イシュタムの祝福

石瀬妃嘉里

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第六章

託された想い                              (五回戦 ▶ 六回戦)

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※※※

 次のゲームの準備と称し、【祝福の間】を退場させられた私達は、ひとまずラウンジで待機していた。喉が渇いていたので、水分補給をしようとドリンクバーへと向かい、麦茶をチョイスする。
 グラスを手にして、近くのソファに行儀悪くどかりと座すと、一気に麦茶を飲み干す。ぷは、と息を吐いた私は、空のグラスを握り締めたまま、ほんの数分前に起きた衝撃の光景を思い出していた。
 ヨシカゲ君と、ユーイチさんが一度に死んだ。
 一戦前までは一緒にいて、何気無いお喋りをしていたのに。
 まるで、いきなり奈落の底に突き落とされたみたいだ。僅か三十分の、ゲームの関係無い時間の中、確かに私達は心を通わせた。それは私にとって、不自由と理不尽に雁字搦めにされたこの状況下の、束の間の楽しい時間だった。それなのに。
 彼らの命は、軽く扱われた。特にヨシカゲ君は、女神に“祝福”されるという形式すら取られる事無く、殺された。こんなに、非情な事はない。それに、ユーイチさんだって、あの時点で自分が“祝福”されるとは思っていなかっただろう。
 確かにあの時点で、首吊りまでの猶予はまだ一画分あった。けれど、ヨシカゲ君の予想外の死に、誰もがその事を忘れてしまっていたのだ。それなのに、アカリは何事もなかったかのようにゲームを続行した。
 だからユーイチさんは、何の心の準備も無いまま、呆気無く亡くなってしまったのだ。あんな、いきなり機械的に命を奪い去られるなんて、たまったものじゃない。せめて、心の準備をさせるだけの余裕をくれたって良かった筈なのに。
 そう思うと、改めて、アカリの鬼畜ぶりに反吐が出そうになるのだった。……それにしても。

(……待つって、どんくらいよ?)

 悶々と考え込んでいた私だったが、流石に遅過ぎる! と思い、時計を探そうと周囲をぐるりと見回した。が、壁にもテーブルにも、それらしいものは見当たらない。
 休憩時間の時には、五分前にアナウンスが流れたから、気付かなかったのか。なら、今回もアナウンスで知らせてくれるのかもしれない。
 改めて全体を見渡したラウンジは、がらんとしていた。椅子やソファの数に見合う程の人間がいない為、空いた席が目に付くのが悲しい。まるで、世界に一人取り残されたと錯覚するような、そんな寂しさが胸を突く気がした。

(……いかん。ネガティブな事を考えてるとドツボに嵌まりそう。何か、気の紛れるモノは……)

 ふと、何となく右側を向いてみると、近くのテーブルに手帳が置いてあった。誰かの忘れものだろうか。私は、テーブルまで歩み寄ると、手帳を手に取ってみた。

(……年季が入っているけど、良い手帳だなぁ。高そう)

 黒い、本革らしいそれは、使い込まれたのかなかなか良い感じだった。付属されている濃紺の万年筆も、私には到底手が届かないであろう高級品だ。とても、輝いて見える。
 忘れ物だろうか。と言っても、ここにいる人間は限られているから、余程の事がなければ、参加者の内の誰かの物の筈だ。しげしげとその手帳を見ていると、私の中に、ふと私の中の好奇心が顔を出す。

(……中、気になるなぁ)

 瞬間、私の中の理性がロケットの如く飛んで来て、好奇心をグーで殴り飛ばした。いけない。危うく非常識な事するところだった。他人の手帳を盗み見るなんで、言語道断だ。自分がされたら嫌な事は人にしてはいけないと、母に教わっただろう!
 しかし、好奇心はなかなかタフだった。瀕死だろうに、なおも私に誘惑の言葉をかけて来る。

(ちょっとだけなら良くない? だって、今日亡くなる事がほぼ決まっている相手のだよ? 生きてここを出たら、ご遺族の方に渡す事になるかもじゃん。なら、情報は仕入れておかないと!)

 もっともらしい事を言ってはいるが、欲望がミエミエである。しかし、この時の私は何故か「成程!」と納得してしまった。疲れていたのかもしれない。かくして、私は目の前の手帳に手をかける事にした。
 行け行けと発破をかける好奇心と、ほんの少しの罪悪感の混在する中、壊れ物を扱うようにそうっと表紙を開き、ページを捲って行く。

(凄……!)

 ざっと目を通すつもりだった筈が、いつの間にか熟読していた。というのも、手帳に書かれていたのは、所謂“ネタ”だった。ストーリーのシナリオの流れや、キャラの説明、その他、ちょっとした思い付きの箇条書きなど、小説が作成されるプロセスが凝縮されていたのだ。
 と、そこまで読み進めた時、私の頭に、ある作家の名前が思い浮かぶ。

(これ、もしかして阿坂あさか獅朗しろうじゃない……?)

 阿坂獅朗とは、私のような、読者離れした人間でも知っている程の作家である。
 というのも、彼の作品は非常に人気が高く、多くの作品がドラマや映画、果てはコミカライズされている程だ。かくいう私も、そういった媒体からハマり、原作に手を伸ばしたタチだ。だからこそ、手帳に書かれているストーリーやキャラ名に既視感を感じたわけだ。
 そう言えば、阿坂獅朗の代表作と言えば、“書道家探偵城ヶ崎じょうがさき諭吉ゆきちシリーズ”じゃないか。という事はもしかしたら。

(城ヶ崎さんマジ!? ……いや。まだ確定したわけじゃないけど)

 若干興奮しかけて、すぐに冷静になる。幾ら小説の主人公と名前が同じだからといって、イコールで繋がるとは限らないだろう。もしかしたら、単純に阿坂獅朗のファンという事も有り得るからだ。つまり、“この手帳は誰の物か”という疑問は全く解決していないわけである。
 となれば、こいつをどうするべきか。私が持っているわけにはいかないし、かと言って、このまま放置するのは良くない。やはり、補佐辺りに渡すのがベストな気がする。
 方針が決まったので、補佐を探そうとソファから立ち上がりかけた時、ふと、城ヶ崎さんがきょろきょろしながらこちらに歩いて来るのが見えた。何かを探しているようだ。え。これ、もしかしたら、もしかする? まさかと思いつつも、私は彼を呼び止めようとして──。

「阿坂さん!」

 盛大にやらかした。
 今の今まで考えていた事が仇になったのか、私の口から飛び出したのは、彼と同一人物かも定かではない、作家の名前だった。 
 最悪だ。本当に同一人物なら、手帳を盗み見たのはバレバレだし、違うならそれはそれで恥だ。正直、頭を抱えて叫びまくりたい衝動に駆られていたが、その所為で変人のレッテルを貼られたら人間として終わりである。何としてでも弁明しなくては‼

「すすすすみません。えと、あの、つい、興味本位で覗いてしまいましてッ! 読み進めている内に何か小説家の阿坂獅朗っぽい感じだなァとか思ったのでつい言ってしまっただけでしてッ! ……プライバシーを足蹴にするようなマネをしてしまい大変申し訳なくッッ!!」

 何言ってんだコイツは。
 今の自分の発言に対する、率直な感想である。内心頭を抱えた。
 私は基本、仕事でのピンチは経験を元にそつなくこなせるのだが、頭脳の許容範囲をオーバーするような、予想外の出来事は苦手だ。何なら、ティッシュペーパー、いやトイレットペーパーよりもっと弱い。
 というか、本当どうしよう。こんなの不審者じゃないか。絶対ドン引きされた。あ、やば、こっち来る。うあああ! この後どうすれば‼‼
 内心、パニックでてんてこ舞いな私の元へ、城ヶ崎さんが近付いて来る。アッ、終わった……。と、覚悟を決めた私の絶望に反して、城ヶ崎さんは手帳を一瞥すると、ほっ、としたように表情を緩めた。

「すまない。先程書き付けた後にうっかり忘れたものでね。見付けてくれてありがとう。探す手間が省けたよ」
「エ? アッ! いえ! こっちも、すぐに持ち主が見つかって良かったです……」

 手帳は、やはり彼の物だったらしい。それは良かったのだけど、……先程の失言に触れて来ない事が逆に怖い。どうせなら、きっぱり止めを刺してくれた方が、私にとっては楽なのだけど。
 だが、自ら薮蛇やぶへびになるような発言をする必要はない。口は災いの元。スルーされたなら、それで良いじゃないか。と、思い直して安心していると。

「それにしても、シホさんは、阿坂獅朗を理解しているようだ。私の作品を読んでくれているようで嬉しい限りだ」

 全然誤魔化せていなかった。そりゃ、そうか~。そうだよな~~!
 恥ずかしさのあまり、私は穴に埋まりたくなる。けれど、こうなってしまってはもう、取り繕うのは無理だ。私は諦めて、相手の話にのった。

「はい……。えと、馴れ初めは、ドラマで城ヶ崎シリーズを見出したのがきっかけで。そこから原作に興味が出て読み始めたんです。私、あまり本読むタチじゃないんですが、城ヶ崎シリーズだけはずっとリアタイで追ってました。だからその。手帳にあったシナリオとか見て、……もしかしてって思って」
「はは。“馴れ初め”か。そう言って貰えると、作家冥利に尽きるな。あれは、私の所謂デビュー作品というものだから、最も付き合いが長くてね。私としても、思い入れがあるんだよ」

 城ヶ崎さんは、そう言って穏やかに笑った。本当に、自分の作品を愛しているのだろう。その事に加えて、今、自分が有名作家と話しているという事実への気恥ずかしさもあって、何だかくすぐったいような気持ちになる。

「……それにしても、凄いですね。この手帳の中の重厚さ。あの、これ、もしかしてネタ帳だったりします?」

 私は興味本位でそう聞いて、すぐに後悔した。いくら超売れっ子作家を前にしたからといっても、流石に踏み込み過ぎだろ! 失礼に思われたらどうしよう‼ やっちゃってるぅ!!!!
 さらなる失言に、近くの柱にガンガン頭をぶつけたい私であったが、城ヶ崎さんは気にする事無く話してくれた。優しい……。

「そうだね。……もう、これで何冊目になるか。ここに書き付けた戯言の多くが、私の作品となって世間に放たれた。けれどもう、この手帳ももう、何年も更新出来ていないんだ」
「あの、……それって、もしかして」
「書けなくなってしまったのだよ。もう三十年近く筆を執って来たが、限界でね。文を紡ぐ事の出来ない自分には、もう作家としての価値はない。だから私は、自分の人生に終止符を打とうと決めた」
「…………それ程までに、大切なんですか? あなたにとって、“書く”という事は」
「大切なんてものじゃない。作家としての自分は、最早半身だ。今更失う事など考えられない。しかし、作家・阿坂獅朗は死んだ。もう、筆を手にしても何も表現出来ない、ただのじじいになろうとしている。それが、私には耐えられない」

 そう、きっぱりと言い切った城ヶ崎さんの瞳は、年齢を感じさせないほどに、強い光を。讃えていた。思い残す事は何もない、とでも言うかのように。
 きっと、彼の心はもう決まっているのだ。自分の限界に抗いながら駄作を生むより、過去の美しき作品の余韻を残したままこの世を去ろう、と。それは、私のような若輩者如きでは止められない、絶対的なものに感じた。
 私からすれば、書けなくなったのならすっぱり引退して、例えば、他の趣味を見つける等して、余生を楽しめば良いじゃないかと思う。
 しかし彼は、多くの人にその存在を知られた大作家だ。そういう問題ではないのだろう。多分、私では到底理解出来ない事なのだ。
 だが、それならそれで、私は疑問に思う事がある。だから私は、城ヶ崎さんの目を真っ直ぐ見据えながら、こう聞いたのだ。

「……一つ、聞いても良いですか?」



『皆様方~~~! 大変たいっへん長らくお待たしましたァ! これより、“イシュタムの祝福”を再開致しま~~す‼』

 ようやく、許可が出て入室したら、すぐにこれである。良い加減音量落としてくれ耳が死ぬ。
 再び絞首台に拘束された私は、改めてアカリと向き合う。相変わらず屈託ない笑顔だ。世間一般的にはカワイイ部類なんだろうなぁとは思うが、マジでボコボコに殴りたい。勿論、顔面を。
 足元に目をやると、そこにはもう、血の一滴すらなくなっていて、ここで死んだ者達の残滓を感じる事は出来なかった。あんなに、参加者が楽園行きになる事を望んでいるクセに、祝福された参加者に対して、扱いが軽い気がする。やっぱり、アカリは狂っている。
 私が物思いに耽っている間にも、ゲームは再開する。右側のテレビ画面ではアカリが消え、次に当てる英単語を表すマスが映し出された。

 □□□□□□□□□□□

ひぃふぅみぃ……十一字⁉)

 また長い単語が来たな、と思ったが、あまり関係ないのかもしれない。結局、十三回誤答をしたらアウトなのだから、長いも短いもない。この場所に来て、嫌という程思い知らされた。
 だから勝つ為には、死なない為には、二十六個のアルファベットから十一個を特定するしかない。それが、このゲームなのだから。

『ハイ、ではァ~、まずは、城ヶ崎様の番ですぅ!』

 アカリに指定された城ヶ崎さんは、落ち着いた様子で答えた。

「では、……“U”」
《ブブーッ》

 直後、鳴り響くのはブザー、つまり誤答だ。私の目の前で、左の画面に横線が書かれた。大丈夫。まだ一文字目だ。まだ大丈夫。次のクラゲちゃんの番に期待しよう。さぁ、クラゲちゃんはどう答える?
 私が見つめる先で、クラゲちゃんは相変わらずおどおどしながらも答えた。

「えと、“J”」
《ブブーッ》

 すると、再びブザーが鳴り、画面の横線から縦線が生えた。むむ、外れだ。でも、まだ大丈夫。慌てない慌てない。
 次は自分の番だ。私は深呼吸して気持ちを落ち着かせると、自分を鼓舞するようにはっきりと答えた。

「“I”!」
《ピンポーン》

 途端、正解を教える楽しそうな音が高らかに鳴った。よし、まずは一つ。死へのカウントもなしだ。私はすぐに、左のテレビ画面に映し出されているマスへと目を向ける。

 □□□□□□□□□I□

 クソッッッッッ‼‼‼
 脳内大絶叫。流石に本当に叫ぶ失態はしなかったが、落ち着いた筈の精神が大荒れとなる。何とか一文字開けたが、何文字目だ? …………十文字目か。後ろから見れば良かった。と、数え終えてから後悔した。
 ダメージを負った私の心を見捨てて、ゲームは進む。あっという間に二周目だ。再び回って来た自分の番に、城ヶ崎さんは眉一つ動かす事無く、冷静に答えた。

「“O”」
《ピンポーン》

 再び室内に響き渡る明るい音に、私はやった、と内心ではしゃいだ。これでまた、全員生存に一歩近付いた。さぁ、次は何処が開く? と思いながら、私は画面を見やると。

 □□□□O□□O□I□

(よっしゃ! 一度に二つ開いた‼)

 城ヶ崎さんのファインプレーに、私の心は踊る。やはり、母音から攻める人が増えると楽だ。何せ母音は、基本的に英単語の構成には欠かせないからだ。このまま、勢いに乗ってくれるど良いが、どうだろうか。
 さて次は、再びクラゲちゃんの番だ。

「じ、“G”!」
《ブブーッ》

 クラゲちゃんの解答後、響くブザー。つまり、外れだ。そして、この時点で、“I”の完成だ。女神の名まで、あと四文字か。あまり、うかうかしていられないようだ。
 なるべく早く、ケリを付けたいものだ。と思う中、二回目の私の番が回って来るだ。ここは、絶対に外すわけには行かない。私は、気合いを込めて解答する。

「“E”!」
《ブブーッ》

 しかし、意気込み虚しく、私の解答をブザーが否定する。畜生! しくじった‼ 画面に斜線が引かれるのを、私は苦々しく睨み付ける。
 だが、うじうじしている場合ではない。いつまでも引き摺っていたら、やられる。私は気持ちを切り替えて、次の自分の番に備える事にした。
 その間にもゲームは進み、三周目。やはり、人が少なくなると、進行が速い。そうなると必然、順番を待つ時間が短くなる為、答えをじっくり推理するヒマがなくなるのが難点だ。こういう時こそ、より落ち着いて考えなければいけない。
 そんな中、城ヶ崎さんの三回目の解答だ。果たして結果は。

「“A”」
《ピンポーン》

 またも正解の音が高らかに響く。二回目のファインプレーだ。城ヶ崎さん、凄い。彼に感謝しながらも、私はすかさず、画面に注目する。さぁて、どうだ?

 □□□□O□□O□IA

(最後が“IA”か……)

 そう考えた時、すぐに出て来たのは、“オーストラリア”と“オーストリア”だった。しかし、たしかどちらも“O”の位置が合わないので除外。違ったようだ。仕方ない。次の正答でヒントが得られる事に期待するしかない。クラゲちゃん、頼むぞ。
 と、知らぬ内に、私からの膨大な期待を背負わされたクラゲちゃんが、答える。当の本人は、祈るように手を組んだまま、俯き加減に口を開いた。

「“V”」
《ブブーッ》

 クラゲちゃんの声に被さるように鳴るブザー。また外れた。画面上にもう一つ斜線が引かれ、“X”を形作る。女神の名まで、あと三文字。けれど、焦ってはいけない。冷静さを欠くと、人はとんでもない行動を起こすものだ。落ち着け落ち着け。次は、私の番だ。
 さぁ、何と答える? 現時点の開き具合から、英単語を予想するのは難しい。なら、比較的英単語に使われやすいアルファベットを答えておこう。
 だから、今回の私の答えは。

「“T”!」
《ピンポーン》

 その音が鳴った瞬間、私は賭けに勝った事を理解した。OKOK。ひとまず当てたぞ。と、嬉しさのあまり、思わずニヤけそうになったので、こっそりと腕を抓った。何度も言うが、自分の思惑がバレてはいけないのだ。
 意図して残念がる表情を作りつつ、私は内心わくわくしながら、開いたマスの位置を確認した。

 T□□□O□□O□IA

(一文字目が“T”……。先頭タ行か……?)

 そう考えかけるが、“THE”の存在を思い出し、一概に決め付けられないな、と思い直した。しかし、一番目の文字が判明したのは大きい。これで少しは選択肢が狭まった……筈。
 いやいや。弱気になってはいけない。例え雀の涙並みの範囲だとしても、ゼロよりはずっとマシなのだから。沈みかけた心を叱咤して、私は気持ちを切り替える。今は兎に角、正解を探る事に集中しなくては。
 室内の雰囲気に、呑まれては駄目だ。落ち着いて、答えよう。大丈夫。まだ、三文字分の猶予があるから。今回こそ、皆で生き残れる。
 そう、思ったのも束の間。その後が、問題だった。

「“D”」
《ブブーッ》

 続く四周目。城ヶ崎さんの解答を嘲笑うかのように、ブザーが鳴る。瞬間、画面に映る“X”の隣に、横線が書き足された。

「ぜ、“Z”」
《ブブーッ》

 どもりがちに解答したクラゲちゃんに、浴びせられるブザー。画面上では、更に縦線が書き加えられて“T”が出来上がる。女神の名まで、あと二文字。そろそろ、後がなくなって来た。
 ここいらでマスを開けないと、本格的にまずい。しかし、正解の英単語に見当がつかない。だから、現時点で出来る事は、勘で答えるのみだ。如何せん、情報が少な過ぎる。
 私は、意を決して答えた。頼む。当たってくれ。

「“K”」
《ブブーッ》

 しかし、鳴り響くは、三連続目のブザーだ。あぁ。外したのか……。失意に挫けそうになる私の目の前で、斜線が引かれる。“A”の一画目だ。間違いが許されるのは、……あと何回? もう、そんな簡単な計算でさえすぐに出来なくなるほど、頭の回転に余裕がないのだ。
 そして、ゲームは五周目へと入る。まずは、城ヶ崎さんの番だ。

「ふむ、……“N”」
《ブブーッ》

 考える素振りを見せながらの解答後、ブザーが鳴り、斜線が追加されて“∧”を形作る。次は、クラゲちゃんの番。

「え、と。どうしよう。……“W”」
《ブブーッ》

 迷いながら解答したクラゲちゃんに、ブザーが降りかかる。その音にびくりと肩を震わせた彼女を尻目に、画面上では“A”が完成した。女神の名まで、あと一文字。迫り来る焦燥感に、息が止まりそうになる。
 そうこうしている間に、私の番が回って来た。だが、咄嗟にアルファベットが出て来ず、一瞬詰まってしまう。やばい。あと、何残っている? 焦った私は、取り敢えず頭に浮かんだアルファベットを口にした。

「え、と、“B”!」

 答えてから、私は激しく後悔する。何も考えていない上での解答なんて。もう後がないのに、何て事……。己の愚行を嘆くしかない私の耳に、届いたのは。

《ピンポーン》
(え? )

 それは、答えを当てた事を意味する音だった。やった! 当たった! 危なかった‼ 間一髪、正解を叩き出せた事に、私は一歩遅れて歓喜する。良かった。本当に良かった。ほっと息を吐く間もなく、私は画面を確認する。

 T□□□O□□OBIA

 これは、“~【オ行】+ビア”って事になる、のか?
 私は、ようやくある程度読めるようになった末尾について考えを巡らせるが、……ちっともピンと来ない。出来れば、先頭側について、もう少しヒントが欲しいところだ。
 しかし、贅沢を言っている場合ではないのも事実。何せもう、気軽にお手付き出来る時は、既に過ぎている。だからこそ、今、判明しているヒントから、何としてでも正解を導き出さなくては。
 と、意気込んだ私だが、ゲームはとうとう六周目。既に疲労と緊張で心が擦り切れ始めていた。だがそれでも、ゲームが終わる事はない。正解するか、誰かが首を吊るか、二つに一つだ。そんな極限状態の中、城ヶ崎さんが冷静に答える。

「“S”」
《ブブーッ》

 すぐにブザーが鳴り、画面には“A”の隣に縦線が添えられる。女神の名まで、あと二画。あぁ、何で。何で毎回毎回生死の瀬戸際まで追い詰められるのだろう。
 いや。まだ諦めてはいけない。諦めたらそこで試合終了。人生で何度も何度も言い聞かせて来たじゃないか。ひとまずは、クラゲちゃんの解答を聞こう。話は、それからだ。
 そんな、クラゲちゃんの解答の結果は。

「ぴ、“P”で」
《ピンポーン》

 よし! 正解! 正解‼ 正解‼! クラゲちゃん、良くやった。
 ギリギリの所で当てたクラゲちゃんの功績を、私は心から称賛した。更に私は、彼女のファインプレーを、急いで目を向けた画面の向こうで知る事となる。

 T□□POP□OBIA

 凄い! 二マス開いているじゃないか! クラゲちゃん、本当に偉い‼ この状況で二マス開くのは、かなりラッキーな事だ。ありがとうクラゲちゃん。あとは、このチャンスを生かして──。
 その時、ふと思い出したのは、ゲーム再開前の、城ヶ崎さんの言葉だった。
 作家としての人生を失った自分に価値はないと。
 作家でも何でもない存在になる事は耐えられないと。
 そう、言い切った彼。
 ただの人になるくらいなら、作家として全てを終わらせる事を望む。そんな人からしたら、私の行動は、エゴにしかならないのではないか……?
 城ヶ崎さんだけではない。クラゲちゃんも、現実に生きる事が辛くなってこの場所に来たのかもしれない。「死にたい」と叫ぶ者に、生きるよう仕向ける事に、意味はあるのだろうか……。

『シホ様ァ~? どぉされマシタかァ~? シホ様の番でございますよォ~~~?』

 いやに間延びした声にハッとすると、その場に居合わせている全員の視線が注がれていた。やだ私、注目の的。何てボケかましている場合ではない。どうやら、少しばかり物思いにふけり、ゲーム進行を止めてしまったようだ。私は慌てて弁明する。

「あ。ごめんごめん! ……ちょっと、ぼんやりしちゃっただけなんで‼」
『大丈夫でございますかァ? もし、お辛いのでしたらァ、奥に仮眠室がありますので、ご利用なさって頂いても結構ですよォ。ですが、今はゲーム中ですので、終了後にお願いしますねェ』

 ふざけるな絶対使わない。
 アカリのいらない気遣いを無視して、私は気持ちを切り替える。
 確かに、私のしている事はお節介かもしれないし、余計な事かもしれない。けれど、自ら命を断とうなんてトチ狂った考えなんて、私には判りっこない。それに、私は死にたくないし、二人にも死んでほしくない。
 だから、全員生き延びる為に、戦う。それが、私の信念だ!

「“M”!」

 一瞬降りかかった暗い想いを跳ね除け、私は力強く答えた。しかし。

《ブブーッ》

 間髪入れず鳴り響いたブザーは、嘲笑うように私の想いを否定する。外した? この、大事な局面で?
 許されぬ失態。画面上に加えられる曲線。女神の名まで、あと、一画。迫り来る窮地に、私は手先が冷えて行くのを感じた。そして、同時に気付いてしまった。
 空きかけの単語の「P□OBIA」が「PHOBIA(恐怖症)」ではないかという事に。

(言うべきアルファベットは、“H”だったんじゃ……)

 答える前に気付いていれば、と思ったところで後の祭り。後悔先に立たず。結果的に私は、解答猶予を潰した。どう足掻いても、どうにもなりはしない。次に間違えれば、誰かが死ぬ。そんな中ついに、ゲームは七周目へと突入する。そして、次の解答者は。

「……ふむ」

 順番の回って来た城ヶ崎さんは、顎に手をやりながら考えるポーズをしている。いやに、冷静な素振りだ。本当に、心が決まっているのだろう。面構えが違う。

『どぉされマシタァ~? 城ヶ崎様~?』
「いや。楽しいゲームも終わってしまうのだな、と思ってね」
『そォとは限りませんよォ。城ヶ崎様が正しいアルファベットをお答えすれば、ゲームは続行されるのですからァ』
「……はは。確かに。けれど、確信を持って答えられない以上、終わる確率の方が高いと思うのだが」

 私は判ってしまった。城ヶ崎さんが、正答の見当が付いていない事に。それはつまり、城ヶ崎さんは勘でこのピンチを乗り越えなくてはならないという事だ。なら私は、伝えるべきではないのか。英単語に含まれている可能性の高いアルファベットは“H”であると。
 だが、例え伝えたとしても、まだ開かなくてはならないアルファベットは二つある。私は先程、答えは“PHOBIA”ではないかと予想したが、その前に入る残り二つのアルファベットまでは予測出来ていないのだ。
 だからもし、城ヶ崎さんが“H”と答える事が出来ても、状況は変わらない。彼は助かるだろうけれども、その次にクラゲちゃんか、或いは私が死ぬ可能性だってある。つまり、この時点で、私達はほぼ詰んでしまっているのだ。
 手助けしたいのに、何も手が打てないという無力さ。その悔しさを、虚しさを、今日一日だけでどれだけ味わったのだろう。こんなの、あんまりだ。涙を堪え、打ち震える私は、それでも城ヶ崎さんを待ち構える運命を、止める事は出来ない。

『さァさ、城ヶ崎様。どうぞ、お答え下さいませ』
「そうさせて貰おうか。…………“L”」
《ブブーッ》

 城ヶ崎さんが答えた瞬間、けたたましいブザーを追うようにガコンッと腹に響くような低音が響く。すぐ隣にいた筈の人が、地下に吸い込まれて行く感覚は、何度だって慣れるわけがない。
 キィ、キィ、と人一人の身体の揺れる音が、精神を掻き乱す。ふと右隣を見ると、クラゲちゃんがぎゅ、と目を瞑り、両耳を塞いでいた。
 その間にも、補佐達は城ヶ崎さんの遺体を引き上げ、さっさと絞首台を回収して行った。相変わらず、無駄のない動きだ。ここまで来るともう、舌を巻くしかない。
 また、駄目だった。悲しみに打ちひしがれた私は俯いて、何かを発見した。

(これ、城ヶ崎さんの……!)

 見間違えようがない。五回戦開始前に見た、城ヶ崎さんの手帳が、見開いた状態のまま落ちていた。しかしそれは、持ち主が運ばれる際に轢かれたのか、ページがぐちゃぐちゃになっている。
 途端、言い様のない怒りが込み上げて来た。それは、城ヶ崎さんと、彼の作家人生の冒涜だ。
 私は勢いのままに飛び出そうとして、首のロープに阻まれる。皮膚の表面を擦る痛みに舌打ちしながら、繋がれながら吠えまくる犬の気持ちを味わった。

『おめでとうございます城ヶ崎様! イシュタム様は貴方様を楽園行きに相応しい方だとお認めになりました! ちなみに、先程の答えは“T-R-Y-P-O-P-H-O-B-I-A”……Trypophobia(集合体恐怖症)でした!』

 歯噛みする私の前で、画面ではアカリが楽しそうに正解発表する。やはり私の予想通り、答えは恐怖症の一つで。だが、普通だったらこんなマイナーな英単語、出て来るわけがない。理不尽なチョイスに、私は更に怒りに駆られる。
 しかし、ここは集団自殺の場。あえて、答えるのが難しい単語を出題して、高確率で参加者を首吊りにするというスタンスなのだろう。それでも、納得出来るかはまた別の話だ。
 私は、ゲーム開始前にした、城ヶ崎さんとのやり取りを思い出す。作家としての自分に終止符を打つと決めていた、彼。その彼の行動に、私は一つ引っかかりを覚えた。
 城ヶ崎さんは、ゲームの途中から母音攻めをしていた。私の戦法と同じだ。死ぬわけには行かない私とは違い、死を望む彼が何故、そうしたのか。気になった私は、思い切って聞いてみたのだ。
 本当は生きたいから、生き残りやすい戦法を取るのか、と。
 それに対して、彼が答えたのは。

「最初はさっさと死んでも良いと思っていたが、だんだん、少しでも長く、ゲームを楽しみたいと思うようになってね。不謹慎に感じるかもしれないが、……こんなに面白いシチュエーション、作家として無視出来なかった。自分が書くのはもう無理だが、……いつか、才能ある若者に手帳これを譲れたら、と。だからこれは、未来への投資なのだろうな」

 そう語る城ヶ崎さんはやはり、何処までも作家なのだ。
 何だかんだ言っても、彼は彼以外にはなれないのだと感じて、私はやはりこの人には生きていてほしい。そう改めて思ったのだった。

「また、イシュタム様が救済を与えて下さいましたねェ」

 と、にっこにこの笑顔でアカリが言う。その無邪気な表情が却って私の心を逆撫でする。何で、こいつを殴れないんだろう。繋がれていなかったら、間違いなく顔面をヘコませている。
 しかし、ここで我を失ってはいけない。何せ、ゲームはまだ続いているのだ。今は冷静になって、次のゲームに備えようと思う。そして最後にはアカリを殴る。
 ひとまず私は、深呼吸して目を閉じる。頭をクリーンな状態すれば、怒りもクールダウンするだろう。そうして視界をシャットアウトして余計な事を頭から追い出し、再び目を開く。……うん。何か落ち着いて来た気がする。よし。何とか大丈夫そうだ。さぁ! どんと来い‼

『それではァ、次のゲーム、行っきますよォー!』

 アカリがパチンッと指を鳴らすと、画面上に次のマスが現れた、のだが。

(えっ?)

 予想外の問題が出て来て、私は困惑する。何故なら、画面に映されたマスというのが。

 □□□

(三文字……? エッ⁉ 三文字?? マジか???)

 思わず、声が漏れそうになってしまったが、何とか耐えた。しかし、これは……。
 嘘だろ。さっき十一文字出した後にコレ??? もしかしてナメられてる???
 脳内に疑問が溢れ出し、混乱の渦から逃れられそうにない。隣を見ると、クラゲちゃんを目をかっ開いて画面を見つめている。今、ようやく二人の心が一つになれたのか。いやここでなってもな。
 だが、私達の心を置き去りにしてゲームはスタートする。こうなってしまったら仕方ない。私はすぐに頭を切り替え、問題に向き合う。まずは、クラゲちゃんの番だ。

「“J”」
《ブブーッ》

 クラゲちゃんが、真剣な面持ちで答える。しかし、程無くして鳴り響くブザーに、外れた事を私は聡った。しかし、うじうじしている場合ではない。ここは、勢いを殺さないよう、スピーディーにやれ! 次は、私の番だ。

「“A”!」
《ブブーッ》

 私は力強く解答したが、すぐにブザーが鳴った。外した!
 一手目が駄目だった事にショックを受けるが、諦めるには早過ぎる。次に賭けよう。頼むぜ、クラゲちゃん!

「“T”」
《ブブーッ》

 そんなクラゲちゃんの、二度目の解答。結果は、……これも外れたか。あっという間に、画面上に“I”が出来上がる。三回連続不正解という状況に、私の心に焦りが出始める。いや。まだだ。ここで、踏ん張らないと。
 そう思った私は、心を落ち着かせるために再び深呼吸する。すー……。はー……。すー……。はー……。……よし。OK。来やがれ、私の番!

「“I”!」
《ブブーッ》

 結果は、鳴り響くブザー。失敗。

(クッッッッッソ‼‼‼)

 続く誤答に、内心で悪態をつく。理性がなかったら勢いのままに叫んでいたかもしれない。ほんの数分前の深呼吸がまるで意味をなさない。流石、二十六分の三。全く当たる気がしない。
 けれど、大丈夫。まだ、軌道に乗っていないだけだ。そうだとも。ここからきっと、立て直せるさ! 大丈夫大丈夫。まだ余裕だ。落ち着いて行こう。
 私は自分を宥めながら、次に期待する。というより、するしかない。だが、現実はあっという間に三周目に入っていた。次はまた、クラゲちゃんの番だ。

「“L”」
《ブブーッ》

 クラゲちゃんが答えると、またもやブザーが鳴る。失敗だ。あれ? たかだかアルファベット三個当てるのって、こんなに難しいの?
 私は困惑しながら、画面上に映る“I”と“X”を見つめる。もう、二文字目まで来てしまった。着々と近付く死の足音が聞こえて来るようだ。
 ごくり、と自分が唾を飲み込む音が、いやに明白に響く気がした。だが、ぼやぼやしている時間はない。私は回って来た自分の番に、はっきりと答えを言う。

「“E”」
《ブブーッ》

 またも鳴るブザーに、私はそろそろ泣きそうになる。答えても答えても当てられないもどかしさに、押し潰されてしまいそうだ。いやこれ、本当に正解ある? 二十六文字答えても全部外れとか言ったりしない?
 だんだん不安になって、ありもしない妄想に囚われて行く。駄目だ駄目だ駄目だ。冷静に、ならないと。正解が三文字だから、なかなか引っかからないだけだ。そうとも! そうに違いない‼
 私は罅割れて行く心を必死で叱咤する。そうでもしないと、本格的に発狂しそうだった。こんなに、当たらないものなのかと。もしかしたら、当てられないのではないかと。悪い予感に追い詰められてしまう。大丈夫。次こそ、次こそ当たる筈だ。大丈夫、大丈夫……!
 己を鼓舞する事で、不安になる心を誤魔化すが、正直、精神的にやばかった。朝から積み重なり続けたストレスが、徐々に心を蝕んでいるのだろう。せめて、せめてこの辺りで一マス開いて貰わないと。
 そう思いながら、私は、未だ無地を決め込む三つのマスを睨み付けた。しかし、現実は私の願いを容易く打ち砕く。

「“W”」
《ブブーッ》
「“O”」
《ブブーッ》

 続く四周目。クラゲちゃんと私が、悉く外す展開は最悪だった。画面上には“IXT”の三文字と、“A”の一画目にあたる斜線が映っている。まずい。非常にまずい。まだ、一文字も開けていないのに、この進行なんて。
 急激に胃が痛くなって来て、吐き気が込み上げて来るのを感じた。こんなところで嘔吐など一生の恥だが、抑えきれる自信がないのも確かだった。

(このままじゃ、私かクラゲちゃんが、……死ぬ)

 何とかしないといけないのに、何にも出来ていない状況に、頭がパニックになりそうだ。それでも、思考を止めるわけには行かない。こんなところでパスなんかして、もしペナルティとして画数が増えたりしたらどうにもならない。そもそも、このゲーム自体にパスがあるのかも判らないが。
 いや、出来るか確証のないパスに期待するのは止めよう。今は取り敢えず、一つでも正解を開く事を考えなくてはいけない。次は、五周目だ。そう、私が気合を入れた時、奇跡が起きた。

「“G”」
《ピンポーン》

 クラゲちゃんが答えた瞬間、久しぶりにブザー以外の音が鳴った。ようやく、ようやく当たったのだ。
 あぁ! まさにこれは蜘蛛の糸。地獄を思わせるような黒く淀んだ私の心に、一筋の光がようだ。そうかクラゲちゃん。君がお釈迦様か。
 ならば、私も応えなくてはならない。偶然かもしれないが、クラゲちゃんが開いてくれたこの活路、無駄にするわけには行かない。私は気を引き締めて、自分の番に挑む。

「“U”!」
《ピンポーン》

 私が答えると、まるで祝福するかのように響く正解の音。これも、当たりだ。ずっと待ち望んでいた正解が、二連続も。嬉しくないわけがない。
 顔がニヤけるのを必死に抑えながらも、私は内心踊り出したい気持ちだった。そして、そのウキウキの気分のまま、私は画面を見上げだ。その結果はというと。

 G□U

 いや何よコレ???
 正直な感想がそれだった。三文字中二文字開いた筈なのに、何も判らない不思議。この後、どう攻めたら良いのだろう。誰だ三文字の問題出すなんてナメてるとか思った奴。私だ。さっきもあったよなこの流れ。良い加減学習しろ。
 しかし、英単語が予測出来ない上、先程の解答で、母音は出し切った以上、虱潰しに探るしかもう手立てはない。あとは、クラゲちゃんが当ててくれる事を祈るくらいか。何て、楽観的に考えた自分を、数分後には殴り飛ばしたくなるのだが。

「“S”」
《ブブーッ》
「“M”」
《ブブーッ》
「“C”」
《ブブーッ》
「“D”」
《ブブーッ》

 二人で交互に答える度に、ブザーが鳴り響く。途中で、答える事でブザーがなるシステムなんじゃないかと錯覚してしまうくらいの鳴り様だ。その頃には、己の胃が悲鳴を上げていた。
 私達は戦った。戦って、連敗したのだ。画面には“IXTA”の四文字と“B”完成一歩手前の記号が並ぶ、何度経験したか判らないパターンが映っている。この時点で、もう私に打つ手はなくなった。
 何故なら、次はクラゲちゃんの番だからだ。せめて、その前に私が当てられていれば、彼女を危険に晒す事はなかったのに。けれど、今それを言っても意味はない。こうなってしまっては、クラゲちゃんが自分で正解しないといけないのだ。
 そこまで考えて、私は思う。クラゲちゃんはまだ、死にたいのだろうかと。もしそうなら、彼女は何も考えず、ただ適当に答えるだろう。まぁ、今の状況ではあまり変わらないのかもしれないが。
 それでも、クラゲちゃんはまだ学生だ。この先も生きてほしいと願うのは、エゴでしかないのだろうか。悶々とする私を置いて、クラゲちゃんが最後の解答をする。
 頼む! 頼む‼ 頼む!!! どうか、正解して……。

「“N”」
《ピンポーン》
 
 俯き祈る私の耳に、正解した事を伝える音が鳴り響く。瞬間、私は、クラゲちゃんが無事生き残れた事を悟った。安心したあまり、その場にくずおれそうになるが、何とか耐えた。
 ふと、クラゲちゃんの方に目を向けると、驚いたような、或いは残念がるような何とも言えない表情を浮かべている。恐らく、彼女もまさかこの状況でクリア出来ると思っていなかったのだろう。本当に、九死に一生を得たのだと、改めて実感した。

残念ざァんねん! どうやら当ててしまわれたようですよォクラゲ様ァ。今回の答えは“G-N-U”……Gnu(ヌー)でございます。あ、判らない方に説明致しますと、ヌーとは哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科のヌー属に属する動物の総称ですね。アフリカ大陸南部に生息しているそうですよ。(Wikipediaより引用)』

 せっかく、生きている事の喜びに浸っていたところに、アカリが水をさして来る。ヌーには悪いが、今は心底どうでも良い。そんな空気を読まないヤツに、私は冷たく返した。

「そうですか。不要な解説どうも」
『ですがですがァ! イシュタム様は必ず! お二方を楽園へ導いて下さいますので、楽しんで行きましょう! 大丈夫。問題も時間もたッッぷりありますからねッ!』
「聞けよオイ」

 駄目だ。コイツやっぱり、私達とは文明が違うのかもしれない。関わるのも何だか馬鹿らしくなり、早々に対話を諦めた。そんな私に、再び補佐が数人近付いて来る。

『ではァ、ここで再び三十分の休憩に入ります。 危ないですので、建物からは出て行かないようご注意願います。ラミさん、お願いしますね』

 アカリがそう言うと、てきぱきとクラゲちゃんの拘束を外していた補佐の内の一人が、軽くお辞儀をした。ラミさんは、ちらりと私を一瞥し、拘束から解放された事を確認すると、動作だけで【祝福の間】を出るよう促す。私はそれに従おうと一歩踏み出しかけて、──立ち止まった。

「あの、ちょっとだけ待って下さい」

 私は、ラミさんに一言声をかけてから、会場を掃除していた補佐の一人に近付き、声をかけた。

「すいません。それ、良ければ頂いてもよろしいですか?」

 私がそう聞くと、その補佐は手にしていたそれを快く渡してくれた。優しい人だ。幸い、借りているワンピースにはポケットが二つあった為、手帳は、ロケットが入っている方とは逆のそこに入れた。私はすぐに礼を言うと、足早にラミさん達の元へ向かう。
 私が手にしたかったもの。それは、城ヶ崎さんの手帳だ。
 持ち主の死後も、ずっと床に放置されていたそれは、謂わば城ヶ崎さんがこの世で生きた証で、未来に残すべき財産だ。だからこそ、そのまま処分されるのは耐えられなかったのだ。まさか、あんなにあっさりと譲って貰えるとは思わなかったけれど。

「お待たせしました。行きましょうか」

 何も気にしていない素振りで、私はラミさんに言う。本当は、彼ら補佐にも、アカリにも言いたい事は山程あるが、恐らく無駄足だろう。私はもう、“ヤシュチェの木陰”には何も期待していなかった。
 ポケットに感じるずしりとした重みは、作家・阿坂獅朗の残した財産だ。こんな陰気な場所に埋もれさせて良いわけがない。

(この手帳は、きちんとした形で表に出るべきだ)

 ここから脱出したら、すぐに何処かの出版社に駆け込もう。正直、世間では失踪扱いになるだろう阿坂獅朗の、死を知らせるメッセンジャーになるのは辛い。
 けれども、手帳に眠るアイデアさえあれば、せめて遺作として最期の作品が出せるかもしれない。そうなれば、……そうなれば、城ヶ崎さんは、その生を終える最期の瞬間まで、作家であったのだと、言えるのではないだろうか。

(だから、何としてでも生きる! 生きて、世に伝えるんだ。……阿坂獅朗という、何処までも小説に貪欲だった作家の執念を)

 そして、その為にも必ず、妹の失踪の真相を掴んでやる。
 新たな決意と生きる理由を胸に、私は【祝福の間】を後にした。
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