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第二章 失って得たもの
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その日は夜が更ける頃になっても気分が良く、鼻歌混じりにそろそろ片付けを始めようかという時だった。こんな遅い時間にもかかわらず、数名の客が入ってきた。宿泊客ではなく、酒場のみの利用客のようだ。見慣れぬ顔ぶれで、フードを被って顔を隠している人も何人かいる。最近、このような集団の客が多くなった。普段の常連客は少し乱暴だけれど陽気な冒険者達で、最初は怖かったものの慣れてくると付き合いやすい人が多い。けれど遅くに酒場だけ利用しにやって来るこの客達は、始終俯き加減で酒もろくに飲まず声を潜めて会話するだけ。どうやらこの酒場を待ち合わせ場所か何かにしているらしく、毎回顔ぶれは異なっているものの、数名ずつ集まって深夜になるとかなりの人数になる。それでも宴会騒ぎなどはせず静かに会話だけして帰って行く不思議な集団だ。普段の利用客は彼らの暗さが気に入らないようでしつこく絡んで酒を勧めるも断られ、怒った常連客が暴れて騒動になることも少なくない。こちらとしては少し困ってもいるが、彼らに問題がある訳ではないので入店を拒む理由にはならない。
「ご注文は?」
「何でもいいから酒を」
席に着いたのを見計らって注文を聞きに行くが、いつも決まった答えしか返ってこない。ほとんど口もつけないと分かってはいるけれどきちんとその分のお金を払ってくれるので、僕は言われた通りに酒を運ぶしかない。
全員に運び終えると、また新たな客が入って来た。全身をすっぽりと覆うローブを着て、そのフードを僕と同じくらい目深に被った人だ。静かな客達と同じ時間帯にやって来ることが多く、その見た目から初めは彼らの仲間の一人かと思ったものだが、実際は何の関係もないようで彼らの輪に加わることもなく、酒と食事だけをして帰って行く酒場の常連客の一人だ。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「今日は少し冷えてしまってね、温かな物が何かあると嬉しいんだが」
「だったら、根菜のスープが残ってますよ。ワインを温めて出すこともできますけど」
「グリューワインか、いいね。スープも魅力的だけれど今日は食事を済ませてきたからまた今度にさせて貰うよ」
この人が彼らとは関わりのない人だというのは、このやりとりだけでも明白だ。彼はとても愛想が良く、品も良い。食事をとる時のテーブルマナーも洗練されていて、正直この酒場に似つかわしくないほど上品だ。どこかの物好きな貴族がこの店を気に入ってお忍びで来ているのかと思ったが、ローブの上からでも分かるがっしりとした体躯と長身なので、名のある冒険者なのかもしれない。あまりに有名だから顔を隠しているとかだろうか。詮索するのも良くないので、詳しく聞いたことはないけれど。
「おまちどうさま。あとこれ、余っちゃったので良かったら」
注文されたグリューワインと少しの肴を出せば、彼は丁寧に礼を伝えてくれた。そのままじっと僕の顔を見ているので首を傾げると、
「今日は何かいいことがあったのかい?」
と問いかけられた。その声が楽しそうに弾んでいる。僕が見るからに上機嫌なことをからかわれているのだと思い、恥ずかしくなって給仕用のお盆で顔を隠しながら言った。
「すみません。今日僕のすごく大切な人の良い噂を聞いて浮かれてしまって……」
そう答えると、それまで穏やかに微笑んでいたその人の口元が少し強張ったように見えた。
「大切な……? それは、この酒場の人?」
「あっ、いえ。……もう二度と会えないかもしれない、遠い人です」
そうだ。僕は少し浮かれ過ぎた。マルクの噂がここまで流れてきたということは、マルクは今も変わらず努力して夢を叶えようとしている。僕も早くマルクに今の居場所を伝える方法を見つけないといけない。そうしなければ、本当に二度と会えなくなってしまうかもしれないのだ。
緩んだ気持ちを引き締めるように、そう答えてから僕は唇を引き結んだ。すると、彼は少しの間僕をじっと見つめた後、ワインを手に取って
「余計なことを聞いてしまったね。とても良い香りだ。ありがとう」
と言ってまた微笑んだ。僕はほっとして、小さく頭を下げてその場を辞した。
そこからは浮かれた自分を戒め、いつも通りを努めて仕事に従事した。
この時間に残っている客達は大概泥酔状態で、マルクに関する情報収集もままならないから僕はせっせと片付けを進める。静かな集団が帰ると、残ったのは先程のローブの彼と、酔い潰れて机に突っ伏して寝てしまった客が数名だった。僕は一人ずつ起こして部屋へと促すが、最後の一人が揺すっても叩いても何をしても起きない。たまにこういうことがあり、亭主がいれば客の部屋まで運んで貰うのだけれど今日は外出していていない。仕方なく、ただでさえ太い客の腕が眠って更に重くなっているのを自分の肩に乗せた。そうして立ち上がろうとするも、非力な僕ではいくら踏ん張っても冒険者の立派な体躯は全く持ち上がらない。顔を真っ赤にして奮闘していると、ふと影が差した。振り返るとローブの彼がすぐ後ろに立っていた。
「彼を運べばいいのかい?」
「はい、そうなんですけど重くて……」
言い終わる前に、彼が眠った客を小麦袋よろしく肩に担ぎ上げた。まるで真綿か何かのようにあまりに軽々と持ち上げてしまったから、僕はあんぐりと口を開けて見上げていた。
「彼の部屋は?」
そう問われて慌ててその客の部屋を案内し、ベッドまで運んで貰った。ローブの彼は確かに細くはない体格だが、店の客達に比べれば上背はともかく横幅はスマートな方で、程よく引き締まった体と言うのがぴったりだった。それなのに、一回り以上大きな筋骨隆々とした男を肩に担いですいすいと足取り軽く進む姿は、視覚がおかしくなったような気がしてしまう。僕は彼の素性が益々気になってしまった。
客を部屋に押し込めた後、僕は彼に深々と頭を下げた。彼は構わないと言いつつ、整った形の唇の端を少し下げた。
「こういうことはあまり感心しないな。男の体にベタベタと不用意に触り、しかも寝所まで付き添うなんて……。もっと君は危機感を持った方がいい」
「……そうですね、すみません。これから気を付けます」
確かに彼の言う通りだ。眠っているとはいえ、勝手に体を触られ運ばれるのはあまり良い気がしないだろう。しかも今は隠し通せているが僕は黒の忌人なのだ。本来なら誰もが気持ち悪いと思うに違いない。
僕が軽はずみな自分の行動を反省して再度頭を下げると、人手が必要な時はいつでも自分を呼んでくれとだけ言って、今日の酒場の代金をその場で支払い彼は帰って行った。気は優しくて力持ち、というのは彼のような人のことを言うのだろうと、尊敬と憧れの気持ちで僕はその背中を見送ったのだった。
「ご注文は?」
「何でもいいから酒を」
席に着いたのを見計らって注文を聞きに行くが、いつも決まった答えしか返ってこない。ほとんど口もつけないと分かってはいるけれどきちんとその分のお金を払ってくれるので、僕は言われた通りに酒を運ぶしかない。
全員に運び終えると、また新たな客が入って来た。全身をすっぽりと覆うローブを着て、そのフードを僕と同じくらい目深に被った人だ。静かな客達と同じ時間帯にやって来ることが多く、その見た目から初めは彼らの仲間の一人かと思ったものだが、実際は何の関係もないようで彼らの輪に加わることもなく、酒と食事だけをして帰って行く酒場の常連客の一人だ。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「今日は少し冷えてしまってね、温かな物が何かあると嬉しいんだが」
「だったら、根菜のスープが残ってますよ。ワインを温めて出すこともできますけど」
「グリューワインか、いいね。スープも魅力的だけれど今日は食事を済ませてきたからまた今度にさせて貰うよ」
この人が彼らとは関わりのない人だというのは、このやりとりだけでも明白だ。彼はとても愛想が良く、品も良い。食事をとる時のテーブルマナーも洗練されていて、正直この酒場に似つかわしくないほど上品だ。どこかの物好きな貴族がこの店を気に入ってお忍びで来ているのかと思ったが、ローブの上からでも分かるがっしりとした体躯と長身なので、名のある冒険者なのかもしれない。あまりに有名だから顔を隠しているとかだろうか。詮索するのも良くないので、詳しく聞いたことはないけれど。
「おまちどうさま。あとこれ、余っちゃったので良かったら」
注文されたグリューワインと少しの肴を出せば、彼は丁寧に礼を伝えてくれた。そのままじっと僕の顔を見ているので首を傾げると、
「今日は何かいいことがあったのかい?」
と問いかけられた。その声が楽しそうに弾んでいる。僕が見るからに上機嫌なことをからかわれているのだと思い、恥ずかしくなって給仕用のお盆で顔を隠しながら言った。
「すみません。今日僕のすごく大切な人の良い噂を聞いて浮かれてしまって……」
そう答えると、それまで穏やかに微笑んでいたその人の口元が少し強張ったように見えた。
「大切な……? それは、この酒場の人?」
「あっ、いえ。……もう二度と会えないかもしれない、遠い人です」
そうだ。僕は少し浮かれ過ぎた。マルクの噂がここまで流れてきたということは、マルクは今も変わらず努力して夢を叶えようとしている。僕も早くマルクに今の居場所を伝える方法を見つけないといけない。そうしなければ、本当に二度と会えなくなってしまうかもしれないのだ。
緩んだ気持ちを引き締めるように、そう答えてから僕は唇を引き結んだ。すると、彼は少しの間僕をじっと見つめた後、ワインを手に取って
「余計なことを聞いてしまったね。とても良い香りだ。ありがとう」
と言ってまた微笑んだ。僕はほっとして、小さく頭を下げてその場を辞した。
そこからは浮かれた自分を戒め、いつも通りを努めて仕事に従事した。
この時間に残っている客達は大概泥酔状態で、マルクに関する情報収集もままならないから僕はせっせと片付けを進める。静かな集団が帰ると、残ったのは先程のローブの彼と、酔い潰れて机に突っ伏して寝てしまった客が数名だった。僕は一人ずつ起こして部屋へと促すが、最後の一人が揺すっても叩いても何をしても起きない。たまにこういうことがあり、亭主がいれば客の部屋まで運んで貰うのだけれど今日は外出していていない。仕方なく、ただでさえ太い客の腕が眠って更に重くなっているのを自分の肩に乗せた。そうして立ち上がろうとするも、非力な僕ではいくら踏ん張っても冒険者の立派な体躯は全く持ち上がらない。顔を真っ赤にして奮闘していると、ふと影が差した。振り返るとローブの彼がすぐ後ろに立っていた。
「彼を運べばいいのかい?」
「はい、そうなんですけど重くて……」
言い終わる前に、彼が眠った客を小麦袋よろしく肩に担ぎ上げた。まるで真綿か何かのようにあまりに軽々と持ち上げてしまったから、僕はあんぐりと口を開けて見上げていた。
「彼の部屋は?」
そう問われて慌ててその客の部屋を案内し、ベッドまで運んで貰った。ローブの彼は確かに細くはない体格だが、店の客達に比べれば上背はともかく横幅はスマートな方で、程よく引き締まった体と言うのがぴったりだった。それなのに、一回り以上大きな筋骨隆々とした男を肩に担いですいすいと足取り軽く進む姿は、視覚がおかしくなったような気がしてしまう。僕は彼の素性が益々気になってしまった。
客を部屋に押し込めた後、僕は彼に深々と頭を下げた。彼は構わないと言いつつ、整った形の唇の端を少し下げた。
「こういうことはあまり感心しないな。男の体にベタベタと不用意に触り、しかも寝所まで付き添うなんて……。もっと君は危機感を持った方がいい」
「……そうですね、すみません。これから気を付けます」
確かに彼の言う通りだ。眠っているとはいえ、勝手に体を触られ運ばれるのはあまり良い気がしないだろう。しかも今は隠し通せているが僕は黒の忌人なのだ。本来なら誰もが気持ち悪いと思うに違いない。
僕が軽はずみな自分の行動を反省して再度頭を下げると、人手が必要な時はいつでも自分を呼んでくれとだけ言って、今日の酒場の代金をその場で支払い彼は帰って行った。気は優しくて力持ち、というのは彼のような人のことを言うのだろうと、尊敬と憧れの気持ちで僕はその背中を見送ったのだった。
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