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第四部 魔術院と精霊博士

139.忠告と異変

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 鏡の前に腰掛けているわたしの背後で、いつになく険しい顔をしたマルテが髪飾りを収める平たい木箱を手に、うーんと悩んでいる。
 結い上げた髪型と装いと、これからそれを目にする相手と、その場と、いまの季節と、流行とと色々と考え過ぎてしまっているらしい。
 以前はこんなに迷うことはなかった。
 ロタールの屋敷にきたばかり頃は、侍女見習いとしてリュシーの指示で支度仕事の補助をしていた。それから王都の邸宅付きとなって、わたしの身の回りのことを家政婦長のテレーズと一緒にやっていた。

「そんなに悩まなくても」 
「いいえっ、リュシーさんがいなくてもちゃんと出来るようになりたいんです」

 王都の装いについては、半分はリュシーが組み合わせも考慮して支度した荷物で、もう半分はナタンさんとルイの見立てだった。実を言えば、本当の意味でわたしの支度全部を彼女一人だけで取り仕切るといった機会はあまりない。
 ロタールに戻って、年が明ければ見習いから正式に侍女となるマルテのため、リュシーの提案でわたしの支度を月ごと交代で担当することになったいまがその機会だった。
 蜜月でもあるもの、丁度、植木の雪除けなど庭園の冬支度も忙しくもあるから、リュシーはエンゾの手伝いに出している。
 手伝いに来る集落の領民から冷やかされながら仕事しているようだ。
 庭に面した部屋にいると、時折、楽しそうな笑い声とちょっとむきになってなにか言っているリュシーの声が聞こえてくる。

「王都でもちゃんと出来ていたと思うけれど」

 どうやら王都である程度わたしの支度仕事に慣れ、ソフィー様やカトリーヌ様、その周辺の貴族女性達を間近に見て目が肥えたことで、リュシーとの差が気になるようになってきたらしい。
 たしかにリュシーはどんな装いでもなにかちょっとした華やかさというか、垢抜けた感じに仕上げてくれるけれど、マルテだって髪も装いも十分素敵に仕上げてくれる。

「そうでしょうか」
「ええ。この屋敷に着いたばかりの頃と比べたら、すっかり任せきりで大丈夫になっているもの」

 成長したってことだろうけど。
 それにしても、先輩らしくきちんとマルテを指導しているリュシーも頼もしくなったものだ。
 この屋敷にわたしが来たばかりの頃は、ただ王都に憧れる少女だったのに。
 なんだかほほえましくてくすりと笑えば、からかわれたと思ったのか旦那様みたいに意地悪だと頬を膨らませてぼやかれてしまった。
 
「それでは……」

 たぶん、候補は絞られていたのだろう。
 思ったよりも躊躇うことなく選び取ったものを、マルテは彼女が綺麗に結い上げたわたしの髪に飾った。
 薄青い光を帯びた白い石を扇状に繋いだ金の細い鎖が揺れるもので、おそらくは薄い青灰色の絹に金のフリンジが縁を飾る、今日の午後のドレスに合わせてのものだろう。
 マルテが仕上げるのを待って、掛けていた椅子から立ちあがって深い赤褐色の絹織りのストールを羽織る。秋冬向けに起毛させた布は羽毛を撫でるような柔らかな手触りで暖かい。
 霧の月から霜の月へ。
 秋ももう終わりだ。
 きっとあと十日も過ぎれば、吹く風も涼しさから冷たさを含むものに変わる。
 
「陽が沈み月登る夕闇のようですね」

 階下に降りれば、玄関ホールからまだ階段にいるわたしへと顔を上げて声をかけてきたルイに、わたしは少し首を傾けて背後についているマルテを見た。
 
「マルテが選んでくれたのです」
「着く頃にはその時間帯です。昼と夜の空繋ぐ女神に見えるでしょうね」

 ほめられたわねと少し頬を紅潮させているマルテに囁き、近づいてきたルイが差し出してきた手をとって、そのまま彼にエスコートされて外で待っている馬車へと足を進める。
 公爵様な装いをしているから手に柔らかな革の白手袋をはめていた。
 肩下まで伸びた髪は緩く飾り紐で束ねて、豪奢なレースを巻いた襟元。 
 紫がかった濃紺色に、気が遠くなりそうに緻密な銀糸の刺繍が縁や見頃を飾る揃いの上着と脚衣。
 左肩に白に近い艶やかな薄黄色のマントを斜め掛けに、先端に薄青く透ける貴石をあしらった白っぽい銀のまるで王笏のような杖を空いた手に持っている。
 まあ元小国王家ではあるから、そんなものが伝わっていてもおかしくはないのだけれど。

「それって、銀?」

 わたしが杖に目を留めての問いに、いいえとルイは答えた。

「竜の爪で作った杖です。先端は彼らの領域で採れた水晶で、どちらも媒介の素材です」
「じゃあそれって魔術の道具? 収穫祭は出席するだけなのですよね」
「ええ。念の為」

 念の為って、媒介といったら魔術師の魔力を増幅するための道具だ。
 人外と盟約を結び、無尽蔵な魔力を振るうルイは必要としない道具でもある。

「そろそろ王都からなにか届くかもですが……フェリシアン」
「処理いたしますので、ご心配は無用です」
「ヴェルレーヌに二度出し抜かれぬよう」
「勿論です」
「ルイ……。フェリシアン、留守をお願いしますね」
「はい、マリーベル様」

 家令らしく恭しい礼をとったフェリシアンを見て、ルイの手を借りながら馬車へ足をかける。
 これからフォート家とトゥルーズの丁度中間にある町へ、収穫祭の儀式ために出かける。
 秋に属する最後の月は、収穫祭の月だ。
 秋の収穫に感謝を捧げる祭りと共に、秋の女神による結実を冬の女神に守ってもらうための儀式が、聖堂の年中行事として各町や集落で行われる。
 中規模の町だから儀式を取り仕切る聖堂はあるのだけれど、精霊信仰が深い東部でもとりわけロタールの東区・バランはその傾向が強い。
 収穫祭や、年明けて冬から春へ移る頃に冬の女神が守った種子を春の女神が芽吹かせるため行われる祈念祭といった、重要な年中行事の儀式では、偉大なるヴァンサン王の末裔な領主様であるルイの出席を望む声が多い。
 昨年、ルイはわたしとの婚約期間で王都にいて、領内どこの収穫祭にも出ていないからなおさらだった。ルイも領主として仕方なしとして例年数を最小限に絞るところ、今回は統括組織からの要請通りに町や集落の儀式に出席する。
 日が被っていたり、中聖堂がある町は省かれているとはいえ結構な数で忙しい。

「貴女まで出向くことはないと思うのですが、精霊博士として要請されれば私の一存では断れない」
「まだ言ってる」

 馬車に乗り込みながらため息を吐くルイに、過保護なんだからと思う。
 荷物は先に統括組織の馬車が運んでいる。
 各町や集落をまとめる長の屋敷にお世話になり、必要になる細々としたものは統括組織によって手配されているから、わたし達は公爵家の馬車で移動すればいいだけだ。

「冬の女神に仕える“地の精霊グノーン”に関わる精霊博士と言われては、領主夫人としてお断りできません」
「わかっています。それにこうして共に出向くことができるのも……厄介な」

 座席の肘掛けに頬杖ついてルイがぼやくと同時に馬車が動き出す。
 側仕えとして同行するマルテとシモンは統括組織が手配した馬車に乗って宿泊先へ直行することになっているため、馬車の中はルイと二人きりだ。
 儀式の間は統括組織の文官や東部騎士団から派遣された護衛がつく。
 もっとも御者兼従者としてオドレイはついているから、護衛の心配はあまりいらないと思うけど。

「大丈夫よ。呼んだところでそう簡単には現れないって言ってるし、実際そうみたいだもの」
「地の精霊はそうでも、属する小精霊はそうではない。つい先日もあの我が儘姫に忠告されたばかりでしょう」
「まあ……オルタンス様がお亡くなりになって、その、現役の精霊博士はわたし一人になったのですよね?」

 カトリーヌ様やイザベル様と一緒にロタールの屋敷を訪れたソフィー様は、顔を合わせた挨拶もそこそこにオルタンス様が亡くなったとわたしに伝えてお礼の言葉を述べた。

『マリーベル様が説得に働きかけてくださったのでしょう』
『そんな、わたくし……』
『そんな顔をなさらないでくださいませ。本当に何年も見ているのが苦しいほど、精霊に延命され続けているのはお辛そうでしたから……天の階段をお渡りになったことは悲しいですが同時にほっとしたのです。曽祖母様おばあさまもきっと。とても安らいだお顔でしたもの』

 人は精霊ほど長い寿命に耐えられない。
 それはとても辛いことだからせめて本人と話し合ってと、雫の精霊に伝えることを蔓バラ姫に頼みはしたけれど。
 本当にそれで?

『ソフィー様……』

 オルタンス様を気に入っていた雫の精霊は水の属。
 蔓バラ姫は、他の属への干渉はできないから言葉を伝えるだけだと言っていた。
 オルタンス様も、オルタンス様の鍵を使えても精霊の存在は見えないソフィー様も幾度も説得を試みたと聞いているから半信半疑ではあったものの、人から精霊に話すとの、精霊間の忠告では違うのかもしれない。
 お亡くなりになったと聞くと複雑な思いがよぎるけれど、たしかにお辛そうではあったし無理矢理延命され続けられるというのは、やはりよくないことだったには違いない。
 わたしはともかく、蔓バラ姫は地の精霊グノーン直属の古精霊。
 別の属とはいえ、雫の精霊よりきっと上位な精霊だろう。
 精霊の序列は人のそれとは違うだろうから、それがどれほど影響するのかはわからないけれど。

『気をつけてくださいませ。曽祖母様おばあさまが亡くなったことで、実際に精霊博士としての働きが出来る方はマリーベル様だけになりました』
『え?』
曽祖母様おばあさまほどでなくても、皆、高齢でお一人では動けませんもの。過去の功労で王家が世話をしているというだけです。王宮も魔術院もどのような方がどのようなことをマリーベル様に抱いているかわかりません』
『ソフィーの言う通りよ。いくら貴女が王妃エレオノールの義従妹とされ、そこの魔術顧問が目を光らせていようと、魔術院に貴女の派閥はないのですから』
『カトリーヌ様やソフィー様の仰る通りですわ。近頃の王宮はなにか慌ただしくて、わたくしの夫まで今冬は領地に戻らぬよう留め置かれたくらいですもの』

 わたしは呑気なお茶会の気でいたのに、ソフィー様をはじめ、カトリーヌ様やイザベル様からあれこれと心配され、王宮の様子などもたぶんルイに向けてだろうけど教えられ、まるでフォート家を出たあとの作戦会議のような半日だった。

「まったく……正直、あの人達が貴女の味方であることは大変心強い。まさかわたしが彼女等に感謝する日が来ようとは」
「言い方」
「領内とはいえ、うっかり評判になるようなことはくれぐれも控えてください」
「しませんし、できませんからっ!」
「どうでしょうね」
「自分の妻が信用できないの!?」
「これまでがこれまでです」

 うぅ……信用がない。

「それで、実際どうなんですか?」
「どうって?」

 頬杖を外して尋ねてきたルイに問い返せば、精霊ですと呆れ気味に補足された。
 屋敷の護りの範囲をそろそろ抜けるから、精霊の気配なり姿なり声を感じられるかということだろう。

「ああ、まあ流石といいますかそれなりに?」

 わたしの返答に深くため息をついて、ルイは杖を持ち直す。

「本当に見聞きできるのですねえ」
「精霊の領域なんてものがあるせいか、小精霊は賑やかですね」
 
 そんなやりとりをルイと交わしながら、フォート家の森の敷石のされた路をわたし達が進んでいた頃――。
 国境近くの黒々と深い森の中。
 その一部が帯状に乾き切った灰色に枯れているのを目の当たりにした統括官のムルトが、その厳しい顔を難しく歪めていたなんて。
 
「正直、半信半疑だったが……これは酷いな」
「周辺に住む者達の話では、一夜の内に草木が枯れ果てたらしいと」 
「ムルト殿、魔獣か魔物の類でしょうか」
「わからん。しかしこれは魔獣や魔物というより……」
「ん?」
「いや。騎士団には、当面の間、近隣一帯に誰も近づけぬよう警備を要請する。火気などあれば燃え移りかねない。防護をかけられる魔術師の手配はこちらでしよう」
「領主様ですか……」
「いや、いまは収穫祭で各地を回っている最中だ。そう簡単には割り込めない」
「ですが、これほどの範囲。あの方でなければ腕利きの宮廷魔術師でも連れてこないと難しいのでは?」
「あてがある。今後の対応について東部支部と協議したい。まったくこんな時に迷惑な」

 ルイも、わたしも。
 ムルトと共に調査に同行し怪事に呆然としていた東部騎士団の騎士達も。
 その異変の先になにがあるかまだ誰にもなにもわからないことで、ましてルイとわたしに大きく関わることでもあるなんて。
 五日後その知らせが届いてもなお、想像もしていないことだった。
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