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第十一話 闇を彷徨うルイス

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「ルイス·········私の気持ち、分かってるでしょ?私達が出会ったのは運命なの。」

 魔王討伐を果たした帰りの旅の途中、夜営していたテントの中で、そうサリーヤに言われた。
 ルイスの頭の中は『僕の運命の相手は既にいる。君に入り込む余地はない。』という冷静な考えが浮かんでいたが、一方で心はどうしようもない程浮き足立ち、鼓動が早鐘のように鳴り響いていた。今まで苦楽を共に過ごした仲間の顔が、何故だが急にキラキラと輝き、まるで百年間、姫の目覚めを待った騎士のように、サリーヤが自分にとって特別な存在に思えた。

『旅先で浮気したらぶっ飛ばすよ。』

 討伐の旅に出る前日、悲壮な雰囲気にならないよう、強がりながら冗談を言ったイェリの顔が浮かんだ。浮気などあり得ないと思っていた。そう、確かに思っていたはずなのに、何故自分は今、サリーヤから握られた手を振り払えないのだろうか。

「ルイス愛してる。私を受け入れて。」
 耳元でサリーヤの鼻にかかったような甘い声がすると、全身に流れている血が沸騰し思考が停止した。
 ルイスは我を忘れサリーヤの肩を掴むと、乱暴に寝袋の上に押し倒した。
 一度決壊した『理性』という壁は、再び構築されることはなかった。

 ルイスとサリーヤは本能のまま互いを求め合った。途中、テントの外から視線を感じ取ってはいたが、ルイスはそんなことを気にするほどの余裕はなく、頭は正常に働いていなかった。
 ただ目の前の、このサリーヤという美しい女の体を貪り、関心を得ることしか考えられなくなっていた。

 二人はそれから、動物のように何度も何度も交じり合った。朝方、サリーヤが体力の限界が来て意識を失ったように眠ってしまうと、途端にルイスは正気に戻り、ふらふらとテントから出た。ひどい頭痛がし、頭と心と行動が乖離しているような感覚が不快で堪らず、草むらで何度か嘔吐した。
 (どうして········どうして僕はイェリを裏切ってしまったんだ。もう前の関係には戻れない。)
 自分自身への疑心と、イェリへの激しい罪悪感が襲ってきた。

 イェリはルイスの全てだった。
 本当のところ、ルイスにとって魔王討伐に大義などなかった。長期間王都を離れることを覚悟で『勇者』を引き受けたのは、ずっとイェリの隣にいるためには、誰もが認める何者かになるしかないと思ったからである。

 母親の帰りをひたすら待つ、汚くて暗い弱者ではないと、自分自身が納得したかった。イェリに守られてばかりの弟は、今度はイェリを守る強くて逞しい男になりたかった。
 ただそれだけの理由ではあったが、ルイスは見事仲間と偉業を成し遂げた。

 魔王を討伐した後は、王都に戻り、勇者一行は『英雄』としての称号と名誉を賜る。ルイスはイェリと正式に夫婦となり、王都でも、故郷でも、新たな地でもどこでもいい、二人でいつまでも愛し合い、支え合いながら幸せに暮らす。長い長い苦労と困難を乗り越え、ルイスはこの夢を叶える目前だった。

 それが昨夜の出来事で全て崩れ去ってしまい、ルイスは絶望に打ちひしがれていた。
 (俺は頭がおかしくなってしまったんだろうか······イェリにぶっとばされて許されるならどんなにいいだろう。)
 ルイスはサリーヤと一時も同じ空間に居たくないという思いに駆られた。皆と一緒には王都に戻らず、一人先に戻り、イェリに許しを乞うつもりでいた。

 アクレンとエイデルに、別行動を取りたいと言うつもりでその場を去ろうとした時、いつの間にか起きたサリーヤが立っていた。
「ルイス、どこいくの?」
 サリーヤの甘く脳天に響くような声を聞いた瞬間、ルイスの思考は再び奪われ、『サリーヤと一緒にいたい』という欲望意外はすべて頭から消え去っていた。

 その後も、何度か正気に戻ることはあったが、サリーヤの声を聞き、姿を見るとすべてのことがどうでも良くなっていった。

 次第に、サリーヤと離れているときも彼女のことを考え、寝ている時でさえ夢に出てくるようになった。

 王都へ帰還した際は、あんなにイェリに会うことを望んでいたはずなのに、数分でもサリーヤと離れたくないという激しい感情に支配され、『イェリに会いに行く』という選択肢はルイスの中で消えていた。
 離宮を与えられ、ルイスとサリーヤは共に暮らすようになった。時間を問わず二人は愛し合い、ルイスの世界は自分とサリーヤ意外何者もいなくなっていた。

 僅かな変化が訪れたのは、帰還を果たしてしばらくたった頃、本宮の門番に話しかけられたことがきっかけであった。

 その日サリーヤは巡礼で王宮を空けていた。たまたま通りかかった本宮で、ルイスを見かけた門番が、ためらいがちにルイスを呼び止めた。
「勇者様!お時間を取らせて申し訳ございません。お伝えしようか迷ったのですが········」
「?何ですか?」
「勇者様がご帰還を果たした日のことなのですが、赤い髪の薬師、イェリと名乗る女性が、勇者様に会いたいとここへ来ました。しかし、他にも同じような輩がたくさんおりまして、どうせ勇者様に不埒な目的で近づくのだろうと思い門前払いしたのです······どうも嘘を言っているようには見えず気になってしまい、今お伝えさせていただきました。」
「イェリがここに·······?」
 ルイスはその時、久しぶりにイェリの顔を思い出した。ルイスが大好きだった、燃えるような赤い髪に白い肌が映えていた。慈愛に満ちた、優しく快活で美しい女性。ルイスの心の真ん中にいつもいた。
 途端にルイスは、何か自分が取り返しのつかないことをしているような、自分でない自分がここに存在しているかのような思いがし、汗が止まらなくなり息苦しくなった。
「あの、勇者様どうかされましたか?様子が······」
 ルイスは足早にその場を立ち去り離宮へ急いだ。早くサリーヤとルイスの愛の巣へ帰りたかった。誰も邪魔しない二人だけの世界は甘美で、麻薬のようだ。苦しみから逃れたい、その一心で自室にたどり着いたルイスであったが、イェリの顔が頭から離れない。早く打ち消したいような、イェリの顔が消えてほしくないような、せめぎ合う感情に困惑した。今のこの苦しみを忘れたいが忘れたくない、ルイスは矛盾したような気持ちのまま、ペンを取りイェリに手紙を書いた。そして、気が変わらないうちに使用人に手紙を託し、薬剤部へ届けるよう言付けた。

 しばらくしてサリーヤが戻ると、ルイスは普段通り、サリーヤだけを愛してやまない男に戻った。しかし、心の奥底に沈み混んだイェリの顔は少しだけ浮上していて、イェリが時々、ルイスの夢の中に現れるようになった。

 それから間もなくして、ルイスが弓の鍛練をしていた際、突然イェリが目の前に現れた。イェリの姿を見た瞬間、ルイスは眠っていた感情が溢れだし、愛しさと再開の喜びがこみ上げた。イェリを抱き締めた瞬間、彼女の体温と懐かしい匂いが、ルイスを三年前に引き戻した。

 しかし、イェリは当然のことながらルイスを拒絶し、ルイスに対して腹を立て失望していた。渡していた指輪を投げつけられ、イェリが走り去っていく後ろ姿を見たとき、ルイスは命よりも大切な何かがすり抜けていったような、激しい焦りと虚無感が残った。

 サリーヤを目の前にして、彼女を愛する心は止められなかった。しかし、その心とは裏腹に、イェリの失望した顔が頭から離れず、投げつけられた指輪をずっと握りしめていた。

 その日もいつものようにサリーヤと愛し合った。そして眠りについた後久しぶりに見た夢には、サリーヤではなくイェリが出てきた。
 イェリはルイスに微笑みかけるが、すぐに後ろを向き、側に立っている背の高い男の腕を取り、ルイスに背を向けて歩いて行ってしまう。
「すまなかったイェリ!待ってくれ·········イェリー!!」
 イェリは楽しそうに笑っていて、ルイスの方をちらりとも振り返らなかった。

 はっと目覚めたルイスは呆然と天井を見上げていた。
 夢の内容を覚えている。夢の中でのルイスの感情も残ったままであった。
 (僕はおかしいんだ。サリーヤといるとおかしくなる。)
 自らの異変に気が付いたルイスであったが、隣で眠るサリーヤを見ると、愛しく思う気持ちは消えてなくならなかった。

 その日、ルイスは外国の使節団との会合が予定されていた。サリーヤと別れ会合が終わる頃には日が暮れていた。
 ルイスは正気を保っているうちにイェリのところへ行こうと覚悟を決めたが、寸前のところでサリーヤと離れることにためらいが生じ、頭を抱え部屋でうずくまっていた。

 ルイスは壁にかけてあった短剣を引き抜くと、思い切り自らの腕を何度も刺した。激しい痛みが走り、ルイスの靄がかかったような頭は幾分スッキリとした。
 多量の血が流れ、意識が朦朧としながらも、三年前に訪れたイェリの自宅への道を思い出しながらひたすら歩いた。

 ルイスの目の前に現れたイェリはやはり綺麗で、ルイスの姿を見ると目を丸くし、驚いているようだった。その驚いている顔すらルイスには愛しく感じ、薄く微笑みながらも意識を手放した。
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