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知らなくていいこと

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「········何これ。」

 ユリナのような只の侍女が、このような場所で見つけてはならないもののような気がした。
 中を見ずに、そのまま主人に渡すべきだ。

 そう思うのに、中を見たいという欲望に打ち勝つことができなかった。

 ユリナはごくりと唾を飲むと、ゆっくりと手帳の最初のページを開いた。

『今日、私はルイスの妻になった。』

 ユリナの目に飛び込んできたその一文で、この手帳の持ち主が、ルイスの前妻であり、魔王討伐メンバーでもあった聖女サリーヤであることが分かった。

 (聖女様の手帳·········!?勇者一行の男性を魅了し、イェリ様を迫害したっていうあの······?)
 イェリから数々の話を聞いたことがあったので、サリーヤがどのような人間だったのかユリナは非常に興味をそそられた。

 サリーヤの日記を読み進めていくと、聖女としての任務のことが少し、後はルイスとの幸せな日々が綴られていた。
『ルイスは私を心底愛している。幼馴染の女のことなど微塵も思い出さないようだ。』
 とも書いてあり、今のルイスのイェリへの態度を知っているユリナからすると、この一文は疑問が残る内容だった。
 (そもそもルイス様は、聖女様が亡くなった三ヶ月後には国中でイェリ様を探してたのよね。忘れてたどころか、ずっと覚えてたんじゃないの······?)

 ユリナは首を傾げながら日記を読み進めていった。

 日記の様相が変わったのは、ルイスとサリーヤが結婚し一年程経った頃の日付だった。

『最近調子が芳しくない。』
『体が重く咳が止まらない。』

 それでもしばらくは聖女としての仕事をしていたようだが、一月程で体を動かせなくなったと綴られてあった。

『聖力が使えなくなった。』
『足に力が入らない。』

 日記の字は少しずつ乱れており、サリーヤの体調の悪さが伺えた。

『エイデルが今日も見舞に来てくれた。私の好きな紫色のヒヤシンスだ。ルイスが枕元に飾ってくれた。すごくいい香りだ。』

 (紫の花·······前に、イェリ様と聖女様の墓に行ったときに備えてあった花だ。あれは、魔法使いエイデル様が供えたものだったんだ。)

 日記の後半には、サリーヤにとって衝撃的であったであろう出来事が震える字で記されていた。

『王女様が賊に襲われ亡くなった。国でも屈指の尖鋭騎士達が護衛していた。とても信じられない。』

 ユリナは王女の死について、人伝に聞いた話を思い出していた。

 王女は遠出の最中、何者かに襲われた。
 護衛は十数名の王家専属騎士だったが、突如森の中から疾風のように現れた、たった一人の男に手も足も出せなかった。

 その男は仮面を被り、体は布で覆われていた為、風貌は何も分からなかったが、背の高い男だったという。
 専属騎士を圧倒するほどの実力を持つ者など公にはいないはずだが、おそらく裏社会で生きる雇われた殺し屋ではないかと噂された。

 護衛は攻撃を受け動きを封じられたが、致命傷の者はおらず、皆軽症だった。その場で命を落としたのは王女ただ一人だった為、最初から王女だけが狙いだったと言われているが、犯人は逃亡してしまった為、全貌は闇の中だ。

 (王女様が亡くなって数ヵ月後にはサリーヤ様も亡くなるのよね。じゃあ、日記もそろそろ·········)

 日記の後半は、サリーヤの死へのカウントダウンが生々しく記されていた。

『髪が抜け、歯も抜けた。』
『鏡を見ると老女にしか見えない。』
『今日もエイデルが花をもって見舞にきた。もう来てほしくない。こんな姿を見られたくない。』

 ユリナはごくりと息を呑んだ。
 聖女はそれは美しかったと聞いているが、日に日に美貌が失われ、その様子を最愛の夫やかつての仲間に見守られる気持ちはどれほど辛いものなのだろうか。

『ルイスにもう私の世話をしなくていいと伝えたが断られた。最後まで看取ると。ルイスはいつも笑っている。』
『紫の花はもう置いて欲しくない。ルイスに言ったが聞き入れてくれない。ルイスはいつも笑っている。』
『いっそ殺して欲しいとルイスに頼んだ。ルイスは笑っているだけ。泣きもしない。怒りもしない。』

 ユリナのこめかみから冷たい汗が流れ落ちた。

『苦しい苦しい。私は彼らに囲まれて死にたいと願った。でも間違いだった。

 私は彼らに殺される。』

 ユリナが手を震わせながら日記を最後まで読んだとき、背後に気配がした。

 ユリナがハッとして振り返ると、音もなく背後にきていたルイスが、ユリナの持っていた手帳をひょいと取り上げた。
「だ、旦那様············!!」
 ルイスは無表情で手帳を開き、中に目を落とした。ユリナは恐れと混乱で壁際まで後退った。

「こんなもの書いてたなんて。僕は馬鹿だな、全然気が付かなかった。」
 何の感情もこもっていないルイスの呟きを聞いたとき、ユリナの中での疑惑は確信に変わった。

 ルイスが聖女と結婚した意味。
 それはきっと復讐だ。

「だ、旦那様·········もしや聖女様は、ご病気ではなく······」
 ルイスは顔を上げ、意外そうな顔でユリナを見た。
「それを聞くのか?ユリナは侍女には向いてないね。その何でも知りたがる性格········これは忠告だけど、この日記は読まない方が良かったし、読んだとしても何も聞かない方がいい。」
「·················は、はい───申し訳ありません。旦那様、許してください!」
 ユリナは膝をつき、涙目になって許しを乞うた。

 目の前にいる男からは、怒りも悲しみも焦り感じられない。ただ感じられるのは『諦め』だ。
 ルイスにとってユリナは取るに足らぬ存在なのだ。何かを知ろうと知るまいと、大した問題ではないというように、ルイスは平然としていた。

「まぁいいや。知りたいなら教えてあげるよ。··········そうだ。サリーヤは持病なんかじゃない。魅了だけなら、昔の仲間のよしみで許そうと思ってたけど······醜く嫉妬し、僕のイェリに手を出すなんてどうしても許せなかったんだ。─────誰にも、本人にすら気付かれない方法で体を毒に犯した。少しずつ 少しずつ、できるだけ長く苦しむように。」

 ユリナの喉奥でヒュっと音がし、上手く息が吸えなくなった。
 おそらく王女もルイスの仕業なんだろうか、いや、ルイスと結束の強い仲間の仕業か。

 ユリナが恐怖で声を出せずにいると、突如ルイスが声を立てて笑った。
「············ってユリナ!冗談だよ。本気にした?君が僕を怖がってるみたいだったからからかっただけ。────君の勘違いだよ。こんな日記、なんの裏付けにもならない。」

 ルイスはそういうと、冷淡な微笑で手帳に目を落とした。
 するとみるみるうちに、赤い手帳が、ルイスの手の中で青い炎に包まれた。

 サリーヤの生きていた痕跡はみるみるうちに灰になり、床にヒラヒラと舞い落ちた。ルイスはその灰をジャリッと靴の底で踏み潰した。
「そろそろ行こう。イェリが待ってる。」









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