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第9話 時として逃げるという行為が最も最善手であることもある

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 翌日、目を覚ました俺は開口一番呟いた。

「よし、逃げよう」

 すでにこの世界にやってきて十日以上。
 さすがにもう理解した。

 まともにやってあのメスガキに勝つのは不可能。
 かといって、策を巡らせてもどうせ魔法やアイテムとか謎のチートでひっくり返される。

 もういい。もう疲れた。
 逃げる。地の果てだろうとどこまでも。

 なに、別に逃げたって恥じゃない。
 逃げるは恥だが役に~、ってどっかのドラマでも言ってたし。

 そうとも。大事なのは生き残ること。あのメスガキをわからせることではない。
 逃げるときには逃げる。これが人生を生き抜く鉄則である。

 というわけで……吉川、逃げます。

「はぁ……! はぁ……!」
 脱兎のごとく草原を駆ける。

 気のせいか身体が軽い。なんだか元の世界にいたときよりも足が速くなったようだ。
 きっとつまらんしがらみを捨てた解放感のおかげだろう。

 今にすれば俺のいた会社も相当ブラックだった。休日は皆無なのに残業は無限にある。
 そういう意味ではリストラされた俺は他の同僚よりラッキーだったんじゃなかろうか? うん、そういうことにしよう。

「はぁ……! はぁ……!」
 森に入る。
 尚も足は止めない。

 もうぶっちゃけ恥とかどうでもよくなってきた。
 世間ではこぞって「最後まで諦めないことが大事だ」などと、まるで不屈=美徳のように語られるがちだがそんなことはない。
 むしろそういうことを宣っている奴に限ってブラック企業の社長をやっていて、あくせく夜中まで働く社員をしり目にスポーツカーで夜の六本木に繰り出していたりするのだ。
 まったく馬鹿らしい世の中だ。

「ここは……」
 しばらく走り続けた結果、俺は少し開けた場所に川が流れているのを見つけた。
 ちょうどいい。ここいらでちょっと休んでいこう。

「ふぅ……」
 さすがに走り過ぎた。こんなに走ったのは子どものとき以来だろう。
 草原からは相当離れたはず。これだけ距離を稼げばあのメスガキに見つかる心配もない。

 靴と靴下を脱ぎ、川沿いに腰を下ろす。
 俺はつま先で水温を確かめながら思い切って足を突っ込んだ。

「おおぅ……」
 極楽だ。ちょっと冷たいが、それがまた疲れた脚に効く。
 両足を水に浸した俺は、そのまま寝転んでボーっとした。

 川のせせらぎ。穏やかな木々のざわめき。ピチピチと鳥のさえずる声。
 天然のリラクゼーションBGM。脳がゆっくりと溶けていくような感覚。

 ああ……はじめからこうすればよかったんだ。

 殺すだのなんだのとは無縁の世界。
 もっと言えば、労働者として時間と神経をすり減らしていた時代ともかけ離れている。
 今なら定年後に田舎に移住する人の気持ちがよくわかる気がする。

 俺は、この世界に来てから初めて癒しというものを感じていた。


「あ、いた」


 ……………………………………はい?

「まったくどこにいるとか思えば、こんなところまで来てたなんて。あんまり手間かけさせないでよ」
「ッ!?」
 振り返ると、そこにいたのはやはりあのメスガキだった。

「お、お前、なんでここに……」
「さて、なんででしょう?w」
「くっ……」
 こいつ……また生意気な顔しやがって……!

 まさかまた前回みたいに監視されていた?
 いや、そんなわけない。今回はきちんと上空も含めて警戒していた。

 でも、現実にメスガキはここにいる。
 ということは、考えられる可能性はひとつ……。

「まさか……また魔法、か?」
「! ……ふ~ん」
 やるじゃん、とでも言いたげなメスガキの顔。

 やはり魔法らしい。くそ、こうなったらせめて当てたい。
 こんなんで鼻を明かせるなんて思っちゃいないが、このまま舐められ続けてたまるか。
 せめて正解して一矢報いてやる……!

 俺はかつてないほど脳をフル回転させた。

「おそらくは探知系。たぶん……熱かなにかじゃないか?」
 いわゆるサーモグラフィーのようなイメージ。それを魔法で実現した。

「で、そいつを広域で展開……しかも俺の視界に映らないほど離れたところから」
 これが、俺が気づけなかった理由。

「そしてこの辺りに人はいない。ということは、人型の熱源を見つけた時点で俺なのはほぼ確定。だからすぐに追いついた」
 迷うことなく一直線で飛んでこられるなら、こいつにとって距離はあってないようなもの。

 そうだ、これならこの状況のすべてに説明がつく。

「……どうだ、違うか?」

 渾身の推理だった。

 相手は空なんて飛びやがるチート野郎。俺の世界の常識なんて通じやしない。
 であれば、その前提で考えればいいのだ。

 クク、伊達に何年もRPGやってないんだよ。魔法の存在さえ理解すれば、このぐらいは朝飯前だ。
 さあ、正解ですと言え! 言って俺に謝罪しろ!
 舐めた態度とってすいませんでした……ってなぁ!

「全然違うけど」

 ……はい、すいませんでした。

「……え、どういうこと? 違うの?」
「うん。そもそも魔法じゃないし」
「そこからっ!? じゃあなんで俺が魔法って言ったときニヤッとしたんだよっ!」
「いや、だってちょっとおもしろくて。うわ、妙な妄想始まっちゃったってw」
 性格悪っ!! 

「ま、せっかくだから教えてあげる。たぶん私よりおじさんのが詳しいんじゃない? もしかしたら見たことあるかも」
「?」

 どういう意味だ? 見たことある……?
 というか、この世界で俺の方が詳しいモノなんてあるのか……?

 皆目見当がつかない。
 しかし次の瞬間、俺は思わず「あ!」と声を上げた。

「ほら、コレ。……って言うんでしょ? 付けたら場所わかるやつ」
「!?!?」

 たしかに、それは紛れもなく発信機だった。
 豆粒ほどの黒い機械。警察24時とかでなんかこんなん見たことある。

「ど、どうしてお前がそんなものを……」
市場マーケットで買ったの。この前おじさん、森に木の棒拾いに行ったでしょ? あれ見て逃げられたらめんどくさいなぁって思って仕込んどいたの」
「ま、マーケット……」
「ま、最初はうちで飼ってるワンちゃん用だったんだけどね。万が一逃げちゃったときとか安心だなぁって」

 え? なに? 市販? そんな一般的なの?
 そんなに文明発達してるの、この世界?
 普通、魔法がある世界=あんまり機械とか発展してないもんじゃないの……?

「ちょっと待て。ここ……異世界なんだよな?」
「ん?」
 俺の疑問の意味を察したのか、メスガキが「ああ」と手を叩く。

「違う違う。たまに出回るんだよね。おじさんみたいに異世界から召喚された人の所持品とかが。おじさんもポケットになんか入ってたりしなかった?」
「そういえば……」
 たしかに、俺のポケットにもスマホが入っている。

 ……って待てよ?
 ということは、俺以外にも召喚された人間が他にいるってことか。

「それにしても」
 ププ、とメスガキが笑う。
「『おそらくは探知系。たぶん……熱かなにかじゃないか?』だってw 全違うのにめっちゃ推理しててチョーウケるんですけどw」
「……っ!?」
 この野郎……見つけられたのは俺の世界の道具のくせに勝ち誇りやがって……。
 こんなん実質俺の勝ちだろもう……。

 が、それを言ったら火に油を注ぎそうなので言わない。
 どうせ「は? 負け惜しみ? ダサッ」とかそんな言葉が返ってくるに決まっている。

 耐えろ。ここはじっと堪えるのが賢い大人の対応だ。

「てゆーかこんなとこまで逃げてくるとか、おじさんプライドとかないの?」
「…………」
「そんなんだからリストラされたんじゃない? あーあ、これじゃ次の仕事もいつ見つかるやら」
「…………」
「ほら、勇気出してさ。ちゃんとがんばってみようよ」
「…………」

 プツッ。
 あ、やっぱダメだわ。

「お前なあ! 黙って聞いてれば好きかって言いやがって! 俺だって逃げたくて逃げたわけじゃないわ!」

 もはや我慢の限界。
 気づけば俺は地面に、勢いそのままにメスガキへと詰め寄った。

「あ」
 眼下を見下ろす。

 足元に転がる発信機。
 粉々だ。おそらくもう使い物にならない。

 しまった――と思ったときにはもう遅かった。

「あの、すまん、これはその……」
「……あんた、なにやってんの」
「う……」
「この発信機500Gだったんだけど……あんたの100倍」
 いや100倍はさすがに言いすぎ……あ、そういや俺5Gだった。
 いかん、なんとか宥めねば。

 まさに嵐の前の静けさ。
 口調は穏やかなのに、凄まじい迫力だ。さっきまでの俺の怒りがかわいく見える。ぶっちゃけ恐かった。

「待った……ちょっと落ち着こう。話せばわかる。ほら、たかが500円じゃないか……」
 俺はまるで荒れ狂う嵐を鎮めようと神に供物を捧げる古代人のごとく言葉をひねり出した。

 しかし、これが最大の誤りだった。

「たかが500……?」

 あれ? なんか余計に怒りが増したような――。

「弁償しろッ!!! この馬鹿ッ!!!」


 ザシュ。


 その日の手刀は、俺が体験した中で一番速かった。



☆本日の勝敗
●俺 × 〇メスガキ

敗者の弁:はい、とまあ逃げたし恥だし役にも立ちませんでした、ってね。世知辛い世の中ですよまったく。(吉川)
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