Focus out ~悪を穿つ盗賊~

晩秋のセミ

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カレリア編

第4章: 回りだした歯車

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「はあ……はあ……」 

 カレリア市の無法地帯とまでに市内外の人々から揶揄されている南東地区まで市警隊は追ってきた。そのしつこい市警隊を何とか振り切ったセフは満身創痍で自宅へ帰還したのだった。
 
 疲れ切ったセフは何とか真っ暗な家に入ると、手汗にまみれたダイヤをテーブルにそっと置き、ベッドに沈み込む。

 ここで師匠との約束のために行ってきた自分の悪事が水の泡になるのではないかという極度の不安と緊張からの解放に大きく溜息が喉をついて吐き出された。

「はぁーーー」

 すぐに深い眠りに落ちてしまいたいという我意を何とか抑え、セフは左ポケットに押し込んだアストリッド家次期当主であるトリカゴノヒメギミからと思しき手紙を取り出す。

 トリカゴノヒメギミは無論本名ではない。
 だが、街で噂される首長の一人娘についてはその呼び名しか耳に入ることはなく、貧民であるセフにとっては本名を知る術はない。

 故に、セフも彼女をそう呼称しているのだが、そう呼ばれるに至った経緯を聞いた時には貴族が大嫌いな彼も流石に気の毒に思った。

 
「なあ、アストリッド様の娘さん、後継者が1人しかいないからって貴族に生命狙われてるって知ってた?」

「ああ、そんなことそこらの平民でも知ってるぜ?何でも外へ出してもらえないんだと」

「うえー、そんなの耐えらんねえよな」

「ああ、それで何でもこの前、耐えきれなくて脱走したらしいぜ」

「え!マジかよ!それでどうなったんだ?」

「無事に捕まって、部屋に作った檻の中に閉じ込めてるらしいぜ」

「まさに、トリカゴノヒメギミだな。ひでえことしやがるもんだ」


 それがセフが初めて彼女について商人たちから盗み聞いた情報だった。

 それから、彼女が障害者だから隠されている、だとか初めから後継者なんておらず偽装しているだけ、といった飛び交う根も葉もない噂を時たま聞いた。

 ただ、火のないところに煙が立たないようにアストリッド家には何か重要な秘密があることはセフにとっては自明の理であった。

 今回、噂の渦中にある本人からの手紙を拾ったことはその真相究明に大きく近づく一歩に違いない。

 セフにはアストリッド家の内情を知っておく必要があった。

 ベッドから起き上がると既に溶けてしまった燭台の上のロウソクを取り替え、火をつけた。
 
 まだ市警との逃走劇に腰を据えられていないのか、それともカレリアに潜む重要機密に迫ることへの恐怖と好奇心からか、セフの指は微かに震えている。

 赤いバラの封蝋を剥がし手紙を開いた。そこにはカレリアで絶対に使われていない文字によって10行ほどにわたって紙面いっぱいに書かれた羅列であった。

 しかし、セフにはそれが読めた。それは師匠が絵を記号化した文字で、昔から師匠との間で他人に情報が渡らないように2人だけが理解できるものだった。

 そのはずが、最も離れた場所にいるはずのアストリッド家の一人娘が内々の秘密を知っている。

 その確定されたが故の疑義的な事実は、セフを混迷に導くに容易かった。

『なぜ、彼女が俺と師匠だけの秘密の文字を……』

 そればかりが念頭にあり、読み慣れているその文字の意味することは分かるのだが、全く頭に入ってこない。
 結局セフは5回ほど読み返して、彼女の言葉を理解するに至った。

 その内容は以下の通りだ。

 
 『こんばんは、貧民さん。
 毎日のように手ブラで北西地区に行っては帰ってくる頃にはポケットを一杯にして帰ってくる。あなたはもしかして泥棒さんね?
 そんなあなたにお願いがあります。明日の夜、メイデン家で行われる会食で首長からメイデンさんに渡される短剣を盗んできて欲しいの。
 報酬は前金として落としたダイヤ、短剣を受け取った時にさらに払うわ。あなたにこの言葉が届きますように           アリシア・アストリッド』


 その文章の最後に、私を助けて、という殴り書きが小さくされていた。
 
 家紋入りの封蝋を押すには野蛮すぎる内容である。流石の箱入り女、この場合トリカゴ娘と言うべき世間見ずな愚直っぷりは、もしかしたら大スキャンダルを呼んだかもしれない。
 市警に没収されていたらという事後の戦慄がセフを襲った。

 ただ、逆説的に捉えて、アリシアという本名であるトリカゴノヒメギミが嘘をつけない純真無垢な性格であることはセフにも分かった。
 私を助けて、という彼女の悲痛な叫びも了解した。

 セフに必要はアストリッド家の秘密に触れられる絶好の機会。
 何故、彼女がこの象形文字を知っているのかと残る疑問。
 メイデンという富豪商人と首長の関係の秘密。

 この十分に危険すぎる任務を引き受けない理由はセフにはなかった。
 

 ついにこの三年間、組み立て続けてきた約束という名の機械を動かす最初の歯車が回りだす。
 
 
 セフは意気揚々としていた。

「このフードケープも気収めか……」

 今や黒のフードケープを着た男というのが捜査対象として南東地区全域に多数の市警が配備されているだろうから、このお気に入りのフードケープはもう着れそうにない。

 セフはクローゼットからグレーのフードパーカーを羽織るとダイヤを手に持った。

 そして、これからたちまちに加速していくカレリアへと飛び出すのだった。
 

 
 
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