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第二章 失って得たもの

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 舞台上では、スタニスラスが演説を行なっている。豪奢な椅子に腰掛け足を組むマルクは、まるで絵画のように美しかった。周囲の女性達からもうっとりとした溜息が漏れている。マルクの髪は耳の辺りで真っ直ぐに切り揃えられ、白金にも近い明るい金色になっていた。スタニスラスの演説に頷く度に美しく艶やかに髪が揺れる。青い瞳は変わらず鋭く理知的だったが、涼やかと言うよりは冷たい印象を与え、どこか虚ろにも見えたのが少し気になった。

「……しかしてこのマルクはまだ未熟であるから、カサールを継ぐからと言ってすぐに宰相となる訳ではない。まずは私の元で国を導く術を学ばせた後に職を譲るものである。権力はいまだ私の手中にあることを決して忘れてはならない。この国の繁栄と富は私のおかげなのである!」

 スタニスラスの口角泡を飛ばす力強い演説に、

「なぁんだ、まだマルク様が宰相にはならないのかぁ」
「繁栄も富もアンタじゃなくて精霊王のおかげでしょうに」

 そう呆れた呟きが周囲から聞こえてくる。しかし、すっかり自分の弁舌に酔っているらしいスタニスラスは観衆の冷めた様子にも気が付かないようだった。

「だが、見るがいい! マルクのこの太陽の如く輝く金の髪と、海の如く深い青の瞳を! これほどの強い加護を持つ者は歴代のカサール当主でも少ない。いかにマルクが尊ぶべき存在であるかが分かるであろう。そしてこの者を生み出した私の偉大さが、お前達のような卑しき者達にも分かるであろう!」

 いよいよ興奮した様子のスタニスラスの言葉に、見下された観衆は微かな非難の声を上げたがそれが舞台上まで届くことはなかった。ただ、悠然と椅子に腰掛けたままのマルクだけが、嘲笑的な笑みを浮かべていた。
 スタニスラスは息を切らせて演説を締めくくり、どっかりと椅子に座った。代わりにマルクが立ち上がる。期待に場が一瞬沸き、すぐに静まり返る。僕もマルクの声を聞けるのだと思うとまた緊張してきて、固唾を飲んでその言葉を待った。
 広場の中央に立ったマルクが、温度の感じられない冷然な瞳を観衆に向け、口を開いた。

「お前達に話すことなど何もない」

 と、マルクは無感情に一言だけ言ってすぐに下がってしまった。そして護衛の者からずしりと重そうな布袋を受け取って、

「下賤のお前らに何を言っても分からんのだから時間の無駄だ。どうせお前らはこれさえ貰えれば満足なんだろう」

 言うや否や、マルクは袋に手を突っ込んで中の銀貨をばら撒いた。
 マルクの言い様に抗議の声が上がったが、それも銀貨を取り合う人々の狂乱にかき消されてしまう。人々は押し合い、罵り合い、殴り合って銀貨に群がり、暴動に近い有様だ。それをマルクは楽しそうに見下ろして笑っていた。細められた瞳は歪んで濁って見えた。
 僕の方にまで銀貨が飛んできて、フードにコツリと当たって地面に落ちる。隣の女性が慌てて拾っていたが、僕は動くことさえできなかった。

 この人は本当にマルクなのか。
 人を見下し、蔑んで、いがみ合う姿に愉悦の笑みを零すこの人が、本当にあのマルクなのか。

 僕はとても信じられなくて呆然と壇上の人を見つめていた。脳裏にふと過ぎる宿の常連客の噂話。日に日に増えていったマルクの悪評。

 人を人とも思わない冷たい人間。
 富と権力と女にしか興味がない。
 スタニスラスよりも強い特権意識を持った差別主義者。
 切れ者の片鱗は既に消え失せて、すっかりカサール家に染まりきった。

 これらの話を聞く度に、そんなはずはないと心の中で否定してきた。僕の中のマルクを信じ続けてきた。
 けれど今目の前にいるのは、僕が信じたマルクとは程遠い姿だ。
 
 いくつか袋を替えて銀貨を撒いたマルクは、全てが空になったのを確認すると怪我人も出て大騒ぎの広場を振り返りもせず舞台を後にする。階段を降りて再び近付いてきたマルクに、また女性達が群がった。僕も近付いて声を掛けなければと思ったけれど、僕はまだこの人が本当にマルクなのか信じられなくて、大声を出し飛び跳ねる女性達の後ろに隠れたままだった。
 女性達を押しのけながらカサール家の護衛が道を作り、その後ろをスタニスラス、マルクと続いて歩く。取り囲む女性達を見て下卑た笑みを浮かべたスタニスラスが足を止めて、マルクに言った。

「どうだ、マルク。一人ずつ良さそうなのを選んで抱いてみないか」

 侮蔑的な酷い言葉だと思ったが、女性達は余程カサール家に縁付きたいのか媚びた歓声を上げる。マルクはスタニスラスの言葉に女性達を一瞥して、眉を跳ね上げた。

「ご冗談でしょう。こんな髪も目も色の暗い、加護の薄い市井の女、気色悪くて触ることもできませんよ。父上もお年なんですから、そろそろその悪食をご自重ください」

 そう吐き捨てるように言って、スタニスラスを置いてさっさと先に行ってしまった。残されたスタニスラスはおかしそうに笑い声を上げ、それもそうだ、と呟いてマルクの後について行った。

 僕は耳を疑った。今マルクは何と言った。

 やっぱりあの人はマルクなんかじゃない。マルクが髪や瞳の色が暗いからといって、加護の力が弱いからといって、人を差別する訳がない。加護差別をなくそうと夢を抱いてカサール家に入ったんだから。

 でもあの人は間違いなくマルク・ド・カサールで、面立ちも声もマルクそのものなのだ。

 じゃあ僕が信じていたマルクは何だったんだろう。僕の世界はどこに行ってしまったんだろう。

 一気に暗闇に突き落とされたような恐怖と心許なさで、僕は目眩を感じてよろめいた。
 マルクは馬車に乗るところで、最後にちらりとこちらを見た。その時、一瞬目が合ったような気がした。青い瞳を大きく見開いて、表情を強張らせていた。何か言おうとしていたが、その前に従者に扉を閉められて馬車はすぐに走り出した。
 僕の願望が見せた錯覚かもしれない。けれどその時のマルクの瞳は、僕が見知った澄んだ青色だった気がした。
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