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第一章 孤児院時代

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「お、起きたか。珍しいな、アンリが寝坊するの」

 部屋の戸口で朝日を背に浴び、にっかりと歯を見せ笑ったのは、幼馴染のマルクだった。

 僕はベッドから身を起こし、数度瞬いて辺りを見回した。いつもの部屋だ。
 また、あの時の夢を見ていた。
 地球の日本という国で人生を送り、突然に死を迎えたと思ったら転生を迫られる夢だ。初めてこの夢を見たのは三歳頃だっただろうか。ただの夢というにはあまりにも鮮明で、前世での些細な出来事一つ一つを一気に思い出した。そうして知ったのだ。今の自分は転生した姿なのだと。
 一瞬にして、前世で得た二十年分の経験が流れ込み脳が混乱したのか、僕はその後しばらく高熱を出して寝込んだ。そうして回復した後は、まるで人が変わったようだと周りから囁かれていた。
 それまでの僕は、世を恨み、自分の運命を呪い、周りに怯えて過ごしていた。劣悪な環境で育った幼児らしく、酷く扱いづらい子どもだったと思う。けれど、前世を思い出してからは自分の運命の全てを受け入れた。この世界の社会通念を変えることなんてできないし、自分の待遇改善の為に行動を起こす力もないのなら、受け入れるしかないと諦めたのだ。考えようによっては、前世の記憶がなかった時の方が根拠のない子どもらしい希望を抱けたのだから、幸せだったかもしれない。でも、それを失った分、生きやすくはなったと思う。
 急に大人びて従順になった僕に、周りの大人達は不思議がったが、手がかからないのは良いことなので次第に僕への関心も薄れていった。ここはそういう場所だ。良くも悪くも干渉されない。両親のいない子どもを集めた孤児院。それが僕の物心ついてから変わらぬ住まいだった。

 中世西欧風の世界。戦いがあり魔法がある。見たことはないが魔物だっている。この世界は、あの時天界人が言っていた通りのファンタジー世界というやつなのだろう。転生計画書に書き込まれた細かな設定も概ねその通りに再現されていると思う。
 ただ一点だけを除いて。


 僕はすっかり明るくなっている室内に気付いて、慌ててベッドを降りようとした。

「ごめん、今日は僕が朝食当番だったんだ。急いで支度しないと」

 それをマルクが手で制した。

「俺がやっといたから、アンリはゆっくり起きて来いよ」
「えっ、そうなの!? ごめん……」
「ごめん、じゃなくて、ありがとう、だろ?」
「あ……うん。ありがと……」

 マルクは満足そうに笑って、ベッドに数歩近づくと俯く僕の寝癖頭を優しくかき混ぜた。それから、大きく息を吸って、部屋中に響くように声を張った。

「お前らはとっとと起きろっ! 朝飯だぞ!」

 この狭い部屋には孤児達が八人も押し込められている。流石にもう十四歳になる僕やマルクは一人一台のベッドを使っているが、小さな子ども達は二人ないし三人で一台のベッドにぎゅうぎゅうになって眠っていた。
 マルクの声に、みんなが身じろぎして眉を顰める。決して柔らかくもない簡素なベッドに複数人で寝ていれば、一晩中寝苦しくて朝は起きるのが辛いのだ。僕もそうだったから気持ちはよく分かる。
 その内の一人が、目も開けずに寝言のように呟いた。

「ボク、朝飯いらないからまだ寝る。今日アンリが飯当番でしょ。アンリの飯は汚いから食いたくない」
「うん、ボクも。別にいらない」

 他の子どもも賛同するように口々に言って、二度寝を決め込んだようだった。
 基本的に朝食当番の者が起きて来ない子ども達を呼びに行くことになっており、僕が当番の日にはいつもこう言い返されて起こすのに苦労する。しかしマルクはこんな風に言われたのは初めてのようで、酷く驚いた様子で目を見開いていた。そして、先程呟いた子どものベッドへ足音荒く近づくと、薄い毛布を一気に引き剥がした。急に温もりを取られて寝ぼけ眼を擦る子に、マルクが目を吊り上げて言う。

「アンリがお前に何をした。お前の飯に毒でも入れるってのか」
「違うけどぉ……。だって"黒の"アンリだよ? アンリが触った飯は気持ち悪い」

 それを聞いたマルクは、勢いよくその子の肩を掴んで無理矢理引き起こした。相当強い力で掴んでいるのか、小さな呻き声が漏れる。

「マルクっ僕は気にしてないから、離してあげて」

 思わず間に入ったが、マルクが掴んだ手を離すことはなかった。むしろ肩に指先が強く食い込んでいく。怯えるその子の眼前まで顔を近づけて、低い声でマルクは言った。

「飯は食える時にちゃんと食え。俺達は孤児なんだ。下らないことに囚われて弱者同士で潰し合う愚かさを考えろ。アンリをちゃんと見ろ。アンリを自分の目でしっかり見てればそんなことは口にできないはずだ」

 いつも笑顔で明るいマルクとは思えない静かな怒りを湛えた形相に、その子は僅かに震えて何度も頷いた。涙をいっぱいに浮かべながら、

「アンリ、ごめんね」

 とこちらに顔を向けた。他の子ども達もぽつりぽつりと謝罪の言葉を口にする。
 それを聞いてやっとマルクが手を離すと、今度は一転して明るい声を出して

「よし、それじゃ急いで顔洗って来い。今日の朝飯はマルク特製鶏肉入りスープだぞ」

 そう告げると、子ども達から、肉だっ、と歓声が上がり、我先にと水場へ走って行った。
 部屋の中にはマルクと僕だけが残っていた。マルクはばつが悪そうに、こちらを振り返った。

「ごめんな、アンリ」
「ううん。マルクが謝ることじゃないし、本当に気にしてないよ」
「あいつらまだ小さいからものの分別がついてないんだ。悪気があった訳じゃなくて……」
「うん、分かってる」

 僕が微笑むと、マルクはまだ何か言いたそうに口を開いたが、結局言葉にならずに口を閉じた。

 僕は分かっている。これは仕方がないことなんだって。あれだけマルクが説得しても、子ども達も理解したように見えても、今朝の食事は本当はマルクが作ったのだと知った時にみんな一様にホッとした顔をしていた。それが全ての答えだ。心掛けでどうにかなる問題じゃないんだ。

 概ね計画書通りになった転生は、けれど一点だけ大きな違いがあった。
 それは、最後にうっかりと口を滑らせて組み込まれた部分。"愛される世界"というところ。
 この世界の僕は、愛されるどころか公然と蔑まれ、差別を受ける対象になっていた。
 僕が精霊の加護を何ひとつ持たずに生まれた、"黒の忌人いみびと"だから。
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