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2017.5.2.Tue
第一章 再会 【 一日目 昼 】
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「ゴメンね。わざわざ送って貰っちゃって」
「平気よ。気にする事無いって。それにしても、あんたも災難よねー。よりによって、前日に車ぶつけられるとか」
「本当、正直どうしようかと思っていたの。駄目元で頼んでみて良かった。ありがとね、比美子」
「良いって良いって。アタシ達、親友なんだから。困った時はお互い様でしょ?」
「ふふ、そうだね。相変わらず優しいなぁ、比美子は。そりゃあ、周りの男共が放って置くわけ無いわよねー」
「あはは、それ、そっくりそのままお返しするわー」
私は、等々力朱華。都内の私立大学に通う、二年生だ。
その隣で、運転しつつ私との雑談に興じる、ショートヘアの彼女は樋口比美子。幼い時からの付き合いで、現在は同じ大学に通っている、いわば親友である。
そんな華の女子大生である私達は今、車で山奥にある知り合いの別荘、霧隠荘へと向かっている。
この霧隠荘は、かつて、私の祖父の親友が、ペンションとして経営していた物だったのだが、不景気の波に呑まれ、やむ無く畳む羽目になったらしい。
現在はその人のお孫さんがそこに住み、私達のような知人を招きつつ管理をしているのだ。
ちなみに、この“霧隠荘”というネーミングは、時々山に立ち込める霧によって、建物事態が隠されて見えなくなってしまうところから付けられたそうだ。
それでは、客足も遠退くなぁ、とは思う。万が一、何かあった時に見つけて貰えなさそうな名前の宿泊地なんて。知り合いのネーミングセンスに文句を言いたいわけではないが、正直、進んで泊まりに行こう、とはならないだろうな、と容易に想像出来た。
ちなみに、今回私達がそんな別荘に向かっている理由。それは、中学時代親しかったメンバーを集め、少し早めの同窓会をしようというお誘いだった。皆に会いたかった私は当然、二つ返事でOKした。
予定では、私も愛車で向かうつもりでいたが、前日、走行中に後続車と接触してしまい、修理に出す羽目になった。結果、こうして比美子のお世話になっているというわけである。
「それにしても楽しみ! だって五年ぶりだもんねー。皆、元気にしてたかなー?」
あまりに楽しみで、私のテンションはMAXだ。何せ、今回の集まりには、同級生だけでなく、兄やその友達や恩師、十年ぶりに会う従妹も来るのだから。
そんなウキウキ状態の私を横目に、比美子が、信号待ちの合間に、こんな事を口にする。
「そうだ。あんた知らないだろうから言っておくけど。この先、結構スリリングになったから覚悟しときなよ」
「………何で?」
正面を向いたままぽつりと零れた何気ない言葉に、私は内心首をかしげる。
スリリング、と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、この道の先に掛かっている橋だ。けれど、あの橋はかなり大きく、頑丈な物だったと記憶している。山奥の崖と崖を繋ぐ、白い大橋。その美しい外観は、スリリングとは程遠いものの筈なのに。
「んー、……まぁでも、実際に見れば嫌でも判るから。実際に、ね………」
わけが判らない、とあからさまに顔に出していたせいか、意味深な事を口にする比美子。
確か、こいつがこんな言い方をする時って、毎回ロクな事が無かった気がする。
「えぇ……? 何かもう、嫌な予感しかしないんだけど……」
比美子の不安を煽るような言い方に、私は内心怖気付く。思えば、この時詳しく話を聞いておけば良かったのだ。
だけど、そう考えるのはいつだって、何かが起こってしまった後の事なのだ。でなければ、後から愚痴を零す事も無かっただろうに……。
「ウソやん」
思わず口調が迷子になってしまったが許して欲しい。
いや。ほら。だって。
この状況は些か、予想していなかったと言いますか。
……仕方ない、と思うのですが!
「無理無理無理無理無理無理無理無理ゼッタイ無理! 何で吊り橋がここにあるのよおぉぉ~~~! 前来た時は、ちゃんと立派な橋が掛かっていたじゃんか~~!!」
自分の中の記憶をバッサリと裏切る光景を前に、私は驚愕と恐怖で頭が真っ白になった。
というのも、最後に見た時には確かに存在した筈の、非常に安定感のある大きな木製の橋が、こんなにもショボくて、頼り無さげな吊り橋に退化していたのだから。
…………しかも、揺れそう。
「お待たせ~。車、止めて来たよ~ん」
程無くして、駐車を済ませた比美子が戻って来た。最近、近くにガレージが出来たと言っていたが、まさかこの為に作られた物なのか。いや、そんな事はどうでも良い。
「比美子! 私は今! 説明を要求する!!」
ずびし! という効果音が付きそうな勢いで、私は比美子に人差し指を突き付ける。人を指差すな? そんな細かい事、気にしている場合なんかじゃないのさ!
しかし悲しいかな、物凄い剣幕をしているつもりの私に、比美子は怯むどころか、淡々と文字通り説明してくれたのだ。
「仕方無いじゃん。前の橋は、こないだ落雷で燃えちゃったんだから。これは、新しい橋が出来るまでの繋ぎなんだって。まぁ、いつ作られるかは未定みたいだけどねッ」
「それ、もうずっとこのままって事と同じじゃない! っていうか、ガレージ作るくらいなら最初からちゃんと橋作れー!!」
「それは建設者本人に言って貰わないと。アタシに言われてもシカタアリマセーン」
「うっわ何その言い方。腹立つぅぅぅ~~~!!」
予想以上にムカつく比美子の切り返しに、私はイライラするあまりうがー、と叫びながら髪をかきむしる。だが、当の本人はそれを気に止める事無く、颯爽と歩き出す。
「じゃ、アタシ先に行っているから。頑張ってね~」
「えっ? ちょっと……! 嘘でしょ!? ……比美子の裏切者おぉぉ~~~!!!」
必死な叫びも虚しく、私が茫然と見ている間に、比美子は橋を渡り切ってしまった。まぁ、簡単に言うと置いて行かれた、という事だ。
チクショウ! 誰だアイツが優しいとかほざいたヤツ! ……私じゃん!! あの女マジ酷過ぎ! いつか天罰下ってしまえ!! ……何て罵倒しても橋が渡れる筈も無く。
うぅ、……どうすれば良いの。こんな不安定な橋、渡れそうにないよ。ただでさえ高い所駄目なのに。しかもこんな橋、いつ揺れてもおかしくないのに……。
じわ、と目に涙の滲む私に、更に追い討ちがかけられる。
「揺れてるぅ~~!めっちゃくちゃ揺れてるよぉ~~~~~」
突然吹き付ける山風がビュウゥゥゥ、と豪快な音を立てながら、眼前を走る華奢な吊り橋を容赦無く揺らす。
途端、今の今まで大人しくしていた吊り橋は、嫌がるようにミシ、ミシ、と鳴き始めた。
「うぇええぇぇん! 渡りたくないよぉ!!」
と泣き言を言っても、ここを通らなければ、霧隠荘には一生行けないわけで。
うぅ……。やはり、避けて通る事は出来ないのか。……こうなったらもう、腹を括るしかない!
「ファイトオォォォ~~~~~! いっぱぁぁぁぁぁ~~~~~つぅ!!!! 」
涙で歪む視界に気にしないふりをしつつ、私は覚悟を決めてその一歩を踏み出したのだった。
「やって来ました霧隠荘ー。いやー、久しぶりだわ。相変わらず綺麗な外観ねぇー」
などと感慨深そうに、目の前の木造の建物を見上げる比美子は、先程見捨てて来た友人の事などすっかり忘れている様子だった。
このやろう、と心の中で拳を握りながら、私は幽鬼のようにフラフラとターゲットに近付いて行く。
「ユルサナイ」
「おぉ、朱華無事生還? どうだった? 人生初の吊り橋体験は?」
あっけらかん、といった調子でそんな事を言われて、私は自分の中で何かがブチリと切れる不穏な音を確かに聞いた。
ほぉ、……この明らかに心が満身創痍な私を見た上で、そんな心無い言葉を吐くと言うのか。
よし、決めた。
「ころす」
「怖っ! 目がマジなんですけど!?」
「マジにもなるわこのやろよくも私が高いとこ駄目だと知った上であんな所に置き去りにしやがってああいう吊り橋は大抵落ちるんだ私は知ってるからな推理小説で死ぬほど読んだからな」
「ノンブレス止めてぇ! ゴメン! アタシが悪ぅごさいました! 頼むからこっち来ないでぇぇ~~~~~!!」
後に比美子は語る。
あの時の私は、某テレビから這い出て来る幽霊も真っ青の恐ろしさであったと。
そんな恐ろしい形相(比美子談)となった私は、本気で元凶に天誅を下してやろうと一歩踏み出す。だが、正にその絶妙なタイミングで別荘から人影が現れ、こちらに向かって来た。
チッ。命拾いしたようね、比美子。
「お二人共、ようこそいらっしゃいました。久しぶりね、朱華ちゃんに比美子ちゃん」
「あ、お久しぶりです、神楽さん。ほら朱華! 遊んでいないで神楽さんに挨拶!!」
「いや、そもそも原因はあんたじゃないの! もう! ……お久しぶりです神楽さん。お元気そうで何よりです」
「ふふ、あなた達も元気そうで良かった。相変わらず、仲が良いのね」
彼女は、呉神楽さん。この方こそが、私の祖父の親友のお孫さんで、ここ霧隠荘を住み込みで管理している方である。
美人で、スタイルも良くて、料理上手。おまけに性格もマル、いや、花丸と言い切っても過言ではない程の優良物件だ。私が、心から慕っている人でもある。
こんな山奥なんかにいなければ、さぞやおモテになっただろうに。勿体ないお方だ。当の本人は、さほど気にしていないようだけれど。
「……五年ぶり、ですね」
不意に、比美子が改まった口調でそう言った。神楽さんは、それに対して曖昧に笑う。先程までの賑やかな空気が嘘のような、なんとも言い難い居心地の悪さだ。
何だろう、この空気。というか、私だけ知らないの?
自分だけが付いて行けていない、というこの状況は些か気に食わない。一体どういう事なのか、問い詰めてやろうと口を開きかけたのだが。
「……あら。玄関先でごめんなさいね。さぁ、どうぞ中へ。先に到着した方々がお待ちよ」
「おっ、もう誰か来ているんですか? じゃ、挨拶しに行かないと。ね、朱華!」
まるで狙ったかのように、話の矛先が変わってしまった。吐き出すつもりだった言葉は、やむ無く飲み込まれる。完全に出鼻を挫かれてしまったようだ。
しかし、早く皆に会いたいのも事実だったので、取りあえず、二人に付いて行く事にした。どうせ、後からでも聞く時間は山程あるだろうし。
そう考え直して、私は弾むような気持ちで、霧隠荘内へと足を向ける。
中に入ると、神楽さんは飲み物を取りにキッチンへ向かった。先に着いた人達は、全員居間に揃っているそうなので、荷物を置きに行く前にまず、挨拶を済ませる事にする。
玄関から一直線に続く、やや長めの廊下を歩いていると、向こう側から私達を呼ぶ可愛らしい声が聞こえて来た。
「あっ! 朱華お姉ちゃんに、比美子さーん!」
呼びかけられた方向に目を向けると、綺麗な髪を靡かせながら、小柄な女の子がぱたぱたとこちらに走って来るのがみえた。
その子は、私と比美子の前で立ち止まると、会えて嬉しいとばかりに、にっこりと笑いかけてくれた。
「二人共久しぶりー! 元気だったー?」
この子は、城崎香澄ちゃん。十年ぶりに再会する、私の従妹だ。
十年前は幼稚園児だった彼女だが、今はもう中学二年生である。何回か写真を見ているというのに、最後にあった時のお人形さんみたいな姿を思い出すと、成長したなぁ、と思わずにはいられない。
そう思うと、何だか嬉しくなって、気付けば私は香澄ちゃんの頭を撫でていた。
そうか、天使はこんな近くに存在していたのか。
「香澄ちゃん、久しぶり! 見ない内に随分綺麗になったじゃない!」
「当然だよー。私だって、いつまでも子供じゃないもん。今はもう、立派なレディーの仲間入りよ!」
そう言ってふふん、と自慢気に胸を張る香澄ちゃんは、とても可愛い。流石は私の従妹。この愛らしさは間違いなく、遺伝子的なものに違いない。
などと一人で感心している私の横で、比美子が笑いながら、香澄ちゃんのこめかみを軽くつつく。多分、その自信満々な様子が面白かったのだろう。
「あらあらぁ、アタシ達から見れば、まだまだひよっ子ちゃんよぉ。レディーデビュー宣言するなら、もー少し大人にならないとねー」
そう言われた香澄ちゃんは、つつかれたこめかみを撫で擦りながら、不服そうに唇を尖らせた。そんな姿も可愛くて、私はつい笑ってしまう。
「むぅ、比美子さんは意地悪なんだから。ついさっき、唯さんにも同じ事言われたばっかりなのにぃ」
「え、唯もう来てるの? マジか! 今、他に誰が来てるの?」
懐かしい名前を耳にした事で、俄然私のテンションは一気に上がった。
唯というのは、吹奏楽部で知り合った、私の一つ下の後輩である。私達の引退後は部長に任命され、華々しく活躍した後、見事有名音大に合格したそうだ。
私の問いに香澄ちゃんは頷くと、急かすように私達の腕を掴んだ。
「唯さんだけじゃないよー。他の皆も待っているから、早く行こうよー!」
「あーコラコラ、判ったから。あんまり引っ張らないでよー!」
そう言いながらもクスクス笑う比美子もまた、なんだかんだで今日、この日を楽しみにしていたのかもしれない。私達は、子供みたいにはしゃぎながら居間へ向かう。
扉を開けてすぐ、真っ先に私達を出迎えてくれたのは、キラキラした笑顔で、私に抱き付いて来た誰かだった。その特徴的な声と口調で、私はそれが誰なのか、すぐに気付いた。
「きゃ~! 朱華センパイに比美子センパ~イ! お久しぶりですぅ~! 超会いたかったぁ~!!」
この子が後輩、小野寺唯。中学時代から変わらないボブカットは、彼女の童顔に良く似合っていて可愛らしい。
「唯! 久しぶりー! 私も会いたかったー! 皆も本当久しぶりー! 元気だったー? あの頃と全然変わってないねー!」
私は唯を思いっ切り抱き締めながら、居間全体を見回した。皆、若干顔付きが大人っぽくなっていたけど、雰囲気は変わっていない。本当に中学の頃に戻ったみたいだ。
そんな私の言葉に反応したのか、やや気取ったような低音がこちらに向けられた。
「おいおい、全然って事はねぇだろ~。良ぉく見てみろって。オレ、結構イケメンになったと思わねぇ~?」
そう言いつつ、こちらに顔を近付けて来た男は、同級生だった嵯峨聖。派手なキャップにTシャツ、シルバーのネックレスという、チャラさを全面的に押し出したスタイルは相変わらずだが、仲間内でのムードメーカーで、見た目の割に良い奴である。
「ぷっ……! お前、そういう事はせめて紫御くらい顔面偏差値高くなってから言えよ。そんな風だから、いつまで経ってもモテないんだよ」
聖の隣で、爽やかに毒を吐いたのは、同じく同級生だった柳井光志郎。一見優男風だが、かなりの毒舌家。その鋭くも的を射た辛口な言動は、誰に対しても一切の容赦なく放たれる。まぁ要は、我等の貴重なツッコミ要員という事である。
「ちょっと、光志郎! 僕はただのフツメンだって何度言えば……って聞いていないな、もう。やぁ、朱華に比美子。久しぶりだね。なんか、会わない内に、綺麗になったんじゃない?」
と、サラッと赤面するような台詞を口にしたのは、やはり同級生だった成瀬紫御。私の初恋で、……憧れの人。
五年ぶりに会った彼は、中学時代の面影を残しつつ、顔付きも体付きも確実に大人の男に近付いていて、とても格好良い。
その事実にドキッとして、思わず目を反らすと、比美子がニヤニヤしているのが見えた。そのまま睨み付けてみても、効果は無い。
……まぁ、私の恋心が、本人以外にバレバレなのは判っていたけど。
「あれ? 朱華どうかした? 顔、真っ赤だよ? もしかして、具合悪い?」
私の異変を不思議に思ったのか、紫御が私の顔を覗きこむ。
……って近い近い近い! 待って、ヤバイ! これ以上はヤバイ! 心臓が破裂する!!
「だ、だだッ! ダイジョウブッ! ちょっと暑くなっちゃっただけだからッ! 気にしないでッ!」
「……そう? なら良いけど。でも、本当に辛い時は言わなきゃ駄目だよ。何かあったら大変だからさ」
そう笑顔で言えちゃう紫御マジイケメン。じゃなくて!
何でこう、こっ恥ずかしい事を言えちゃうのかなぁこの子は!! この天然タラシ!!
というか皆、その憐れむような目を止めて! 香澄ちゃんも「ドンマイ朱華お姉ちゃん」じゃないから!! 皆、紫御がニブイのがいけないんだから!!
あぁ、紫御ってば、相変わらず鈍感。そんな所も好きなんだけどね……。でも、そろそろ気付いて欲しいかも。結局、伝わらないまま卒業しちゃたわけだしね。
よっしゃ! ならば、この機会に紫御のハートをゲットしてやる! さりげなく気付かせるやり方は、もう止める! こうなりゃ直球あるのみ!! 女は度胸よ!!
今回こそは長年の恋煩いに終止符を打つ、という誓いを立てて、私は固く拳を握るのであった。
皆と別れ、あてがわれた部屋で荷物を置いて一息吐いていると、誰かがドアをノックした。返事をすると、相手は比美子だったので、私はドアを開けて彼女を室内に招き入れる。
「やっほー。どうよ。久しぶりの別荘は」
室内に設置されているデスクに寄りかかりながら、比美子は私に聞く。そう言えば、この霧隠荘がご無沙汰なのは、私だけだった。他の皆は、時々遊びに来ているらしい。
「最高だよ。部屋は綺麗だし。居心地も良いし。前に来た時もこんな感じだったんだっけ? 私、忘れてるなぁ。こんなに最高なら、もっと頻繁にここに来れば良かったかも」
「……そっか」
私がそうべた褒めした時、一瞬、ほんの一瞬だけ、比美子の表情が曇ったように見えた。けれど、すぐにいつもの明るい笑顔を浮かべていたから、見間違いかも知れない。
「あ、ねぇ、荷ほどき済んだならさ、外に出てみない? ちょっと風に当たりたいんだよね」
比美子の提案は大歓迎だった。確かに、せっかく大自然の中にいるのだから、その綺麗な空気を堪能しなくちゃ。私は頷くと、ケータイだけを手に部屋を後にする。
そうして、比美子と二人で外へ出ると、目の前を壮大な山々が、私達を迎えてくれた。
「んん~~! 風が気持ち良いねぇ~!!」
爽やかな風を全身に浴びながら、私は思いっ切り伸びをした。流石は初夏の山。新緑も美しく、暑くも寒くもない過ごしやすい気候。最高としか言い様が無い。
「本当にねぇ。良い時期に来たと思うよ、アタシ達。良かったよね。午後の講義なくなってさ。そうでなきゃ、ここに来るの明日になってたわ。教授に感謝しなきゃねー」
比美子の言葉に、私は頷いた。というのも、火曜日である今日は、本来ならば午前と午後に一つずつ講義が入っているという、何とも中途半端な日程なのだ。
しかし三日前、担当教授の急な用事の為に、午後の講義は休講という連絡があった。つまり、火曜日の講義は午前中の一コマのみ。
そういうわけで、午後が完全オフになった私達は、予定より早くこちらに到着出来た。後はそのまま、ゴールデンウイークの五日間と半日を楽しめる、という事だ。
「本当にね。さんきぅ教授! さんきぅ教授の用事!! 半日も早いゴールデンウィーク最高です!!!! ……それにしても、良く上手い具合に皆の予定合ったよね。今日なんて平日なのにさ」
と、私がふと思った事を口にしてみれば、比美子はうんうんと頷きながら同意してくれた。
「唯の所と紫御の所は、ウチと同じく午後休講。聖と光志郎の所は、そもそも火曜はフリー、か。……確かにね」
「社会人組もそうじゃない? 特に兄さんなんか、普段休みなんて滅多に取れないくらい忙しい人なのに……」
そう。実は後から来る社会人組は、基本的にハードスケジュールな人達だ。だから今回、前もって休みを取る事が出来たのは、奇跡的としか言い様がない。
後継ぎで次期社長の兄は、常に父の傍らでしごかれているし、友人二人もそれぞれの持ち場で使われているらしい。我が恩師も、変わらず教壇に立っているそうだし。
だからこそ、こんな大型連休に皆の予定が合うなんて、ちょっと出来過ぎている。個人的には嬉しいが、何か他意を感じてならない。
「まるで、集められるべくして集められたみたい。……なんて」
「そうね。……回り始めたのかもしれないわ。運命の歯車が、ね」
「本当ね。……そう言えばこの風、まるで泣いているみたいだわ……って。ちょっとこれいつまで続けるの。途中から吹き出しそうだったんですけど」
「めっちゃ流行ったよね、厨二病ごっこ。皆でバカ丸出しでやらかした数多の武勇伝を、アタシは忘れない」
……まったく、五月初旬の美しい山々の中で、何をやっているんだか。でも、なんだかんだ言って、ふざけられるだけ余裕なのかもしれない。まぁ、冷静に考えて、そんな二次元的展開が簡単に起こるわけも無いし。
「……そろそろ戻ろうか」
どちらからともなくそう言って、私達は別荘へと向かう。
そう言えば、玄関先での事、聞いていなかったな。戻ったら、聞いてみようかしら。
ぼんやりとそんな事を考えながら、私は比美子とともにブラブラと霧隠荘の周辺を歩く。
そのまま歩いて正面に回ると、丁度人影が近付いて来た所だった。その懐かしい姿を見た私は、つい大声で彼に呼びかけてしまう。
「先生! お久しぶりですー!!」
「おや、久しぶりだね。等々力さんに、樋口さん。見ない内にすっかり大人になって。やはり、私も年だねぇ」
「あらやだぁ。先生は今でも十分お若いでしょう。未だに問題児達を追いかけ回しているって聞きましたよー」
「おや? どこからそんな情報が漏れたのかな。これは後でリーク先を追う必要がありそうだね」
「ちょっとそれ、思いっ切り死亡フラグじゃないですかー。 後輩君、超可哀想ー」
私が冗談を言えば、邪険にする事なく、軽快に言葉を返してくれる。こうやって冗談を飛ばし合うのは久しぶりだなぁ、と思う。
この人は、我等が恩師の相田修作先生。国語教師だ。私と比美子のかつての担任であり、他の同級生や兄達も、彼の授業を受けた事がある。
時に厳しく、時に優しく生徒に接する姿は好感が高く、特に、その柔和な笑みの癒し効果といったら半端ない。私達は、それを“相田スマイル”と呼び、崇めていた。
「しかし、良く私が来た事が判ったね。窓から見えたかい?」
不意に先生がそんな事を聞いて来たので、私達は先程まで森で散歩していた事を話した。先生は、後で自分も行ってみるつもりのようだ。
そうして話をしつつ中に戻ると、神楽さんが出迎えてくれた。どうやら、私達が外に出ている間に、兄達が到着したらしい。
「……ようやく揃いましたね。今回の参加者が」
比美子がそう言うと、相田先生も神楽さんもにこり、と彼女に笑いかけた。まるで、心得ている、とばかりに。やっぱり、私だけ置いてきぼりみたいだ。
全く、三人共バレバレなのよ。何を隠しているかは知らないけど、私だけのけ者だなんて、そうは行かないわ!
覚悟なさい。絶対に聞き出してやるんだから!
再び居間に戻って来ると、新たな人影があった。彼らは私達に気付くと、挨拶するように片手を上げて迎えてくれる。
「よーっす、朱華に比美子。お前ら、外に行っていたそうだな。遅かったじゃねぇか」
ガハハ、と豪快に笑うこの男は等々力明宣。その大柄な体格と豪胆な性格上、初見で怖がられる事が多いが、根は面倒見の良い自慢の兄だ。
「素直じゃねーのぉ。素直に『可愛い妹達の姿が見えなくて、お兄ちゃん寂しかったぁ』って言や良いのに」
そう口にして兄にどつかれているのは、兄の友人の塙美津瑠さん。長髪がチャーミングなイケメンだが、女好きのナンパ狂という残念な人だ。実際に、比美子も唯も神楽さんも私も口説かれた事がある。(香澄ちゃんは将来有望との事)
これさえなければモテるだろうに……と女性陣でお茶を濁したのは、毎度の事だったなぁ、と懐かしく思った。
「明宣も美津瑠も煩くし過ぎ。朱華ちゃんも比美子ちゃんも、困っているだろう。まったく。悪いな、ツレのバカ共がどうしようもなくて。朱華ちゃんも大変だよな。“こんなの”が兄貴でさ」
「気にしなくても良いですよー。バカ兄と愉快な仲間達には、いつも楽しませて貰っていますから」
「……それ、さりげに俺も同類扱いしているよね。危うくスルーしそうになったけど」
「あらー? バレちゃいましたー? ……なんて。冗談ですよ。将泰さんは、紳士ですもん」
私の言葉に笑いながら「それは言い過ぎ」と返す彼は、同じく兄の友人の村崎将泰さん。気さくで紳士的な、周りに好かれるタイプの人だ。
顔だって、紫御や美津瑠さん程ではないが、それなりに整っているから、実は三人の中では一番モテているのではないかと私は睨んでいる。真相は謎だけれども。
「あっ、あのッ! お久しぶりですッ! 明宣さんに美津瑠さんに、……将泰、さん」
ふと気付くと、隣にいた比美子が真っ赤になって俯いていた。先程の仕返し、とばかりに背中をつついてやる。
早い話、比美子もまた恋する乙女というわけだ。
「やぁ、比美子ちゃん。……もしかして、髪切った? 前に会った時は、もう少し長かった気がするんだけど」
「ひゃ、ひゃい! 思い切って十センチ切っちゃいました。その、……似合っていますか?」
「うん。可愛いと思うよ。そのくらいの長さの方が、俺は好きだな」
うーん、流石は将泰さん。他の男共が見てないところに気付けるなんて。 凄く素敵だけど、突然の爆撃に比美子は撃沈寸前だ。……お互い、天然さんに恋すると大変ね。
と思っていたら、将泰さんが兄さんと美津留さんから集中砲火を受けている。「リア充滅べー!」って言うけど、寧ろ見習った方が良いですよ、美津瑠さん。せめて、髪の事くらい気付かないと。
目の前で繰り広げられるカオスな状況に、どうしようかと思っていると、背後から渋めのバリトンが、耳に届いた。
「ははっ。これはまた賑やかになっているじゃないか。君達三人は、いくつになっても変わりないようだねぇ」
「げ、相田先生……」
絶妙なタイミングでの恩師の姿に、漫才トリオの顔から一気に血の気が引いて行く。やはり、学生時代に染み付いた上下関係は、そう簡単には消えないのだろう。
まぁ実際、彼らは事あるごとにバカな事をやらかしては、相田先生による精神的制裁を食らっていたそうなので、確実に自業自得としか言い様がないのだけど。
「おっ、お久しぶりっすね、相田先生。またお会い出来て嬉しいっす!」
「私も嬉しいよ等々力君。君は特に、昔と変わらない気がするねぇ。あの頃を思い出すようだよ。……ところで“ジャイアン”というニックネームは、まだ健在なのかな?」
一人目、KO。
「お元気そうで何よりっす! オレ、相田先生から教わった人生論、ノートにメモして大切にしているんスよー!」
「それは良い事だね、塙君。感心するよ。だが、更にそれを読み返すとなおの事良かったがね。後、その……ロン毛? は格好付けのつもりなのかな?」
二人目、KO。
「お変わりないですか? 相田先生は、時々無理なさる所がありますから。お身体を大事にして下さいね」
「ありがとう村崎君。相変わらず、君は優しい子だね。……しかし、前より痩せたんじゃないのかい? 君は、ただでさえ細いんだから。もっと食べないと、また周りからモヤシっ子呼ばれてしまうよ」
全員KO。相田先生のストレート勝ち。
各自のジャブに、躊躇無い一撃を食らわせる辺りは流石と言うべきか。心を完璧に叩きのめされた三人に、吹き出さなかった自分を誉めたい。リアルで“orz”のポーズする人とか初めて見たんだが。
「あ、相田先生だ。こんにちはー……って、どうしたの、コレ?」
「香澄ちゃんは見なくても良いの。駄目だよ? こんな大人になったりしたら。それより、せっかく皆揃ったんだから、UNOでもやらない? よろしければ、先生もご一緒しましょ?」
不意に現れた香澄ちゃんの両目をそっと隠した私がそう提案すると、比美子も相田先生も頷く。どうせなら大人数でやろうと、比美子が唯達を呼びに行った。
そして、何とか復活した漫才トリオも交え、超長期戦のUNO大会が始まった。何せ、夕食まで時間はまだたっぷりあるのだ。せっかく集まったのだから、楽しまないと。
というのも、神楽さんが今日くらいは完全な客人扱いをしてくれる、という事で手伝いを免除されたのだ。ならば、今日はその言葉に甘えようと思う。
ふと、窓の外を見ると、雲行きが怪しくなっていた。一雨来るかもしれない。その、黒く渦巻く雨雲を目にした時、私は、何故か胸騒ぎがした。
何だろう。虫の知らせかな。……まさかね。
黒い雲はみるみる内に青空を浸食し、覆い隠してゆく。山奥の別荘に嵐とか、何だかミステリーでも起きそうなシチュエーションになりそうだ。
何か、起こりそうな気がする。なんて、考え過ぎか。
そんな事を思っていた自分を、心底殴りたくなる時が来るとは、この時は微塵も考えていなかった。
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※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
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