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森の中

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 日が昇り始めたばかりのまだ薄暗い森の中。
 落ち葉や草木を踏み締める2人分の足音が響く。辺りの小動物達は、見慣れない人の存在に慌てて逃げ出し、距離をとって様子を伺っている。

 僅かに小動物達の鼻腔を擽るのは、甘い果実の香りでも、爽やかな新緑の香りでもない、血の匂い。

 その匂いに驚き、危険を本能的に感じたものから、移動する対象から更に距離をとるために逃げ出す。

 匂いに引き寄せられた少数の存在達は、彼らから発せられる強者の雰囲気に、例え負傷した獲物だと分かっていても近寄ることが出来ず、逆に尻込みしていた。時折、チラリと各方向に向けられる鋭い眼光に、尻込みしていた状態から一転、来た道を慌てて戻って行く。

 彼らの周囲には一切の生き物が存在しなくなっていた。生き物のいない異常な雰囲気の中、ただ静かな木々の騒めきのみが彼ら以外の音であった。


「今回、思っていたよりもかなりの収穫だったな。特にずっと探していたあのガキ。こんな所に隠れていたとは。あの容姿で今まで見つからなかったのは中々だな」
「ああ。見ただけですぐに分かる容姿だ」


 しばらく無言で森の中を歩いていた彼らだったが、ポツリと細身の男、アンドリューが声を溢した事で、森の中に新たな音が2つ生まれた。


「まだガキのくせして」
「お前と互角の切り合いを見せるほど、剣の腕前もさることながらな?」
「ハッ!お前が魔法をキャンセルされるのを初めて見れたしな!」


 アンドリューがザスに貸している肩の先、その手が、無事なザスの反対側の腕を軽く叩きながら言うと、苦痛で彩られていた表情を無理やり笑顔に変えて、アンドリューを覗き込みながら言い返す。

 そんなザスの態度にムッとした表情になるアンドリューだったが、次の瞬間には片眉を上げつつニヤリと口角を上げた後、揶揄う様に口を開く。


「そういうお前はそんな有様ではないか」


 アンドリューの視線は、ザスの怪我をした脇腹と骨折している腕と脚に向いている。そこから、血は流れていない。侵入していた組織が所持していた初級ポーションを拝借しており、それを使って止血だけは出来ていた。しかし、あまり動きすぎるとすぐに傷口が開いてしまう為、慎重に移動していた。勿論、骨折しているせいで歩みが遅いということも要因ではあるが。

 ザスはアンドリューのその視線の先を追った後、舌打ちをして言い返す。


「今回は油断していただけだ!」
「へー?」
「次こそは容赦しねえ!!ぶっ殺す!!」


 苦虫を噛み潰したような、悔しそうに顔を歪ませながらザスが吠える。


「・・・あのお方に怒られるぞ」


 目を細めてアンドリューがザスに注意するが、ザスに気にした様子はない。アンドリューの声は、先ほどまでの揶揄う様な声音から一転、低く冗談ではない、真剣みを帯びた声音をしていた。


「お前もやり合ったんだから分かるだろ。手加減は出来ない。また今度手加減をしようものなら、こっちがられかねない。力づくで無傷の状態の連行は無理だ」
「そうだな。力ずくでは無傷で連れて行くことは出来ないだろう」
「だろ?だからあの方には、「多少の怪我を負わせないと連れて来れない程の実力者だった」と、連行時に伝えれば良いじゃないか」


 あからさまに堂々とした命令無視宣言に、アンドリューは思わず立ち止まり、呆れ顔でザス振り向く。


「まあ、まずはその怪我の治療に専念するんだな」


 呆れてはいるようだが反対はしない。どうやらアンドリューは、今ザスが口にした事を聞かなかった事として黙っている事に決めたらしい。アンドリューがザスの性格を理解しているからこその決断なのだろう。


「んー、そうだな」


 ザスはアンドリューの言ったことに、怪我をしていない方の腕で自身の髭の生えた顎付近の頬を掻きながら、頷きつつ返事をする。

 その様子を見て、アンドリューは止まっていた脚を動かすことを再開した。






 




 再び森の中を、2人分の落ち葉や草木を踏み締める足音と、木々の騒めきが辺り一帯を支配する。やはり、彼らの周囲には生き物の気配がしない。

 そんな時間がどれほど過ぎただろうか。だがそれほど時間を掛けずして、ふと何か思いついたのか、アンドリューが口を開く。


「そうだ。拠点に戻ったら上級ポーションの使用申請をするんだぞ。お前がここまでの怪我をするなんて今までなかったから、簡単に許可が下りるだろ」
「いや、ポーションを使う気は無いぜ?あっ。そうそう、その代わりなんだが、お前の方からあいつにそれとなく俺のことを話してくれ。こんなチャンスは滅多にない」


 ザスは怪我しているにも関わらず、まるで痛みが消えてしまったかのように、にこやかな表情でアンドリューに頼む。

 そんなザスの様子に、アンドリューは少しだけ顔を引き攣らせるが、深呼吸のような溜息を吐き、首を横に振る。



「あのなぁ、あれはあの甘っちょろいガキの注意を逸らすための方便だろ。本当にお前の元カノが、お前の面倒を見てくれると思っているのか?
「はあ?嘘だったのか!?」
「知らないのか?あの人は今、あの方からの指示で遠方での任務に出ているだろ?会えるわけがない」



 アンドリューの言葉の意味を飲み込むのに時間が掛かったのだろう。初めは不貞腐れた表情が、次第に目を大きく開き、驚愕を露わにする。その表情は明らかに、今の話について何も知らない事を物語っていた。


「なん、だと!?俺は何も聞いていないぞ!!」


 ザスの足が止まる。その驚愕っぷりは余程のものだったらしい。まるで時間が停止したかの様に動かない。ザスが立ち止まったことでアンドリューの足も止まっていた。

 

「お前の元カノは俺たちの仲間だから、任務で会えなくなるのは仕方ない。だから俺みたいに、外でその場限りの女を作る方が良いって言っただろうが」



 アンドリューの言葉に返答する声はない。
 アンドリューはチラリと横を見て小さく息を吐き、ザスを支えていない自由な方の手で目元を抑える。


「それにしても今回は仕方なかったとはいえ、あの魔道具を使うことになるとは。まあ、元々の予定だった目的は達成したし、幸運にも、ギルド全体に捜索指示が出ていたガキの居場所を見つけ出すことが出来ただけ良しとしよう。ガキについては今まで一切手がかりがなかったのだから、魔道具の使用と相殺されるはずだ。それに・・・流石にあの時あの場所で、アクスリウムのエルフと前剣聖の一番弟子を相手にするには分が悪い」


 アンドリューの口元が弧を描く。そして、目元を抑えていた手がゆっくりと離される。解放された目、その開かれた瞼の中の瞳は、妖しい光を仄かに宿していた。


「いつか、いや今度会う時は、是非とも全力で手合わせしてほしいものだがな」


 アンドリューのその言葉は誰にも拾われることなく森の中に消えていく。アンドリューが頭上を仰ぎ見れば、木々の隙間からの木漏れ日が見えていた。既に太陽は完全に顔を出したと判断してもいいのだろう。


「さて、そろそろ身代わりに置いて来た土人形がバレている頃合いか。だいぶ距離を稼いだとは言え、なるべく遠くまで逃げるに限る」


 アンドリューはザスの前に押し出し、少々強引に歩かせる。ザスの足取りはかなり重たい。


「能力の問題もあるが、有能だからこそ俺らと組む任務よりも、単独での任務の方が多くなるからなー」


 ボソッと呟かれたアンドリューの言葉は、未だに放心状態のザスには聞こえていないようだった。
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