35 / 93
第二章 失って得たもの
2-11
しおりを挟む
舞台上では、スタニスラスが演説を行なっている。豪奢な椅子に腰掛け足を組むマルクは、まるで絵画のように美しかった。周囲の女性達からもうっとりとした溜息が漏れている。マルクの髪は耳の辺りで真っ直ぐに切り揃えられ、白金にも近い明るい金色になっていた。スタニスラスの演説に頷く度に美しく艶やかに髪が揺れる。青い瞳は変わらず鋭く理知的だったが、涼やかと言うよりは冷たい印象を与え、どこか虚ろにも見えたのが少し気になった。
「……しかしてこのマルクはまだ未熟であるから、カサールを継ぐからと言ってすぐに宰相となる訳ではない。まずは私の元で国を導く術を学ばせた後に職を譲るものである。権力はいまだ私の手中にあることを決して忘れてはならない。この国の繁栄と富は私のおかげなのである!」
スタニスラスの口角泡を飛ばす力強い演説に、
「なぁんだ、まだマルク様が宰相にはならないのかぁ」
「繁栄も富もアンタじゃなくて精霊王のおかげでしょうに」
そう呆れた呟きが周囲から聞こえてくる。しかし、すっかり自分の弁舌に酔っているらしいスタニスラスは観衆の冷めた様子にも気が付かないようだった。
「だが、見るがいい! マルクのこの太陽の如く輝く金の髪と、海の如く深い青の瞳を! これほどの強い加護を持つ者は歴代のカサール当主でも少ない。いかにマルクが尊ぶべき存在であるかが分かるであろう。そしてこの者を生み出した私の偉大さが、お前達のような卑しき者達にも分かるであろう!」
いよいよ興奮した様子のスタニスラスの言葉に、見下された観衆は微かな非難の声を上げたがそれが舞台上まで届くことはなかった。ただ、悠然と椅子に腰掛けたままのマルクだけが、嘲笑的な笑みを浮かべていた。
スタニスラスは息を切らせて演説を締めくくり、どっかりと椅子に座った。代わりにマルクが立ち上がる。期待に場が一瞬沸き、すぐに静まり返る。僕もマルクの声を聞けるのだと思うとまた緊張してきて、固唾を飲んでその言葉を待った。
広場の中央に立ったマルクが、温度の感じられない冷然な瞳を観衆に向け、口を開いた。
「お前達に話すことなど何もない」
と、マルクは無感情に一言だけ言ってすぐに下がってしまった。そして護衛の者からずしりと重そうな布袋を受け取って、
「下賤のお前らに何を言っても分からんのだから時間の無駄だ。どうせお前らはこれさえ貰えれば満足なんだろう」
言うや否や、マルクは袋に手を突っ込んで中の銀貨をばら撒いた。
マルクの言い様に抗議の声が上がったが、それも銀貨を取り合う人々の狂乱にかき消されてしまう。人々は押し合い、罵り合い、殴り合って銀貨に群がり、暴動に近い有様だ。それをマルクは楽しそうに見下ろして笑っていた。細められた瞳は歪んで濁って見えた。
僕の方にまで銀貨が飛んできて、フードにコツリと当たって地面に落ちる。隣の女性が慌てて拾っていたが、僕は動くことさえできなかった。
この人は本当にマルクなのか。
人を見下し、蔑んで、いがみ合う姿に愉悦の笑みを零すこの人が、本当にあのマルクなのか。
僕はとても信じられなくて呆然と壇上の人を見つめていた。脳裏にふと過ぎる宿の常連客の噂話。日に日に増えていったマルクの悪評。
人を人とも思わない冷たい人間。
富と権力と女にしか興味がない。
スタニスラスよりも強い特権意識を持った差別主義者。
切れ者の片鱗は既に消え失せて、すっかりカサール家に染まりきった。
これらの話を聞く度に、そんなはずはないと心の中で否定してきた。僕の中のマルクを信じ続けてきた。
けれど今目の前にいるのは、僕が信じたマルクとは程遠い姿だ。
いくつか袋を替えて銀貨を撒いたマルクは、全てが空になったのを確認すると怪我人も出て大騒ぎの広場を振り返りもせず舞台を後にする。階段を降りて再び近付いてきたマルクに、また女性達が群がった。僕も近付いて声を掛けなければと思ったけれど、僕はまだこの人が本当にマルクなのか信じられなくて、大声を出し飛び跳ねる女性達の後ろに隠れたままだった。
女性達を押しのけながらカサール家の護衛が道を作り、その後ろをスタニスラス、マルクと続いて歩く。取り囲む女性達を見て下卑た笑みを浮かべたスタニスラスが足を止めて、マルクに言った。
「どうだ、マルク。一人ずつ良さそうなのを選んで抱いてみないか」
侮蔑的な酷い言葉だと思ったが、女性達は余程カサール家に縁付きたいのか媚びた歓声を上げる。マルクはスタニスラスの言葉に女性達を一瞥して、眉を跳ね上げた。
「ご冗談でしょう。こんな髪も目も色の暗い、加護の薄い市井の女、気色悪くて触ることもできませんよ。父上もお年なんですから、そろそろその悪食をご自重ください」
そう吐き捨てるように言って、スタニスラスを置いてさっさと先に行ってしまった。残されたスタニスラスはおかしそうに笑い声を上げ、それもそうだ、と呟いてマルクの後について行った。
僕は耳を疑った。今マルクは何と言った。
やっぱりあの人はマルクなんかじゃない。マルクが髪や瞳の色が暗いからといって、加護の力が弱いからといって、人を差別する訳がない。加護差別をなくそうと夢を抱いてカサール家に入ったんだから。
でもあの人は間違いなくマルク・ド・カサールで、面立ちも声もマルクそのものなのだ。
じゃあ僕が信じていたマルクは何だったんだろう。僕の世界はどこに行ってしまったんだろう。
一気に暗闇に突き落とされたような恐怖と心許なさで、僕は目眩を感じてよろめいた。
マルクは馬車に乗るところで、最後にちらりとこちらを見た。その時、一瞬目が合ったような気がした。青い瞳を大きく見開いて、表情を強張らせていた。何か言おうとしていたが、その前に従者に扉を閉められて馬車はすぐに走り出した。
僕の願望が見せた錯覚かもしれない。けれどその時のマルクの瞳は、僕が見知った澄んだ青色だった気がした。
「……しかしてこのマルクはまだ未熟であるから、カサールを継ぐからと言ってすぐに宰相となる訳ではない。まずは私の元で国を導く術を学ばせた後に職を譲るものである。権力はいまだ私の手中にあることを決して忘れてはならない。この国の繁栄と富は私のおかげなのである!」
スタニスラスの口角泡を飛ばす力強い演説に、
「なぁんだ、まだマルク様が宰相にはならないのかぁ」
「繁栄も富もアンタじゃなくて精霊王のおかげでしょうに」
そう呆れた呟きが周囲から聞こえてくる。しかし、すっかり自分の弁舌に酔っているらしいスタニスラスは観衆の冷めた様子にも気が付かないようだった。
「だが、見るがいい! マルクのこの太陽の如く輝く金の髪と、海の如く深い青の瞳を! これほどの強い加護を持つ者は歴代のカサール当主でも少ない。いかにマルクが尊ぶべき存在であるかが分かるであろう。そしてこの者を生み出した私の偉大さが、お前達のような卑しき者達にも分かるであろう!」
いよいよ興奮した様子のスタニスラスの言葉に、見下された観衆は微かな非難の声を上げたがそれが舞台上まで届くことはなかった。ただ、悠然と椅子に腰掛けたままのマルクだけが、嘲笑的な笑みを浮かべていた。
スタニスラスは息を切らせて演説を締めくくり、どっかりと椅子に座った。代わりにマルクが立ち上がる。期待に場が一瞬沸き、すぐに静まり返る。僕もマルクの声を聞けるのだと思うとまた緊張してきて、固唾を飲んでその言葉を待った。
広場の中央に立ったマルクが、温度の感じられない冷然な瞳を観衆に向け、口を開いた。
「お前達に話すことなど何もない」
と、マルクは無感情に一言だけ言ってすぐに下がってしまった。そして護衛の者からずしりと重そうな布袋を受け取って、
「下賤のお前らに何を言っても分からんのだから時間の無駄だ。どうせお前らはこれさえ貰えれば満足なんだろう」
言うや否や、マルクは袋に手を突っ込んで中の銀貨をばら撒いた。
マルクの言い様に抗議の声が上がったが、それも銀貨を取り合う人々の狂乱にかき消されてしまう。人々は押し合い、罵り合い、殴り合って銀貨に群がり、暴動に近い有様だ。それをマルクは楽しそうに見下ろして笑っていた。細められた瞳は歪んで濁って見えた。
僕の方にまで銀貨が飛んできて、フードにコツリと当たって地面に落ちる。隣の女性が慌てて拾っていたが、僕は動くことさえできなかった。
この人は本当にマルクなのか。
人を見下し、蔑んで、いがみ合う姿に愉悦の笑みを零すこの人が、本当にあのマルクなのか。
僕はとても信じられなくて呆然と壇上の人を見つめていた。脳裏にふと過ぎる宿の常連客の噂話。日に日に増えていったマルクの悪評。
人を人とも思わない冷たい人間。
富と権力と女にしか興味がない。
スタニスラスよりも強い特権意識を持った差別主義者。
切れ者の片鱗は既に消え失せて、すっかりカサール家に染まりきった。
これらの話を聞く度に、そんなはずはないと心の中で否定してきた。僕の中のマルクを信じ続けてきた。
けれど今目の前にいるのは、僕が信じたマルクとは程遠い姿だ。
いくつか袋を替えて銀貨を撒いたマルクは、全てが空になったのを確認すると怪我人も出て大騒ぎの広場を振り返りもせず舞台を後にする。階段を降りて再び近付いてきたマルクに、また女性達が群がった。僕も近付いて声を掛けなければと思ったけれど、僕はまだこの人が本当にマルクなのか信じられなくて、大声を出し飛び跳ねる女性達の後ろに隠れたままだった。
女性達を押しのけながらカサール家の護衛が道を作り、その後ろをスタニスラス、マルクと続いて歩く。取り囲む女性達を見て下卑た笑みを浮かべたスタニスラスが足を止めて、マルクに言った。
「どうだ、マルク。一人ずつ良さそうなのを選んで抱いてみないか」
侮蔑的な酷い言葉だと思ったが、女性達は余程カサール家に縁付きたいのか媚びた歓声を上げる。マルクはスタニスラスの言葉に女性達を一瞥して、眉を跳ね上げた。
「ご冗談でしょう。こんな髪も目も色の暗い、加護の薄い市井の女、気色悪くて触ることもできませんよ。父上もお年なんですから、そろそろその悪食をご自重ください」
そう吐き捨てるように言って、スタニスラスを置いてさっさと先に行ってしまった。残されたスタニスラスはおかしそうに笑い声を上げ、それもそうだ、と呟いてマルクの後について行った。
僕は耳を疑った。今マルクは何と言った。
やっぱりあの人はマルクなんかじゃない。マルクが髪や瞳の色が暗いからといって、加護の力が弱いからといって、人を差別する訳がない。加護差別をなくそうと夢を抱いてカサール家に入ったんだから。
でもあの人は間違いなくマルク・ド・カサールで、面立ちも声もマルクそのものなのだ。
じゃあ僕が信じていたマルクは何だったんだろう。僕の世界はどこに行ってしまったんだろう。
一気に暗闇に突き落とされたような恐怖と心許なさで、僕は目眩を感じてよろめいた。
マルクは馬車に乗るところで、最後にちらりとこちらを見た。その時、一瞬目が合ったような気がした。青い瞳を大きく見開いて、表情を強張らせていた。何か言おうとしていたが、その前に従者に扉を閉められて馬車はすぐに走り出した。
僕の願望が見せた錯覚かもしれない。けれどその時のマルクの瞳は、僕が見知った澄んだ青色だった気がした。
40
あなたにおすすめの小説
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も皆の小話もあがります。
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
平凡な俺が完璧なお兄様に執着されてます
クズねこ
BL
いつもは目も合わせてくれないのにある時だけ異様に甘えてくるお兄様と義理の弟の話。
『次期公爵家当主』『皇太子様の右腕』そんなふうに言われているのは俺の義理のお兄様である。
何をするにも完璧で、なんでも片手間にやってしまうそんなお兄様に執着されるお話。
BLでヤンデレものです。
第13回BL大賞に応募中です。ぜひ、応援よろしくお願いします!
週一 更新予定
ときどきプラスで更新します!
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!
伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!?
その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。
創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……?
ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……?
女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に!
──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ!
※
一日三話更新を目指して頑張ります
忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる