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第1章 毛利を頼って

第4話 宇喜多の離反

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天正6年9月、上月城を攻略して間もないころ、織田水軍が巨大な鉄甲船を建造し、大坂湾の本願寺軍を包囲したという知らせが届いた。これに対し毛利軍は数百隻の船を用意し、木津川口付近に待機していた鉄甲船を包囲した。
しかし、九鬼嘉隆率いる織田水軍の前にあえなく敗北、この戦いにより大坂湾の制海権は織田家が握ることになった。
翌年、信長包囲網の有岡城、三木城がそれぞれ包囲され、包囲網勢力が劣勢となる中、包囲網の崩壊を決定づける出来事が起こった。備前の宇喜多直家の離反である。
備前は毛利領から畿内への補給路の途中にあるため、三木城や本願寺は孤立した。
そして、天正8年1月に三木城が落城し別所長治は自害、別所家は滅亡、3月には本願寺が降伏、信長包囲網は事実上瓦解した。

「またも信長にやられたか…」
落胆する義昭だったが、
「あの信長という男、横暴なやり方で家臣の中でも不満を持っているものもいます。おそらく数年後には誰かに足をすくわれるでしょうな」
この男こそが、毛利家の外交僧、安国寺恵瓊である。
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