上 下
50 / 93
第二章 失って得たもの

2-26

しおりを挟む
 顔色を悪くして壁に寄りかかったままの僕を心配して、先程の老人の精霊が覗き込んできた。僕の具合が悪いと思ったのか、辺りを忙しなく見回して慌てている。大丈夫、と声を掛けたが焦るあまり聞こえていないようで、右往左往した挙句、手にした葉を大きく振り回した。途端に再び疾風が巻き起こった。今度は台風のように四方八方に吹き抜ける猛烈な勢いの風で、テーブルの上の皿やジョッキが吹き飛ばされる。立っていた客の何人かは、たたらを踏んで尻餅をついた。

「いけない、落ち着いて!」

 完全に混乱して再び葉の団扇を振りかぶる精霊を両掌で優しく包んで覆った。どうか落ち着いてくれるように、鎮まってくれるようにと祈る。すると次第に風の力は弱まり、最後に爽やかなそよ風を残して完全に止んだ。酒場は酷い有様で客達も何事かと騒然となったが、誰かが「この季節は突風が吹きやすいものだ」と言ってからは、若干の困惑を残しながらもまた賑やかに酒盛りを始めていた。流石は冒険者達と言うべきで、皆多少のことには動じないらしい。
 僕はほっと息を吐いて、手の平を開いて見た。すると、そこにいたのは老人の精霊ではなく、最初に見た団扇を抱えた雪だるまだった。
 僕ははっとして、そうか、と声を漏らした。加護の力を高められるのなら、昔マルクにしたように力を抑えることもできるのかもしれない。思案しながら手の内を見つめていると、精霊は僕の視線に恥じ入るように身動いでパッと姿を消した。
 視線を酒場に向ける。客の肩や中空に時折現れては消える精霊がいくつかいる。僕は指を組んで彼らを見つめると、ここにいる全ての精霊に向けて祈りを込めた。

 友人達を守りたい。だから、僕が強めてしまった君達の力を抑えてくれないだろうか。

 心の中で語りかけるようにそう祈ると、姿を表していた精霊達が一斉にこちらを振り返った。形も色も様々だったけれど、少しの間驚いたように僕を見つめて、それから了承を示すように頷いたり尻尾を振ったりと反応を示した。見る間に彼らの姿は小さくなり、色も形もぼんやりとして、姿を消してしまった者もいた。

 できた……。
 精霊の力を、加護の力を、抑えることができた!

 酒に目がない冒険者達は、自分の加護精霊達が姿を変えているのにも気付かずに赤ら顔で変わらず杯を空けている。酒場はいつもと変わらぬ様子だった。
 僕は知らず浅くなっていた呼吸に気付いて、思い切り息を吸い込んで吐き出した。強張っていた体から力が抜け、冷やりと背筋に突きつけられていた氷の刃が溶けていくようだった。良かった。これで一応は元通りのはずだ。怪しい集団の動向には変わらず注意しなければいけないけれど、魔物の脅威についてはひとまず安心だろう。精霊の持ち主達は急に加護の力が以前のように弱まって戸惑うかもしれないが、その分危険からは遠ざかるのだから諦めてもらう他ない。

 あとは、クリストフにこの一連の出来事をどう告げるべきかだ。僕が知らず知らずに客の加護の力を強めていたこと、けれどそれを抑えることもできたこと、僕のこの能力について僕自身は何も分からないこと。考えれば考えるほど説得力のない話だと思う。酒場を一瞥すると、先程の雪だるまの精霊がまるで白い綿毛のような姿になってふわふわと浮いているのが見えた。
 この精霊達の姿を見れば、誰しもが加護の力が弱まっていると気付くだろう。ならば、クリストフには僕の能力のことは黙っていてもいいのではないかと、弱気な僕の心が唆す。魔物の襲撃という脅威がなくなっただけで、静かな集団が果たして何を企んでいるのか、そもそも本当に彼らが悪者なのかは分かっていない。クリストフの調査任務はこれからも続くのだろう。ただ宿の客の加護の力は元に戻ったという、その事実さえクリストフが気付いていれば問題はないのではないか。全てが片付いてから、機を見て打ち明けても良いのではないだろうか。

 これは自分に都合の良いように作り出した言い訳だという自覚はある。それでも、僕はやはり怖かった。優しいけれど忠義に篤いクリストフが、その冷静な瞳で僕をどう見るのかを確かめる勇気が持てなかった。彼の厭う精霊王の御技にも近い僕のこの能力を、どう感じるか、どう受け取るか、それを知るのが怖かった。

 身勝手な考えで秘密を抱えた後ろめたさのせいだろう、僕の胸の内はもやもやと重い空気を抱えたように息苦しくなった。息をいくら吐き出してもその胸の支えは一向に止まず、僕は背を丸めて空咳を一つ零した。


 しかし、この時すぐにクリストフに打ち明けていればあんなことにはならなかったと、僕は後に後悔することになるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ワクワクドキドキ王道学園!〜なんで皆して俺んとこくんだよ…!鬱陶しいわ!〜

面倒くさがり自宅警備員
BL
気だるげ無自覚美人受け主人公(受け)×主要メンバーのハチャメチャ学園ラブコメディ(攻め) さてさて、俺ことチアキは世間でいうところの王道学園に入学しました〜。初日から寝坊しちゃって教師陣から目をつけられかけたけど、楽しい毎日を送っています!(イエイ★)だけど〜、なんでかしらねけど、生徒会のイケメンどもに認知されているが、まあそんなことどうだっていいっか?(本人は自分の美貌に気づいていない) 卒業まで自由に楽しく過ごしていくんだ〜!お〜!...ってなんでこんなことになってんだよーーーーー!!(汗) ------------------ 〇本作は全てフィクションです。 〇処女作だからあんまり強く当たんないでねーー!汗

不良高校に転校したら溺愛されて思ってたのと違う

らる
BL
幸せな家庭ですくすくと育ち普通の高校に通い楽しく毎日を過ごしている七瀬透。 唯一普通じゃない所は人たらしなふわふわ天然男子である。 そんな透は本で見た不良に憧れ、勢いで日本一と言われる不良学園に転校。 いったいどうなる!? [強くて怖い生徒会長]×[天然ふわふわボーイ]固定です。 ※更新頻度遅め。一日一話を目標にしてます。 ※誤字脱字は見つけ次第時間のある時修正します。それまではご了承ください。

主人公の兄になったなんて知らない

さつき
BL
レインは知らない弟があるゲームの主人公だったという事を レインは知らないゲームでは自分が登場しなかった事を レインは知らない自分が神に愛されている事を 表紙イラストは マサキさんの「キミの世界メーカー」で作成してお借りしています⬇ https://picrew.me/image_maker/54346

どうも、ヤンデレ乙女ゲームの攻略対象1になりました…?

スポンジケーキ
BL
顔はイケメン、性格は優しい完璧超人な男子高校生、紅葉葵(もみじ あおい)は姉におすすめされたヤンデレ乙女ゲーム「薔薇の花束に救済を」にハマる、そんな中ある帰り道、通り魔に刺されてしまう……絶望の中、目を開けるとなんと赤ん坊になっていた!?ここの世界が「薔薇の花束に救済を」の世界だと気づき、なんと自分は攻略対象1のイキシア・ウィンターだということがわかった、それから、なんだかんだあって他の攻略対象たちと関係を気づいていくが…… 俺じゃなくてヒロインに救ってもらって!そんなこと言いながら、なんだかんだいって流されるチョロい系完璧超人主人公のヤンデレたちを救う物語 ーーーーーーーーーーーー 最初の方は恋愛要素はあんまりないかも……総受けからの固定になっていきます、ヤンデレ書きたい!と壊れながら書いているので誤字がひどいです、温かく見守ってください コメントやお気に入り登録をしてくださったら励みになります!良かったらお願いします!

ファンタジーな世界でエロいことする

もずく
BL
真面目に見せかけてエロいことしか考えてないイケメンが、腐女子な神様が創った世界でイケメンにエロいことされる話。 BL ボーイズラブ 苦手な方はブラウザバックお願いします

双子攻略が難解すぎてもうやりたくない

はー
BL
※監禁、調教、ストーカーなどの表現があります。 22歳で死んでしまった俺はどうやら乙女ゲームの世界にストーカーとして転生したらしい。 脱ストーカーして少し遠くから傍観していたはずなのにこの双子は何で絡んでくるんだ!! ストーカーされてた双子×ストーカー辞めたストーカー(転生者)の話 ⭐︎登場人物⭐︎ 元ストーカーくん(転生者)佐藤翔  主人公 一宮桜  攻略対象1 東雲春馬  攻略対象2 早乙女夏樹  攻略対象3 如月雪成(双子兄)  攻略対象4 如月雪 (双子弟)  元ストーカーくんの兄   佐藤明

王道学園なのに、王道じゃない!!

主食は、blです。
BL
今作品の主人公、レイは6歳の時に自身の前世が、陰キャの腐男子だったことを思い出す。 レイは、自身のいる世界が前世、ハマりにハマっていた『転校生は愛され優等生.ᐟ‪‪.ᐟ』の世界だと気付き、腐男子として、美形×転校生のBのLを見て楽しもうと思っていたが…

【完結】ハードな甘とろ調教でイチャラブ洗脳されたいから悪役貴族にはなりたくないが勇者と戦おうと思う

R-13
BL
甘S令息×流され貴族が織りなす 結構ハードなラブコメディ&痛快逆転劇 2度目の人生、異世界転生。 そこは生前自分が読んでいた物語の世界。 しかし自分の配役は悪役令息で? それでもめげずに真面目に生きて35歳。 せっかく民に慕われる立派な伯爵になったのに。 気付けば自分が侯爵家三男を監禁して洗脳していると思われかねない状況に! このままじゃ物語通りになってしまう! 早くこいつを家に帰さないと! しかし彼は帰るどころか屋敷に居着いてしまって。 「シャルル様は僕に虐められることだけ考えてたら良いんだよ?」 帰るどころか毎晩毎晩誘惑してくる三男。 エロ耐性が無さ過ぎて断るどころかどハマりする伯爵。 逆に毎日甘々に調教されてどんどん大好き洗脳されていく。 このままじゃ真面目に生きているのに、悪役貴族として討伐される運命が待っているが、大好きな三男は渡せないから仕方なく勇者と戦おうと思う。 これはそんな流され系主人公が運命と戦う物語。 「アルフィ、ずっとここに居てくれ」 「うん!そんなこと言ってくれると凄く嬉しいけど、出来たら2人きりで言って欲しかったし酒の勢いで言われるのも癪だしそもそも急だし昨日までと言ってること真逆だしそもそもなんでちょっと泣きそうなのかわかんないし手握ってなくても逃げないしてかもう泣いてるし怖いんだけど大丈夫?」 媚薬、緊縛、露出、催眠、時間停止などなど。 徐々に怪しげな薬や、秘密な魔道具、エロいことに特化した魔法なども出てきます。基本的に激しく痛みを伴うプレイはなく、快楽系の甘やかし調教や、羞恥系のプレイがメインです。 全8章128話、11月27日に完結します。 なおエロ描写がある話には♡を付けています。 ※ややハードな内容のプレイもございます。誤って見てしまった方は、すぐに1〜2杯の牛乳または水、あるいは生卵を飲んで、かかりつけ医にご相談する前に落ち着いて下さい。 感想やご指摘、叱咤激励、有給休暇等貰えると嬉しいです!ノシ

処理中です...