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「……先生~、何日泊まり込んでるんですか? この間、教務課から苦情入ったばっかでしょう~」
がさっ、がさ、と――床に散らばっているゴミの類を拾っては50Lゴミ袋に入れながら、モスグリーンのソファからだらりとはみ出している物体をちらり流し見た二十代半ばを過ぎた青年は、大学に来て一番、実験用マウスの世話でも資料読みでも報告書作成でもなく、研究室のゴミ拾いから始まる我が身を嘆きつつ、グラビアアイドルが扇情的な上目遣いでこちらを見ている雑誌を拾い上げゴミ袋へ放り込む。
地方の大学で催されたセミナーと所属学会の研修会をはしごする出張に出る前は、たしかに室内は整理整頓されていたはず……したはずだった。
「まったく、どうしたら二週間でここまで荒れ果てた部屋に……」
「~~――――」
人語に聞こえない唸り声、真っ先に片付けた缶・ビンの再生ゴミ類一袋分に二日酔いかと判断した青年は、縁なしフレームに細い半円型レンズを固定した眼鏡の中央を揃えた中指と人差し指で押上げて、5袋目になるゴミ袋の口を結んだ。
最新式の空気清浄機をフル回転させても完全には取れない煙草の匂いはどうにも仕方がないとして、ひとまず人間がいられる場所になったと青年はゴミ袋と共に用意した雑巾を手に取る。
ソファから、たぶん尻か腿を掻いている衣類を爪で引っ掻く音と、ゴミを集めている最中から振動を繰り返しては沈黙するスマートフォンのバイブ音がする。
「さっきから電話鳴ってますけど、出なくていいんですかー?」
「ぁあ――……」
ソファの影から筋張った手が床を這うように、電話を探して見当違いの場所で動いているのが見える。
代わりに電話に出るなり取って渡してやりたいのは山々な青年ではあったが、半覚醒でだらしなく寝そべっている一応は上司である上津原の、股の間に転がっている電話をそこに手を突っ込んで拾い上げる勇気はないというか……単純に嫌だった。
なにが哀しくて真っ昼間から、タバコとアルコールと汗と加齢臭と石鹸の匂いが渾然一体となった妙なフェロモン臭を放ってソファに寝転んでいる四十過ぎのおっさんの局部周辺に手を突っこまにゃならんのか。
そうこうしているうちにスマートフォンのバイブ音は鳴り止み、ややあって今度は上津原のデスクの上の固定電話が鳴り出す。取り次ぎの内線音ではない直通番号に誰かがかけてきた呼び出し音に青年――助教の万城目は、背後で「ゔ~~コーヒィくれ……まきぃ……」と呻いている上津原の声を聞きながらデスクに雑巾を置くと、コードレス式の受話器をとって電話に出た。
「はい、朝布大学獣医学部・内科学第三研究室です」
大学名から告げるのは、どうやら末尾一ケタが一番違いの電話番号であるらしい蕎麦屋と間違ってかかってくる電話が度々あるからだ。うちは蕎麦屋じゃねぇっと漫画のような台詞を上司が叫んでいるのは割と日常的な光景だった。
『お世話になります、カドワカの早坂です――その声、万城目くん?』
「はい、万城目です。早坂さん、こちらこそいつもお世話に。上津原ならソファに転がって唸ってます」
顔なじみの雑誌編集者であった電話の相手に万城目が現在の状況を教える。
どうりで携帯でないはずだ、と言った相手に、さっきからしつこく鳴らしていたのはこの人だったかと万城目は胸の内で呟いた。
万城目と同世代で、飼い主に従順な柴犬を連想させる好青年な若手編集者の姿を思い描きながら用件なら聞きますよと伝え、背後でしつこくコーヒーを所望しつつ起き抜けの一本に火を点けている上司の要望に応えるべく、受話器を持ったまま天板が備品棚代わりになっている背の低い本棚へと向かう。
「はい……はい……原稿チェックと写真撮影と次の対談の日程ですね……先生にお伝えしてご返答します。はい、どうも」
吸い殻を処分したばかりの灰皿に軽く吸ったタバコを捻りつぶしている上津原に用件が聞こえるよう話しながら、本棚の上にあるカートリッジ式のコーヒーメーカーを操作する。
一通りのやり取りを終え、ピッと受話器のボタンを押して万城目は、ソファの中央に片足を腿に乗せた半胡座で座り後頭部へ手をやっている上津原に近づくとコーヒーの入った黒いプラスチック製マグカップを差し出した。
「だそうです、先生」
「あ――、あとでメールしとく……研修会どうだった?」
「まあ、いつも通りですね。長島先生と原先生と落合先生と、その他諸々の先生方が先生によろしくと言っていました」
ズズッとコーヒーを啜りながらの上司の質問に、受話器を元の場所に置きながら万城目は答えて、雑巾を手に再びソファに近づくとテーブルの上を拭き出す。
「端折んなよ、そこ。学会とかで会った時に困るだろうがよ」
「どうせ挨拶なんか碌にしないんだからいいでしょう。そもそも誰が誰かわかってるんですか?」
テーブルを拭き上げて、万城目が上津原を見るとマグカップを手に腕組みして天井を仰ぎ見ている。
「……往年の野球選手だったら知ってるよ」
「大学の先生方です」
「わーってるよっ!! ったく」
猛獣が噛み付くような上津原の怒鳴り声と舌打ち混じりの呟きは無視して、万城目は研究室の右隅に備わっている洗面台で雑巾を洗う。
洗面台の水道は掃除だけでなく飲料水の給水から上司の簡易シャワーの役目まで果たすオールマイティーな水道だった。
「ああ、そういえば、岐阜の白川先生が被験動物探してましたよ。なんでも……」
「――治験か」
「なんで、そっちは説明なしでわかりますかね」
万城目が呆れて振り返れば、上津原は、コーヒーは気が済んだのか、二本目の煙草を咥えて俯き加減に火を点けようとしていた。
「でなきゃ偉い先生が探す苦労なんかするかよ」
「なるほど」
「まー……協力できる可能性は薄いが、付属病院で該当しそうなの一応攫っとくか? 共同研究してないのが不思議なくらい近しいしな」
思案気に淡々と言って、咥え煙草のまま煙を吐き出す。
週一回の外来当番ながら大学の付属病院で臨床にもかかわり、小動物の総合臨床科目などを受け持っているためメディアでは“動物のお医者さん”として扱われることが多い上津原だったが、本来は血液腫瘍を主な専門領域としている研究者だから気になるのだろう。
「それはそうと、こっちは近年稀に見る根暗な女に会ったぞ」
「学生にセクハラするのいい加減やめてくださいよ、そのうち訴えられてもしりませんよ」
「“会った”って言っただろうがよ、学生なら“いた”だ」
どちらにしても一緒でしょうと万城目はひとりごちながら、上津原の向かいのソファに置いていた自分の鞄からノートパソコンを取り出して座り、今回の出張経費を申請するべく膝の上で開いて事務方に提出する報告書の続きをタイプし始める。
「いい歳して元気というか、みっともないというか……よくそう次から次へと女性を追っかけられるもんですね」
「雄が雌追っかけなくてどうすんだよ。大体、声かければ大抵向こうから来るぞ」
「ハイハイ、猫と同じなんですよね」
世の女性だけでなく男が聞いても袋叩きにしてやりたいこと言ってるよ、このおっさん……と、万城目は適当な相槌を打つ。彼の上司はにやにやしながらソファにふんぞり返って足を組み直している。身勝手なくせに無視するとそれはそれで拗ねたりするまさにネコ科の上司の扱いを、万城目は博士課程から今に至るまでの間ですっかり心得ていた。
「おぅ。猫と一緒で眺めても構っても可愛いもんだよ女ってのは」
「そうですか。それにしても先生が暗いタイプって珍しいですね」
「そっちの話じゃなくて、例の連載の対談相手がそんな女だったって話だよ」
そうですか、と相槌を打ちかけて、「ん?」と万城目はノートパソコンから視線を上津原に移した。
その雑誌連載の仕事の話なら事前に聞いている。
「対談相手って、少し前に昼のテレビ出てた作家の甘糟塔子さんでしたよね?」
「そうだが?」
「テレビで見る限り、普通にきれいで感じ良さげな女性っぽかったですけど?」
「知るかよ。ブラックホール並なネガティブオーラ漂わせるわ、化粧だらだら滲ませて泣くわ、ぶち切れてハンドバッグで殴りかかってくるわ……かっかっ、あそこまで突き抜けるとありゃ一種の芸だなっ」
「……お気の毒に」
膝を打って思い出し笑いに震えている上司に、この人どんな失礼を対談相手にやらかして阿鼻叫喚地獄を展開させたんだと万城目は心の中で早坂に合掌した。
「そういえば先生、前にくだらないとかなんとか言って嫌ってましたもんね彼女の小説」
「ん、そうだったか?」
「男がそんな都合よく別の女や仕事片付けて会いに行ったり、行方も知らないヤッてもない幼馴染みをしつこく好きだったりするかよとか言ってたじゃないですか」
学生から再三薦められてだったか、単に誰かが置き忘れたのを読んでいただけだったか、だったら読まなきゃいいじゃないかと言いたくなるような酷評をしていた記憶がある。
「そりゃその場の感想だろ? 別に、んなもん他の作家だって似たようなの書いてるだろ」
「あ、そうですか」
「人気あんだろ? 俺はくだらなくても他はそうじゃないんだろうさ」
「いい事言ってるみたいな体裁装ってますけど、要するに自分が言ってたことを忘れたんですね」
「いちいち細ぇんだよ、お前は……っと、もう昼過ぎか。俺ちょっと外出るわ」
万城目の後ろの壁にかかっている時計へとふと目をやって、上津原はスマートフォンを手にして唐突に立ち上がり、くたびれた白衣を翻した。
「家寄って、用事済まして、飯食って……明日の昼頃戻る」
「は?! なに言ってんですかっ、午後のゼミはっ?!」
しれっと万城目が腰掛けているソファを横を通って出入口へと向かう上津原を呼び止めれば、そんな万城目を煩そうに見下ろし、両手を白衣のポケットに入れた姿勢で上津原は立ち止まった。
「うっせーなぁ。今日、会議も講義もないだろうが。指示なら前回出してある……お守りでいいからよ。後、よろしく」
ハードボイルド映画の主人公よろしく片手を挙げた白衣の後ろ姿を見せて研究室を去っていく上津原をなす術なく見送りながら、どうせまた女と会うかなんかだ絶対っと万城目は毒づき、たまにしか見られない有能さにうっかり心酔して自堕落な上司についてしまった我が身を呪った。
がさっ、がさ、と――床に散らばっているゴミの類を拾っては50Lゴミ袋に入れながら、モスグリーンのソファからだらりとはみ出している物体をちらり流し見た二十代半ばを過ぎた青年は、大学に来て一番、実験用マウスの世話でも資料読みでも報告書作成でもなく、研究室のゴミ拾いから始まる我が身を嘆きつつ、グラビアアイドルが扇情的な上目遣いでこちらを見ている雑誌を拾い上げゴミ袋へ放り込む。
地方の大学で催されたセミナーと所属学会の研修会をはしごする出張に出る前は、たしかに室内は整理整頓されていたはず……したはずだった。
「まったく、どうしたら二週間でここまで荒れ果てた部屋に……」
「~~――――」
人語に聞こえない唸り声、真っ先に片付けた缶・ビンの再生ゴミ類一袋分に二日酔いかと判断した青年は、縁なしフレームに細い半円型レンズを固定した眼鏡の中央を揃えた中指と人差し指で押上げて、5袋目になるゴミ袋の口を結んだ。
最新式の空気清浄機をフル回転させても完全には取れない煙草の匂いはどうにも仕方がないとして、ひとまず人間がいられる場所になったと青年はゴミ袋と共に用意した雑巾を手に取る。
ソファから、たぶん尻か腿を掻いている衣類を爪で引っ掻く音と、ゴミを集めている最中から振動を繰り返しては沈黙するスマートフォンのバイブ音がする。
「さっきから電話鳴ってますけど、出なくていいんですかー?」
「ぁあ――……」
ソファの影から筋張った手が床を這うように、電話を探して見当違いの場所で動いているのが見える。
代わりに電話に出るなり取って渡してやりたいのは山々な青年ではあったが、半覚醒でだらしなく寝そべっている一応は上司である上津原の、股の間に転がっている電話をそこに手を突っ込んで拾い上げる勇気はないというか……単純に嫌だった。
なにが哀しくて真っ昼間から、タバコとアルコールと汗と加齢臭と石鹸の匂いが渾然一体となった妙なフェロモン臭を放ってソファに寝転んでいる四十過ぎのおっさんの局部周辺に手を突っこまにゃならんのか。
そうこうしているうちにスマートフォンのバイブ音は鳴り止み、ややあって今度は上津原のデスクの上の固定電話が鳴り出す。取り次ぎの内線音ではない直通番号に誰かがかけてきた呼び出し音に青年――助教の万城目は、背後で「ゔ~~コーヒィくれ……まきぃ……」と呻いている上津原の声を聞きながらデスクに雑巾を置くと、コードレス式の受話器をとって電話に出た。
「はい、朝布大学獣医学部・内科学第三研究室です」
大学名から告げるのは、どうやら末尾一ケタが一番違いの電話番号であるらしい蕎麦屋と間違ってかかってくる電話が度々あるからだ。うちは蕎麦屋じゃねぇっと漫画のような台詞を上司が叫んでいるのは割と日常的な光景だった。
『お世話になります、カドワカの早坂です――その声、万城目くん?』
「はい、万城目です。早坂さん、こちらこそいつもお世話に。上津原ならソファに転がって唸ってます」
顔なじみの雑誌編集者であった電話の相手に万城目が現在の状況を教える。
どうりで携帯でないはずだ、と言った相手に、さっきからしつこく鳴らしていたのはこの人だったかと万城目は胸の内で呟いた。
万城目と同世代で、飼い主に従順な柴犬を連想させる好青年な若手編集者の姿を思い描きながら用件なら聞きますよと伝え、背後でしつこくコーヒーを所望しつつ起き抜けの一本に火を点けている上司の要望に応えるべく、受話器を持ったまま天板が備品棚代わりになっている背の低い本棚へと向かう。
「はい……はい……原稿チェックと写真撮影と次の対談の日程ですね……先生にお伝えしてご返答します。はい、どうも」
吸い殻を処分したばかりの灰皿に軽く吸ったタバコを捻りつぶしている上津原に用件が聞こえるよう話しながら、本棚の上にあるカートリッジ式のコーヒーメーカーを操作する。
一通りのやり取りを終え、ピッと受話器のボタンを押して万城目は、ソファの中央に片足を腿に乗せた半胡座で座り後頭部へ手をやっている上津原に近づくとコーヒーの入った黒いプラスチック製マグカップを差し出した。
「だそうです、先生」
「あ――、あとでメールしとく……研修会どうだった?」
「まあ、いつも通りですね。長島先生と原先生と落合先生と、その他諸々の先生方が先生によろしくと言っていました」
ズズッとコーヒーを啜りながらの上司の質問に、受話器を元の場所に置きながら万城目は答えて、雑巾を手に再びソファに近づくとテーブルの上を拭き出す。
「端折んなよ、そこ。学会とかで会った時に困るだろうがよ」
「どうせ挨拶なんか碌にしないんだからいいでしょう。そもそも誰が誰かわかってるんですか?」
テーブルを拭き上げて、万城目が上津原を見るとマグカップを手に腕組みして天井を仰ぎ見ている。
「……往年の野球選手だったら知ってるよ」
「大学の先生方です」
「わーってるよっ!! ったく」
猛獣が噛み付くような上津原の怒鳴り声と舌打ち混じりの呟きは無視して、万城目は研究室の右隅に備わっている洗面台で雑巾を洗う。
洗面台の水道は掃除だけでなく飲料水の給水から上司の簡易シャワーの役目まで果たすオールマイティーな水道だった。
「ああ、そういえば、岐阜の白川先生が被験動物探してましたよ。なんでも……」
「――治験か」
「なんで、そっちは説明なしでわかりますかね」
万城目が呆れて振り返れば、上津原は、コーヒーは気が済んだのか、二本目の煙草を咥えて俯き加減に火を点けようとしていた。
「でなきゃ偉い先生が探す苦労なんかするかよ」
「なるほど」
「まー……協力できる可能性は薄いが、付属病院で該当しそうなの一応攫っとくか? 共同研究してないのが不思議なくらい近しいしな」
思案気に淡々と言って、咥え煙草のまま煙を吐き出す。
週一回の外来当番ながら大学の付属病院で臨床にもかかわり、小動物の総合臨床科目などを受け持っているためメディアでは“動物のお医者さん”として扱われることが多い上津原だったが、本来は血液腫瘍を主な専門領域としている研究者だから気になるのだろう。
「それはそうと、こっちは近年稀に見る根暗な女に会ったぞ」
「学生にセクハラするのいい加減やめてくださいよ、そのうち訴えられてもしりませんよ」
「“会った”って言っただろうがよ、学生なら“いた”だ」
どちらにしても一緒でしょうと万城目はひとりごちながら、上津原の向かいのソファに置いていた自分の鞄からノートパソコンを取り出して座り、今回の出張経費を申請するべく膝の上で開いて事務方に提出する報告書の続きをタイプし始める。
「いい歳して元気というか、みっともないというか……よくそう次から次へと女性を追っかけられるもんですね」
「雄が雌追っかけなくてどうすんだよ。大体、声かければ大抵向こうから来るぞ」
「ハイハイ、猫と同じなんですよね」
世の女性だけでなく男が聞いても袋叩きにしてやりたいこと言ってるよ、このおっさん……と、万城目は適当な相槌を打つ。彼の上司はにやにやしながらソファにふんぞり返って足を組み直している。身勝手なくせに無視するとそれはそれで拗ねたりするまさにネコ科の上司の扱いを、万城目は博士課程から今に至るまでの間ですっかり心得ていた。
「おぅ。猫と一緒で眺めても構っても可愛いもんだよ女ってのは」
「そうですか。それにしても先生が暗いタイプって珍しいですね」
「そっちの話じゃなくて、例の連載の対談相手がそんな女だったって話だよ」
そうですか、と相槌を打ちかけて、「ん?」と万城目はノートパソコンから視線を上津原に移した。
その雑誌連載の仕事の話なら事前に聞いている。
「対談相手って、少し前に昼のテレビ出てた作家の甘糟塔子さんでしたよね?」
「そうだが?」
「テレビで見る限り、普通にきれいで感じ良さげな女性っぽかったですけど?」
「知るかよ。ブラックホール並なネガティブオーラ漂わせるわ、化粧だらだら滲ませて泣くわ、ぶち切れてハンドバッグで殴りかかってくるわ……かっかっ、あそこまで突き抜けるとありゃ一種の芸だなっ」
「……お気の毒に」
膝を打って思い出し笑いに震えている上司に、この人どんな失礼を対談相手にやらかして阿鼻叫喚地獄を展開させたんだと万城目は心の中で早坂に合掌した。
「そういえば先生、前にくだらないとかなんとか言って嫌ってましたもんね彼女の小説」
「ん、そうだったか?」
「男がそんな都合よく別の女や仕事片付けて会いに行ったり、行方も知らないヤッてもない幼馴染みをしつこく好きだったりするかよとか言ってたじゃないですか」
学生から再三薦められてだったか、単に誰かが置き忘れたのを読んでいただけだったか、だったら読まなきゃいいじゃないかと言いたくなるような酷評をしていた記憶がある。
「そりゃその場の感想だろ? 別に、んなもん他の作家だって似たようなの書いてるだろ」
「あ、そうですか」
「人気あんだろ? 俺はくだらなくても他はそうじゃないんだろうさ」
「いい事言ってるみたいな体裁装ってますけど、要するに自分が言ってたことを忘れたんですね」
「いちいち細ぇんだよ、お前は……っと、もう昼過ぎか。俺ちょっと外出るわ」
万城目の後ろの壁にかかっている時計へとふと目をやって、上津原はスマートフォンを手にして唐突に立ち上がり、くたびれた白衣を翻した。
「家寄って、用事済まして、飯食って……明日の昼頃戻る」
「は?! なに言ってんですかっ、午後のゼミはっ?!」
しれっと万城目が腰掛けているソファを横を通って出入口へと向かう上津原を呼び止めれば、そんな万城目を煩そうに見下ろし、両手を白衣のポケットに入れた姿勢で上津原は立ち止まった。
「うっせーなぁ。今日、会議も講義もないだろうが。指示なら前回出してある……お守りでいいからよ。後、よろしく」
ハードボイルド映画の主人公よろしく片手を挙げた白衣の後ろ姿を見せて研究室を去っていく上津原をなす術なく見送りながら、どうせまた女と会うかなんかだ絶対っと万城目は毒づき、たまにしか見られない有能さにうっかり心酔して自堕落な上司についてしまった我が身を呪った。
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