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第二章 失って得たもの
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調理場のカウンターに手をついて、僕は熱い息を吐き出した。暑い。熱い。熱くて堪らない。じっとりと全身に浮かんだ汗が一向に引かない。
季節は夏の盛りを迎えていた。モディアの夏は日中は焼けるような日差しが容赦無く照りつけるが、湿度は高くないため朝晩は少し肌寒く感じるほどだ。だというのに、僕は一日中体に籠った熱を持て余していた。まるで前世で過ごした日本の夏のように、湿り気を帯びた熱が肌にまとわりつく。身体中が熱い。その一方で、手足の先だけが妙に冷えていた。決して心地よい涼やかさなどではなく、高熱の前兆のようにぞわりと悪寒が走る冷たさだった。
初めは、ただの夏風邪かと思っていた。熱っぽかったり疲れやすかったりという程度のものが日を追うごとに重くなり、今では仕事中にふらりと目眩を感じるまでになっていた。とにかく熱くて堪らない。胸の内側に灼熱の空気がとぐろを巻き燻っているようで、帽子の上にフードを重ねているせいで逆上せるのか、始終頭もぼんやりとしてしまう。
誰にも見えない調理場で、僕はとうとううずくまった。
流石にこのままではいけないと思うけれど、黒の髪と瞳を隠したまま医者に診てもらう訳にはいかない。時間を見つけてはなるべく体を休めて、騙し騙しやり過ごしていたがそろそろ限界だ。夜には体力がもたなくなって、こうして仕事にも支障が出始めている。追い出されるのを覚悟で宿の亭主に事情を話して、少し仕事を休むなり減らすなりしてもらおうかとも思った。けれど、きっとそうしても意味がないだろうことも分かっていた。
僕はこの体の不調について覚えがあった。
孤児院を出る間際に、寝込んで生死の境を彷徨った時と全く症状が同じなのだ。あの時も、最初はただの風邪だと思っていた。けれど、マルクにきつく止められて安静にしていても、体調は良くなるどころか悪化していった。今と同じく鬱陶しいほどの熱が体の中に籠って食欲が失せていき、しまいに体も起こせなくなった。きっと今回も同じ病状を辿るのだろうと思うと、数日の休みを取ったところで何かが改善するとは思えなかった。
何の予兆もなかったけれど、僕は重篤な持病でも患っていたのだろうか。前回の時は、マルクの土の加護の力で全快した。店の客の中にも土の加護を持っている人がおり、そうした人々は病に敏感になるものなのか僕の不調を見抜いて、こちらからお願いするまでもなく癒しの力を使ってくれた。するとその瞬間は少し熱が引くような感覚があったが、終わるとすぐに熱がぶり返し、むしろ暑さが増すようになった。その人は決して加護の力が弱い訳ではなかったが、どうにも僕の病には効果が薄いようだった。それからは、何度も力を使ってもらうのが申し訳なくて、少しずつ良くなっているようだと適当なことを言って、心配する彼に笑顔を返していた。
「おいアンリ、大丈夫か? やっぱり無理は良くないよ。しばらく休んで一度医者に診てもらえ」
掛けられた声に目線を上げると、その土の加護を持つ彼が眉根を寄せて、調理場にしゃがみ込む僕をカウンター越しに覗き込んでいるところだった。
「だ、大丈夫! 少し疲れただけだから」
慌てて立ち上がると目眩がして、僕は戸棚に強かにぶつかり、その拍子に空の鍋が棚から床に落ちて大きな音を立てた。すると、物音を聞きつけた他の客が集まってくる。
「どうした」
「アンリの具合が悪いみたいなんだよ」
「確かに顔色も良くねぇな。今日はもういいから部屋行って休んだらどうだ」
「それがいい。店の親父には俺達から話しとく。文句は言わせねぇよ、なぁ?」
「そうだそうだ!」
「心配しないでゆっくり休め!」
客達が大勢カウンターの前に集まってそう騒ぎ立てると、強引に酒場から追い出されてしまった。無骨な冒険者達は、荒っぽいがその心根はとても優しい。僕は彼らに感謝しながら、ありがたく休ませてもらうことにした。
物置部屋である自室のベッドに転がる。いつか掃除をしようと思いながらも、時間も体力もなくて結局乱雑に物が詰め込まれたままの埃だらけの部屋だ。少し傾いたベッドは、底板に客室用マットレスに使われていた古くなった藁を乗せ、その上に同じく古びて穴の空いたシーツを掛けただけの簡易なものだが、それでも横になれるだけで大分楽だ。仰向けになって、はっ、はっ、と荒い呼吸を繰り返す。
折角皆が気遣ってくれたんだ、少しでも回復しないと。僕は目を閉じて体の熱を逃そうと意識しながら目を閉じた。
どれくらいそうしていたのだろうか。遠くに聞こえていた酒場の喧騒が静かになっている。どうやら眠っていたようで、宵っ張りの客達も寝静まる時間のようだ。ほんのりと月明かりだけが差し込む部屋の中、上体を起こしてみたが、くらりと目眩がして再びベッドに倒れ込んだ。やはり、少し休んだところで改善する類の病ではないようだ。僕は変わらず熱い息を吐き出した。
すると、部屋の前から忍びやかに床の軋む音がして、控えめなノックが鳴った。僕が返事をすると、僅かに扉が開かれて、その隙間に見えたのはローブ姿の長身だった。
季節は夏の盛りを迎えていた。モディアの夏は日中は焼けるような日差しが容赦無く照りつけるが、湿度は高くないため朝晩は少し肌寒く感じるほどだ。だというのに、僕は一日中体に籠った熱を持て余していた。まるで前世で過ごした日本の夏のように、湿り気を帯びた熱が肌にまとわりつく。身体中が熱い。その一方で、手足の先だけが妙に冷えていた。決して心地よい涼やかさなどではなく、高熱の前兆のようにぞわりと悪寒が走る冷たさだった。
初めは、ただの夏風邪かと思っていた。熱っぽかったり疲れやすかったりという程度のものが日を追うごとに重くなり、今では仕事中にふらりと目眩を感じるまでになっていた。とにかく熱くて堪らない。胸の内側に灼熱の空気がとぐろを巻き燻っているようで、帽子の上にフードを重ねているせいで逆上せるのか、始終頭もぼんやりとしてしまう。
誰にも見えない調理場で、僕はとうとううずくまった。
流石にこのままではいけないと思うけれど、黒の髪と瞳を隠したまま医者に診てもらう訳にはいかない。時間を見つけてはなるべく体を休めて、騙し騙しやり過ごしていたがそろそろ限界だ。夜には体力がもたなくなって、こうして仕事にも支障が出始めている。追い出されるのを覚悟で宿の亭主に事情を話して、少し仕事を休むなり減らすなりしてもらおうかとも思った。けれど、きっとそうしても意味がないだろうことも分かっていた。
僕はこの体の不調について覚えがあった。
孤児院を出る間際に、寝込んで生死の境を彷徨った時と全く症状が同じなのだ。あの時も、最初はただの風邪だと思っていた。けれど、マルクにきつく止められて安静にしていても、体調は良くなるどころか悪化していった。今と同じく鬱陶しいほどの熱が体の中に籠って食欲が失せていき、しまいに体も起こせなくなった。きっと今回も同じ病状を辿るのだろうと思うと、数日の休みを取ったところで何かが改善するとは思えなかった。
何の予兆もなかったけれど、僕は重篤な持病でも患っていたのだろうか。前回の時は、マルクの土の加護の力で全快した。店の客の中にも土の加護を持っている人がおり、そうした人々は病に敏感になるものなのか僕の不調を見抜いて、こちらからお願いするまでもなく癒しの力を使ってくれた。するとその瞬間は少し熱が引くような感覚があったが、終わるとすぐに熱がぶり返し、むしろ暑さが増すようになった。その人は決して加護の力が弱い訳ではなかったが、どうにも僕の病には効果が薄いようだった。それからは、何度も力を使ってもらうのが申し訳なくて、少しずつ良くなっているようだと適当なことを言って、心配する彼に笑顔を返していた。
「おいアンリ、大丈夫か? やっぱり無理は良くないよ。しばらく休んで一度医者に診てもらえ」
掛けられた声に目線を上げると、その土の加護を持つ彼が眉根を寄せて、調理場にしゃがみ込む僕をカウンター越しに覗き込んでいるところだった。
「だ、大丈夫! 少し疲れただけだから」
慌てて立ち上がると目眩がして、僕は戸棚に強かにぶつかり、その拍子に空の鍋が棚から床に落ちて大きな音を立てた。すると、物音を聞きつけた他の客が集まってくる。
「どうした」
「アンリの具合が悪いみたいなんだよ」
「確かに顔色も良くねぇな。今日はもういいから部屋行って休んだらどうだ」
「それがいい。店の親父には俺達から話しとく。文句は言わせねぇよ、なぁ?」
「そうだそうだ!」
「心配しないでゆっくり休め!」
客達が大勢カウンターの前に集まってそう騒ぎ立てると、強引に酒場から追い出されてしまった。無骨な冒険者達は、荒っぽいがその心根はとても優しい。僕は彼らに感謝しながら、ありがたく休ませてもらうことにした。
物置部屋である自室のベッドに転がる。いつか掃除をしようと思いながらも、時間も体力もなくて結局乱雑に物が詰め込まれたままの埃だらけの部屋だ。少し傾いたベッドは、底板に客室用マットレスに使われていた古くなった藁を乗せ、その上に同じく古びて穴の空いたシーツを掛けただけの簡易なものだが、それでも横になれるだけで大分楽だ。仰向けになって、はっ、はっ、と荒い呼吸を繰り返す。
折角皆が気遣ってくれたんだ、少しでも回復しないと。僕は目を閉じて体の熱を逃そうと意識しながら目を閉じた。
どれくらいそうしていたのだろうか。遠くに聞こえていた酒場の喧騒が静かになっている。どうやら眠っていたようで、宵っ張りの客達も寝静まる時間のようだ。ほんのりと月明かりだけが差し込む部屋の中、上体を起こしてみたが、くらりと目眩がして再びベッドに倒れ込んだ。やはり、少し休んだところで改善する類の病ではないようだ。僕は変わらず熱い息を吐き出した。
すると、部屋の前から忍びやかに床の軋む音がして、控えめなノックが鳴った。僕が返事をすると、僅かに扉が開かれて、その隙間に見えたのはローブ姿の長身だった。
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