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第三章 軍師
第三章 軍師(1)
しおりを挟む翌早朝、清太達四人は二手に分かれて、嘉平屋敷を出立する。
清太と弥蔵は、
―織田信長の家臣であり、羽柴秀吉の寄騎である竹中重治の耳目になって働く。
という峡の仕事に就くため、近江長浜に向かう。亥介と総馬は兎吉と宝剣を探索するため、洛中に出張る。それぞれが自分達の居場所や状況について飛脚などに託し、嘉平屋敷に届けることになっている。
清太と弥蔵は大原から北へ伸びる朽木街道を進む。暫く行くと、細い街道の右側に繁茂する樹林の密度が低下し、樹間から琵琶湖とその湖上に点々と浮かぶ帆船、そして、畿内有数の穀倉地帯近江平野が垣間見え、さらに霞の向こうには信長が築いた安土城が遠望できる。
二人は朽木街道を東に外れ、湖港堅田へと向かう。琵琶湖の東西両岸から陸地が迫り出した狭窄地形の西側にある堅田は遥遠に広がる琵琶湖の北湖と南湖の境界に位置する湖上交通の要衝である。日本海の海産物をはじめ北国諸国で採れた物産は敦賀で荷揚げされ、北国街道を通って近江長浜など北近江の港市に陸送され、そこで再び船積みされて湖面を渡り、南近江の堅田や大津に集積されたあと、畿内に配送される。京近江周辺が安定的に織田勢力の治下となって以降、琵琶湖周辺の物流はこれまで以上の活況を呈し、琵琶湖水運の一翼を担う堅田衆の本拠堅田も往時の繁栄を取り戻している。
清太と弥蔵は運良く出発間際の便船を見つけて、飛び乗る。
帆が風を孕み、船は滑るように静かな湖面を進む。
船が安土城を真横に見上げる位置に来る。
「燦々と輝くように煌びやかな城だな。」
清太は、想像を遙かに超越した安土城の巨大と壮麗に、目を見張る。
安土城が右舷から背後に移動すると、湖東の田園地帯が広がり、さらに北上すれば、近江長浜に至る。
秀吉は、天正元年(一五七三)に浅井久政・長政父子討伐の恩賞として、信長から浅井氏の旧領である北近江一帯を拝領すると、「今浜」と呼ばれていたこの土地を「長浜」に改名して、早速、長浜城の築城に着手した。
清太と弥蔵が長浜を訪れたこの時期、長浜城は既に竣工していたが、城下では未だにそこかしこで木挽きや槌音が響き、様々な屋敷の作事が進められている。長浜城へと続く大手筋の両側には真新しい材木特有の芳香を放つ新築の屋敷や商家などが並ぶ。人の手による新興の都市とは言え、自然の中から新たな何かが生まれ出る時の噎せるような活気が力強く芽吹いている。
清太は弥蔵を先導にして、長浜の勃興を眺めながら、重治の屋敷へと向かう。
峡と重治の関係は清太の父清吾の代から始まった。
永禄七年(一五六四)、当時、重治は美濃を支配する戦国大名斎藤龍興の家臣として父祖伝来の菩提山城に居を構えていた。
龍興の祖父斎藤道三は油売りから身を起こして、美濃守護職土岐頼芸に取り入り、守護代の斎藤氏を称して実力を蓄えた上で、天文十一年(一五四二)に、主人である頼芸を尾張に放逐し、美濃一国を掌中に収めた。道三は権謀術数の限りを尽くして戦国大名に成り上がった「梟雄」ではあったが、領主としての統治能力は非凡で、土岐氏の治世で荒廃した美濃を立て直し、国力を充実させた。このため、美濃国人衆は道三を「蝮」と呼んで恐れた反面、領民達は道三に親しんだ。道三は合戦も巧みで、幾度も美濃に侵攻した信長の父信秀を、その都度、撃退した。その後、道三は信秀と和睦し、実娘「帰蝶」を信長に嫁がせて織田氏との紐帯を強めるなど、臨機の外交を展開した。
道三は隠居して嫡男義龍に家督を譲った。しかし、
―父は弟達を偏愛し、自分を追い落とそうとしている。
と感じた義龍は、弘治二年(一五五六)、弟達を殺害し、さらに兵を進めて長良川河畔で道三を討った。この時、義龍の兵力二万に対して、道三に従った兵が二千余であったことは、道三と美濃国人衆との関係性を感じさせる。
長良川の合戦から四年後の永禄四年(一五六一)、義龍は病に倒れ、嫡男龍興が跡目を継いだ。父道三と同様、優秀な領主だった父義龍とは違い、龍興は阿諛追従の巧みな佞臣を寵愛して累代の重臣達を斥け、政事・兵事を省みることなく、酒色に耽った。尾張では信長が着実に勢力を伸ばして虎視眈々と美濃を窺っており、重治は龍興に対して信長に備えるよう再三進言した。しかし、龍興は、
―稲葉山城は祖父道三、父義龍が築きし難攻不落の堅城。信長如きが攻め寄せてきたとて恐れること無し。
と意に介さず、益々遊興酒色に溺れた。
これを憂いた重治は実力で龍興の油断を戒めることを決意し、弟重矩や舅安藤守就など総勢十八名の有志を募り、稲葉山城奪取を企てた。しかし、名将道三が手塩をかけた稲葉山城をたった十八人で落とすには奇計が必要だった。重治は裏世間に存在する陰の力を求めた。しかし、陰の力を代表する忍びは自らの特殊技能に対して、より高い対価を示す者に付き、節操なく向背を繰り返す。重治は自分の信念に共感し、この城攻めの企図を汲み取り、かつ、秘密を厳守できる陰の力を求めた。
―峡。
重治は悩んだ末、過去に旅の修験者から聞いた地名と集団に思い至った。
―筋の通らぬ仕事はせぬ代わりに、信義をもって事に当たる陰の集団。
重治はその呼称だけを頼りに、旅僧や修験者を見つけるたびに「峡」に関して尋ねた。そして、遂にその呼称を朧気ながら知る修験者と出会い、彼に路銭を与え、
―故あって、依頼したきことあり。面談を所望。
とのみ記した密書を託した。
数日後の夜半、菩提山城の一室で重治が書見していると、その部屋の前庭に、突然、一つの気配が湧出した。重治は闖入者に狼狽を見せず、書物に視線を落としたまま、咄嗟にその気配の意図を探り、殺気がないことを確認した。
闖入者は警戒を解いた重治にごく小さな声で呼び掛けた。
「書状を拝見して、峡より推参仕った。」
重治の書状を受領した峡では丞が集まり、重治の来歴や人格を吟味し、依頼内容を確認するため、菩提山城に甲丞の嫡流である清吾を派遣した。
重治は、
―自分の知謀を詰め込んだ菩提山城の奥まったこの部屋まで誰にも悟られることなく侵入した。
という一事を以て、清吾であり、峡衆の高度な技倆を身を以て知ることができた。
「遠路ご足労をお掛けした。こちらへ上がられよ。」
重治は周囲を憚りながら小声で清吾に勧めた。
「初対面で灯りのある場所はご遠慮いたします。まずは、お庭にてご用件を伺いましょう。」
重治は求められるまま、峡の力を頼るに至った経緯を語り始めた。重治と清吾は互いに相手の口調や表情、瞳の動きなどを観察しながら、双方の人物像を鑑識した。清吾は重治の動機と企図を理解し、さらにその言動に初対面ながら重治の精神の透明度を確認した。
「委細、承知仕った。」
清吾はその場で峡の最終的な総意として重治の依頼を請け負った。
その後、重治は清吾を含めた十九人の同志とともに、難航不落の稲葉山城を一日にして奪取し、城主龍興を追った。
これを知った信長は、
―稲葉山城を差し出せば、美濃半国を与える。
と、好餌を示して重治を勧誘したが、重治は、当初、清吾に語った通り、奪取した稲葉山城を惜しむことなく龍興に返還して、自分は美濃を退去した。清吾は龍興の報復に対する護衛を兼ねて、近江山中の寓居まで重治を見送ったのち、今後の協力を固く誓い、重治に峡との連絡方法を教えて、帰路についた。
これを契機に重治と清吾、そして、峡との連携が始まり、清吾が重治を陰の力で支える中で、信頼関係は純度を高めていった。
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