上 下
20 / 29
2017.5.6.Sat

第十章 共闘 【 五日目 裁判 】

しおりを挟む



「何していたんだ!? もう五分前だぞ!?」

 食堂に入って早々、私と黎名ちゃんは兄に怒鳴られた。無理もない。何せ、二人揃ってこんな“裁判”開始時間ギリギリまで姿を見せなかったのだ。気を揉んでも仕方ない。
 けれど、こっちもいたずらに油を売っていたわけではない。どうせこれから話す事だし、と思い、取りあえず遅れた事の謝罪だけ済ませておく。

「ごめんごめん。けど、ちゃんと時間に間に合ったんだから、ノープロブレムよ。ねぇ、黎名ちゃん?」
「えぇ。ですが、皆さんに余計な心配をさせてしまったのも事実ですから。それについてはすみませんでした」

 黎名ちゃんがぺこり、と頭を下げれば、兄もそれ以上は何も言わなかった。やっぱり可愛い子は得だなぁ、と思いつつ、私は空いている席に座った。
  “裁判”開始時刻である八時四十五分を待ちながら、私は先程の黎名ちゃんとの会話を思い出す。

(まさか、日常において、共闘を提案をされる日が来るとは、正直思ってもみなかったな……)



「朱華さんもお気付きでしょう? もし今回の“裁判”で、人狼を処刑出来なければ、村人の敗北が決まります。それだけは、避けなくては。仮に敗北した場合、例え“裁判”を生き残れたとしても、皆殺しにされる事は確実でしょう。何故なら、人狼達の目的は、皆さんへの復讐なんですから」

 もうすぐ“裁判”を控えた時間帯の、私の部屋。危惧していた事を黎名ちゃんに指摘され、私は一瞬たじろぐ。だが、頭の良い彼女がこの、今の不利な状況を察知出来ないわけがないか、と思い直した。
 絶対に負けられないからこそ、彼女は今回、“裁判”で共に戦う協力者を必要としたのだろう。そして、その協力者に私は選ばれたわけだ。
 そうなると、私は“探偵”黎名ちゃんの助手になるのか。うーん、悪くない。寧ろ、歓迎すらするかも。しかし念には念を、と思い、私は彼女にこう聞いてみた。

「一応、聞いておこうかな。何で、その共闘の相棒に、私を選んだのかを」
「あなたが、人狼達の真のターゲットである事は明白です。昨日私に届いた手紙が、それを示しています。つまり、あなたはほぼ確実に、容疑者から外す事が出来る。まぁ、自作自演と言われてしまえばそれまでですが、私は今回のケースには、当て嵌まらないと考えています」
「……成程」

 反論の余地も無い推測に、私は抗うのを止めた。別に黎名ちゃんを疑っていたわけではない。ただ、自分に“探偵助手”が伝わるのか、不安があったのだ。
 けど、ここまで来たら、私も腹を括ろう。どうせ、こんな機会なんて一生来ないだろうし。……まぁ、二回目があるのも困るけど。結局、私は提案に乗る事にした。

「……話は判ったわ。OK、協力する。それで、私は何をすれば良いのかしら?」

 私の返答に、黎名ちゃんはにこり、と男なら一発で悩殺出来そうな笑顔を向ける。そして一言私に礼を言うと、早速とばかりに要件を口にしたのだった。

「とにかく、情報が欲しいんです。ですからまずは、お互いの情報交換と行きましょうか……」



 そして、現在。
 今夜の“裁判”開始を告げるアラームが、食堂内に鳴り響く。  
 さぁ、戦闘開始だ!

「皆さん、少しよろしいですか?」

 先手必勝とばかりに、黎名ちゃんが“裁判”開始早々、皆にそう呼びかけた。案の定、私を除く面々が、目を白黒させる。

「どうかしたの? 黎名ちゃん。今日はまた、いきなりブッ込んで来るわねぇ……」
「何か、気になる事でもあるのかい?」

 その、突然の行動を不思議に思ったのか、比美子と紫御が問いかける。けれど、黎名ちゃんは直接応える事無く、話を続ける。

「……思えば、もっと早く追究しておくべきでした。私は部外者ですから、あまり踏み込めなかったもので」
「何を言って……?」

 不思議そうに問いかける比美子を尻目に、黎名ちゃんは、あの良く通る美声で言葉を紡ぐ。

「“六年前”、“飛び下り自殺”、そして、……“周潤水”」

 彼女が口から、いくつかのワードが飛び出すと、食堂内に一気に戦慄が走る。無理も無い。多分、“あの日”の出来事が漏れているなんて、誰も想像していなかったのだろう。
 予想だにしない一撃を受けた彼らは、皆一様にきょろきょろと周囲を見回す。まるで、“誓い”を破った裏切者を探っているようだ。
 しかし、パンドラの箱は既に開封済みだ。飛び出した災厄は止まらない。そして、その箱を抉じ開けた張本人は、さらに言葉をぶつける。

「このゲームの発端ですよ。今回の復讐劇を引き起こしてしまった、原因。私は、それを追究したいんです。最初の手紙にあった、“お前達の罪”。それについて、大体の事を私は既に知っています。今更、誤魔化す事は出来ませんよ」

 黎名ちゃんがそう口にすれば、更に空気が緊迫する。最初の“裁判”で、私が同じ事を訊いた時とはわけが違う。仲間達の目には確かに、恐怖と警戒心が感じられた。
 そんな空気の中、不意に口を開いたのは将泰さんだった。

「悪いけど、その話はあまり掘り下げないでくれないかな? 最初の“裁判”の時に、明宣も言った筈だよね? その事は、知る必要も無い事だ。特に、君のような無関係な人間にはね。だからその話はもう、これっきりにしてくれないか?」
「えぇ、そう仰りたいお気持ちは判ります。それに、皆さんにも守りたい物があるのだろう事も」

 こんなにも冷たい将泰さんの声は、今まで聞いた事が無い。その一言一言に静かな怒りを感じて、私は思わず身震いする。
 しかし、黎名ちゃんは顔色一つ変える事無く、更に言葉を続けて行く。

「ですが、もう、そんな体裁を取り繕っている場合では無いんですよ。私、言いましたよね? 大体知っていますと。それでもまだ誤魔化すおつもりなら、……こちらにも考えがあります。過去に何があったのかを推理する材料は、既に揃っているのですから」
「……何だって?」

 黎名ちゃんのとっておきの言葉に、将泰さんが目を見開いた。いや、それは他の皆も同じか。とにかく、その一言は更なる混乱を招く結果となった。

「そんなに驚くような事ですか将泰さん? あなたなら気付いていそうなものだと思っていたんですが」
「……どういう意味だい?」
「以前、あなたが仰った事ですよ。……覚えていらっしゃらない? まぁ、良いでしょう。私はそれを聞いたからこそ、気付いたんです。そして、それを整理した結果私は、いえ、私達は重要な情報を手に入れたんです。……朱華さん、お願い出来ますか?」

 そう高らかに呼ばれた名に、皆の目が一斉に私に向けられる。ようやく、助手の出番が来たようだ。まったく、待ちくたびれたものだ。

まっかせてよ! さぁ、皆見て! これが、私と黎名ちゃんの、努力の結晶よ!!」

 そう言いながら私が取り出したのは、小さなメモ帳だった。その、どこにでも手に入りそうなちゃちな文具に、皆の目が点になる。

「えっと、……ごめん朱華。僕には、そのメモ帳の重要性が判らないんだけど」

 そう申し訳無さそうに声をかける紫御に、私は頷いておく。まぁ、これだけで判断するのは無理と言うものだろう。当然、判っていたさ!

「大事なのは、この中身よ! この中には私と黎名ちゃんが纏めた、花言葉が書かれているの」
「花言葉、だと?」
「そうよ兄さん。流石に、今までに残された花全部を持ち出す事は出来ないから、メモ書きで代用したけどね。……前に、将泰さんが言っていた事を思い出したの。ほら一度だけ、無人だった筈の食堂の机に、花束が置かれていた事があったでしょ? その時、将泰さんこう言ったのね」

 ──これはきっと、人狼達からのメッセージだ。おそらくだけど、奴らは自分達の伝えたい事を、花言葉に込めているんじゃないかな?

「だから、私達は花言葉を整理する事にしたの。それが、人狼達の目的を知る近道だと思ったから。そうして纏めた物が、コレよ。刮目せよ! ……と言いたいところだけど、距離的に無理なので今から読み上げます」

 そう宣言すると、私はメモにある花言葉を読み上げて行く。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・アリウム  :正しい主張、無限の悲しみ
・アザミ   :復讐
・カタクリ  :寂しさに耐える
・マツムシソウ:私は全てを失った
・イラクサ  :悪意、中傷、根拠の無い噂
・フキノトウ :処罰は行わなければならない
・アネモネ  :嫉妬の為の無実の犠牲、
        見捨てられた、見放された
・クロッカス :私を裏切らないで
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「……以上! これが、今回現場に残された花束の花言葉デス! 今から、これが意味する事を説明するよ!! ……黎名ちゃんがな!!」

 私はそう言って、この場の進行を黎名ちゃんにパスした。やはり餅は餅屋。何かを語らせるなら、その道に詳しい者に任せるに限る。
 かくして、進行役を継ぐ事になった黎名ちゃんは、射抜くような四対の視線に怯む事無く、淡々と自らの役目をこなして行く。

「任されました。では早速、私の考えを話しましょう。と、その前に、質問を一つ。皆さんは、ここに上げられた花言葉の内、まずどの花言葉に注目しますか?」

 黎名ちゃんはそう言って、ぐるりと着席している面々を見回す。誰も、口を開こうとはしなかった。その様子に、黎名ちゃんは、一つ溜め息を吐く。

「……答えられませんか? それとも答えたくないだけですか? ……まぁ、良いでしょう。私が気になったのは、三つ。“根拠の無い噂”と“正しい主張”。そして、“嫉妬の為の無実の犠牲”です。これらは、直接的な恨みの感情とはまた意味合いが違いますよね? これこそ、今回のゲームを引き起こした発端。そして、“あの日”を探る上で必要不可欠なピース。これは私の想像ですが、……恐らく周さんは、“根拠の無い噂”を流された。察するに“悪意”や“中傷”にまみれた酷い物だったのでしょうね……」

 伏し目がちにそう語る黎名ちゃんの姿に、皆が目を反らす。間違い無く、何か知っている。私はすぐにでも問い質したかったが、ぐっ、と堪えた。
 ここで感情的になったらいけない。今自分がしゃしゃり出たら、“裁判”を崩壊させてしまう。それは駄目だ。兎に角、今は黎名ちゃんに任せよう。その間にも、黎名ちゃんは推論を語る。

「彼女は噂に対して“正しい主張”を続けましたが、徒労に終わり、状況は悪化。仲間達にも、運にも“見放された”彼女は、最終的に“全てを失なった”。襲い来る“無限の悲しみ”は、計り知れません。“寂しさに耐え”続けた彼女はきっと、仲間達に対しこう思った事でしょう。……“私を裏切らないで”、と」

 最後にそう締め括ると、黎名ちゃんはその漆黒の瞳で、食堂に集う者達を睨め付ける。強い、眼差しだ。あまりの目力に、思わず身震いしてしまう。

「これは、あくまでも私の推測です。しかし、皆さんの反応を見る限り、どうやら的外れでも無さそうですね。その上で私が言及したいのは、この“根拠の無い噂”です。一体、どんな内容だったのでしょう。当然、皆さんはご存じですよね」

 笑顔のまま為された問いかけは、黎名ちゃんの中では最早確定事項なのだろう。語尾が疑問形でないのが、その証拠だ。沈黙が、一気にその場を満たす。
 そんな中、小さな、頼り無い声を漏らしたのは、紫御だった。

「……見捨てたつもりは、なかったんだ」
「ちょっと紫御!? あんた……!」
「もう無理だよ比美子! どうせこの子は、“あの日”何があったか知ってるんだ!! ……限界だよ………」

 らしくもなく取り乱す紫御は、どこか怯えているように見えた。こんな彼の姿は、初めて見た。一体彼は、何を知っているというのだろう。

「紫御、何か知っているなら話して。このまま黙っていたって、何も解決しないわ。自分が、辛いだけだよ」

 私は、必死になって紫御に呼びかける。隠された真実が知りたかったし、何より、好きな人の辛そうな顔を見たくなかった。だから私は、……彼の心に訴えかけたのだ。
 時間にして数秒、紫御は歯を食い縛りながらも、ようやく重い口を開く。その端正な顔を歪ませる様は、まるで何かを堪えているようだった。

「…………最初は、……根も葉も無い、馬鹿馬鹿しい噂だと思っていたんだ」

 そして彼は語り始める。後に自分達の運命を狂わせてしまった、ある噂話を。

 それは、丁度私が新人賞を受賞した頃に起きた。何でも、私の作品が盗作であると訴える生徒が現れたらしい。それが、周潤水だった。
 彼女曰く、“ユダの箱庭”は自分の作品の一部を変更しただけのパクり作品らしい。その為、彼女は事ある毎に私の元を訪れ、受賞を取り下げてくれと訴えていた。
 しかし、私はそれを退けた上、盗作したという確固たる証拠もなかったので、誰一人として彼女の言葉を信じなかった。そんな中、誰かの心無い一言が、独り歩きし始める。曰く、“名声を欲しがる周潤水の戯れ言ではないか?”……というものだ。
 社長令嬢である私と違い、彼女はしがない花屋の娘で、奨学金制度を利用して名門たる八重桜学園に通っていた。もしかしたら、巨額の富が狙いなのか、と。
 疑惑の火種は、瞬く間に周囲へと引火する。
 ただでさえ、学園の理事長は私の叔母。更に、学園内に蔓延る掟、“等々力家に逆らうべからず”。
 そして、様々な憶測と悪意は形を変え、ついには“周潤水は、等々力朱華を蹴落とす為に盗作という虚言をした”という噂として、学園内を駆け巡り始めた。
 真偽を確かめるすべも無く、悪意は暴走する。
 噂が流れてすぐ、彼女は嫌がらせを受けた。正確に言うと、誰もが彼女をイナイモノとして扱い始めた。誰も彼女に話しかけない。返事をしない。私物は落とし物扱い。名乗り出ても捨てられて。教師も彼女を当てない。目が合っても無視されるだけ。
 それでも、周潤水は抗った。どれだけ存在を否定されようとも、ひたすら自らの主張を訴える。……しかし、彼女はついに奨学金を得られなくなり、学園を去った。

「……あの時、僕達の誰も! 潤水を助けなかった! 他の奴等と同じように、あいつを無視してしまったんだ!! ……何で信じて上げられなかったんだろう。ずっと、そればかり考えていた。もしあの時手を差し伸べていたら、………潤水は」
「し、仕方なかったじゃない! そりゃ、潤水が本当にそんな事するかなって私もちょっと思ったわよ!! ……けど、朱華が嘘吐くわけないし。だったら、潤水が嘘吐いている事になるでしょ!? ……大体、潤水だってしつこかったじゃない………」

 そんな紫御と比美子のやり取りを聞きながらも、私は予想だにしない話に呆然とする。まさか、周潤水の自殺の裏側に、そんな事情があったなんて。
 誰からも存在を認識されない事は、自分が世界と隔たれたような感覚ではないだろうか。それは、想像出来ない程の辛い事だと思う。しかもその原因が、私や等々力家にもあったと知って、酷く胸が痛む。もしかしたらこれが私の“罪”なのか。いや。これはきっと、“罪”の一角に過ぎないのだろう。

「成程。たった一つの噂話が、一人の命を奪う結果になった。しかし、その噂には“根拠”が無かった、という事ですね。身に覚えの無い“罪”によって、人生を狂わされた周さんを思うと、胸が張り裂けそうです。……いや、おそらく彼女を追い詰めた真の理由は、別でしょうね」

 すべてを聞いた黎名ちゃんは、重々しく頷きながら言葉を紡ぐ。けれど、そこで終らないのが黎名ちゃんだ。感情に流される事無く、冷静に議論を進めて行く。

「ところで、皆さんにはもう一つお聞きしたい事があるんです。昨日、書庫で見つけた物なんですけれどね」
「……書庫で? 何か、手がかりになる物が見つかったの?」

 比美子が、俯いていた顔を上げて、そう聞く。先程の紫御の告白の事もあってか、その目にはうっすら涙を浮かべている。

「えぇ。それについて、ぜひとも皆さんにも意見を頂きたいんです。……朱華さん、お願いしても?」

 黎名ちゃんが、こちらを見てそう頼んで来た。判っている。何せ私達は、つい先程まで“裁判”までの数分間をフルに使い、戦略を練っていたのだから。

「判っていますとも! ……皆、ちょっとこれを見てくれる?」

 私が例の冊子を取り出して見せると、たちまち皆の視線がそれに注がれる。すると、今まで口数の少なかった兄が、黎名ちゃんに問いかけた。

「……どういう経緯でこれを見つけたんだ?」
「昨日、私の部屋に手紙が届きましてね。簡単に言うと、ある証拠品を書庫に隠したという内容でした」
「……何だと?」
「ですので私は書庫へ向かい、本棚を調べてみました。そうしたら、それが奥の本棚から出て来たんです」

 黎名ちゃんがそう説明すると、兄は露骨に顔を歪める。その嫌悪さえ感じられる程の表情に、私は首を傾げた。まるで、冊子を存在を毛嫌いしているみたいだ。

「ちなみに、明宣さんは、この冊子に見覚えはありますか?」
「………知らねぇな。そんなモンは見た事ない」
「そうですか。皆さんはどうですか? この冊子に心当たりのある方は?」

 黎名ちゃんは続けて皆に訊いてみるが、誰もが首を横に振る。やはりこの冊子は、日の目を見る事無くどこかに仕舞われていた物なのか。そう思うと、少しだけ寂しかった。

「そうですか。皆さん、ご存じない! 成程……。ちなみにこれ、ある未発表作品の原稿なんですが」
「原稿? ……そうか判った。それはあれか。潤水がパクったっていう、盗作品か!」
「おや、どうしてそう思われるんですか?」

 兄のその言葉に、黎名ちゃんは興味深げに聞き返す。心無しか、その目が楽しそうに歪められているのは気のせいか。だが、誰もそれに気付く素振りも無い。
 見間違いかな、と私は首を捻るが、対して気にもしなかった。それよりも、今は会話に集中すべきだ。二人の言葉に、私は耳を傾ける事にする。

「潤水の盗作疑惑に関する、噂の内の一つだ。何でも、わざわざ偽物を拵えて、証拠品にするつもりなんだと」
「それはまた、随分手の込んだやり方ですね。明宣さんは、その噂を信じたんですか?」
「当時はどっちとも思わなかったな。何せ、実物も潤水が持っていたところも見た事無かったからな。けど今、そうしてブツが見つかった以上は、あの噂が正しかった事の、証明になるんじゃねぇのか?」

 兄は神妙な顔でそう言うと、どうなんだ、と伺うように黎名ちゃんの方を向く。その憮然とした表情からは、何と無く緊張感さえ感じられる。
 しかし、黎名ちゃんはどこ吹く風。兄の強面を物ともせず、その余裕さえ感じる笑顔で淡々と言葉を紡ぐ。

「確かに、そう捉える事も出来ます。しかし、人狼達はそうは思わなかったようですよ?」
「……どういう意味だ?」
「それは、人狼本人に聞く必要がありますね。……お喋りが過ぎました。では、そろそろ始めましょうか」
「始めるって、何を……?」

 比美子が不安気にそう聞くと、黎名ちゃんが自信たっぷりに声を張り上げる。その威風堂々たる様は、これから戦場へ向かう兵士のようだった。

「もちろん、人狼狩りですよ。もう時間も残り少ないですからね。一気に畳み掛けますよ! 今回は、人狼を特定出来る確かな証拠があります。朱華さんは、もうお判りですよね?」

 黎名ちゃんから私へ、“裁判”開始から三度目のパスが飛ぶ。いよいよ終局だ。その威勢の良さに、こちらの士気も上がる。
 私は彼女に応えるべく、証拠品を手に取った。

「もちろんよ。それは、コレの事よね?」

 そう言いながら、私が取り出したのは、文庫本。……光志郎が遺した、彼の愛読書だ。予想外の物品だったのか、皆の目が戸惑いに揺れる。

「……何だい? これは。誰かの持ち物かい?」
「そうです将泰さん。これは、光志郎の愛読書ですよ。現場に置いてあった物をこっそり拝借しちゃいました」
「え!? それって、現場荒らしになるんじゃ……?」
「待って誤解を招く言い方はヤメテ!! ただの証拠品回収です!!」

 比美子のとんでもない言い草に、私はつい動揺する。そうさ。これはあくまでも証拠集めの一貫! 別に、現場を荒らしたつもりは無い!……けど。でも、意味合い的には同じなのだろうか。……ヤバい、どんどん自信が無くなって行く。
 閑話休題。
 取りあえず咳払いを一つして、私は改めて証拠品について語る事にする。

「この本は、ただ現場に落ちていたわけではないわ。何故か、光志郎の右手の下敷きになっていたの」
「成程な。ただ単に揉み合って落ちたにしちゃ不自然だ。だからお前は、その本が怪しいと睨んだ」

 私の説明に、兄がしたり顔で頷いた。

「そういう事。私は、これが光志郎の遺したダイイングメッセージの可能性があると踏んだ。だから、現場から密かに持ち出したの。万が一、人狼に気付かれたりしたら、処分されちゃうからね。……で。これを調べた結果、こんな物が出て来ました!」

 私が文庫本を開くと、丁度真ん中辺りに挟まってい栞が滑り落ちる。白地の厚紙製のそれは、上にリボンを通しただけの、シンプルなデザインの物だった。その中心にはでかでかと星印が描かれており、そこからリボンに向かって矢印が伸びている。
 図に表すと、[  ← ☆ ] こんな感じだ。

「ビニールでコーティングされていなかった事が幸いしましたね。そうだったら弾かれていましたよ」

 黎名ちゃんのその言葉には、同感だ。もしそうだったらこの、……光志郎自身の血で描かれたメッセージは、永遠に届く事は無かっただろうから。

「……ま、まさかこれ! 血……? ていうかこれ、もしかしてダイイングメッセージなの……?」
「少なくとも、私や朱華さんはそう思っています。でなければ、光志郎さんのこの行動に説明が付きません。では、この血文字は何を示しているのか。考えてみましょう。注目すべきはここ。矢印が、リボンに向かって伸びているところです」

 比美子の動揺を受けて、黎名ちゃんは、栞に書かれた矢印を指差す。確かにこの矢印は、栞の上に結び付けられたリボンを指している、と考えて良さそうだ。

「続いて、この星印。通常は犯人に関する事を示していると考えるべきですが、あまり意味は無さそうです。何故なら、ここには名前に星が付く人も、星に関係している人もいらっしゃらないからです。ならば、この星は何を意味するのか」

 黎名ちゃんの言葉に、私も頭を働かせてみる。……もしかしたら、あの星印の意味はもっと単純な物なんじゃないか? だとすれば、……待てよ。

「星、……! そうか! 犯人ホシよ!! 犯人の特徴を示さないのなら、それしか考えられない!!」

 私がそう叫べば、黎名ちゃんは満面の笑みを見せる。つまり、正解だ。それならば、話は早い。つまりあの図は、矢印の先イコール犯人という意味なのだ。
 しかしそうなると、……どういう事になる? 矢印が指し示す物は、リボンだ。リボンに関係する人なんて、いたかな? ……いや、確かあのリボンの色は。
 私の考えをなぞるように、黎名ちゃんが追撃する。

「リボンが指し示す人物こそが犯人、と私も考えています。そして、このリボンが示せる物は……色しか無い。このリボンは紫色です。つまり該当者は、名前に“紫”を持つ紫御さんか、名字が“村崎むらさき”である将泰さん。あなたがた二人しかいない」

 突然名指しにされた二人は、それぞれの反応を見せる。一人はびくりと肩を震わせ、もう一人は眉を軽く動かした。この急過ぎる展開に、私も焦ってしまう。

「……参ったな。たかだかリボンの色ごときで処刑場に引き摺り出されるなんて。少し、強引じゃないかな?」
「生憎、強引なやり方でもしないと、自分が殺されるかも知れませんからね。これは、そういうゲームでしょう?」
「ははっ。確かにそうだね。けど、明確な理由が無いと、こっちも納得出来ないんだよ」

 再度行われる、将泰さんと黎名ちゃんの睨み合い。心無しか、互いの視線が火花を散らしているようにさえ見える。そのあまりの激しさに、背筋が凍る。

「明確な理由、ですか。そうですよね。このままではあなたと紫御さん、どちらを処刑すべきか判断出来ません」
「まずその前提がおかしい、と俺は思っているんだけど。多分、君の推理は間違っているんじゃないかな?」
「私が、光志郎さんのメッセージを読み間違えている、という事ですか。ふぅむ。確かに、その可能性も無いとは言い切れませんよねぇ」

 黎名ちゃんは口許に人差し指を添え、どこか視線を彷迷わせる。ここ数日で知った、彼女が考えを纏めている時の癖だ。
 しかし、言っている事が頼りない。そこで将泰さんの言葉を肯定したら、今までの推論が総崩れじゃないか! しっかりしてくれ! 黎名ちゃん!!
 だが次の瞬間、彼女の表情を見て、その心配が杞憂に終わった事を私は悟った。彼女のその瞳はまるで、……獲物に狙いを定めた猛禽類のそれだったのだから。

「ですが逆に言えば、明確な理由さえあれば、納得して下さるという事ですよね?」
「……どういう事だい?」

 その瞬間、黎名ちゃんはさも悪戯の成功した子供のように不敵に笑う。まさか彼女にとって、この展開は予想済みだったとでも言うのだろうか?

「残念ですが将泰さん。今回の処刑を決定付ける証拠品は、既に手元にあるんですよ」
「……そんな筈は」
「それを、今から証明してみせましょう。……どうぞ」

 言うが否や、黎名ちゃんはジャケットのポケットから何かを取り出し、将泰さんに向かって投げた。それは危なげ無く、彼の両手に収まる。

「これは……! 馬鹿な、どうしてまだ……!?」
「何を狼狽えているんですか? それは、あなたが持ち込んだ物でしょう?」

 手中の物を見て顔が強ばる将泰さんと、なおも笑みを浮かべる黎名ちゃん。二人の間だけで通じる会話に、最早外野と化した私達には、展開が読めない。

「黎名ちゃん、どういう事? というか、今投げた物って……?」
「朱華さんは、一度見ていますよ。これは、あの小川で拾ったボールです」
「あの小川で……? って! あぁ! あの時流れて来たヤツかぁ!!」

 思わぬ物との再会に、私は正直驚いた。そう言えばこの子あの時、小川で何か拾っていたっけ。まさか、そのまま持って帰っているとは思わなかったけど。

「え!? というか何で今、それがここにあるの? もしかしてそれ、そんなに重要な物だった……?」
「重要ですね。朱華さんはあの時気付いていらっしゃらなかったようですが、これ実は野球ボールなんですよ」
「え!? 嘘……!」

 言われて初めて、私は将泰さんが手にしているそれを、きちんと認識する。……それは、紡う事無く硬式の野球ボールだった。何故今まで気付かなかったのだろう。

「朱華さんから聞きました。将泰さんあなた、かつて野球部でピッチャーとしてご活躍していらしたそうですね。しかも、その道で知らぬ者はいない程の名投手だったとか? なら、ピッチングには相当の自信がありますよね? コントロールもバッチリでしょう?」

 黎名ちゃんの言葉を聞いて、私は思い出す。そうだ、確かに私は、“裁判”前に彼女にいくつか質問された。その一つが、皆がかつて所属していた、部活についてだった。
 あの時は、その質問の意味が判らなかったが、そういう事だったのか。彼女は恐らく、あのボールを見つけた時点で、それが凶器に使われた可能性を考えたのだろう。

「……ずっと、気になっていたんです。聖さんの左側頭部の瘤が。椅子の脚による物とは到底思えなくて。あの傷は、どうみても打撲傷です。しかも、瘤が出来る以上は、相当の威力があります。恐らく凶器は硬くて、持ち運びの容易な物。例えば、……ボールとか。それも、公式の球技に使われそうな丈夫な物ではないか、と私は仮説を立てました」

 じりじりと、言葉で追い詰める黎名ちゃんと、先程までの勢いが鳴りを潜め、徐々に顔色悪くなって行く将泰さん。それはまるで、睨む蛇と睨まれる蛙。狩る者と狩られる者が確定した瞬間だった。
 そして蛇は、蛙の息を確実に止めるための一撃を、容赦無く放つ。

「私は、それに気付いてからずっと、その凶器となるボールを探していました。事件発生から、私達の行ける範囲は限られていますから、霧隠荘から丸太小屋、吊り橋までの範囲で、隠せそうなところを重点的に。そんな折に私は、それを見つけ、朱華さんの話を聞き、自身の仮説が正しい事を確信しました。聖さんにそのボールをぶつけたのは、あなたです。確か昨日、真っ先に丸太小屋へ行くと名乗り出たのは、あなたでしたよね? おそらく、凶器を捨てる目的もあったのでしょう?」

 黎名ちゃんはビシリ、と人差し指を将泰さんへと向ける。それはつまり、彼女は彼を聖殺しの実行犯だと断定しているのだ。そして、それの意味するところは。

「聖さんは、元柔道部だと聞いています。正面から挑んだところで、返り討ちにされる可能性は十分にあった。だからあなた達人狼は、不意打ちという卑劣極まりない手段をもって、聖さんを殺したんです。そして、それに使われたボールを確実に聖さんに当てられる技術の持ち主、つまり将泰さん。あなたはじん──」
「言いがかりだわ!!」

 鋭い叫びに目を向ければ、比美子が今にも人を殺しそうな目付きで黎名ちゃんを見ていた。そりゃ、好きな人が窮地に追い込まれたら、誰だってそうなるだろう。

「比美子さん、お気持ちは判りますがこれは命懸けのゲームなんです。ここでの負けは、死と同等ですよ」
「だからって将泰さんを犠牲にしろっての? そんなの断固拒否するわ!!」
「なら、あなたは別の人間に投票すれば良い。ですが、今の彼に不利な状況を覆す事は、ほぼ不可能ですよ」
「黙りなさいよこの探偵気取りのクソガキが!! 私がどんな想いで、あの人に尽くして来たと……」
「……比美子さん、あなた、まさか………ッ! 時間、ですか」

 何かを言いかけた黎名ちゃんの言葉は、アラームによって掻き消される。ハッと気付いた時には、もう投票時間だった。

「……兎に角! 将泰さんを処刑になんてさせないわ!!」
「それを決めるのは、ここにいる全員です。あなた一人の意志では、何も変える事は出来ません」
「煩い煩い煩い! 何でアタシ達の邪魔するのよ!? ねぇ楽しい!? アタシ達の幸せを踏みにじる事が!!」
「すみません比美子さん。ですが、罪人は裁かれなくてはならない存在なんですよ」
「煩い死ね!! この疫病神!!!」

 どんどんエスカレートして行く比美子の言動に、私は自分の耳が信じられなくなる。何故なら彼女は、こんな風に誰かに当たり散らすような人物ではないからだ。
 比美子が、将泰さんを守ろうと躍起になっているのは、判る。だが、先程から捲し立てている言葉の意味が判らない。……彼女は、どうしてしまったのだろう。
 やがて、埒が明かないと判断したのか、黎名ちゃんが憂鬱そうに溜め息を吐く。そして彼女は私達の前で、最大級の爆弾を落としてくれたのだった。

「……もう、止めませんか? お喋りが過ぎると、余計な事まで話してしまいますよ? ……裏切者のヒナタさん?」
「…………え?」

 耳を掠めた、衝撃の事実。しかし、驚いている暇はもう無い。いっそこのまま意識を手放してしまいたいけれど、現実はそれを許してはくれない。
 ならばすぐにでも、この手でケリを付けてしまおう。半ばささくれ立った心に渇を入れ、私は今回の処刑対象に真っ直ぐ、人差し指を突き付けた。
 程無くして訪れる、審判の時。私はもう考える事を放棄したかったが、まだその時ではない。しっかりと床を踏み締めると、目の前の結果を凝視した。
 各投票先を確認して、悲しくなる。私に投票した、比美子と将泰さん本人を除く全員が、将泰さんに投票していた。つまり四対二で、将泰さんの処刑が決定した。

「……ははっ! そうか! ……残念、だな」

 将泰さんは渇いた笑いを漏らすと、ごく自然な様子で席を立ち、出入口を目指した。後から兄と紫御が、慌てて付いて来る。

「……あーあ。ここで脱落かぁ。……結構、自信あったんだけどなぁ………」
「将泰。お前………」
「余計な言葉はいらないだろう? 明宣。早く、丸太小屋へ行くぞ」
「………そうだな」

 食堂の扉が閉まった瞬間、比美子が絶望のままに泣き崩れる。そんな彼女に、私はどんな言葉をかけるべきなのか。やりきれない思いを胸に、私はゆっくりと席を立つ。
 早く部屋に戻って、ベッドに潜りたかった。そんな事を思っていると、不意に腕を軽く掴まれた。

「……戻りましょう? 朱華さん。今日はもう早く寝て、明日に備えなければ」
「……うん。………そうだね」

 黎名ちゃんの言葉に、私は力無く頷いた。そして、ふと思い立つ。これで今現時点の生き残りは五人。今晩の襲撃分を引けば、四人になる。
 つまり、勝負に勝とうが負けようが、明日でこの狂ったゲームから解放される。……やっと、この地獄のような日々から逃れる事が出来るのだ。

(そうだ。ゲームはまだ終わりじゃない。こんなところで、塞ぎ込んでいるわけにはいかないんだ……!)

 両手で顔を叩いて、俯き加減だった顔を上げる。もうアレコレ考えるのは、止めだ。今日はもう、大人しく部屋に戻ろう。……と、その前に。

「そうだ黎名ちゃん。就寝時間までそっちに居ても良いかな? 少し、明日の為の作戦を……」
「ユルサナイ」
「比美子………?」

 背後で声がして振り向くと、能面の如く表情を欠いた比美子と目が合った。その光の無い瞳の奥に、計り知れないような闇が渦巻いている。

「あんたの、……あんた達のせいで将泰さんが。………あんた達が余計な事をしたから………!!!!」

 血を吐くような叫びの後、比美子は服の中から布のような物に包まれた何かを取り出した。私達の見ている前ではらり、とそれが落ちて行く。
 不意に、比美子の手元が銀色の光を反射する。……ペティナイフだ。脳が凶器を認識した瞬間、ざっ、と音を立てるように血の気が引いて行く。その時ふと、朝食後の何気無いやり取りを思い出して、ぞっとした。

 ──あれ? ここにあったペティナイフ、一本足りない気がするんですが?
 ──あー、それね。何か切れ味悪くて使い辛くてさー。あっても邪魔だから、奥にしまっちゃった。

 あの時、比美子はペティナイフを片付けてはいなかった。それどころか、……自分で隠し持っていたのだ。

(ど、どうしよう……。下手に声をかけて、刺激させちゃったりしたら………!)

 今、食堂には男手が無い。つまり、私と黎名ちゃんで何とかするしか道は無い。大体ここまで来て、村人に殺されるなんて、ゴメンだ。
 ……とは言え、ぶっちゃけ刃物が恐い。いくら小形とはいえ、ペティナイフだって立派な包丁。刃渡りは確か、最低でも十センチくらいはあった筈だ。
 想定外の事態に、頭が上手く働かない。例え回避法を知っていたとしても、実際に身体が動かなければ意味が無いのだ。やばい、どうしたら………。

「……あんたがいる所には、必ずアタシがいた。……それが、アタシの役目だったから」
「比美子………?」
「アタシはずっと、敷かれたレールを歩かされていた! 自らの一生を等々力家に捧げる、ただそれだけの為に!!」

 比美子は、ペティナイフを握り締めたまま、思いの丈を吐き出す。今にも泣き出しそうに顔を歪めた彼女を前に、私はただ呆然とするしかない。

「それなのに、……ずっとアタシから自由を奪って来たあんたが、あの人まで奪うの? 良い加減にして!! ……“目障りなのよ”!!」
「…………え?」

 突然、比美子の言葉に違和感を持った。正確には、言われた言葉そのものに、既視感を覚えたのだ。私は以前、同じ事を言われたのだろうか? ……違う。
 “等々力家に逆らうな”という掟がある中、私に面と向かって、こんな事を言えるようなヤツなんて、きっといない。ならこれは、以前私が誰かに言った事なのか? もしそうなら、一体誰に………?

(……あ、ぅ………!?)

 突然の頭痛に、身体がふらついた。それでも、何とか足を踏ん張って転倒を避けた私の脳裏に、リアルな光景が駆け巡る。

『あんたが側にいると、自分が惨めになるの』
『あんたなんて嫌い! 大ッ嫌いよ!!』
『だから、もう──』

「死んじゃえ!」

 気付いた時には、比美子は猛り狂う獣のように、私に襲いかかって来ていた。その距離、僅か数十センチ。
 避けられぬ激痛を想像して、私は思わず目を瞑った。やがて刃は、獲物を狩らんと切っ先を向ける──。

(…………え?)

 肉の裂ける音が、聞こえた。が、痛みは無い。不審に思い瞼を開けば、眼前で血飛沫が舞う。
 吹き出す鮮血は床を、机を椅子を一気に染め上げる。その出所を探った先は、か細く白い首筋。それは、つい先程まで私の側にいた筈の、……“探偵”だった。
 少女の華奢な身体が傾く様は、まるでスローモーションの如く、私の前ではっきりと再生される。首から血をほとばしらせた彼女の眼は、虚空を見つめていた。
 倒れ伏し、動かなくなる少女。扉の勢い良く開く音。騒ぎを聞き付けて部屋に飛び込む男達。取り押さえられてもなお、咆哮を上げて暴れる一匹の獣。その光景全てが、非現実的だった。最早、自分がどこに立っているのかさえ、判らなくなる。
 これは現実なのか? 頭の片隅で、誰かが問う。
 夢であれば良かった。この光景も、この地獄に彩られた五日間も、何もかも。しかし、その思いこそが夢語りだ。
 ゆるり、と絶望が近付く足音が聞こえて来る。このまま私達は、この閉ざされた檻の中で、果てるしかないのだろうか。そう問うたところで、誰も答えはしない。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

思いを馳せるクリスマス

現代文学 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

戦国九州三国志

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:62

【完結】±Days

青春 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

鉄子(鉄道好きな女子)の眼鏡魔王と付き合っています

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:106pt お気に入り:3

奥能登の少女の声は風に消え

現代文学 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

囚われ王子の幸福な再婚

BL / 連載中 24h.ポイント:1,029pt お気に入り:157

もふもふ好き王子の婚約破棄

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:38

悪徳令嬢はヤンデレ騎士と復讐する

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:198pt お気に入り:261

時間泥棒

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:23

処理中です...