40 / 93
第二章 失って得たもの
2-16
しおりを挟む
「今はどう見えますか? 醜いですか?」
僕は自嘲の笑みを浮かべて、自分自身を傷付けたくて敢えて乱暴にそう聞いてしまった。言ってから、これでは酷い八つ当たりだと後悔が押し寄せたが、言葉は戻せない。クリストフを困らせてしまうと思ったが、彼は優しく目を細めた。
「いや、変わらず美しいままだ。だって、君はまだ彼を好きなのだろう?」
問われて、僕は目を瞑って首を振る。
「でも、マルクはもう僕のことを忘れてしまったから。僕はマルクを好きでいてはいけないんだ」
「どうして?」
「どうして、って……。愛するってそういうことでしょう? 愛された分を返すのが愛だから。返す気がない人に向ける愛は迷惑だ」
前世での記憶が僕にそう叫ばせる。愛情は支払った分が返ってくるもの。そう繰り返し言っていた母の言葉を真に受けて、僕は愛を尽くした。けれど母は結局返してはくれなかった。母の求めていた愛とは違っていたのだから、僕の愛は迷惑でしかなかっただろう。僕の一方的な愛情が、母を追い詰めていたのではないかと思っていた。僕がもっと距離を取っていれば、母は出て行くことはなかったのかもしれない。そう自分を責めていた。
マルクもそうだ。マルクは黒の忌人である僕を今では嫌悪していることだろう。そんな僕がマルクを想い続けることは迷惑だ。罪なことだ。
美しい思い出の日々を胸に残すことも本当はいけないのだろうけど、何も無くなってしまった僕にそれだけは許してほしい。こんな浅ましい思いを抱いてしまう自分は、本当に醜い忌人だ。
僕は唇を噛んで俯いた。
すると、体がすっぽりと温かなものに包まれた。長い赤い髪が視界を掠め、引き締まった力強い腕を背中に感じる。クリストフに抱きしめられている、そう気付いて僕は身を固くした。マルク以外に、こんな風に優しく抱きしめられたのは初めてだった。背の高いクリストフの胸が僕の耳に当たって、少しだけ速い優しい心音が聞こえる。固くなった体が溶かされていくような安心感があった。
「君は愛を知らないんだね」
そう耳元で囁かれた声は、悲しそうな響きだった。
「正直なところ、私はマルク・ド・カサールについて良い感情を持っていない。だが、君が愛した彼は、私の知る彼とは違うのだろう。愛は返すものじゃない、自ずから溢れるものだ。迷惑なんて言葉は愛とは無縁だ。愛はもっと自由なものだよ」
僕の背中を撫でながらクリストフが語りかけるように言う。穏やかな声は、僕の頑なになった心にじんわりと沁み込むように入ってくる。
そうなのだろうか。
僕は、僕が愛したマルクをずっと想い続けていてもいいのだろうか。マルクの中で僕への愛は潰えても、僕が一方的に想うことは許されるのだろうか。
「……マルクは、本当にすごいんだ。いつでも凛として強くて優しくて。頭もいいし誰もが振り返るくらい姿も格好良くて……僕が幸せに生きられるようにって、大きな夢を持っていて……」
僕は譫言のようにそう語り出していた。僕の愛していたマルクを誰かに聞いてほしかった。今は変わってしまって誰も信じてはくれないだろうけれど、あの時は確かにあった僕への愛を聞いてほしかった。
マルクを讃える言葉が次から次へと溢れてきて、それぞれの思い出が切ないくらい強い愛情を呼び起こした。これではいくら否定したって、マルクへの想いを断ち切ることなんて到底出来はしないだろう。僕は思い知らされていた。
クリストフは、終わらない僕の話に一つ一つ丁寧に相槌を打って、頷いてくれた。
ようやく全て語り切ると、クリストフが僕の頭を撫でて
「そうか。素敵な愛を貰ったんだね」
と、そう言った。
そうだ。僕はマルクから沢山の愛を貰った。今は消えてしまっても、僕が愛し愛されたことは消えない。そう理解すると切なくなって、けれど苦しいだけではない温かな感情が心の底にあるのを感じて、どんなに辛くてももう泣くまいと思っていた瞳に涙が滲んだ。
僕はマルクを愛していた。マルクにも愛されていた。それはとても幸せなことなんだ。この幸せだけを胸に抱いて生きていこう。
「うん……」
僕は震える声で一言そう答えて、クリストフの胸を借りて少しだけ泣いた。
数粒の涙をクリストフのローブに染み込ませてから、僕はぱっと体を離し
「ごめんなさい。ありがとう」
久しぶりに心からの笑顔を浮かべて、そう言えた気がした。クリストフは一瞬驚いたように目を瞠ったけれど、すぐに柔らかな笑顔でどういたしまして、と答えた。
小さく鼻を啜った僕を見て、クリストフは涙の跡を消すように僕の頬を撫でる。
「様々な過去の愛情を抱えて人は成長するものだ。想いを忘れる必要はない。……けれど、新たな未来へ目を向けることも大切だ、とだけ今は言っておくよ。今の君に告げるのは騎士道精神に反するからね」
クリストフの物言いは僕には少し難しかったけれど、確かに過去を振り返ってばかりはいられない。幸いにも住むところがあって、仕事があって、クリストフをはじめ周りの人にも恵まれている。僕はマルクを待つ以外の人生の目標を見つけたいと前を向くことにしたのだった。
僕は自嘲の笑みを浮かべて、自分自身を傷付けたくて敢えて乱暴にそう聞いてしまった。言ってから、これでは酷い八つ当たりだと後悔が押し寄せたが、言葉は戻せない。クリストフを困らせてしまうと思ったが、彼は優しく目を細めた。
「いや、変わらず美しいままだ。だって、君はまだ彼を好きなのだろう?」
問われて、僕は目を瞑って首を振る。
「でも、マルクはもう僕のことを忘れてしまったから。僕はマルクを好きでいてはいけないんだ」
「どうして?」
「どうして、って……。愛するってそういうことでしょう? 愛された分を返すのが愛だから。返す気がない人に向ける愛は迷惑だ」
前世での記憶が僕にそう叫ばせる。愛情は支払った分が返ってくるもの。そう繰り返し言っていた母の言葉を真に受けて、僕は愛を尽くした。けれど母は結局返してはくれなかった。母の求めていた愛とは違っていたのだから、僕の愛は迷惑でしかなかっただろう。僕の一方的な愛情が、母を追い詰めていたのではないかと思っていた。僕がもっと距離を取っていれば、母は出て行くことはなかったのかもしれない。そう自分を責めていた。
マルクもそうだ。マルクは黒の忌人である僕を今では嫌悪していることだろう。そんな僕がマルクを想い続けることは迷惑だ。罪なことだ。
美しい思い出の日々を胸に残すことも本当はいけないのだろうけど、何も無くなってしまった僕にそれだけは許してほしい。こんな浅ましい思いを抱いてしまう自分は、本当に醜い忌人だ。
僕は唇を噛んで俯いた。
すると、体がすっぽりと温かなものに包まれた。長い赤い髪が視界を掠め、引き締まった力強い腕を背中に感じる。クリストフに抱きしめられている、そう気付いて僕は身を固くした。マルク以外に、こんな風に優しく抱きしめられたのは初めてだった。背の高いクリストフの胸が僕の耳に当たって、少しだけ速い優しい心音が聞こえる。固くなった体が溶かされていくような安心感があった。
「君は愛を知らないんだね」
そう耳元で囁かれた声は、悲しそうな響きだった。
「正直なところ、私はマルク・ド・カサールについて良い感情を持っていない。だが、君が愛した彼は、私の知る彼とは違うのだろう。愛は返すものじゃない、自ずから溢れるものだ。迷惑なんて言葉は愛とは無縁だ。愛はもっと自由なものだよ」
僕の背中を撫でながらクリストフが語りかけるように言う。穏やかな声は、僕の頑なになった心にじんわりと沁み込むように入ってくる。
そうなのだろうか。
僕は、僕が愛したマルクをずっと想い続けていてもいいのだろうか。マルクの中で僕への愛は潰えても、僕が一方的に想うことは許されるのだろうか。
「……マルクは、本当にすごいんだ。いつでも凛として強くて優しくて。頭もいいし誰もが振り返るくらい姿も格好良くて……僕が幸せに生きられるようにって、大きな夢を持っていて……」
僕は譫言のようにそう語り出していた。僕の愛していたマルクを誰かに聞いてほしかった。今は変わってしまって誰も信じてはくれないだろうけれど、あの時は確かにあった僕への愛を聞いてほしかった。
マルクを讃える言葉が次から次へと溢れてきて、それぞれの思い出が切ないくらい強い愛情を呼び起こした。これではいくら否定したって、マルクへの想いを断ち切ることなんて到底出来はしないだろう。僕は思い知らされていた。
クリストフは、終わらない僕の話に一つ一つ丁寧に相槌を打って、頷いてくれた。
ようやく全て語り切ると、クリストフが僕の頭を撫でて
「そうか。素敵な愛を貰ったんだね」
と、そう言った。
そうだ。僕はマルクから沢山の愛を貰った。今は消えてしまっても、僕が愛し愛されたことは消えない。そう理解すると切なくなって、けれど苦しいだけではない温かな感情が心の底にあるのを感じて、どんなに辛くてももう泣くまいと思っていた瞳に涙が滲んだ。
僕はマルクを愛していた。マルクにも愛されていた。それはとても幸せなことなんだ。この幸せだけを胸に抱いて生きていこう。
「うん……」
僕は震える声で一言そう答えて、クリストフの胸を借りて少しだけ泣いた。
数粒の涙をクリストフのローブに染み込ませてから、僕はぱっと体を離し
「ごめんなさい。ありがとう」
久しぶりに心からの笑顔を浮かべて、そう言えた気がした。クリストフは一瞬驚いたように目を瞠ったけれど、すぐに柔らかな笑顔でどういたしまして、と答えた。
小さく鼻を啜った僕を見て、クリストフは涙の跡を消すように僕の頬を撫でる。
「様々な過去の愛情を抱えて人は成長するものだ。想いを忘れる必要はない。……けれど、新たな未来へ目を向けることも大切だ、とだけ今は言っておくよ。今の君に告げるのは騎士道精神に反するからね」
クリストフの物言いは僕には少し難しかったけれど、確かに過去を振り返ってばかりはいられない。幸いにも住むところがあって、仕事があって、クリストフをはじめ周りの人にも恵まれている。僕はマルクを待つ以外の人生の目標を見つけたいと前を向くことにしたのだった。
53
あなたにおすすめの小説
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も皆の小話もあがります。
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
平凡な俺が完璧なお兄様に執着されてます
クズねこ
BL
いつもは目も合わせてくれないのにある時だけ異様に甘えてくるお兄様と義理の弟の話。
『次期公爵家当主』『皇太子様の右腕』そんなふうに言われているのは俺の義理のお兄様である。
何をするにも完璧で、なんでも片手間にやってしまうそんなお兄様に執着されるお話。
BLでヤンデレものです。
第13回BL大賞に応募中です。ぜひ、応援よろしくお願いします!
週一 更新予定
ときどきプラスで更新します!
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!
伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!?
その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。
創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……?
ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……?
女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に!
──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ!
※
一日三話更新を目指して頑張ります
忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる