38 / 93
第二章 失って得たもの
2-14
しおりを挟む
その日僕は、そわそわと視線を行ったり来たりさせながら落ち着きなく片付けをしていた。
段々と客も減り閑散としてきた夜更けの酒場で、ローブの彼が悠々と酒を飲んでいたからだ。普段ならば、僕が片付けを始めたのを察すると、彼は気を遣って帰り支度をしてくれる。酔い潰れた客がいれば僕が何も言わなくても起こすなり運ぶなりしてくれて、それが終わると支払いをして帰って行く。彼が最後の客になる事はこれまでほとんどなかった。しかし今日は、数えるほどしか客がいないにもかかわらず帰る素振りを見せない。それどころか、飲みながら時折僕の方をちらと確認しているのだ。
これまで何も言われなかったが、今日こそ先日の夜のことを咎められるのだろうか。髪と目を確認されたり、見返りを要求されるのかもしれない。僕は怯えながら、なるべく彼と目を合わせないように黙々と作業を続けた。
残った客が部屋に向かうのを見送ってから酒場を見渡すと、とうとう一人残ったローブの彼が立ち上がった。彼の口元がにっこりと持ち上がる。
「少し君と話がしたいんだが、いいかな?」
そう問われて、僕は断る事はできず恐々と頷いた。
外で話そうと言われ、僕達は店を出た。これほど遅い時間に、うら寂しく治安も悪いこの辺りを歩くような人影は僕達しかいない。最近ではすぐ近くで魔物らしき姿が目撃され騒動になったこともあったし、僕だって一人だったら怖くてとても外に出ようなどとは思わない地域だ。けれど彼は余程強さに自信があるのかのんびりとした足取りで、更に人気のない城下町の端へ向かって行く。僕は寂寞たる闇夜と、これから彼に言われるだろうことに恐怖して、ともすれば止まってしまいそうな足を叱咤して彼について行った。
「……何から言えばいいのかな」
ずっと黙っていた彼がふとそう口にして、僕はびくりと肩を震わせた。その僕を横目で見て、彼が小さく笑いを零す。
「そうだね、まずはそんなに怯えないでほしいってことかな。ずっと私を避けていただろう? なかなかに堪えたよ」
肩を竦めて、彼は苦笑を零した。
「君の髪や目の色のことを、誰にも言うつもりはないんだ」
やはり、彼は誰にも告げていなかった。そうであれば、口止め料として何かを見返りに求められるのだろう。僕は窺うように彼を見上げ、言われる前にと先に口を開いた。
「あの……僕、あなたに払えるような物を何も持ってなくて。だから、この宿を出て行こうと思います」
「待ってくれ。君にそんなことをしてほしい訳じゃないよ。……それに、あの宿は君の大事な居場所なんだろう? 簡単に手放してはいけないよ」
慌てた様子でそう引き止める彼に、僕は顔を俯けた。
確かに、あの宿で仕事と住まいを得ることは僕にとって重要だった。城下町のどこかでマルクを待つ為に必要な場所だった。
けれど、今はもう必死にしがみつく必要はなくなってしまった。マルクが僕を忘れてしまったのだから。
「……もう、いいんです」
「それは、マルク・ド・カサールのせいかい?」
思いがけない言葉に、僕は弾かれたように顔を上げた。彼はじっと僕を見つめていた。
「やはりね。君の大切な人というのは彼なのだろう?」
僕は肯定も否定もできず、彼を見つめ返すばかりだった。彼は一体何を知っていて、何を言われるのか。ごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「すぐに分かったよ。君と同じセイン孤児院の出身で院を出たのも同時期だ。関わりがないはずがない」
「えっ、なんで……」
僕は言葉を失った。僕が孤児院の出身ということは誰にも言っていない。ましてやマルクと知り合いだなんて、気付かれないように細心の注意を払っていた。どうして彼がそれを知っているのか。
「君はもう私を忘れてしまったかな」
彼の口ぶりからして僕は彼と以前に会っているのだろうか。記憶を探っていると、彼は品の良い穏やかな笑顔を浮かべた。その柔和な雰囲気に記憶の片隅で何かが引っかかる。
その時、真っ暗だった周囲が急に明るくなった。驚いて見上げると、頭上で星が真っ赤に燃えていた。いや、違う。よく見れば鳥だ。赤い羽毛から火の粉を撒き散らせて、鳥が闇夜を飛んでいる。
僕があんぐりと口を開けて頭上を見上げていると、真っ赤な鳥は次第に高度を下げて、ローブの彼の肩に止まった。優雅に羽を畳むと、飛空の軌跡を残していた火の粉が夜の中に消えた。
段々と客も減り閑散としてきた夜更けの酒場で、ローブの彼が悠々と酒を飲んでいたからだ。普段ならば、僕が片付けを始めたのを察すると、彼は気を遣って帰り支度をしてくれる。酔い潰れた客がいれば僕が何も言わなくても起こすなり運ぶなりしてくれて、それが終わると支払いをして帰って行く。彼が最後の客になる事はこれまでほとんどなかった。しかし今日は、数えるほどしか客がいないにもかかわらず帰る素振りを見せない。それどころか、飲みながら時折僕の方をちらと確認しているのだ。
これまで何も言われなかったが、今日こそ先日の夜のことを咎められるのだろうか。髪と目を確認されたり、見返りを要求されるのかもしれない。僕は怯えながら、なるべく彼と目を合わせないように黙々と作業を続けた。
残った客が部屋に向かうのを見送ってから酒場を見渡すと、とうとう一人残ったローブの彼が立ち上がった。彼の口元がにっこりと持ち上がる。
「少し君と話がしたいんだが、いいかな?」
そう問われて、僕は断る事はできず恐々と頷いた。
外で話そうと言われ、僕達は店を出た。これほど遅い時間に、うら寂しく治安も悪いこの辺りを歩くような人影は僕達しかいない。最近ではすぐ近くで魔物らしき姿が目撃され騒動になったこともあったし、僕だって一人だったら怖くてとても外に出ようなどとは思わない地域だ。けれど彼は余程強さに自信があるのかのんびりとした足取りで、更に人気のない城下町の端へ向かって行く。僕は寂寞たる闇夜と、これから彼に言われるだろうことに恐怖して、ともすれば止まってしまいそうな足を叱咤して彼について行った。
「……何から言えばいいのかな」
ずっと黙っていた彼がふとそう口にして、僕はびくりと肩を震わせた。その僕を横目で見て、彼が小さく笑いを零す。
「そうだね、まずはそんなに怯えないでほしいってことかな。ずっと私を避けていただろう? なかなかに堪えたよ」
肩を竦めて、彼は苦笑を零した。
「君の髪や目の色のことを、誰にも言うつもりはないんだ」
やはり、彼は誰にも告げていなかった。そうであれば、口止め料として何かを見返りに求められるのだろう。僕は窺うように彼を見上げ、言われる前にと先に口を開いた。
「あの……僕、あなたに払えるような物を何も持ってなくて。だから、この宿を出て行こうと思います」
「待ってくれ。君にそんなことをしてほしい訳じゃないよ。……それに、あの宿は君の大事な居場所なんだろう? 簡単に手放してはいけないよ」
慌てた様子でそう引き止める彼に、僕は顔を俯けた。
確かに、あの宿で仕事と住まいを得ることは僕にとって重要だった。城下町のどこかでマルクを待つ為に必要な場所だった。
けれど、今はもう必死にしがみつく必要はなくなってしまった。マルクが僕を忘れてしまったのだから。
「……もう、いいんです」
「それは、マルク・ド・カサールのせいかい?」
思いがけない言葉に、僕は弾かれたように顔を上げた。彼はじっと僕を見つめていた。
「やはりね。君の大切な人というのは彼なのだろう?」
僕は肯定も否定もできず、彼を見つめ返すばかりだった。彼は一体何を知っていて、何を言われるのか。ごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「すぐに分かったよ。君と同じセイン孤児院の出身で院を出たのも同時期だ。関わりがないはずがない」
「えっ、なんで……」
僕は言葉を失った。僕が孤児院の出身ということは誰にも言っていない。ましてやマルクと知り合いだなんて、気付かれないように細心の注意を払っていた。どうして彼がそれを知っているのか。
「君はもう私を忘れてしまったかな」
彼の口ぶりからして僕は彼と以前に会っているのだろうか。記憶を探っていると、彼は品の良い穏やかな笑顔を浮かべた。その柔和な雰囲気に記憶の片隅で何かが引っかかる。
その時、真っ暗だった周囲が急に明るくなった。驚いて見上げると、頭上で星が真っ赤に燃えていた。いや、違う。よく見れば鳥だ。赤い羽毛から火の粉を撒き散らせて、鳥が闇夜を飛んでいる。
僕があんぐりと口を開けて頭上を見上げていると、真っ赤な鳥は次第に高度を下げて、ローブの彼の肩に止まった。優雅に羽を畳むと、飛空の軌跡を残していた火の粉が夜の中に消えた。
51
あなたにおすすめの小説
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も皆の小話もあがります。
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
平凡な俺が完璧なお兄様に執着されてます
クズねこ
BL
いつもは目も合わせてくれないのにある時だけ異様に甘えてくるお兄様と義理の弟の話。
『次期公爵家当主』『皇太子様の右腕』そんなふうに言われているのは俺の義理のお兄様である。
何をするにも完璧で、なんでも片手間にやってしまうそんなお兄様に執着されるお話。
BLでヤンデレものです。
第13回BL大賞に応募中です。ぜひ、応援よろしくお願いします!
週一 更新予定
ときどきプラスで更新します!
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!
伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!?
その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。
創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……?
ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……?
女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に!
──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ!
※
一日三話更新を目指して頑張ります
忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる