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第二章 悪党と娘
第二章 悪党と娘(3)
しおりを挟む清太と娘は弥蔵を残して、於彩に勧められるまま、小径を挟んだ屋敷の正面を流れる小水路に向かい、水路脇に粗く組まれた石造りの洗い場に座って、足拵えを外した素足を流水に浸す。
―着物が濡れないように。
と、僅かに上げた裾の隙間から白く柔らかい娘の小脛が覗く。
清太は水面の細波を茜色に染め出す夕陽に目を細めながら、娘に尋ねる。
「ご気分はどうですか。」
娘は足下の流れを静かに見つめながら、小声で答える。
「まだ、助けていただいた御礼を申し上げていませんでした。本当にありがとうございました。」
娘が清太の方に身体ごと向き直って、深く辞儀しようとするのを、清太は掌で制して、笑顔で問い掛ける。
「何か思い出しましたか。」
娘は両足を流れに浸したまま、再び川面に視線を落として、小さく首を振る。清太は会話の糸口を失い、押し黙ったまま、夕陽に染まる大原の山相を仰視して、峡を出発して以降の出来事や風景を思い返す。
大原の小世界は、摂津周辺で目にした戦乱を幻影かと思わせるほど平穏だった。
嘉平夫妻はよほど来客慣れしているのか、先着の清太達に亥介と総馬を合わせた五人の突然の来訪に慌てる様子もなく、手際良く対応していく。嘉平は夕餉の食材を調達するため、日没間近の高野川へ釣りに出掛け、於彩は清太達四人分と娘の寝具などを手早く整えると、屋敷裏の畑から適当に野菜を調達し、夕食の支度に取り掛かる。夕陽が山の端にかかる頃には、嘉平夫妻の息子治平が洛中から、治平の妻於妙が寂光院から帰宅し、準備を手伝う。
治平は嘉平と一緒に洛北の山中に自生する薬草や山菜を採取・加工して洛中で商いながら、於妙の奉公先である寂光院から野菜や日用品の仕入を請け負う。嘉平は楽隠居のような身分で、商いをほぼ治平に任せている。於妙は姑である於彩を後継して、治平が洛中で仕入れた品々を尼寺寂光院に納めるとともに、尼僧達の身の回りの世話をしている。
大原寂光院は天台宗尼寺の古刹である。推古二年(五九四)に、聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために創建したと伝えられ、その後、文治元年(一一八五)、平清盛の息女で高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生んだ徳子が、源平合戦ののち、長門壇之浦で入水した安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために、建礼門院真如覚比丘尼として侍女とともに寂光院に入った。
の際、建礼門院と侍女達を世話するため、平家に所縁のあった嘉平の祖先が大原に住居を構えたと、伝えられている。
時代が下り、源氏の追捕を逃れて各地の山中に離散した平氏に所縁のある血族の末裔達が建礼門院所縁の寂光院を訪れるようになり、嘉平の父祖達は自分の屋敷を彼らに提供して、親好を深めるようになった。ゆえに、今でも嘉平屋敷には平氏の末裔達がもたらす様々な情報が集積する。峡衆も京に立ち寄ることがあれば、洛中を通過して大原まで足を伸ばし、嘉平屋敷を宿所にして、情報収集の一助とすることも多い。
大原の盆地に闇の帳が降りる。
清太達と嘉平・治平夫妻が囲炉裏を中心にして、夕餉を取る。娘も部屋の隅で同席している。
―嘉平・治平父子は大原の出身。於彩と於妙はそれぞれ平氏所縁の集落から嫁いできた。
清太が弥蔵から聞いた嘉平一家の出自である。ゆえに、嘉平達は各地の山奥に散在する平氏の末裔達の暮らしぶりをよく知っている。
食事が終わった頃合いを見計らって、嘉平が於彩に小さく目配せする。於彩が於妙とともに食膳の片付けを始めながら、部屋の隅で小さくなっている娘に優しく声を掛ける。
「娘さん、お疲れかもしれませんが、お膳を下げるのを手伝ってくださいな。」
娘は素直に頷いて、席を立つ。女衆三人が手際よく膳部を片付けて、台所へ下がる。
部屋に残った男衆が改めて巷間の噂話や、この屋敷を訪れる山民、さらには、周辺の極楽院、来迎院などを来訪する旅の修行僧、修験者達から得た畿内・天下の情勢、諸大名の動向などの機微な話題を語り始める。
天正四年(一五七六)四月、石山御坊は織田氏との和睦を破り、再び挙兵した。これを受けて信長は、原田直政を主将として明智光秀、荒木村重、細川藤孝、筒井順慶らに摂津への出陣を命じ、五月、石山御坊に総攻撃を仕掛けた。しかし、織田勢は紀伊雑賀衆を中心とした鉄砲の火力と石山御坊周辺の深い沼沢に阻まれ、主将原田直政が討死するなど大損害を出して潰走した。京でこの報を受けた信長は、一万余の門徒衆に包囲された天王寺砦に籠る光秀らを救援するため、佐久間信盛、滝川一益、羽柴秀吉らに出陣を命じると同時に、自らも湯帷子のまま馬に飛び乗り、僅かな近習達とともに摂津へと駆け出し、陣頭に立って、足に鉄砲玉を受けながらも、天王寺砦を窮地から救い出した。その後、石山御坊の戦意が旺盛と見た信長は、拙速な力攻めを避け、石山御坊の周囲に堡塞を設け、信盛や光秀、藤孝らを留め、石山御坊と外部との連係を遮断した上で、長期戦の構えを整えて京に戻った。
この情勢に、信長に追放されて備前鞆の津に流寓していた室町幕府十五代将軍足利義昭は、中国の毛利氏に浄土真宗の法難に立ち向かう反織田勢力の盟主として、決起を促す。
毛利氏は義昭の半ば強引とも言える勧誘に、
―中央に関与せず。
という中興の祖元就の遺言を反故にして、天正四年七月、旗下の瀬戸内水軍を大坂湾に派遣し、石山御坊の海側の玄関口にあたる木津川河口を封鎖していた九鬼義隆率いる織田水軍を木端微塵に撃破して、石山御坊に兵糧を搬入した。以降、今に至るまで、大阪湾の制海権は毛利氏が掌握したままだった。
翌天正五年二月、信長は、嫡男信忠を総大将として数万の兵力を送り、紀伊雑賀衆を討伐した。
同年五月、中国地方では、毛利方の宇喜多直家ら備前・美作の軍勢による播磨龍野への進攻と歩調を合わせ、毛利水軍が海側から播磨室津に上陸して播磨一向宗徒の拠点英賀城に進んだ。織田方の播磨御着城主小寺政職とその家老黒田孝高が知略もってこれを退けたが、
―瀬戸内海の制海権を掌握する毛利水軍はいつでも播磨沿岸を突くことができる。
と示したことは、播磨国人衆を動揺させるという点で十分に意味のある実力行使となった。
信長は石山御坊と外部との連携を遮断するべく、特に信仰心が篤いとされる北陸や中国地方と畿内を結ぶ街道や京から摂津にかけての諸道の監視を徹底する。
―摂津以降、街道で幾度か感じた懐疑に満ちた強い視線は、織田方の監視だったのかもしれない。
清太は馬上の娘に向けられる興味本位の目ばかりを気にしていたが、思い返すと、そういう視線ばかりでもなかったようにも思われた。
嘉平父子の説明は続く。
それでも厳重な監視の目を掻い潜り、反織田勢力は連携を強める。そこには、元亀二年(一五七一)、織田信長によって一山灰塵と化した比叡山延暦寺に関わりのある天台僧や密教修験者なども関与する。天台宗の名刹が多数存在する大原にも反織田を標榜する僧侶・修験者が少なくない。
嘉平父子は、
―将来、峡衆を担う清太にとって、時勢の本流だけでなく、そこから分岐する支流、そして、時には時代の表面に浮き上がることのない深層も知っておくことが肝要。
ということを意識して、清太に自分の手元にある情報を細大漏らさず伝えると同時に、清太の器量を油断なく観察することも忘れてはいない。
嘉平が話題を締め括ると、亥介と総馬が、この日、僅かな時間ではあったが、洛中で拾い集めた情報を簡潔に報告する。二人の報告は当然刀剣に関する内容に偏っている。
嘉平が、
「峡伝来の宝剣が盗み出されたと、弥蔵さんからお聞きしました。宝剣の偸盗に関しても情報を集めておきましょう。」
と約束する。
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