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第二章 失って得たもの

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 クリストフといる時に感じる安心感や信頼。こうした僕の好意は、友情や敬愛から来ているのだと思っていた。けれどそれだけでは説明のできない胸の高鳴りや煌めき。赤い瞳に僕が映るとどこか気恥ずかしく、くすぐったいような多幸感に包まれた。この胸の温度は、友情なんて生易しいものじゃない。もっとクリストフの心に寄り添いたい。クリストフの側にいたい。そんな一方的な激情が、いつからか確かにこの胸にあったのだ。
 クリストフは誰にでも優しく、紳士的な振る舞いを忘れない人だ。彼からの親愛に浮かれてはいけない、友情以上の感情を持ってはいけないと、僕はずっと無意識に自分の心を押さえつけて守ろうとしていたのかもしれない。しかし、その箍は外れてしまった。
 きっと、きっかけはあの夜。燃える熱を孕んだ、赤い瞳に捕まった時だ。あの時、僕の心は喜びに震えていた。
 
 でも。
 今更気付いたところでどうしようもない。結婚の決まったクリストフに、僕の気持ちを伝える訳にはいかない。彼を困らせるだけだ。全てが遅過ぎた。いや、たとえクリストフに相手がいなかったとしても、僕なんかが高潔な彼に抱いてはいけない想いなのだ。

 邪な心を見透かされそうで怖くなり、僕はクリストフの胸から手を離した。ここはもう、僕が縋っていい場所ではない。
 クリストフが僕の言葉の持つ意味を訝しむ前に、言祝ぎを伝えて何もなかったように微笑まなければ。憂いを抱かせず花嫁の元へ送り出すことが、僕が彼の友人で居続ける為の唯一の方法だ。
 そう思っているのに、喉が引き攣れて声が出ない。下賤な独占欲で染まってしまった僕の心は、こんな状況になっても“おめでとう”の一言を口にできない。虚しく口から零れてくるのは、まるで嗚咽のような悲痛な音だけだった。

 もうこれ以上取り繕うことはできない。クリストフは僕の気持ちに気付いたことだろう。僕を哀れに思うだろうか。それとも裏切られたと傷付くだろうか。
 暗澹とした重みと荒れ狂う激情に、滅茶苦茶に胸の中を掻き混ぜられて、僕は顔を俯けたまま動けなかった。

 しかしその体が勢いよく揺らされた。視界もきかず、何が起こったのかと戸惑う僕に、クリストフの声が掛かる。

「私は……これほどの幸せを、今まで感じたことがない」

 感情の昂りから少し震えた声が、僕のすぐ耳元から聞こえる。頬に当たる温かさと、痛いほどに締め付けられる体。僕は今、クリストフに抱き締められているのだ、とやっと理解した。
 どうして、何故。
 益々身を固くする僕の肩を、クリストフが掴んで今度は引き離した。呆然と見上げたその顔は、興奮の為か僅かに紅潮し、これ以上ないほどの満面の笑顔が浮かんでいた。落ち着き悠然としたいつもの笑顔とは違う、まるで少年のような笑みだった。
 疑問符だらけで呆けてしまった僕の顔に、クリストフは笑みを深める。

「いくつか誤解があるようだから一つずつ説明していこう。まず、私の結婚というのは真実ではない。だが、全てが偽りでもない。結婚したいほどに想いを寄せている相手がおり、そのことで実家と揉めていたのは事実だ」

 再び僕の胸に痛みが走る。理解していても、想い人の存在を直接突き付けられると呼吸が詰まる。逃げるように目を伏る僕を引き留めるように、頬にクリストフの掌が添えられた。

「その相手とはアンリ、君のことだよ」

 優しく緩められた赤い瞳に見つめられて、僕は瞬きを繰り返した。
 言葉が頭の中に入ってこない。今、クリストフは何と言ったのだろう?
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