかったけど力ずくで俺から何かを聞き出そうとはしなかった。適当な理由をつけて事を済ませようともしなかった。ただじっくりと俺が話し出すのを待ってくれた。とても忙しいはずなのに。多分、すごく真面目で誠実な人なんだと思う。
篁先輩が壁の時計をちらりと見て、机に両肘をついた。
「間もなく始業だ、そろそろ話してはもらえないだろうか」
そう言った篁先輩は、真摯な瞳でじっと俺を見つめていた。
「……そ、そこに校門があるから?」
ゆっくりと腕を組んで顎に手を遣ると、風紀委員長は小さく唸った。きっちりと七三に分けられた艶やかな黒髪は、ともすれば野暮ったく映るものだが整った涼やかな顔立ちのおかげで洗練された美しさを感じる。その人形めいた美貌で、先ほどから表情筋死んでるのかなってくらい眉ひとつ動かさず俺に尋問を繰り返す。俺の精一杯のボケにも動じない。全く動じない。俺のライフは既にマイナスだ。
「君には確かに黙秘権が存在する。しかし今それを行使するのはお勧めしない。第一にこうして始業前の貴重な時間が無駄に費やされていくだけであるし、第二に処罰対象となっても今回の件ではせいぜい反省文くらいの軽微なものだ。そして第三に、黙秘することで私の君への心象が悪くなり余罪を追及したくなるからだ」
一瞬にして目の前に迫った能面みたいな顔に、低い声で囁かれる。
「叩いて埃の一つも出ない生徒など存在しないものだよ。そして私はどんな小さな塵であろうと必ず見つけ出すと断言できる」
そう篁風紀委員長は言った。背筋が凍りついた。もし今多少でも尿意を感じていたら絶対にちびったことだろう。それくらいの怖さだった。
三年生の篁毅一郎風紀委員長と言えば、鬼の掟と呼ばれる風紀の行動規範を作り出したその人であり、違反者に対しては一切の手心を加えず容赦しない、冷酷な堅物として有名だ。顔を見たのは初めてだったけど、まさに噂通りの、圧倒的……恐怖っ……! なぜ俺はよりにもよって篁委員長に見つかってしまったのだろう。決して広くはない生徒指導室で長机ひとつを挟んで向かい合わせに座り続ける俺の心臓はもうそろそろ止まってもおかしくない。
俺だって言えるものなら言ってしまいたい。校門登って副会長に会って悪口言って惚れさせて、神様からのチート解消したかったって。でも言ったらどうなる、完全におかしい奴だ。処罰の前に病院行きだ。
「私にも君にも今の状況は決して良いものではないと思うが?」
壁に掛かっている時計の秒針の音がやけに大きく響く。どうしよう、どうすればいい。適当な理由をつけて切り抜けることもできるだろうが、残念ながら俺は昔から死ぬほど嘘が下手なのだ。白々しい嘘をついてさらにドツボにはまる未来が容易に想像できる。
篁委員長は相変わらず微動だにせずまっすぐ俺を見つめてくる。一時停止機能でも付いてるんですか、瞬き少なすぎませんか、こわい。何か、何か言わないと。
「実は……」
名案が浮かんだわけではない。ただ沈黙に耐えかねて、篁先輩の視線が怖すぎて、とりあえず口を開いただけだった。
しかし、口を開いたことで緊張していた腹筋が緩んだせいなのか、瞬間腹の虫がぐぅと鳴った。普段でもなかなか聞かないほどの盛大な音量だった。今朝は朝一番で急いで校門へ向かったから朝飯を食べ損ねて腹が減っているのは事実だ。だが、俺の腹よ、なぜ今なのだ。どう考えてもタイミングがおかしい。空気を読め!
羞恥に顔を赤くして篁委員長の顔を見れば、俺の腹の音に笑うでもなく眉をひそめるでもなく、ただ
「ふむ」
と一言呟いて席を立った。別の机に置いてあった篁先輩の鞄をおもむろに開き、中から拳大の塊を取り出すと俺に差し出した。受け取ってみれば、それは大きなおにぎりだった。
「さしずめ朝食を食べて来なかったのだろう。食べるといい」
「これは?」
「握り飯だ」
うん、それは一目瞭然ですね。俺が聞きたいのはこのおにぎりはどうしたのかとか、どうして俺にくれるのかということなんですけど。
「なんでおにぎりを」
「なぜ握り飯かと言えば、第一に米はパンよりも脂質が少なく、第二に添加物もない。そして第三に咀嚼回数がパンより圧倒的に多く満腹感を得やすいからだ」
食い気味で説明されたけど、違う、そうじゃない。俺の話を聞いてくれ。なんだこの人面倒臭いな。
訂正して問いただすのも億劫になり、さあ食べろと言わんばかりの視線にも負けて一口齧った。
相当いい米を使っているのだろう、適度なモチモチ感と甘みがあり、ほんのりとまぶされた塩気が食欲をそそる。炊き加減や握り具合もちょうどよく、噛めば弾力のある米粒がほろりと口中で崩れる。二口目には海苔と具の焼き鮭に到達した。塩が控えめの鮭は脂が乗っていて魚の旨味がご飯と抜群に合い、海苔の磯の香りがまろやかに包み込む。一言で表すならそう、くっそうめぇ……!
気づけば大きなおにぎりをぺろりとたいらげてしまった。篁先輩はそんな俺の様子を微笑みを浮かべて眺めていた。大事なことなのでもう一度言う。微笑みを! 浮かべて! いた! あまりに驚いて二度見、三度見してしまったほどの信じられない光景だった。
能面のような顔からはさぞ上品な笑顔が作り出されるのだろうと思いきや、意外にもくしゃりとあどけない顔で笑う。飾らない笑みは年齢よりも幼く見えた。
「いい食べっぷりだ。私の間食用のものだったのだが、小さな体でよく食べる」
「いえ、俺の身長は平均ですから。篁先輩が大きすぎるだけです」
篁先輩の親しみやすい笑顔のせいで気が緩んでいたのだろう。俺の減らず口がまた余計なことを口走った。しまった、と冷や汗をかいた俺だが、予想に反して篁先輩は声を上げて笑った。
「愉快愉快。そうだな。しかし今は体を作る大事な時期でもある。特に朝食はしっかり摂らねばならないぞ」
そう言ってまたおかしそうに口角を引き上げる表情は穏やかだ。もしかして篁先輩は普段の無表情のせいで誤解されているけど、本当はとても優しい人なんじゃないだろうか。思い返してみれば、迫力は凄まじかったけど力ずくで俺から何かを聞き出そうとはしなかった。適当な理由をつけて事を済ませようともしなかった。ただじっくりと俺が話し出すのを待ってくれた。とても忙しいはずなのに。多分、すごく真面目で誠実な人なんだと思う。
篁先輩が壁の時計をちらりと見て、机に両肘をついた。
「間もなく始業だ、そろそろ話してはもらえないだろうか」
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