イシュタムの祝福

石瀬妃嘉里

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序章

楽園を目指して

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※※※

 ポッカリ月が出ましたら、なんて一文がサラリと脳裏をよぎる。それくらい、今夜の月は見事だ。と私、佐倉さくら志帆しほはぼんやり思った。
 あれは確か、中原中也の詩だったか。学生時代に習ってから、幾年か経っているというのに、良く覚えていたものだなぁ、と我ながら感心する。まぁ、これから乗るのは舟ではないのだけれど。
 目の前に止まっているバスに目を向ける。バスと言っても、普段利用するようなそれよりも小型だから、マイクロバスだろう。フロントガラスを除く全ての窓には、スモークが貼られており、絶対に道のりは知らせない、という強い意志がそこにあった。
 とうとう、ここまで来たのだ。緊張感のあまり、私は、胸元を飾るロケットを、ぐっ、と握り込む。
 白のブラウスから覗く、銀の鎖の繋ぐ先。イルカのチャームの付いたそれは、僅か二センチ程の大きさしかない。そこに収まっているのは、私のかけがえのない宝物だ。

(大丈夫。絶対に、上手くやってみせる)

 自動で引き戸の如く開いたドアに導かれるままに、私は意を決したようにステップに足をかけた。


 私が乗車して間もなく、バスは走り出す。最後尾にいたのだから当然だが。
 車内は既にほぼ満席となっていた。乗客は、自分を入れて八人。あとは、何の特徴も無いありふれたスーツ姿の運転手だけだった。
 さぁ、何処に座ろう、と車内をぐるりと見回した先、一番後ろの、通路側の座席が空いている。丁度良い、と思った私はそこへ向かうと、奥に座っている、スマホを操作する女性に一言声をかけた。

「隣、失礼します」
「どうぞー」

 私の声を受けた彼女は、スマホから顔を上げる事無く言った。ちゃんと聞いているのかな、と疑いつつも隣に座る。バッグを膝の上に乗せ、ようやく落ち着いたところで、私は隣の席にちらりと目をやる。 
 さて、彼女は誰だろう。
 今回、参加するメンバーは、私〘シホ〙を除くと〘アイコ〙〘UTA〙〘クラゲ〙〘城ヶ崎じょうがさき〙〘ユーイチ〙〘ゆかりん✩〙〘ヨシカゲ〙の七人。内、女性は〘アイコ〙〘UTA〙〘クラゲ〙〘ゆかりん✩〙だから、この四人の誰かなのだろう。
 それにしても、随分快活そうな女性だな、と思った。明るい茶髪と派手めな化粧。着ているブルーのワンピースは目の覚めるような色彩で、可愛らしい花を幾つも咲かせている。……とても、このバスに乗るような人物とは思えないくらいだ。
 少し気にはなったが、あまりジロジロ見るのは失礼だ。やはり、名前を聞くのは目的地むこうに着いてからにしよう。そう決めた私は、女性から目を離す。
 座席に身を預け、ほ、と一息吐いた時、不意にくだんの彼女がスマホから顔を上げた。すると、まるで電撃でも喰らったかのようにびくりと肩を震わせる。やはり、先程私に返したのは生返事で、隣に誰か座った事にも気付いていなかったのだろう。ケータイあるあるだ。

「おぉぉ……。綺麗キレーなお姉様だぁ。全ッ然気付かなかったぁ……」

 こんにちは、じゃないや。こんばんはだ。と言いながら、女性はスマホをハンドバッグに突っ込み、私に謝罪する。
 見たところ、私よりは年下だろう。口調は砕けているが、不快感はない。恐らく、彼女の持つキャラクターならではの魅力あってこそのもののようだ。少し、羨ましい気もする。

「あ、アタシ、ゆかりん✩って言います。よろしくです」
「お、あなたがゆかりん✩さんか。私はシホです。よろしく」

 私が名乗ると、彼女は、まるでアイドルでも見たようにきゃあぁ、と黄色い声を上げる。思っていた以上に好印象だ。
 動揺して心が震えるのを隠し、何とかスマートな笑顔を貼り付けながら、大人としての最低限の挨拶を返した。

「ていうか、シホさんって事は、確か二十七ですよね? やっぱりお姉様だ! じゃあ呼び方はシホ“さん”だな。OKです。あ、アタシの事は呼び捨てでも何でも結構ですので!」
「いやいや。そこはきちんとするよ。じゃあ、ゆかりん✩ちゃんって呼ばせて貰うね」

 私がそう言うと、ゆかりん✩ちゃんは、「了解りょーかいでっす!」と言いながら、あざとく敬礼した。

「それにしても、シホさん話してる感じバリキャリのデキる女っぽいなー、って思ってたけど、想像通り! しかもこんな美人なんてー‼」
「私はゆかりん✩ちゃん、勝手にパリピ系だと思ってたから、意外と普通の若者でびっくりしてる」
「…………アタシ、どんなイメージ持たれてます?」
「何か、もっとラメとかでギラギラしてると思ってた」
「流石に、そこまではっちゃけてないですよォ!!」

 私の言葉を受けて、きゃはははと愛想良く笑うゆかりん✩ちゃん。何だか彼女といると、嫌な気持ちもすうっと晴れて行くようだ。
 それにしても、自分より若い子がこのバスに乗り込んでいるなんて、世も末だ。ここにいる以上、彼女もまた、人生を諦めてしまったという事なるのだから。何故なら。
 このバスが向かうは、終焉の地。
 乗客は、この世に絶望した、自殺志願者達だ。



 “ヤシュチェの木陰”という、いわゆる自殺系サイトがある。そのサイトでは、自殺を考えている相談者達が集まり、交流していた。互いに悩みや不安を語り合う内、私達はいつの間にか友になっていた。
 たとえ素性は知らなくても、心で判り合える細やかな喜び。日常では語る事の出来ない、己の弱い部分をさらけ出せる存在は、いつしか私にとって、大切な存在となっていった。
 そんなある日、サイトの管理者から、集団自殺パーティ開催なるお知らせが届いたのだ。【8/13(土) AM 1:00】という日時と、バスが来る事。そして、バスが停車する場所の地図を一緒に添えて。
 つまり彼らは、自らの意志で己の人生に幕引きするために、この場所にいる。──私を除いて。
 パンツのポケットに手を入れ、紙片を掴む。何度も何度も読み返して、くしゃくしゃになった手紙だ。
 美帆みほ。十年前に突然、自殺を仄めかす手紙を残して失踪した、何にも変えられない、私の双子の妹。「探さないで欲しい」だなんて、月並みな言葉で納得出来るわけがない。そんな陳腐な言葉の羅列だけで、前触れ無く大切な存在を失った理不尽を、許せる筈がないのだ。
 手紙を受け取ったあの日から、私は真実を得る為に只管ひたすら情報を集めて、そうして、ようやく手がかりを掴んだのだ。

(今から向かう場所に、妹を奪った元凶がいる。絶対に、本当の事を吐かせてみせる……!)

 これから、集団自殺を企む危険地帯に乗り込むというのに、不思議と恐怖はなかった。自分の身に何か恐ろしいものが降りかかる可能性が高いのに、それでも心は穏やかだ。だって。
 片割れがいなくなってから、ずっと止まっていた私の時間は、ようやっと動き出したのだから。
 ようこそ。最果ての地へ。そんなくだらない歓迎の言葉が、冗談を言われたみたいに頭を掠める。
 馬鹿だなぁ、と自嘲する私を乗せて、バスは進む。楽園に近いという場所を目指して。
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