ベロシティ・シューター・L

遭綺

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ヴァリュアブル・ベロシティ

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【ドウダ? タノシカッタカ?】

無機質な機械音が耳に入り、智嗣はハッと目を開けた。
一面真っ暗の冷たい匣。
その視界の先にはあの赤い蓮の花がぼんやりと浮かんでいる。
「オニキス…」
智嗣はすぐに立ち上がり、怪しげな花を睨みつける。
【好きな相手との身体の関係は、さぞ気持ち良かっただろう?】
「…」
冷たい声は全てを見透かしている。
颯太とそう言う行為に耽るのは夢だったし、脳内が蕩けるあの感覚は何事にも代えがたいことだった。
だからこそ悔しい。
自分があの黒い銃の力に頼らなければこんな経験が出来なかったと言う事が。
それに、颯太の人生を滅茶苦茶にしてしまった事に対する罪悪感も。
智嗣は拳を力強く握り締め、無言のまま立ち尽くす。
【今回の余興、私はとても楽しめた。だからこそ、お前には最後の選択をしてもらう】
「最後の選択、だって?」
【ああ。すでにあの男から聞き及んでいると思うが、この匣にはお前とあの颯太と言う男を幽閉している。現実世界から切り離されたこの空間にな。ここから出られるのはどちらか一方だ。勿論、この中で起こった出来事は匣から出た際に、全て記憶から消える】
「そ、そんな」
【ああ、勿論。この匣の中であれば、お前はあの者とずっと一緒に何不自由なく生きて行ける。死ぬまでずっとこの中でな。それも悪くはないのではないか?】
その言葉に、智嗣は瞳孔を大きくした。
確かに、颯太と添い遂げられるのなら、このままこの匣に身を任せても良いのかも知れない。
智嗣はそんな卑しい気持ちを抱き、揺らいでしまった。
【フフッ。お前は分かりやすいな。それでこそ、ヒト】
それからすぐ、目の前の赤い花が映る画面に三つのLが並んだ。

L1:鳥藤智嗣が現実世界に戻る
L2:安田颯太が現実世界に戻る
L3:ずっと二人でこのまま匣に留まる

【さあ、選べ。お前の今後を左右する最大の選択をな】
それからオニキスの声はパタリと聴こえなくなった。

真っ暗でひんやりとした空気の中、颯太の姿が見えぬまま、智嗣はじっと考えていた。
どの選択をしたところで、二人にとって大きな変化が起きる事は確かだ。
だが、智嗣はすぐに表情を穏やかにして、Lの並ぶ画面の前まで歩み寄った。
答えはもう決まっていた。
その時であった。

「智嗣さん!」

背後から自分の名を呼ぶ者が居た。
そこには慌てた表情を見せる颯太が立っていた。
いつもの素敵な私服を身に纏っていた。
「颯太さん。僕のせいで色々とご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」
智嗣は今まで見せた事のない穏やかな顔つきで颯太を見つめる。
「でも、安心して下さい。僕が貴方を助けます」
智嗣はそのままクルリと身体を回し、Lの前に手を翳そうとする。
すると、
「待って下さい!」
しっかりと颯太に右腕を掴まれ、智嗣の出そうとする答えを阻んだ。
「智嗣さん、本当にその判断に後悔はないですか?」
颯太の優しい声を聴いた瞬間、智嗣の目からは大粒の涙が零れた。
「後悔はしません。ただ、颯太さんに会えなくなるのは辛い。それだけが寂しい」
彼の言葉に颯太は動きを止めた。
「颯太さんは幸せになって下さい。きっと良い人と巡り合う事が出来ますから」
そして智嗣は今まで一番の笑顔を見せた。
「いつまでも大好きです。颯太さん! さようなら。本当にありがとうございました」
そう言って、智嗣は静かにLの画面に触れようとする。
その時であった。
颯太は智嗣が触れる前に、自らの手でLの文字に触れたのだ。
まさかの行動に智嗣は言葉を失う。

颯太が触れたのは L3 だったのだ。

「どう、して…」
「この中に居て、君の心に沢山触れてわかったことがあるんです。君が僕を思う気持ちは本当だって。僕自身誰かを好きになった事がなかったから、戸惑いしかなくて。でも、君とならずっと一緒に居ても良いって思えたんだ。仮令、このまま暗い匣の中でも一緒に居られるのならそれでも良いのかなって」
智嗣は無言のまま涙を零し、颯太の胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 元々は僕の身勝手な行動のせいで颯太さんを巻き込んでしまったのに。僕は卑しいから颯太さんと一緒に居られる事に嬉しさを憶えていたんです。あの黒い銃の力に頼って!」
大きな声で智嗣は颯太に向かって償いに似た言葉を言い続けていた。
「僕なんかの為に、颯太さんの人生を…」
涙でぐちゃぐちゃになっている智嗣の口に、颯太は静かに人差し指を押し当てた。
「もう、それ以上は話さなくて良いですよ。僕が決めた事なんで」
「颯太、さん」
颯太はニコッと笑って、智嗣の頭を優しく撫でた。
「智嗣さん。こんな時に話す事じゃないかも知れないですが、一つ、聞いてくれますか?」
そう言いながら、颯太は智嗣の目を見つめる。
透き通るような瞳で。
「僕自身、この匣に幽閉されて良かったって思っていたんです」
「えっ?」
「ずっと黙っていたけど、僕自身、目的がないまま生きていたんです。あのコンビニでのバイトも、その日暮らしのお金を稼ぎたかったからだけだし。別に明日、居なくなっても良いって思っていたんだ」
「颯太さんが?」
「そう」
「全然、気が付かなかった」
「ハハ、そりゃ、気付かせないようにしていましたから」
颯太の心に突き刺さる暗く冷たい感情。
智嗣は初めてオニキスを握った時に感じたあの冷たさを思い出していた。
「だけど、この匣に居る間、ずっと君の心を垣間見て、だんだん自分の気持ちに変化が起きている事がわかったんだ。こんな僕を慕ってくれる。好きで居てくれる。それが嬉しくなって来てね」
颯太はそう言ってから、少し黙り込んだ。
「謝るのは僕の方だ。君の人生をこの匣に縛り付けてしまった。本当は君を元の世界に戻してあげたいって思っていた。だけど、君が居ない匣の中で、一人で生きて行くのは辛いってわかった途端、寂しくなった。あんなにいつ投げ出しても良い命だと思っていたのに。僕の身勝手で君を…」
颯太が言葉を続けようとした時、智嗣は自然と彼の唇を奪っていた。
「智嗣、さん」
「颯太さんがそう思っていてくれただけで、僕は幸せ者です。僕の想いが伝わった。それがとても嬉しい」
それから智嗣は再び彼に抱き付いた。
「こんな僕で良ければ、ずっと一緒に居て下さい」
智嗣の言葉に、颯太は静かに頷いた。
「勿論。それが僕の答えだから」

二人はそのまま抱き締め合いながら、キスをした。
ゆっくりと足元が崩れ、スローモーションのように真っ暗な穴へと落ちて行く。
あの赤い花がだんだんと遠く離れて行く。
だが、今の二人にはそれすらもどうでも良いのだ。
二人一緒にこうして居られるだけで幸せなのだから。
どんなに暗く冷たい世界でも、互いに触れているだけで温かく優しい世界になる。
そう疑わず信じ、彼らは深い匣の奥へと落ちて行った。
奥底に広がる彼らだけの美しい世界へ向けて。
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