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第四部 魔術院と精霊博士

133.誓約と声

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 式典の進行を乱すように現れた謎の令嬢は、フォート家の夜番小間使いでわたしの奥方教育も務めたヴェルレーヌだった。 
 わたしとルイが内心呆気に取られている周囲で、まさか死んだはずでは、ではあの王立劇場五番個室の亡霊の噂はと、彼女の顔を見知っている者達が口々に騒ぎ出す。
 そんな人々の様子に、王様はやや不敵とも思える笑みの声を発した。

「流石、豪商リモンヌの惣領娘。其方を見覚えている者は少なくないらしい」
「恐れ多いことでございます」

 豪商リモンヌと口にした王様に、場は騒然となった。
 怒ったルイを前にしても落ち着き払っていたヴェルレーヌだけれど、王様相手であっても変わらないらしい。
 それどころか、屋敷で接していた彼女にはなかった妙な迫力がある。

「皆が騒ぐのも無理はない。彼の令嬢は、生き血を啜る吸血の魔物の餌食となり五年前に死亡したとされた。だがそれは父母が不慮の事故で身罷り、頼る者のない身となった自身の生命の危機を訴え、領地も財産も王家からの預かりものと返上する代わり、身の安全を取り計らって欲しいといった令嬢の嘆願による措置だ」

 その後、王様の側近の文官より、リモンヌ家がいかに先の戦で王国を支えたか、その後の王国の復興に際して多大なる貢献を果たしたか、その功労は無視できないこと。
 傍系の手には余るその役割。
 かつて手にしたものを金に変えるとまで言われ、男爵位を与えられた初代当主より後継者として指名されていた遺言までもある説明がされた。

「聞いての通りだ。調査により経済特区の秩序が著しく乱れていることも発覚した。彼の令嬢も成長し、その爵位を共に継ぐに足る相手も見つかったため、庇護すべき危機は解消されたと判断した。彼の令嬢――ヴェルレーヌ・リモンヌに講じた措置を撤回し、男爵令嬢としての名誉と身分の回復、近衛騎士であるクラン家次男との縁談を認める」

 え、縁談!?

「縁談。爵位継承のための婿まで調達しているとは」
「調達って、ルイは……」

 知っていたのと尋ねかけて、不意にルイに手を握られる。

『いいえ、まったく』
 
 耳からではなく、直接頭の中に響くようなルイの声。
 “密談”の魔術だと、応じるために意識を集中させた。

『仲睦まじい振りでもしていてください。すぐ近くにオーギュスタンがいてはこうして直接繋ぐのが最も悟られにくい。認めるのは癪ですが、魔術院副総長の肩書きは見栄や身分ではないので』
『そうなの?』
『若い頃はジョフロワに次ぐ実力でした。陰険な性格そのまま索敵や音を拾う魔術に長けています』

 たしかに陰険そうな顔はしていたと、式典前にちらりと見たこちらをぎらりとした目つきで睨んでいた魔術院副総長を思い出す。
 しかしルイがそう言うのなら、宮廷魔術師として彼の実力は相当なものなのだろう。
 
『それよりヴェルレーヌです。王家もただでは動きません。勝手なことはしないよう彼女の隠し財産やリモンヌの伝手は全て把握したつもりでしたが、まだ残していたらしい』
『では、ご両親を謀殺した犯人探しというのは……?』
『さあ、自分の身分を回復させる必要があってのことかもしれません。しかし、こうも見事に出し抜かれると愉快ですらありますね。本人もわかっているのかフォート家が関わったことは伏せている』
『それにしても縁談って……』
『ええ、しかも貴女に懸想していた近衛とは。流石に調達できないものはないと豪語していたリモンヌだけありますね』
『だからその調達って! それにエルネスト様は侍女だった頃、ちょっとお話ししただけですよ』

 玉座の前では名を呼ばれて近衛騎士の正装姿のエルネスト様が、ヴェルレーヌの側に出てきていた。
 凛々しい騎士の若者に儚げな美女だなんて、まるで絵物語だ。
 リモンヌ家のことはあまりよく知らなさそうな、若いご令嬢が二人を見てため息を吐いているような様子も見られた。
 わたしも素敵な二人だと思ったけれど、それを台無しにするルイの言葉が響く。

『どう考えても調達でしょう、あれは』
『だから、言い方』
『なんです。まるで誂えたようではないですか。家柄的に釣り合いがとれ、しかし家督は継げない男爵家の次男。おまけに貴女に好意を持っていた若者です。彼はヴェルレーヌがフォート家に匿われていたのを知っているでしょうね。貴女の話で友人にでもなっているのでは? あの人が殊勝に夫の相手をするとは思えません』
『いくらなんでも、あんまりな言い方では……』
『協力者にならない夫など、ヴェルレーヌには楽器の切れた弦より価値のないものです。私も彼女をいつまでもそのままにしておくのもと思っていましたが……しかし手回しが良すぎる』

 王家にも貴女にも近しい協力者でもいないことには、フェリシアンでも流石にここまでのことは……と言葉を途中で止めたルイと、その言葉を聞いたわたしと。
 たぶん同じ人物が思い浮かんだのだと思う。
 顔を見合わせ、二人でまったく同じ方向へ視線を移した。
 開いた扇を口元に、愉快そうに微笑んでいる、ご機嫌なご様子の“冠なき女王”に。

『好事家同士、顔見知りでもおかしくない。それにあの人も劇場に入り浸っていたのでしょう?』
『そういえば……カトリーヌ様、王立劇場の亡霊が死んだはずのヴェルレーヌに似ているらしいのってわたしに言ってきたことが。表向きわたしは知らない令嬢のことなのに。ただの噂話と思っていましたけど』
『なんですかそれは。完全に裏を取ろうとされているではないですか……あの近衛のことも王妃から聞いたに違いない』
『計画的ですね……』
『計画的です。機を見てもいる。正直、共和国とのことに備えて経済特区も含めてロベール王に相談したいところでした。生き返る時まで私に借りは作りたくないというのは実に彼女らしい』

 エルネスト様と二人、王様に再び身を屈め、玉座から人々の中へと戻る途中でにっこりとヴェルレーヌに微笑まれた。後でそちらに参りますとでも伝えるような笑みだった。
 本来の上位貴族の家の縁談が発表され、それも終わって、進行を務めていた文官がごほんとわざとらしい咳払いをしたのにはっとする。
 文官は咳払いを繰り返し、国王陛下直属の役職の設置について話し出す。
 ルイを見れば、彼は軽く頷いた。
 わたしとルイのことは一番最後に伝えると連絡はされていた。
 でなければ他の伝達事項が誰の耳にも入らず残ることもないだろうといった理由で。

 いよいよだ。

 いかにも貴族的なまどろっこしい前置きを文官は述べて、次にあらたな役職設置の理由を話し出す。
 要約すれば、これまで魔術に関することは魔術院がすべて取り仕切っていたが、魔術院とは別の立場で見解を述べる国王陛下専属の魔術師の必要性が高まってきているといった……もっともらしいような、そうでもないような説明だった。
 騒ぎ出すと思っていたのに、大広間はやけに静かだ。
 ヴェルレーヌの時と違って誰もが沈黙し、大広間全体張り詰めた雰囲気の中、この場にいる人々の大半がルイとわたしに意識を向けているのは伝わってくる。
 ルイに求婚された時もやけに静まり返って、じっとことの成り行きを眺めるような視線に晒されたけれど、それに少し似ていた。

「ま、御託はともかく」

 その静寂を破るように王様が飄とした言葉を発する。

「余に絶対的な忠誠を誓った魔術師を側近に登用する――ルイよ」

 ひらりと目の端にルイの白いローブの絹地が大きくひらめき、束ねた銀色の髪が煌めいた。
 立っていた場所から通路へと進み出て、その中央で体の向きを変えて数歩前へ。
 玉座に近づき、まるで騎士の任命のようにひざまずいたルイに、人々の間に動揺が走る。
 王様が鷹揚な態度で玉座から立ち上がり、ルイに近づく。
 すぐ側の妃の席に座る王妃様は、穏やかに二人を見守っているように見える。
 けれど、心配なことがある時ほど周囲を安心させるため、王妃様は穏やか様子でいることに努めることをわたしは知っている。
 張り詰めたような静けさはいよいよ緊張の色を濃くし、厳粛ささえ帯び始めていた。

「グレゴリー、皆に知らせよ」

 ルイと王様の間に少し離れた斜めの位置に法務大臣様が進み出て、文書両手に掲げるように開きその条文を読み上げる。
 父様が、ルイ要望に沿って作ったものだ。
 細々としたことがついた条文ではあったけれど、その内容はルイから聞かされていた通りではあった。
 
 わたしがトゥール伯爵家の令嬢としての身分を得て、貴族としてその身と名誉が保証されることをロベール王は認め、ルイはロベール王に忠誠を誓う。
 忠誠の証として、ルイは魔術師として無償でロベール王に仕える。
 これらが履行出来ない状態にルイが陥った場合は、フォート家及びロタール領に関わるすべてをロベール王の管理下に置く。
 最後に――。
 フォート家の魔術とフォート家に縁付く人外に関する力、バランに関してルイと協議したロベール王の懸念のすべてが解消された暁には、この契約は完了し解除される。
 その際、フォート家及びロタール領に関わるものがロベール王の管理下にある場合は、ルイまたはフォート家の後継たる資格を持つ者にすべて返還される。

「最後はほぼ不可能であろうな。聞いての通りだ。すでに忠誠を誓う契約はマリーベルとトゥール家の養子縁組が成立した際になされた。追加された条件については法務大臣による精査を得て、その契約も成された」

 なら何故、契約を記した文書が残っているのか。
 どこからかそんな声が上がり、静まりかえっていた大広間全体がどよめき、揺れ出す。
 聞こえてくる言葉には、ルイになにかあった場合にロタール領が王様の管理下となることの不満もあった。
 ここが王宮の大広間でなければ、きっとわたしはその言葉を発した人を探して掴みかかっていただろう。
 
 やれやれといった気配を滲ませて、王様が皆を静めようと口元を動かしかけて止める。
 そのことに気がついたのはわたしだけではなく、ざわついていた大広間が徐々に静かになっていく。
 静めたのはルイだ。ひざまずいたまま、ゆらりと緩慢な動きで右腕を掲げ、白いローブの袖が大きく揺れて施された金の刺繍が光を散らす。

「貴方がたは、契約魔術などと言っても納得されないでしょうから。残したまでです」

 穏やかかな調子の美しい声がそう告げて、親指と中指を弾く小気味良い音がした。
 法務大臣様の手にあった文書が青白い焔となってその手から離れ、まるで意志を持った生き物のような動きで、細くゆらめきながら大広間の天井に円を描く。

「恩寵賜りし御身に捧ぐ、巡る季節のことわりとそれに従う力――」
 
 円を示すルイの指先がその内側を巡るように動けば、枝分かれした焔が伸びて弧を描き、さらに二重三重の円を結んでいく。
 遥か後方、宮廷魔術師達がいる場所からなんだこの魔術はと呟く声が聞こえてくる。
 集まった人々の誰もが、平然とした態度を取り繕うことも忘れて天井を見上げ、呆気に取られていた。

「癒しと浄化をもたらし、困難に打ち克つ変化をもたらし、守りと成熟をもたらし、寛容と忍耐をもって叡智をもたらす……」

 厳かに低く響くルイの声に合わせ、ぼっ、ぼっと鈍く燃える音をさせて円の中を青白い焔が縦横に走り、真っ直ぐな線を引く。

「すべては御身の憂いを払うため、弔いの時を迎えるまで我が身をかけて誓約す、我が誓約に御身の恩寵と許しを――陛下」
「許す」

 ゆっくりと伏せていた顔を上げ、促す呼びかけに、ルイを見下ろした王様が応えれば、ぼぅっと、一際高く燃え上がる音を立てた焔は銀色の光となって消失した。

 説明などなくてもわかった。
 これは誓約。
 自分の魔術は王様の憂いを払うために用いるといった、ルイの忠誠を示すために行われた。

「異議ある者は……ないな」

 大広間全体を見渡すようにして王様がため息を吐くように確認する。
 こんな誓約を見せられては、流石に魔術院の魔術師達も、ルイに文句をつけたい者達もなにも言えない。

「ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート、其方を余の魔術顧問に任命する。かつては脅威とも見做されたフォート家の力と智恵で余と王国に尽くせ」
「謹んで」

 きっとこの場にいる貴族達にとっては歴史的な瞬間に違いない。
 元小国王家の公爵家。これまで王家に一歩引いても対等の姿勢は崩さなかったフォート家の当主がひざまずき、臣として仕える誓約を自ら行ったのだから。

 わたしのために。
  
「約束は守っていただく」
「無論だ。マリーベルの身は余が保証する。魔術師よりも稀有な精霊博士は王家が護るのはいまに始まったことではない。マリーベルこれへ」
「はい」
 
 来た――。
 ルイの次はわたしだ。
 流石に王家の決め事に異議を唱える人はいないと思うけれど……ユーグ様やフィリップ殿下の忠告もある。
 ルイの隣まで進み出て、まだひざまずいている彼に合わせ、深く身を屈める。

「報告では――」
 
 王様直々に、事実確認をわたしに取ろうとしたその時だった。
 
「きゃっ!? なにっ!?」
「マリーベル!」
「陛下!!」

 扉も窓もない、人だかりと壁しかない方向からの凄まじい突風に、身を屈めていたわたしは頭から床に横倒れになりかけてルイに抱き止められる。
 目を開ければ、玉座の側に四人もの近衛騎士が警戒体勢で王様を取り囲んでいた。
 
『ああ、まったくひどいなあ……これだから王宮ってところは。誰も教えてくれないんだから』

 なに!?
 耳から聞こえる声ではなかった。
 だけど“密談”の魔術でもない。
  
『グノーンの“愛し子”? 四大精霊が? 人に? なにかの冗談でしょう』

 姿は見えない。
 空間から、降ってくる。まるで少年のような声。
 宮廷魔術師達のいる方向を見れば、彼らもまた近衛騎士に取り囲まれて動揺している様子だった。
 近くにいる貴族女性の悲鳴や、男女関係ない慌てふためく声がしている。
 
「馬鹿な――」
「ルイ?」

 わたしの両肩を、横から掴んで支えているルイの手に力が込もる。
 とにかく斜めに横座りのような格好でいる体勢を整えようと足を動かそうとした、刹那。 
 複数の悲鳴が上がって、大広間が突然明るくなった。
 稲妻のような閃光が、まるで大蛇が襲いかかるが如くわたしを目掛けてやってきて、ほどんど反射的にルイを強く突き飛ばす。

「なっ、マリーベルっ!!」

 ――間に合わないっ!

 焦りに満ちたルイの声。
 目を灼くような強い光がなにもかもかも一瞬で真っ白に染め上げ、悲鳴を上げながらわたしは絶対無駄だと絶望的な思いで身を庇って顔の前で両腕を交差し、固く目を閉じる。

「いゃ……っ……!」

 強い光が閉じた瞼も通して、金色がいっぱいに広がった。
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