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第三章 美女だらけのアシャンティ村
イキミタマの館
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まだ朝焼けが窓枠を通路にして畳をオレンジ色に輝かせている午前中に、麗子は友徳達の部屋を訪れた。友徳達は瞑想を終え、あとは朝ごはんを待つだけ、とリラックスしていた。正道はスマホからすぐ麗子の顔を見上げてどこかシャキッとし始める。
飛鳥はあくびをしながら麗子に軽く挨拶。
「ちょっと友徳くんにだけ用があるんだけど」そう言って麗子は友徳の前で彼を覗き込むために座り込んだ。
要件とは、友徳の恵に対するセクハラのことだった。恵はチクったらしい。
友徳は深刻な表情で感情を殺し自分を覗き込む麗子に恐縮し、ゆっくりと正座に座り直した。
「ということで、罰としてボランティアをしてもらいます」と麗子。
この村には、障害者や高齢者を世話する「イキミタマの館」という施設があると友徳は教えられた。すでにそこでお手伝いをしている愛華と智咲と加わって友徳はスタッフのお手伝いをすることになった。
お手伝い……お世話……友徳にとってこの言葉は頭に思い浮かべようとするだけで頭上で空中分解してしまう謎そのもの。何それ……意味あんの?やりたくない。
それでもセクハラをしたのは事実。それにそれを恥ずかしいことだと思い始めていた。友徳は食後、麗子に教わったイキミタマの館に向かった。
村の東側の大きな白い区役所のような建物がイキミタマの館で、ちょうどイチョウの小さな林に囲まれている。都市風の生垣や花壇もなんだか村の中で浮ついている。
友徳は面倒臭いと思いと、まぁ別にやることないしいいやという投げやりな態度で自動ドアを抜けた。一回の右手にあるスタッフの詰所を見つけるのは容易かった。
オフィスらしいデスクとその上に几帳面に整理整頓されて積まれている書類や段ボールの箱、真剣にパソコンに向かい合っている白衣姿の女性は、友徳に不快な緊迫感を与えた。おまけに愛華と智咲は軍手にエプロンと重装備でありながら、意気揚々としている。
彼女達の横にヒョイと並ぶと愛華は「ねぇ、見てわかんない?早く準備して」と顎をしゃくりあげて高飛車に命令してきたので友徳はさらにイラついた。
彼が更衣室で自分用に用意されていたエプロンと軍手をつけてから戻ると、40代くらいの女性が待ち構えていた。
「おはよう!君が今日、お手伝いしてくれる子ね?よろしくぅー」となかなか親しみやすい声色で女性はいった。続けて「私は中谷愛美です。イキミタマの館の館長です」
友徳も挨拶を済ませた。そのあと、滔々と愛美はこの施設の意義や役割を話し始めた。日本国の政情はご存知の通り崩壊寸前。
それ以前から知的障害者や認知症患者に対する殺戮を求める声が国民の中で大きくなり、各地で襲撃事件や暗殺が相次いだという。迫害を逃れる弱者のためにこの施設は生まれ、今は女性達だけで運営されているとのこと。
子供達は難しいことはできないだろうから、簡単な掃除や、入所者の遊び相手、散歩に付き合ってもらうとのこと。
早速友徳は愛華と組んで三階の廊下と娯楽室を担当することになった。水飲み場の真向かいの扉を開けると、そこにはモップや掃除機、バケツなどが仕舞い込んである。
友徳は水を汲んだバケツを片手に、もう片手に背丈を超えるモップをがっしり握って、詰め場を出てすぐ右の階段を黙々と上がった。後ろからは追いかけてくる愛華の足音が響いている。
水をバケツに組んだ瞬間から、友徳は真面目モードに移行していた。誰かのために働くことは結構楽しいかも。
三階に着くと一気にトイレが備わる隅っこに向かって歩いていく。どうやら筋違いの方向ではないらしく愛華もついてくる。
友徳がモップをバケツで濡らす前に愛華はそこに洗剤を混ぜてから「ちょっと待っててね。今、結合を強めるから」といってから手のひらをバケツに向けた。バケツの中が一瞬、青白く光り、すぐ後に洗剤の香料の香りが廊下中に広がる。
愛華は「水と洗剤の結合を強めたんだよ」と説明すると静かにモップをバケツに浸した。友徳もそれに続く。
単純作業だが人のためになっていることを実感できると友徳は楽しく過ごせた。グイグイと力を込めれば運動にもなる、と友徳は鼻歌をしながら床を擦っていると愛華は「そこ、もっと丁寧に。水ついてないとこあるよ。てか、足はこっち側じゃないと汚いよ!」と鬼軍曹の如く指令を飛ばす。
友徳はちょっとだけ不機嫌になる。
廊下の7割がたをモップがけした時、階段から細っこい体で線の薄いお爺さんが登ってくることに友徳は気づいた。草食動物のような不安を皮膚の下に翳らせながら、眉間に皺を寄せて鬼気迫る風でもある彼は、ピカピカな床に足跡をつけながらトイレに向かっていく。
「あー。ちょっとおじいちゃん、もぅ!」と愛華は言ってから階段を降りて行った。友徳が壁際から覗くと愛華は踊り場に備えられた水飲み場の蛇口を一つずつ捻っている。どうやらさっきのおじいさんが全部の蛇口を捻ってるらしい。
なんじゃこりゃと友徳は思いつつ、おじいさんの方に目をやると彼はトイレのドアを開けているところだった。
「ちょっと、友徳くん。おじいさんを追ってよ」と愛華は友徳を追い抜きざま言ってからトイレに向かって行く。友徳も続いた。
トイレでもやはりおじいさんは蛇口という蛇口を回転させていたらしく、水がドバーと流れている。便器の大の時の水流も起こっているのでレバーも回したらしい。今は水道管の出っ張りを掴んで回そうと試みている。
「もう、おじいちゃん!なんで蛇口なんか捻るの!」と愛華は素早く蛇口を元に戻してから、埃っぽい水道管にご執念の老人の肩に手を置いてから彼の顔を覗き込んだ。
「もしもし。もしもし!」
「え?お腹すいた?もう、朝ごはんは過ぎたでしょ!」
「えー、もしもし」
「ちょっと!ここに座り込んだら、汚いよ!一緒におもちゃの部屋いこ!」
「もしもし!」
愛華はトイレから出るとモップを友徳に渡してから、意味深なアイコンタクトをして、おじいちゃんの手を引っ張って階段を降りて行った。おじいちゃんの耄碌ぶりに気後れした友徳は、異様なものを見た後の心の縮込みに襲われながらも、モップがけの続きを行った。
終わった時、ちょうど愛華は戻ってきた。
「あの、おじいちゃん。どうしたの?」
「あぁ、由紀夫おじいちゃんね。あの人、認知症って言うらしんだけどさ!それが大変で!よくわかんないんだけど……」
愛華の説明によると由紀夫さんは捻れるものならなんでも捻り始めてしまう時があるとのこと。ガスの元栓、おまんじゅう、新聞紙、雑巾……その捻りへの欲求は突然発作として現れるらしい。
原因は不明。スタッフからは捻りストとして恐れられていると言う。
「なんかすごいね……」
「はい、はーい。次は娯楽室の掃除!ほら、これ片付けてから掃除持ってきてねー」と愛華は掃除道具を押し付けると足早に階段を降りて行った。
友徳は普段なら人使いの荒い愛華の行為にムカムカしているところだったが、彼女のおじいちゃん捌きの的確さと、内から溢れ出る愛情を目の当たりにしてこともあり、しばらくその場に佇んでしまった。
娯楽室では、工作台みたいテーブルが二つとそれに備えられた椅子、囲碁やボードゲームや幼児用のおもちゃが詰め込まれたボックス、新聞紙や読書用のKindle、テレビがあるだけで割と簡単に掃除することが友徳にはできた。それでも真剣に掃除機を上下させる友徳を監督者の眼差しで見つめる愛華に彼は身が引き締まる思いだった。
友徳は気怠げに「終わったよーん」と言うと、愛華はさっきまで友徳がはたきでで埃を一掃したボードゲームの棚や、書類の詰まったボックス、手洗い場を隅々見回してから「ま、いいか」と煮え切らない感じで応えた。続けて「はーい。入ってきていいよー」と愛華が廊下に向かって声をかけると老人やニヤニヤ顔の青年がポツポツと中に入ってきた。
友徳はニヤニヤ顔の青年を一眼見ただけで知的障害者の人だと気づいた。
さっきのもしもしおじさん、由紀夫さんは競歩のような老人にしては妙に素早い身のこなしで歩き回りながら部屋を見回している。愛華は「おじいちゃん、こっちだよー」と言うと彼女に連れられて知育玩具の箱をガサゴソと漁り始めた。
そして彼はそれから振ると音が鳴る赤ちゃん用の道具を見つけ出すと、座り込んで真剣にそれを振った。
テレビをつけて水戸黄門を見る者、囲碁を指す者、ヘッドフォンで何かを聞いている者と各々分かれながら、知的能力の残っている入所者は穏やかに雑談を始めた。そこに入り口から恵と聡美が現れると、男性の入所者は嬉しさを隠そうとはしなかった。
聡美は囲碁を指す老人に手招きされるとそこへ向かって行った。彼女は楽しそうに老人達に相槌を打っている。
友徳は恵に呼ばれた。恵は愛華から話を聞きながら腰に手を当てて、こちらをむず痒がるような顔で見つめている。
「おはよう。友徳くん。結構真面目に仕事したらしいじゃん」と恵はフン!という強気な表情を崩さずに顔を斜めにした。友徳は傾げることによって普段より顔のパーツの濃淡があらわになりかっこ可愛くなる恵にドキリ。
「てか、恵さんのせいなんですけど!」と友徳は文句をつける体で内心は楽しみに打たれながら一言。
「てか、いい勉強になったでしょ?愛華ちゃんも、まぁまぁな出来ね、て褒めてたよ?男の子の割にそこそこだって」
「友徳くんはちょっと注意不足だけど、言うこと聞くから扱いやすいわね」と愛華は妙にニコニコしながら恵にいうと、女二人は友徳には理解できない質量と磁場を伴った低い笑い声を立てた。
「今度お姫様抱っこしたら、もっと汚い仕事させるからねー?」と恵はどんどん声色と表情に質量を含ませて、重い笑みを浮かべた。
友徳は二人の女の迫力に圧倒されてしまい反論できなかった……
「あ、節子おばちゃん!」と愛華言ってから廊下の方へ駆けて行った。
車椅子の白髪のお婆さんがそこにはいた。愛華はすぐにグリップを握る。おばあさんも微笑む。
「今日はお散歩はまだですか?」と恵。
「はい……今日は光司さんがきてくれたので話していました」
「じゃあ、おばあちゃん。一緒に散歩しよっか」と愛華。
愛華に押された車椅子はエレベーターに向かって行った。興味を引かれた友徳も後を追う。
車椅子を押す愛華はイチョウの林を縫い抜けながら、花壇の花におばあさんの目を引かせながら話をしている。そのまま、田んぼ、畑を超えて川沿いに向かう。
「今日も光司さん、きたの?」
「きましたよ……いつもより光輝いていて綺麗だったの。でも怖い話もしていて」
「どういう話?」
「恐ろしい存在がこの村にきてるって……それで女の子達が……酷い目にあわされるって」と言葉をを紡ぎながらおばあさんは声を震わせた。
「大丈夫。私たちがついてるよ。ね、友徳くん?」と愛華は意味深な視線を友徳に投げかけながら言った。友徳はよくわからず「大丈夫です。こういう力ありますから!」と指先に炎を点らせた。
「まあ!あなた手品師?」とおばあさんは感心した様子。
車椅子の一行は、瀬になっていて、水草や小魚が透けて見える水面や、立派に緑を茂らせる榎の手前や、紫のアジサイの前で止まりながら自然を楽しんだ。おばあさんも花が大好きで、特に向こう岸で大きい花びらをポンポン飾り付けてこちらを歓迎するかのようなアジサイの叢の前では深い笑みを絶やさなかった。
「光司さんもね、アジサイは好きだったんですよ!」
光司さんってなんか聞いたことあるぞ?と友徳は思った。話を聞く分にこのおばあさんの幻覚っぽいけど。詳しく聞きたい気持ちに彼はなった。
「光司さんってどういう人なんですか?」
遠くを見据えるような目をした後おばあさんは「西森村の宝ですよ!みんなを助けてくれたんです。あの恐ろしい……」と途中でおばあさんは言葉を詰まらせた。目は窪み、口は引き攣っている。
「あ、あっちに柘榴があるよ。こっちこっち」と愛華がおばあさんの前で手を振っていうと、おばあさんはまた穏やかな顔つきに戻った。
散歩しながらお花を鑑賞するのは、愛華が提案したようだ。非常に好評で、スタッフもマネしているとのこと。車椅子は言ってきた道をそのまま帰って館に戻った。
子供達のお手伝い時間が終わり、友徳達は詰所に集合した。
「はい。ご褒美のクッキーねぇ」と恵は今では貴重な大手メーカーの菓子の包装紙を開いて言った。彼女は袋を傾けて愛華の両手にごそっと落としている。
両手を差し出した友徳を恵は敵意のないような潤んだ瞳で睨みつけ、包装紙の口を上にする。
「もう本当にああいうことしない?」
「え、うん」
「セクハラってされたら本当に苦しいんだからね。わかった?」
恵はお説教の後、友徳にクッキーを渡した。友徳はすぐに一個だけ口に含んだ。
「うわっ、行儀悪ー」と愛華。
「もう、机のあるところで食べる!それか洗い場!」と恵もそれに乗じる。
「あ、はい」といいながら友徳はその場で咀嚼をやめない。
「で、今日楽しかった?今日で罰は終わりだけど、やりがいがあるならまた来てね。うちら、人手足りなくて大変だから」
「あ、今度来る時は飛鳥くんも一緒に呼んでね」と愛華。
「あ、あと正道くんもいいね。あの子力持ちだし」と恵は付け加えた。
友徳は帰り道の足取りを軽々としながら巡った。水と油のような混じり合わない世界観を持った人々と、軽々と結びついて仲良くする愛華の空気のような性格に心打たれたのだった。
もっとこのイキミタマの館を知りたい!と彼は思った。
飛鳥はあくびをしながら麗子に軽く挨拶。
「ちょっと友徳くんにだけ用があるんだけど」そう言って麗子は友徳の前で彼を覗き込むために座り込んだ。
要件とは、友徳の恵に対するセクハラのことだった。恵はチクったらしい。
友徳は深刻な表情で感情を殺し自分を覗き込む麗子に恐縮し、ゆっくりと正座に座り直した。
「ということで、罰としてボランティアをしてもらいます」と麗子。
この村には、障害者や高齢者を世話する「イキミタマの館」という施設があると友徳は教えられた。すでにそこでお手伝いをしている愛華と智咲と加わって友徳はスタッフのお手伝いをすることになった。
お手伝い……お世話……友徳にとってこの言葉は頭に思い浮かべようとするだけで頭上で空中分解してしまう謎そのもの。何それ……意味あんの?やりたくない。
それでもセクハラをしたのは事実。それにそれを恥ずかしいことだと思い始めていた。友徳は食後、麗子に教わったイキミタマの館に向かった。
村の東側の大きな白い区役所のような建物がイキミタマの館で、ちょうどイチョウの小さな林に囲まれている。都市風の生垣や花壇もなんだか村の中で浮ついている。
友徳は面倒臭いと思いと、まぁ別にやることないしいいやという投げやりな態度で自動ドアを抜けた。一回の右手にあるスタッフの詰所を見つけるのは容易かった。
オフィスらしいデスクとその上に几帳面に整理整頓されて積まれている書類や段ボールの箱、真剣にパソコンに向かい合っている白衣姿の女性は、友徳に不快な緊迫感を与えた。おまけに愛華と智咲は軍手にエプロンと重装備でありながら、意気揚々としている。
彼女達の横にヒョイと並ぶと愛華は「ねぇ、見てわかんない?早く準備して」と顎をしゃくりあげて高飛車に命令してきたので友徳はさらにイラついた。
彼が更衣室で自分用に用意されていたエプロンと軍手をつけてから戻ると、40代くらいの女性が待ち構えていた。
「おはよう!君が今日、お手伝いしてくれる子ね?よろしくぅー」となかなか親しみやすい声色で女性はいった。続けて「私は中谷愛美です。イキミタマの館の館長です」
友徳も挨拶を済ませた。そのあと、滔々と愛美はこの施設の意義や役割を話し始めた。日本国の政情はご存知の通り崩壊寸前。
それ以前から知的障害者や認知症患者に対する殺戮を求める声が国民の中で大きくなり、各地で襲撃事件や暗殺が相次いだという。迫害を逃れる弱者のためにこの施設は生まれ、今は女性達だけで運営されているとのこと。
子供達は難しいことはできないだろうから、簡単な掃除や、入所者の遊び相手、散歩に付き合ってもらうとのこと。
早速友徳は愛華と組んで三階の廊下と娯楽室を担当することになった。水飲み場の真向かいの扉を開けると、そこにはモップや掃除機、バケツなどが仕舞い込んである。
友徳は水を汲んだバケツを片手に、もう片手に背丈を超えるモップをがっしり握って、詰め場を出てすぐ右の階段を黙々と上がった。後ろからは追いかけてくる愛華の足音が響いている。
水をバケツに組んだ瞬間から、友徳は真面目モードに移行していた。誰かのために働くことは結構楽しいかも。
三階に着くと一気にトイレが備わる隅っこに向かって歩いていく。どうやら筋違いの方向ではないらしく愛華もついてくる。
友徳がモップをバケツで濡らす前に愛華はそこに洗剤を混ぜてから「ちょっと待っててね。今、結合を強めるから」といってから手のひらをバケツに向けた。バケツの中が一瞬、青白く光り、すぐ後に洗剤の香料の香りが廊下中に広がる。
愛華は「水と洗剤の結合を強めたんだよ」と説明すると静かにモップをバケツに浸した。友徳もそれに続く。
単純作業だが人のためになっていることを実感できると友徳は楽しく過ごせた。グイグイと力を込めれば運動にもなる、と友徳は鼻歌をしながら床を擦っていると愛華は「そこ、もっと丁寧に。水ついてないとこあるよ。てか、足はこっち側じゃないと汚いよ!」と鬼軍曹の如く指令を飛ばす。
友徳はちょっとだけ不機嫌になる。
廊下の7割がたをモップがけした時、階段から細っこい体で線の薄いお爺さんが登ってくることに友徳は気づいた。草食動物のような不安を皮膚の下に翳らせながら、眉間に皺を寄せて鬼気迫る風でもある彼は、ピカピカな床に足跡をつけながらトイレに向かっていく。
「あー。ちょっとおじいちゃん、もぅ!」と愛華は言ってから階段を降りて行った。友徳が壁際から覗くと愛華は踊り場に備えられた水飲み場の蛇口を一つずつ捻っている。どうやらさっきのおじいさんが全部の蛇口を捻ってるらしい。
なんじゃこりゃと友徳は思いつつ、おじいさんの方に目をやると彼はトイレのドアを開けているところだった。
「ちょっと、友徳くん。おじいさんを追ってよ」と愛華は友徳を追い抜きざま言ってからトイレに向かって行く。友徳も続いた。
トイレでもやはりおじいさんは蛇口という蛇口を回転させていたらしく、水がドバーと流れている。便器の大の時の水流も起こっているのでレバーも回したらしい。今は水道管の出っ張りを掴んで回そうと試みている。
「もう、おじいちゃん!なんで蛇口なんか捻るの!」と愛華は素早く蛇口を元に戻してから、埃っぽい水道管にご執念の老人の肩に手を置いてから彼の顔を覗き込んだ。
「もしもし。もしもし!」
「え?お腹すいた?もう、朝ごはんは過ぎたでしょ!」
「えー、もしもし」
「ちょっと!ここに座り込んだら、汚いよ!一緒におもちゃの部屋いこ!」
「もしもし!」
愛華はトイレから出るとモップを友徳に渡してから、意味深なアイコンタクトをして、おじいちゃんの手を引っ張って階段を降りて行った。おじいちゃんの耄碌ぶりに気後れした友徳は、異様なものを見た後の心の縮込みに襲われながらも、モップがけの続きを行った。
終わった時、ちょうど愛華は戻ってきた。
「あの、おじいちゃん。どうしたの?」
「あぁ、由紀夫おじいちゃんね。あの人、認知症って言うらしんだけどさ!それが大変で!よくわかんないんだけど……」
愛華の説明によると由紀夫さんは捻れるものならなんでも捻り始めてしまう時があるとのこと。ガスの元栓、おまんじゅう、新聞紙、雑巾……その捻りへの欲求は突然発作として現れるらしい。
原因は不明。スタッフからは捻りストとして恐れられていると言う。
「なんかすごいね……」
「はい、はーい。次は娯楽室の掃除!ほら、これ片付けてから掃除持ってきてねー」と愛華は掃除道具を押し付けると足早に階段を降りて行った。
友徳は普段なら人使いの荒い愛華の行為にムカムカしているところだったが、彼女のおじいちゃん捌きの的確さと、内から溢れ出る愛情を目の当たりにしてこともあり、しばらくその場に佇んでしまった。
娯楽室では、工作台みたいテーブルが二つとそれに備えられた椅子、囲碁やボードゲームや幼児用のおもちゃが詰め込まれたボックス、新聞紙や読書用のKindle、テレビがあるだけで割と簡単に掃除することが友徳にはできた。それでも真剣に掃除機を上下させる友徳を監督者の眼差しで見つめる愛華に彼は身が引き締まる思いだった。
友徳は気怠げに「終わったよーん」と言うと、愛華はさっきまで友徳がはたきでで埃を一掃したボードゲームの棚や、書類の詰まったボックス、手洗い場を隅々見回してから「ま、いいか」と煮え切らない感じで応えた。続けて「はーい。入ってきていいよー」と愛華が廊下に向かって声をかけると老人やニヤニヤ顔の青年がポツポツと中に入ってきた。
友徳はニヤニヤ顔の青年を一眼見ただけで知的障害者の人だと気づいた。
さっきのもしもしおじさん、由紀夫さんは競歩のような老人にしては妙に素早い身のこなしで歩き回りながら部屋を見回している。愛華は「おじいちゃん、こっちだよー」と言うと彼女に連れられて知育玩具の箱をガサゴソと漁り始めた。
そして彼はそれから振ると音が鳴る赤ちゃん用の道具を見つけ出すと、座り込んで真剣にそれを振った。
テレビをつけて水戸黄門を見る者、囲碁を指す者、ヘッドフォンで何かを聞いている者と各々分かれながら、知的能力の残っている入所者は穏やかに雑談を始めた。そこに入り口から恵と聡美が現れると、男性の入所者は嬉しさを隠そうとはしなかった。
聡美は囲碁を指す老人に手招きされるとそこへ向かって行った。彼女は楽しそうに老人達に相槌を打っている。
友徳は恵に呼ばれた。恵は愛華から話を聞きながら腰に手を当てて、こちらをむず痒がるような顔で見つめている。
「おはよう。友徳くん。結構真面目に仕事したらしいじゃん」と恵はフン!という強気な表情を崩さずに顔を斜めにした。友徳は傾げることによって普段より顔のパーツの濃淡があらわになりかっこ可愛くなる恵にドキリ。
「てか、恵さんのせいなんですけど!」と友徳は文句をつける体で内心は楽しみに打たれながら一言。
「てか、いい勉強になったでしょ?愛華ちゃんも、まぁまぁな出来ね、て褒めてたよ?男の子の割にそこそこだって」
「友徳くんはちょっと注意不足だけど、言うこと聞くから扱いやすいわね」と愛華は妙にニコニコしながら恵にいうと、女二人は友徳には理解できない質量と磁場を伴った低い笑い声を立てた。
「今度お姫様抱っこしたら、もっと汚い仕事させるからねー?」と恵はどんどん声色と表情に質量を含ませて、重い笑みを浮かべた。
友徳は二人の女の迫力に圧倒されてしまい反論できなかった……
「あ、節子おばちゃん!」と愛華言ってから廊下の方へ駆けて行った。
車椅子の白髪のお婆さんがそこにはいた。愛華はすぐにグリップを握る。おばあさんも微笑む。
「今日はお散歩はまだですか?」と恵。
「はい……今日は光司さんがきてくれたので話していました」
「じゃあ、おばあちゃん。一緒に散歩しよっか」と愛華。
愛華に押された車椅子はエレベーターに向かって行った。興味を引かれた友徳も後を追う。
車椅子を押す愛華はイチョウの林を縫い抜けながら、花壇の花におばあさんの目を引かせながら話をしている。そのまま、田んぼ、畑を超えて川沿いに向かう。
「今日も光司さん、きたの?」
「きましたよ……いつもより光輝いていて綺麗だったの。でも怖い話もしていて」
「どういう話?」
「恐ろしい存在がこの村にきてるって……それで女の子達が……酷い目にあわされるって」と言葉をを紡ぎながらおばあさんは声を震わせた。
「大丈夫。私たちがついてるよ。ね、友徳くん?」と愛華は意味深な視線を友徳に投げかけながら言った。友徳はよくわからず「大丈夫です。こういう力ありますから!」と指先に炎を点らせた。
「まあ!あなた手品師?」とおばあさんは感心した様子。
車椅子の一行は、瀬になっていて、水草や小魚が透けて見える水面や、立派に緑を茂らせる榎の手前や、紫のアジサイの前で止まりながら自然を楽しんだ。おばあさんも花が大好きで、特に向こう岸で大きい花びらをポンポン飾り付けてこちらを歓迎するかのようなアジサイの叢の前では深い笑みを絶やさなかった。
「光司さんもね、アジサイは好きだったんですよ!」
光司さんってなんか聞いたことあるぞ?と友徳は思った。話を聞く分にこのおばあさんの幻覚っぽいけど。詳しく聞きたい気持ちに彼はなった。
「光司さんってどういう人なんですか?」
遠くを見据えるような目をした後おばあさんは「西森村の宝ですよ!みんなを助けてくれたんです。あの恐ろしい……」と途中でおばあさんは言葉を詰まらせた。目は窪み、口は引き攣っている。
「あ、あっちに柘榴があるよ。こっちこっち」と愛華がおばあさんの前で手を振っていうと、おばあさんはまた穏やかな顔つきに戻った。
散歩しながらお花を鑑賞するのは、愛華が提案したようだ。非常に好評で、スタッフもマネしているとのこと。車椅子は言ってきた道をそのまま帰って館に戻った。
子供達のお手伝い時間が終わり、友徳達は詰所に集合した。
「はい。ご褒美のクッキーねぇ」と恵は今では貴重な大手メーカーの菓子の包装紙を開いて言った。彼女は袋を傾けて愛華の両手にごそっと落としている。
両手を差し出した友徳を恵は敵意のないような潤んだ瞳で睨みつけ、包装紙の口を上にする。
「もう本当にああいうことしない?」
「え、うん」
「セクハラってされたら本当に苦しいんだからね。わかった?」
恵はお説教の後、友徳にクッキーを渡した。友徳はすぐに一個だけ口に含んだ。
「うわっ、行儀悪ー」と愛華。
「もう、机のあるところで食べる!それか洗い場!」と恵もそれに乗じる。
「あ、はい」といいながら友徳はその場で咀嚼をやめない。
「で、今日楽しかった?今日で罰は終わりだけど、やりがいがあるならまた来てね。うちら、人手足りなくて大変だから」
「あ、今度来る時は飛鳥くんも一緒に呼んでね」と愛華。
「あ、あと正道くんもいいね。あの子力持ちだし」と恵は付け加えた。
友徳は帰り道の足取りを軽々としながら巡った。水と油のような混じり合わない世界観を持った人々と、軽々と結びついて仲良くする愛華の空気のような性格に心打たれたのだった。
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